持続可能な魂の利用第16話

「ラインが既読にならないんだよね」
 浮かない声をした香川歩が言った。
「どれくらいの間ですか?」
 これだけだと、まるで人間関係に悩む女子中学生の会話みたいだと思いながら、宇波真奈は作業の手を止めずに聞いた。今日は案件の数が多い。はやくさばかないと残業になってしまう。はやく帰って、小説を仕上げてしまいたい。
「うーん、たぶん今日で4日、いや5日になるかな」
「5日か。ちょっと微妙ですね」
 パソコンから顔を上げた真奈は、目を伏せている歩の長いまつ毛に気を取られた。
 これでマツエクしていないとかマジで。
 真奈はまつ毛エクステをした自分のまつ毛を、思わずばしばしとしばたいた。
「そうなんだよね。敬子さん、律儀っていうかめちゃくちゃ真面目だからこんなに既読がつくのが遅いことっていままでなかったし。なんかあったんじゃないかって、ちょっと心配になってきた」
 歩は本当に心配しているようだった。真奈は姿勢を正した。
「敬子さんとの最後のやりとりはなんだったんですか?」
「なんかデモに行ってみるって言ってて、次の日くらいにどうだったかラインで聞いてみたら、既読がつかなくて」
「デモ?」
「そう、デモ」
「なんのデモですか?」
「官邸前」
「ああ、なるほど。最近よくやってますよね」
「そうみたいだね」
「電話してみたらどうですか?」
 歩は困ったように首を傾げた。めずらしくネイルをしていない爪をこつこつとデスクに打ちつけて思案している様子を、真奈は静かに観察した。
「電話も出ないんだよね」
「え、どうするんですか」
「どうしよう」
 
 


 
 

 


 8月27日

 夏が終わる。
 日付上はそのはずだけど、でもまだまだトロントも暑いし、日本もきっとそうだろう。だから、実感は少しもないけれど、それでも夏が終わる。
 考えてみれば、夏を美穂子と過ごしたのは、ものすごく久しぶりだったかもしれない。
 十年ぶり? もしかして二十年ぶり? 
 美穂子は高校あたりから外でふらふらしてたから、中学くらいまでだったかな。時間なんてあっという間に過ぎる。
 小さい頃は、夏休みはほとんど一ヶ月間、美穂子とずっと一緒だった。母がつくってくれたおそろいのワンピースとか着て、同じような髪型をして。二人ともすごく似ていた。並んで写っている写真を今見ると、私の横に、一回り小さい私がいるみたいだ。美穂子は、こども時代は私と同じ格好とか髪型をしたがったから、母は私に何か買う時は、念のため二つ買うようにしていた。後で美穂子が泣かないように。美穂子は泣き出すとしぶとかった。
 今じゃあり得ない。
 ある頃から、美穂子は私の服装を見ると、もっと派手な格好したらって、退屈そうな表情で言うようになった。それほんとに好きな格好なのって。美穂子は奇抜っていうか、その時々捉えどころのない服装をしてて、いまだにどう形容したらいいのかわからない。全身黄緑色の服を着ている時期なんて、細いせいもあって、アスパラみたいだった。髪も短かったし。そういえば、美穂子はこっちに来て前よりも太った。
 最近じゃ、退屈そうな表情を通り越して、私を見てなんだかはがゆそうというか、しんどそうな表情をする時がある。美穂子は全部顔に出るからすぐわかる。私を見ていると、日本の感じ、を思い出すのかもしれない。なんだか申し訳ない気分になる。
 美穂子は日本にいる時、本当に息苦しそうだった。どうしてそんなにつらいの、何が嫌なの、と私は美穂子を見ていて思ったりしていたけど、今ならよくわかるし、どうして自分が大丈夫だったのかわからない。
 ていうか、本当に大丈夫だったのかな。おかしな話だけど、自分のことなのに、よく覚えていないのだ。自分がいろんなことに対して、どう考えていたのか、記憶がない。もしかしたらずっと、全然大丈夫なんかじゃなかったのかもしれない。大丈夫じゃないのが日本の「普通」で、だから「普通」だし大丈夫だと自分に言い聞かせていたのかも。
 昔から、美穂子のほうがずっと繊細で感じやすかった。赤ちゃんの時も、私は寝たら朝までずっと熟睡だったけど、美穂子は夜中に物音がするとすぐ目覚めて、泣き出したらしい。私はいつも鈍くさい。
 ここで生活していて、疲れがだいぶとれた気がする。ただ休むってことも長い間していなかった。毎日おいしいものを食べたし、一番好きだった場所は選べないけど、美穂子とエマのお気に入りの靴の美術館は素敵だった。また行きたい。
 今日は、滞在中何回も行った、アパートの一階にあるメキシカンで最後のごはんを二人と食べて、空港まで送ってもらった。タコスがこんなにおいしいものだって、これまで知らなかった。
 チェックインする時、空港職員の女の人が、私のパスポートの写真を見て、「Nice Picture!」って笑ってくれた。前の私だったら、「いえいえ、そんなことないです」とか謙遜してしまっていたかもしれないけど、ただ「Thank You!」って、こっちも笑って返事ができた。謙遜って、コミュニケーションを、私自身を、にごらすだけだった気がする。謙遜とか、何十年かけて私の体に染みついてしまったものを、一つ一つ自分から剥ぎ取っていきたい。もうしたくないから。もうしたくないことがたくさんある。したいこともたくさんある。
 この一ヶ月間考えてきたことだけど、私、日本に帰ったら、「おじさん」を倒す。
 あ、搭乗がはじまった。またあとで!

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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