持続可能な魂の利用第11回

 ネットショッピングをしているとままあることだが、そもそもの目的をとうに忘れて膨大な商品の海をさまよっていた歩の目の前にその日偶然現れたのが、ピンク色のスタンガンだった。
 数千円で手に入るピンク色の安全。
 液晶画面を凝視し、自分に必要だったのはこれだ、これだったんだ、と直感した彼女は、カートからレジへと直行した。
 女性だからピンク色、といういかにも「おじさん」が考えそうな安直な配色センスには、普段から眉をひそめることも多かったが(薬局で売られているピンク色のマスク!)、ピンク色のスタンガンにはどこか意表をつく面白さがあったし、逆になんのひねりもないガチでしかない黒色よりは、断然手に取りやすいように思った。
 買う!
 もう人生で何百回目の決済ボタンを押しながら、自分が常に武器を求めていたことに歩は思い至った。
 
 制服のせいでこんな目に遭うのなら、制服なんてクソだ。
 香川歩は何度そう思ったことか。満員電車の中で痴漢から身を守る、という切実かつ過酷なミッションを遂行しなければ「平和な学び舎」に通うことさえできない毎日を送っていた十代の彼女は、制服を呪っていた。
 明らかに、制服は、相手をナメていい、触っていい、という目印になっていた。狙われるとわかっているままの外見を保って生き延びることがほとんど不可能に近いことは、進化の歴史を紐解くまでもない。なのに、女の子たちは、それを強制されていた。
 制服を着た女の子たちに目を留めると静かに目を光らせ、車内の人混みに体を押し込み少しでも近くに陣どろうとする「おじさん」たち、そして押し付けられる「おじさん」たちの体のパーツ。
 彼らの醜悪な勇姿は、歩の目に、体に焼きついた。そんな経験を経てしまうと、これから先の人生ずっと、「おじさん」をにくむくらいわけはなかった。むしろにくみ足りないくらいだ。「おじさん」を避けようとすれば遅刻になり、声を上げて痴漢に及んだ「おじさん」を糾弾すれば「迷惑」となり、女子高生たちの日常は、どう転んでも負けが込んでいた。
 けれど、高校を卒業し、同時に制服からも解放されたはずの歩は、新たな制服に自分は手を通しただけなのだと、じきに気づくことになった。
 日本社会は、常に女性に制服を課しているようなものだった。女性に「望ましい」とされる服装とメイクが社会通念として存在し、それが人生のどの段階に進んでも、彼女たちを縛った。その基準に倣っていない時でも、心のどこかで、自分が基準から外れていることを意識してしまうくらいに。
「望ましい」の枠外に出ることはもちろん自由だったが、その自由には名前があり、ただ大目に見られているだけだった。「まだ若いから奇抜なファッションを楽しんでいられる一過性の時期」だとか「女を捨てたもう終わりの時期」だとか。
 二十代に突入した歩は、「望ましい」だけで構成されたリクルートファッションに身を包んだ自分の体を、面接のあった会社のトイレの鏡で見て、こうやって生きていくのは限界かもしれないと、考えた。
 白いシャツの澄ました襟も、腰とお尻が妙にシェイプされたレディーススーツも、後ろで一つにくくった黒髪も、前髪も、ストッキングも、低いヒールのパンプスも、無理の集合体だった。自分のその姿をしげしげと見て、歩は思った。
 うん、無理だな。
 その後、「望ましい」はずの格好をしていたのに、面接に落ち続けたことをいい風に受け止めると、歩は派遣会社に登録し、非正規の道を歩きはじめた。これもまた基準から外れたことだと意識しながら。それとも、女性が働こうとしていること自体が、基準から外れているのだろうか。
 こうして歩は社会に出たのだが、社会に出ても、すべてはナメられまくった高校時代のバリエーションに過ぎない。
 身長149センチの香川歩は、もともとナメられやすい外見をしていた。この日本社会でナメられやすい外見をしているとどうなるか、歩は身を以て学んだ。学校の制服を着ていなかったとしても、今度は、会社勤めの女性らしい服装という制服を着るようになった歩は、相変わらず混雑した電車に乗ると警戒したし、夜道は彼女の味方ではなかった。それに、どうしたって、女性という制服は脱げない。
 一見、御しやすそうに見えるせいか、歩は男たちから勝手な好意を寄せられることも少なくなかったが、寄ってきたと察知するやいなや、彼女はあらゆる言葉と行動で、相手のファンタジーを玉砕することに努めた。どの年齢の彼らも、おしゃべりで、声が大きくて、対等に話そうとしてくる女をなぜか忌み嫌っていたので、ある意味簡単ではあった。寄ってきた男たちが引き潮のように引いていく瞬間は、今、何時何分とはっきりデータに取れるほど明白で、歩はそのたびに確かな手応えを感じた。
 それでも、歩は非力だった。
 どうして私の親は私に殺しのテクニックを叩き込んでくれなかったんだろう。
 断りきれず知り合いレベルの男性と一緒に観るはめになった映画の最中、横から伸びてきた、歩の手をとろうとする筋張った手をすっと避けながら、歩は思った。
 大きなスクリーンの中では、プロの殺し屋である父に幼い頃から英才教育を受けた女の子が、自らも殺し屋として敵のアジトに一人乗り込み、立派な復讐を遂げている。その技術が、反射神経が、修練に培われた自信が、歩はうらやましかった。
 私も少なくとも、柔道や合気道を習っておくべきだったのではないか。
 わりと本気で歩は後悔していた。なぜ幼い頃の私は、近所のピアノ教室にふわふわと通って、バイエルをやっていたのか。学びたかったのは、殺しのバイエルだったのに。あまりにも非力なまま、私は社会に放り込まれてしまった。誰も守ってくれない世界に。
 
 注文後、すぐに届いたピンク色のスタンガンは、それ以来、歩と行動をともにしている。本当に使うときが来るとは、彼女自身も想像していなかった。それはお守りのようなものだった、日常を生きていくための。
 誰もが疲れた様子の夜の電車の中で、これは武器になりそうだと、歩は乗り合わせた人々の持ち物を、ぼんやりと見つめてしまうことがあった。
 あの年配の女性が身につけているピエロの形をしたブローチは、いざとなったらピンの部分で刺せる。
 あのパンクっぽい女の子がしているゴツゴツした指輪は、いざとなったら殴れる。
 あのハイヒールは、尖ったつま先もヒール部分も、刺せる。
 あの重そうなバーキンバッグは、盾になるし、投げつけても効果がありそうだ。
 これも、あれも、武器になる。
 いざとなったら、みんな何か戦えそうな物を持っている。
 そう考えると、なぜだか歩はホッとした。そして、頭の中に、チェーンソーや斧を振り回して、「おじさん」たちを撃退する女子高生たちの姿が浮かんだ。こんな風に、私も高校時代を送れれば、どんなにかよかっただろう。
 けれど、武器を持った制服の少女たちの戦う姿が現実の女の子ではなく、アニメのイラスト、人体としてあり得ないほど大きい胸に細すぎるウエストと手足を持ち、極限まで短いスカートのぴちぴちした制服姿の女の子、で頭に浮かんでしまった歩は、すでにもうこの日本社会の立派な一員なのかもしれなかった。
                                      

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー