もぐら新章 3第一四回

第1章

「渡久地君、ちょっといいかな?」
 泰は廊下で飯嶋に声をかけられた。
「はい......」
 飯嶋についていく。
 飯嶋が入っていったのは、ミーティングルームだった。
「入って」
 飯嶋が笑顔を向ける。
 泰は促されるまま、中へ入った。
「そこに」
 飯嶋は長テーブルを挟んで向かいのパイプ椅子を手で指した。泰が座ったのを見て、飯嶋も対面に腰を下ろした。
 向き合う。飯嶋はじっと泰を見つめる。
 泰は直視できず、目を逸らした。
「最近、調子はどうかな?」
「普通です」
「そうか」
 飯嶋が微笑んだ。が、その目はいつもと違い、泰の内心を探るような鋭いものだった。
 泰は、飯嶋が訊きたい内容をなんとなく察していた。
 伊佐と再会して、一週間が経っていた。
 伊佐が木内に暴行を加えたその夜から、木内と湯沢は泰の姿を見かけると避けるようになった。
 木内はひどいケガをしていたが、湯沢と共にただ転んだだけと言い張った。
 よほど、伊佐が怖かったようだ。
 だが、他の職員はともかく、海千山千を越えてきた飯嶋には、木内のケガが転んだものではないことくらいお見通しだった。
 飯嶋は口には出さなかったが、木内のケガが泰と無関係でないと確信している様子がありありとしていた。
「あと一週間で、君はこの施設を出る。その後、どうするつもりだ?」
「まだ、考えてないですけど......」
「私の意見だがね。沖縄に帰るのは、まだ早いと思う」
 飯嶋が言う。
 泰は顔を上げた。飯嶋はすべてわかっていると言いたげな目を、泰に向けていた。
 あいつら、ゲロしたな......。
 木内と湯沢の顔を思い浮かべ、心の中で舌打ちをする。
「渡久地君。過去を断ち切るというのは、容易なことではない。悪い虫は、何年経とうと、亡霊のように現われ、光の下に出ようとするかつての仲間を引きずり降ろそうとする。せっかく七合目まで這い上がっても、そこから三合目まで落とされることもある。それでもな、歩みを止めちゃいけない。足を止めた途端、這い出した闇に引きずり込まれる」
「先生も......」
 泰は言いかけて口ごもった。
「どうした?」
 飯嶋は笑みを向けた。その目は優しい。
 泰はうつむいて拳を握り、もう一度顔を上げて、飯嶋を見つめた。
「先生にもそういうことがあったんですか?」
「何度もあった」
 飯嶋が笑った。
「昔の仲間が誘ってきたり、売人が近づいてきたり。過去をばらすと脅して金を取ろうとするヤツもいた。まあ、これも因果だなと思ったがね」
「そんな時、どうしたんですか?」
「断わり続けた。それもきつくなってきて、地元を離れた。自分のことを誰も知らない場所を転々としながら、社会福祉士の資格を取って、今現在、ここにいる」
 飯嶋はまっすぐ泰を見た。
 その眼差しは揺れる心を射貫くようで、泰は胸が痛くなった。
「渡久地君。地元にこだわる必要はないんだぞ。生まれ育った場所は、ただ単に人生の一時期を過ごした場所でしかない。悪仲間も渡久地君にとっては大事な友達かもしれんが、それも長い人生の中で接しただけに過ぎない。そこで生きるのがつらくなって、息ができなくなるくらいなら、飛び出せばいい。日本も世界も広い。君には、その二本の足で、どこへでも羽ばたく権利がある。何にも縛られず、自分の人生を選択して生きる資格を有している」
「それって、逃げろってことですか?」
「逃げてもいいんじゃないか? 自分を生きるために逃げることは、恥ずかしいことではないよ。むしろ、発展的後退と言える」
「難しい言葉はわからないんですけど」
「次へ進むために、一度前に進むのをやめて、退くということ。高い壁は上って越えなくても、壁の周りを歩いて切れ目を探して回り込んで抜けてもいいんだよ。ジグザグに進んでいるうちに、いつのまにか高みに上がっている。ここはその一歩を踏み出すところだ」
 飯嶋は優しい笑みを向けた。
 泰は、胸が熱くなるのを感じた。
 同時に、伊佐と竜星の顔が浮かぶ。
「渡久地君、私の知り合いのアニメ制作会社の社長が、オペレーターを探しているんだ」
「俺、アニメとか興味ないし、パソコン触れねえっすよ」
「わかってる。それはそちらの会社で教えてくれるそうだ。一度、会ってみないか?」
 飯嶋が言った。
 泰はうつむいた。
 アニメなど見たことがない。そんなものを楽しむような環境になかった。
 そういえば、子供らしい子供時代を過ごしたことがないな......と気づく。
「働きながら、自分が本当にしたいことを見つけるといい。考えてみてくれ。な」
 飯嶋の問いかけに、泰は小さく首肯した。

(続く)

もぐら新章 3

Synopsisあらすじ

最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄の暴力団組織「座間味組」や、沖縄の開発利権を狙う東京の「波島組」との戦闘を乗り越えた竜星だったが、親友の安達真昌とともに己の生きる道を模索していた。(もぐら新章『血脈』『波濤』)

そして今、沖縄随一の歓楽街に、不意の真空状態が生じていた。松山・前島エリアに根を張っていた座間味組は解散し、そのシマを手中に収めようとした波島組も壊滅状態。その空隙を狙うように、城間尚亮が、那覇の半グレたちの畏怖の対象だった渡久地巌の名を担ぎ出して、動き出したのであった……。

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が110万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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