持続可能な魂の利用第3回

 敬子はネットの求人サイトで仕事を探してはいたが、それよりも熱が入っていたのは、動画サイトでミュージックビデオや関連映像をチェックすることだった。
 街頭ビジョンで××の視線に射すくめられて以来、敬子はネットを開くとそのまま引き寄せられるように、毎日××が歌い踊る姿を鑑賞し、××について検索した。
 ××は、二年前にデビューしたばかりの新しいアイドルグループの中心にいる、まだ十代の女の子だった。彼女の所属するグループはヒット曲を矢継ぎ早に飛ばし、今では絶大な人気があった。
 テレビなしの生活を送っていた敬子は、すっかり感覚が鈍っていて、たった二年でまったく知らなかった存在が大人気になっているという状況に少し面食らったが、ネットやSNSに溢れる××やほかのメンバーへの賛辞や批判の言葉を浴びるように目にしながら、こういうものだったかもしれないと納得していった。そして、このアイドルグループが人気を誇る存在であることに、新鮮に驚いた。彼女たちは、明らかにこれまでのアイドルの女の子たちとは違っていた。
 敬子が惹きつけられたのは、そのアイドルグループの女の子たちが、パフォーマンスの間、笑顔を見せないことだった。睨みつけるような目をした××だけでなく、彼女たちは笑わずに、歌い、踊った。アイドルの女の子たちが笑わない。ただそれだけで、敬子はある種の清々しさを感じた。
 笑顔、笑顔、笑顔。
 それはテレビの中でも外でも、日本の女の子たちに求められているものだった。
 日本の男たちが勝手に求め、当たり前に与えられるものと信じきっているもの。控えめな笑顔、満開のひまわりのような笑顔と、高みから形容し、仏頂面の女の子たちにはそれでは駄目だとにやにやと忠告し、なんとかして彼女たちの口を横に開かそうとするもの。日本の女の子たちが大人になっても逃れられないもの。
 その笑顔から解放された××をはじめとする女の子たちの力は、彼女たちの持つ歌やダンスの才能を発揮することだけに使われていた。
 敬子はこの前、香川さんに会った日の夜を思い出した。
 帰ってパソコンを開き、コンビニで買ってきた飲むヨーグルトにストローをぶっ刺しながら、香川さんに教えてもらった名前を動画サイトに打ち込み、一番上に出てきたミュージックビデオをなんとなく再生した瞬間。
 どこか不穏な前奏とともに、道に倒れていた××は起き上がり、空に握りこぶしを突き出す。後ろからどどどっと走り寄り××に合流したほかの女の子たちも揃ってファイティングポーズのようなポーズをそれぞれ決め、みんなと同じでいいのか、と反抗的なメッセージの歌を、まるで軍隊のような衣装を着て、まるで軍隊のように揃った動きで、挑戦的に歌い踊った。
 え。
 目の前の映像に驚いた敬子は、目が離せなかった。
 終わってから、すぐにもう一度見た。
 少し気持ちが落ちついてきてから、次の歌のビデオに移り、その歌も何度も見て、それからまた次の歌に移った。
 どの歌も、社会の同調圧力に抗う強さを謳っていた。衣装はほかの系列グループと同じく制服がベースになっていたが、まるで軍服を彷彿させるようにその生地は厚く、彼女たちがくるくる回っても、下から覗くのは暗い色のショートパンツで、それも安心して見ていることができた。
 そして、独特な振り付けの、強い、ダンス。まるで日本のホラー映画に出てくる少女の幽霊を思わせる、黒魔術のようなダンスをする歌もあった。
 どの歌の彼女たちも、かっこよかった。
 アイドルじゃないような歌を歌い、アイドルじゃないようなダンスを踊り、アイドルじゃないような衣装を着た、笑わない××は、彼女たちは、かっこよかった。
 常に笑顔を張り付かせ、制服を模した衣装のひらひらとした短いスカートから「見えてもいいパンツ」を見せて歌い踊っている大量のアイドルの女の子たちを見ることが、ある頃からしんどくなっていた敬子は、そうじゃないアイドルの女の子たちの姿を見るだけで、救われた気持ちだった。
 ××たちを見ていると、敬子は自分がここでもまた傷ついていたことに気づかされた。
 男性にとってかわいくあることを、男性にとって従順であることを強制されている大量の女の子たちの姿がテレビで流され続ける毎日に。現実の世界でも同じようなものなのに、それがまたテレビの中でもそっくりそのまま再現されることに。
 見ている敬子が傷つくのだから、当人たちはどれだけ傷ついているだろう。グループのルールを破ったと罰則を与えられたり、体調不良で活動を休止したり、活動自体を「卒業」したりする女の子たちのニュースが目に入るたびに、胸が痛んだ。
 アイドルだけでなく、テレビで毎分、毎秒再現される性暴力や性差別の数々に、小さな頃からずっとそうだったそれらに、ある時、もう耐えられないと、敬子はテレビを見ることをやめた。広告やネットのニュースなど日常生活を送っていて目に触れるすべてをシャットアウトすることは土台無理な話だったが、テレビという、見るべきものだと思っていた選択肢を捨ててみると、だいぶ楽になるものだった。
 そして、今、敬子は××の存在を知った。
 けれど、××の所属するグループをどれだけ気に入っても、好きになっても、このグループもまた、ある頃から日本で主流となった、量産型のアイドル体系の一部である事実から目を背けることはできなかった。
 ひらひらした衣装の笑顔のアイドルたちも、分厚い生地の衣装を身につけた、笑わない××たちも、同じ一人の男にプロデュースされていた。長きにわたり日本のエンターテインメントの世界に君臨し、権力を持つ男に。
 そう考えてみると、敬子を傷つけたのも、敬子を救済したのも、同じ男だと言えた。認めたくはなかったが、そうだった。
 後ろにあの男がいる。女の子たちを操るたくさんの男たちがいる。その構造が常に維持されてきた。
 一度意識してしまうと、群れるな、他者と違うことを恐れるな、と完璧に同じ動きで歌い踊る彼女たちが、なにか悪い冗談のように、大きな矛盾であるように思えた。
 なにか裏があるのかもしれない。
 敬子は考えた。
 たとえば、彼女たちの動きや衣装をかっこいいものとして創り上げることで、若者たちを軍隊的世界観に慣れさせようとしているとか。今の日本の社会情勢を鑑みると、それはとてもタチが悪いことだった。
 なのに、
 敬子は、夢中だった。
 ××に、××とほかのメンバーたちに、夢中だった。
 職探しそっちのけで映像の再生を繰り返し、主要な楽曲を把握してからは、テレビ出演時の映像や映像の下に書き込まれた膨大な数のコメント、彼女たちのブログ、ファンたちの掲示板に目を通した。情報が染み込むように敬子の中に入ってきた。そうだった、好きという気持ちがあると、情報は染み込む。好きなことは染み込む。
 アイドルやタレントの切り抜きを雑誌から集めていた十代の感覚が抜け落ちてから二十年以上の身には、長らく誰にもときめきを感じていなかった身には、この感覚は、どう考えてみても、恋、に近かった。
 これが、推し、か。
 アニメや宝塚歌劇団、フィギュアスケートなど、それぞれの推しに邁進している同僚や友人たちが羨ましかった敬子は、自分に推しができたことが、単純に嬉しかった。まだ家の中だけで楽しんでいるレベルだったが、リハビリのように、ネットで新曲のCDを一枚注文してみた。何種類もあるジャケットの中から、横顔の××がアップになっているバージョンを選んだ。音楽をCDという形で手に入れるのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
 もちろん、××たちを知っていくと、敬子が好きではない部分も出てきた。
 あれだけかっこいいパフォーマンスをする彼女たちなのに、パフォーマンス以外では、小さな声でクスクス話す、自信のなさそうな女の子たちになってしまうのだ。××でさえ、そうだった。青年誌に、水着のグラビアが掲載されるメンバーもいた。あの分厚い生地が嘘だったかのように、そこでは女の子の体が晒されていた。
 そのすべてが、まるで男たちを安心させる策略のようにも思え、敬子は苛立たしかった。強いだけじゃないんですよ、すごいだけじゃないんですよ、ちゃんとか弱い、普通の女の子なんですよ、ね、と安全策が取られているように見えた。
 悲しくなるので、敬子はテレビ出演時の映像を見る時は、はじめのトーク部分を飛ばすようにした。パフォーマンスがはじまると、まるで憑かれたように踊り狂う彼女たちを見て、どうして彼女たちが好きなのか、敬子はすとんと理解できた。この黒魔術みたいな踊りで、もしかしたら、普段彼女たちを操っている男たちを殺せるんじゃないか、このダンスでいつか本当に殺すんじゃないか、と信じられるほどの気迫を感じるからだ。そこには希望があった、確かな。
 それに、後ろにいる男たちになにか別の意図があるのだとしても、彼女たちのこのかっこいいパフォーマンスを見た若い世代は、後ろに誰がいるかなんて考えずに、歌の意味をそのまま受け取る可能性のほうが高いんじゃないだろうか。
 敬子はそっちにかけたかった。


 .........
 .........
 .........
 ......のほうが××より美少女だろ。
 ××は圧倒的美少女。
 おまえ美少女の意味わかってる?
 女だけど××が好き。
 ××の存在感すげー。
 ××が美少女じゃなかったら誰が美少女なんだよ。
 .........
 .........
 .........
 

 掲示板に書かれた言葉をスクロールしながら、敬子は自分の立場がとても不思議だと思った。
 今、好きな人のことを、好きなグループを、言葉に出して好きだと言うことに、敬子は躊躇を覚える。自分の性別や年齢的なことではない。誰がいつ何にハマるのも自由だ。それぐらい敬子にもわかっている。好きだと口に出すと、彼女たちを操っている男たちを肯定するような気がするからだ。彼女たちを同じように消費しているような気がするからだ。好きな人を自由に好きだと言うことができないシステムが出来上がっていた。
 でも、好き。
 この矛盾を解消する方法は、今のところ、敬子にはなかった。
「もうなんでいきなりそんなのにハマってるの。お姉ちゃん、知らないの。日本のアイドル文化は、ロリコン文化だって、性的搾取だって、海外じゃ評判悪いよ」
 スカイプをしている時、何かの話の延長で敬子がアイドルグループのファンになったことを言ってみると、案の定、美穂子は呆れた声を出した。
「わかってるけど、ハマったものは仕方ないじゃんか」
「中にいると鈍感になるから、外国のニュースとかも読んだほうがいいよ。てか、こっちから帰ってすぐそれかよ。意味なくない」
「そうだけどさ」
「さっきの話に戻るけど、とにかく仕事が見つからなかったら、いつでもこっちに来ればいいんだからね。これ忘れるな。人生のティップ」
 ミホー、という声が後ろから聞こえ、おっと、じゃ、そろそろ、と美穂子はスカイプを切った。
 敬子もスカイプの画面を消すと、再び動画サイトを開き、××の映像をさらに見た。強い眼差しの××を見ていると、彼女たちの踊りを見ていると、なぜだか涙が出そうになった。
 しばらくして、お腹がすいたな、と敬子は思った。それでも、彼女たちを見ることを、敬子はやめられなかった。

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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