北条氏康第三十五回

「まさか二人で旅することになるとはなあ」
「まったくだ」
 小太郎(こたろう)の言葉に慎吾(しんご)がうなずく。
 二人は同い年の従兄弟だが、幼い頃から仲はよくない。反(そ)りが合わないということもあったし、将来、どちらが風間(かざま)党の棟梁(とうりょう)になるのか、という軋轢(あつれき)もあった。
 元々は小太郎の父・五平(ごへい)が風間党を率いていたが、三浦氏との戦いで五平が死ぬと、小太郎が幼かったこともあり、弟の六蔵(ろくぞう)が棟梁となった。世は太平ではなく、戦国である。実力のある者が一族を導かなければ、生き残ることのできぬ世なのである。
 慎吾は、いずれは自分が六蔵の後を継ぐものと期待していたが、小太郎が頭角を現すに従って疑心暗鬼となり、ついには小太郎の命を狙うほどに憎悪をたぎらせた。
 小太郎が足利(あしかが)学校から北条家に戻るにあたって、氏綱(うじつな)は小太郎に「風摩(ふうま)」という由緒ある家を継ぐように命じた。別家を立てるというのは、小太郎が風間と絶縁することを意味するわけであり、風間党を継ぐのは慎吾である、と氏綱が公に裁定を下したということになる。
 二人の関係がぎくしゃくしていたのは、慎吾が一方的に小太郎を憎んでいたせいだが、氏綱の裁定のおかげで二人のわだかまりは解消された。
「気が進まぬであろうが」
「何を言う。御屋形(おやかた)さまのご命令だ。好きも嫌いもない。これは大切なお役目だからな」
「確かに」
 小太郎と慎吾は修験者(しゅげんしゃ)の姿をしている。
 この時代、旅をするのは命懸けである。どこで誰に襲われるかわからない。遠くに旅するときは、できるだけ多くの道連れと共に行くのが最善である。できれば護衛の武士を伴っていれば更に安全だ。
 小太郎と慎吾は、そんな仰々しい旅をすることはできない。武蔵(むさし)北部の扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏と南部の北条氏が対峙し、いつ戦が始まってもおかしくないというきな臭い状況である。北条の者だと知れれば、扇谷上杉の兵たちに寄ってたかって叩き殺されてしまうであろう。できるだけ目立たぬように旅をしなければならない。
 二人は岩付(いわつき)城に向かっている。
 目的は調略である。
 難攻不落と言われる岩付城を力攻めすれば、多くの犠牲を覚悟しなければならない。調略ならば、何らかの見返りを要求されるとしても、人的な損失は避けることができる。
 それ故、江戸城を奪ってから、岩付城を預かっている太田資頼(すけより)に対して、北条氏はたびたび使者を送っている。資頼は使者には丁重に応対するものの、北条氏への寝返りは頑として拒んでいる。
 小太郎が氏綱に進言したのは搦(から)め手からの調略である。
 太田三兄弟が裏切ったことで氏綱は江戸城を手に入れることができた。当然ながら、扇谷上杉氏に残った太田一族は周囲から冷たい目で見られている。裏切った三兄弟は江戸太田氏であり、資頼の属する岩付太田氏とは系統が違っているものの、傍から見れば同じ太田氏である。
「どうせ、おまえたちも裏切るのであろう」
 と思われているからこそ、資頼は、そう簡単に調略に応じるわけにはいかないのである。自分が疑われていることを承知しているのだ。
 岩付城には曾我兵庫(そがひょうご)配下の陣内掃部介(じんないかもんのすけ)が二百の兵と共に居座っており、資頼の挙動に目を光らせている。もし資頼が寝返りの素振りを見せれば、掃部介はためらうことなく資頼を殺すであろう。
 つまり、資頼はどうにも身動きが取れない状況に置かれている。その資頼に対してしつこく説得を試みたところで仕方がない、目先を変えるべきだ、というのが小太郎の考えなのである。
 小太郎が目を付けたのは、資頼を補佐する立場にある渋江(しぶえ)三郎だ。
 渋江氏は千葉氏の庶流で、岩付付近に古くから根を張る豪族である。成田氏に仕えていた。
 成田氏が築いた城が岩付城である。
 代々、成田氏の当主が城主となったが、二十五年ほど前、成田氏は本来の本拠である忍(おし)城に帰った。その後を継いで、城主の地位を得たのが渋江一族なのである。
 その頃、岩付太田氏は渋江氏よりも格下の扱いで、城代を務める家柄に過ぎなかった。
 ところが、曾我兵庫の画策で太田三兄弟が江戸城を追われ、岩付城に追いやられると、今度は江戸太田氏の方が渋江氏より格上になった。何しろ、江戸太田氏は道灌(どうかん)の直系で、家格だけで言えば、曾我氏よりも上なのだ。
 玉突き衝突のような事情で、太田三兄弟の長兄・源六郎資高(げんろくろうすけたか)が岩付城の城主となり、従兄弟の資頼が城代に任じられた。
 城主の地位にあった渋江三郎は城代補佐という馬鹿馬鹿しい地位に格下げになった。
 もちろん、渋江三郎は大いに不満であった。
 しかし、扇谷上杉氏の主・朝興(ともおき)の指示に逆らうことはできず、じっと口を閉ざしていた。
 やがて、高輪(たかなわ)の戦いが起こり、太田三兄弟の裏切りによって氏綱が江戸城を奪った。
 蚊帳(かや)の外に置かれていた岩付城では城主不在という事態に陥り、ごく自然に資頼が城主に、渋江三郎が城代に繰り上がった。
 小太郎は、
(渋江三郎が今の地位に満足しているはずがない)
 と見抜いた。
 これは小太郎でなくても、簡単にわかる道理であろう。かつて城主だった男が城代の地位に満足できるはずがないのである。
 扇谷上杉の主・朝興にも不満を抱いているはずであった。太田氏の本家である江戸太田氏が裏切ったのだから、その一族である岩付太田氏に対しても何らかの処分を下して連帯責任を取らせるべきだし、少なくとも資頼を城主にするべきではない......当然、それくらいのことは考えているはずであった。

 慎吾は先を急がなかった。明るいうちに歩けば、どうしても人目につく。いくら修験者に扮しているとはいえ、間諜(かんちょう)が僧侶に化けるのはよくある手だから、扇谷上杉の者に見付かれば捕らわれて尋問されることになりかねない。それ故、街道を歩くのは日が沈んでからにして、明るいうちは森の中で眠るようにした。そんなやり方をしているから、あまり距離を稼ぐことができない。
 しかし、慎重な旅を続けたおかげで、危ない目に遭うこともなく、岩付城のそばに辿り着くことができた。
 岩付城周辺には風間党の者が何人か潜入している。
 物売りや僧侶に化けたり、逃散(ちょうさん)してきた農民を装ったり、様々な姿になって情報収集に励んでいる。
 その者たちが森の木樵(きこり)小屋に集められた。
「どんな様子だ?」
 慎吾が訊くと、
「城内は殺気立っているようでございますな。太田の者たちと陣内掃部介の兵たちが何かというと小競り合いを起こし、喧嘩刃傷沙汰(にんじょうざた)が絶えぬようです」
「それぞれ相手を疑い、まったく信用していないのでしょう。力を合わせて城を守ろうという気持ちがない。互いに憎み合っている」
「あれでは、まともな戦などできますまい。調略よりも力攻めする方が意外とあっさり城を落とせるかもしれませぬぞ」
「渋江殿に会いたい。手筈を整えられるか?」
 慎吾が言うと、
「彦六殿ではなく渋江殿に会うのですか?」
 耳八(みみはち)という年寄りが驚いた顔をする。源八(げんぱち)というのが本当の名前だが、人並み外れて耳が大きく、人の話を聞き逃さず、どんな情報でも頭に入れて持ち帰るので、仲間からは「耳八」と呼ばれている。針売りの行商人に化けて岩付城下に滞在している。
「これ以上、彦六殿を説得しても埒(らち)が明かぬというのが御屋形さまのお考えだ。渋江殿と話をする。そのために、おれと青渓(せいけい)が来たのだ」
「御屋形さまのご命令となれば、わしらは黙って従うのみでございます。今まで渋江殿に使いを送ったことがないので、どうなるかわかりませぬが......」
 耳八が首を捻る。
「渋江殿の身内に周徳(しゅうとく)という軍配者がいる。周徳殿に、この書状を渡してもらいたい」
 小太郎は荷物から和紙と筆、墨を取り出すと、

 周徳さま
 お目にかかりたく候(そうろう)
                青渓

 と短い手紙を書いた。
「これだけでよいので?」
 耳八が小太郎を見る。
「それでわかる」
 小太郎がうなずく。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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