持続可能な魂の利用第12回

 女の子の体ってエロいな。
 ノートパソコンの画面の中で縦横無尽に飛び回っているアニメの魔法少女をしげしげと眺めながら、前にいつ掃除したんだか覚えてもいない床にあぐらをかいた宇波真奈は、猫背で夕飯を掻き込む。SNSでレシピを知ったカルボナーラうどんとかいう時短料理で、電子レンジだけでできるのがありがたい。仕事から帰って、趣味に費やせる時間は限られている。お茶を沸かすことさえ面倒で、部屋には空になったペットボトルが至るところに転がっていた。
 普段はドジっ子女子高生の主人公は、同時にステージで歓声を浴びる大人気アイドル。しかし、果たしてその実態は、地球の平和を守る魔法少女なのである。
 相変わらず、要素多いし。
 マルチタスクでひたすら忙しそうな水色の髪の魔法少女を、疲れた目で真奈は見つめる。
 魚が死んだような目って、今の私の目をいうんじゃないか。
 昔、何かの雑誌で偶然読んだ、独特な女の子の絵で名を馳せた男性芸術家のエッセイを時々、真奈は思い出す。いい作品を見つめる時の僕は、子犬のような瞳をしている、とかなんとか書いてあった。何かに夢中になっている自分の目を「子犬のような瞳」と形容できる、その40代以上に違いない男の人が、あまりに無邪気で驚いたので、なんだか忘れられなかった。
 彼女の実感でいえば、こうやって自分の部屋でたった一人、誰に気兼ねすることなく大好きなアニメを見ている時の目は、死んでいる魚くらいがぴったりだった。画面の魔法少女だけが、真奈の死んだ目を受け入れてくれる。外の世界でもそうやって生きていきたいのに、なかなかそうもいかない「死んだ目」。真奈は死んだ目をしている時に一番生きていると感じる。
 制服orアイドルの衣装→裸→魔法少女の戦闘服、といういつものくるくる回転変身シーンが映し出される。変身後の戦闘服は、制服を模してあるが、股間まで露わになるスカートの丈はもうスカートと呼べないほど短いし(なんて呼べばいいんだあれは)、ブラウスの丈も胸の下ぎりぎりだ。豊満な胸、細いウエストに足。魔法少女が動くたびに下着がちらつく。敵の攻撃を受けると、ただでさえ面積が少ないというのに、布がビリビリと破れ、さらに肌が露出する。
 アニメのこんな場面は、小さな頃からもう何百回と目にしている。もう形骸化されたお約束といっていい。小学生や中学生の頃は変身の途中で女の子が裸になったり、揺れるスカートから下着が見えたりするたびに、本当に見てもいいのかなとドキドキしたものだけど、何しろテレビでやっているのだから、これは見てもいい普通のことなのだろう。真奈はいつしかすっかり慣れて、いちいち考えなくなった。
 今、アニメの女の子の体は真奈を安心させてくれる。
 ここに体がある。
 真奈がどれだけ凝視しても、搾取しても、辱めても、動じない体が。物語の中の感情以外の感情を持っていない体が。決して傷つかない心と体が。
「ごめん、金曜日の夜は敬子さんとライブ行くんだよね。ごはんは来週でもいい? あの新しくできたタコスの店がいいかな? 久しぶりにパクチーナイトでもいいけど」
 職場で向かいに座っている香川さんが小林さんと話していたのは、週のはじまりのことだ。
「え、待って、なんのライブ?」
 ライブというなら一過言ありますというような勢いで、小林さんが身を乗り出す。
「××のグループの。最近人気あんじゃん」
「え、アイドルグループか」
 時々香川さんのデスクまで話しにやってくる小林さんは、会話の最初に「え、」とつける癖があり、その癖は真奈にもあるので、わかる、といつも内心思いながら、二人の話しを聞いている。
「うん、敬子さんがハマってるんだよね」
「え、意外。敬子さんて、前にここで働いてた人だよね。もっと落ち着いた感じの人かと思ってた」
「一目惚れしたんだってさ。てか、その瞬間、私その場にいたんだけど。ほんと〝人が恋に落ちる瞬間をはじめてみてしまった〟って感じだったよ」
「え、ハチクロ、懐かし。でも、それって典型的なオタクのはじまりだよね。自分もそうだったなあ」
 とオフィスの片隅で小林さんは芝居がかった遠い目をしはじめた。香川さんが笑い出すと、小林さんはぱっと真面目な顔に戻って、先を続ける。
「推しジャンルは違えど、でもわかる。アイドルの女の子たち見てると、なんか元気になるよね。エネルギッシュで」
「うん、わかる。一生懸命で、キラキラしてて、目が離せなくなる」
 目の前で入力作業をしている私が、かつてアイドルだったことを知ったら、二人は驚くだろうか。
 真奈は、手を止めずに思う。
 しかも、××が所属しているのと同じ系列グループにいたと知ったら。
 現在二十四歳の宇波真奈は、十七歳で〝卒業〟するまでの四年間、アイドルをしていた。
 四年間。
 短くはない年月だ。
 それでも、今、真奈が元アイドルだと気づく人はいない。
 漢字を変えたり、ひらがなにしたりすることは許されたが、系列グループは原則として、アイドルになった女の子たちに本名を使うことを求めた。その方が、「会いにいけるアイドル」というグループのコンセプトにも合い、親しみやすいと考えたのだろう。女の子たちは、芸名という身を守るシールドの一つを、はなから持たせてもらえなかった。
 でも、その時の真奈は、そんなことを思いもしなかった。名字がもともと強そうだからひらがなの「まな」のほうが柔らかい字面で印象に残るかもしれない、と最終オーディションを通過し期待に胸を膨らませた真奈は、大喜びしてくれた母親と相談して、「熊野まな」と名乗ることにした。アイドル活動がはじまってからは、自分のキャラクターを印象づけるために、かわいらしいくまのイラストを練習し、サインには必ずそのイラストを添えた。くまのぬいぐるみやグッズでいっぱいにした部屋が映り込むようにして、日夜自撮りに励んだ。
 十六歳の秋、両親が離婚し、真奈は母親の旧姓に戻ったが、キャラが定着してきたところでもあったので、アイドル活動中は「熊野まな」という名前を使い続けた。
 それが、〝卒業〟後の彼女を救うことになった。母親の旧姓のほうが珍しかったこともあり、今となっては、宇波真奈という名前から、彼女がアイドルだったことにピンとくる人は皆無に等しい。同僚や同級生のことだって検索する時代だ。アイドルをやめてから出会った人たちが検索したとしても、「宇波真奈」の情報は載っていない。アイドル時代のブログ更新地獄を経験した彼女は、SNS関連はもっぱら見る側だ。
 何より、「熊野まな」に人気がなかった。それに尽きた。
 常時変動はありつつも、各地、そして海外にも点在する系列アイドルグループすべてのメンバーを含めると、八百人に近いアイドルが所属していた。メンバーが少ないグループでさえ、一クラス分の生徒数は優にいた。そのなかで、目立つこと、すなわち〝売れる〟ことがどれだけ難しいかは、オーディションを受ける前からわかっていたつもりだった。それよりも、自分がアイドルであることが真奈はうれしかった。
 私はアイドル。
 センターに抜擢されることがなくても、テレビに全然映らなくても、握手会でほかのメンバーにできる列のほうが長かったとしても、それはゆるぎのない事実だった。アイドルになりたい、という以上の夢をもともと持っておらず、その夢を果たしてしまった真奈は、それで十分満足していた。センターで歌っている売れっ子のメンバーと同じ衣装を着て、同じ振り付けで踊っている自分のことが誇らしかった。  
 人数が多いんだから仕方ないよね。
 自分が売れていなくても、このアイドルグループの形態が、格好の言い訳となった。現状に疑問を持たなければ、真奈はずっとアイドルでいられた。大人気グループのアイドルで。
 それに、余計なことを考えている余裕のないほど忙しかった。真奈が所属していたグループ群は、ちゃんと訓練を受けたことのない女の子たちをデビューさせている、まるで学芸会のようだと世間に揶揄されることが多かったけれど、じゃあなんで所詮は学芸会をやっているはずの自分たちはこんなに毎日練習や公演でへとへとなんだろう。学芸会はこんなにハードで必死なものだろうか。
 見なければよかったのか、いまでも真奈はわからない。知らないままならば、今でもアイドルでいられたのか。その日は突然訪れた。

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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