北条氏康第二十八回

「どうなさいました、若君?」
 宗真(そうしん)が伊豆千代丸に顔を向ける。ぼんやりした表情で外を眺めていたからだ。まるで学問に身が入っていない様子である。
 伊豆千代丸だけではない。生真面目で学問熱心な平四郎ですら、何となく落ち着きがないし、ようやく怪我もよくなって講義に戻ってきた勝千代もそわそわしている。
 それも無理からぬことだと宗真にもわからないではない。
 年が明けた大永四年(一五二四)一月十一日、先鋒を務める松田顕秀(あきひで)が二千の兵を率いて小田原を出陣した。直後に第二陣の大道寺(だいどうじ)盛昌(もりまさ)が一千五百の兵と共に出陣した。その後も出陣が続いた。
 十一日と十二日の二日間に一万三千の兵が武蔵に向けて小田原を出発し、十三日には、まだ暗いうちに氏綱(うじつな)が五千の兵を率いて出陣した。小田原には留守部隊として二千の兵が残された。
 金石斎は第一陣に、小太郎と四郎左は第二陣に同行した。十兵衛も伊奈衆と共に第二陣にいる。
 部外者の四郎左が北条軍と行動を共にするのはおかしな感じがするが、軍配者の世界では、さして珍しくもない。若い軍配者に経験を積ませるために先輩の軍配者が便宜を図ってやるのだ。金石斎が弟弟子の四郎左のために一肌脱いだのである。
 松田顕秀や大道寺盛昌らは武蔵との国境に近い玉縄城で行軍を止め、氏綱の到着を待つことになっていた。
 ところが、扇谷上杉軍が玉縄城を迂回して相模に侵入し、氏綱を襲撃する動きを見せたため、大道寺盛昌と多目(ため)元興(もとおき)の二人が六千の兵を率いて玉縄城を出た。
 当初の予定とは違って、氏綱の到着前に前線で戦が始まった。

「気にするなという方が無理でしょうな」
 宗真がうなずく。
 北条軍と扇谷上杉軍間で小競り合いが始まったという知らせは小田原城にも伝えられ、当然、その知らせは伊豆千代丸や平四郎、勝千代の耳にも入っている。
 しかし、続報がなかなか届かないのである。
 そうなると、根も葉もない噂だけが一人歩きすることになる。
「小競り合いなどではなく、大きな戦が始まったらしい」
「敵軍は、こちらの予想を上回る大軍だったらしい」
「味方は苦戦しているようだ。だから、何も知らせが来ないのだ」
「玉縄城で食い止めることができず、敵は小田原に向かっているのではないか」
「鎌倉が奪われたそうだ」
 想像で口にしたことが、あたかも事実であるかのように勝手に一人歩きしてしまい、小田原にいる者たちを疑心暗鬼に陥らせた。
 戦というのは、どう転ぶかわからない。
 戦地で戦う者も大変だが、故郷で待つ者も大変だ。
 待っている者は自分の力では何もできないだけに、どうしても不安に苛(さいな)まれることになる。
「敵が小田原に攻めてきたら......」
 庭に目を向けたまま、伊豆千代丸が言う。
「わたしは先頭に立って戦うつもりです。すぐに殺されてしまうでしょうが、それでも必死に戦うつもりです。おじいさまや父上の名を汚さぬように、北条家の跡取りは臆病者ではないと知らしめるために、わたしは戦おうと思います」
「......」
 宗真は言葉を失い、瞬きもせずに伊豆千代丸を見つめる。
(この子は知っているのだ......)
 実のところ、家中における伊豆千代丸の評判は芳(かんば)しいものではない。
「若君は軟弱じゃ」
「あれでは御家の先行きが心配でならぬ」
「本当に早雲庵(そううんあん)さまや御屋形(おやかた)さまの血を引いているのであろうか」
 何年も前から伊豆千代丸について囁(ささや)かれている陰口である。
 見た目が優しげであるだけでなく、その性格もおっとりとしておとなしく、何かあるとすぐに涙ぐんでしまう。剣術や馬の稽古が大嫌いで、貝合わせや双六(すごろく)などの室内遊戯を好む、まるで女の子のようにいつも人形を持ち歩いている......そんな伊豆千代丸を女々しいと蔑(さげす)む家臣が多かったのである。
 今では学問にも励み、剣術稽古にも熱心に取り組んでいるが、そう簡単に昔からの印象が変わるわけではない。
 祖父の宗瑞は不敗の名将として幾多の合戦を勝ち抜き、父の氏綱は類い稀なる猛将として宗瑞を支えてきた。その結果、客将として今川の小さな城を預かっていたに過ぎない北条氏は、今や伊豆と相模を領し、武蔵にまで攻め込もうとする大国にのし上がった。宗瑞や氏綱と比べると、あまりにも伊豆千代丸が頼りなく見えるのは仕方のないことであった。
 そういう噂を耳にするたびに、宗真は胸を痛め、
(いや、わたし以上に若君が辛い思いをしているのだ)
 と気を取り直し、家中の者たちに力量を認められるように、伊豆千代丸の力添えをしようと考えた。
 とはいえ、宗真にできるのは学問教授だけである。
 勝千代や小太郎の存在が伊豆千代丸のやる気を刺激し、今までにないほど学問や剣術稽古に励むようになっており、その成果はめざましいほどだが、伊豆千代丸に対する家中の評価を変えるには至っていない。何も知らない者たちは、依然として「軟弱な若君」と伊豆千代丸に白い目を向けている。
 それを伊豆千代丸は知っているのに違いない。
 だからこそ、万が一、氏綱が敗れ、敵軍が小田原に攻め込んできたら、留守部隊の先頭に立って敵と戦う覚悟を決めているのであろう。
 わずか十歳の伊豆千代丸がそれほどまでに思い詰めていることに、
(何と、おいたわしい......)
 と、宗真は涙が出そうになる。
「わたしも若君と共に戦います」
 勝千代が胸を張って言う。
「わたしもです。大して力もありませぬが、若君の前に立って、敵の矢を防ぐことくらいならできましょうから」
 おとなしい平四郎までが勇ましいことを言う。
「戦がどうなったのか、まだ何もわからぬのです。あれこれ心配しても仕方ありません。御屋形さまの勝利を信じて、わたしたちは、ここで為すべきことをしましょう」
「国が滅びるかもしれぬときに学問など......」
 伊豆千代丸が口を尖らせる。
「若君、そのお考えは間違っておりますぞ。こんなときだからこそ、いつもと同じように過ごすことが大切なのです。なぜなら......」
 宗真が尚も戒めの言葉を続けようとしたとき、どたどたと廊下を踏み鳴らす音がして、お福が転がるように部屋に走り込んできた。おっとりとして、どんなときも落ち着きと冷静さを失わないお福がこれほど慌てふためくことなど滅多にあることではない。
「お味方が......お味方が......」
 あまりにも動揺が激しく、すぐには言葉が続かない。
「......」
 宗真を始め、伊豆千代丸、平四郎、勝千代がお福を見つめる。味方はどうなったのか、勝ったのか、それとも負けたのか......お福の様子からは、どちらとも判断できない。
「高輪原(たかなわはら)の合戦でお味方が大勝利したそうでございます。江戸城も落としたそうでございます」
 そう言うと、お福の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「勝った? 父上が勝ったのか?」
 伊豆千代丸がお福に駆け寄る。
「はい。大勝利でございますよ」
「......」
 みるみるうちに伊豆千代丸の目にも涙が溢れる。こらえようがなくなったのか、お福に抱きついて、うわーっと声を上げて泣き始める。平四郎と勝千代も伊豆千代丸にすがって大声で泣く。
(よかった......)
 宗真の目にも涙が滲む。実戦の経験はないが、伊豆千代丸に兵法を講じるくらいだから、戦の怖さはよく知っている。北条軍が有利だと言われてはいたものの、戦では何が起こるかわからないから、いつまでも前線から知らせが届かないのは不吉ではないかと危惧していた。そうではなかったと知り、ホッとした。
 やがて、前線から続々と小田原城に使者がやって来て、戦いの詳細が明らかになった。
 お福は、高輪原の合戦で北条軍が勝利した、と伊豆千代丸に告げたが、それは間違っていた。
 この合戦、実は北条軍が敗北した。
 しかも、大敗である。
 扇谷上杉軍の軍配者・曾我(そが)冬之助(ふゆのすけ)の仕掛けた罠にはまり、一万の北条軍が五千の敵に敗れた。
 総大将の氏綱が馬で逃げ出さなければならないほどの無様な敗北を喫したのである。
 大道寺盛昌と多目元興の率いる六千の別働隊の到着がもう少し遅れていたら氏綱は討ち取られ、北条軍は壊滅していたであろう。
 別働隊の到着により、戦いは膠着(こうちゃく)状態に陥り、扇谷上杉軍は権現山(ごんげんやま)城に、北条軍は玉縄城に引き揚げた。
 玉縄城に戻った北条軍は一万三千で、依然として三千の兵の行方がわからないままだった。敗北の痛手は大きく、誰もが弱気になってしまい、作戦を中止し、小田原に帰るべきではないか、と考える者が多かった。
 軍議の直前、思いがけぬことが起こった。
 江戸城から太田(おおた)源三郎(げんさぶろう)が忍んできて、
「これからは小田原殿に仕えたい」
 というのだ。
 太田一族といえば、百年以上にわたって扇谷上杉氏を支えてきた関東の名族である。稀代の名将と言われた道灌(どうかん)が家宰を務めていた時代には山内上杉氏を圧倒するほど扇谷上杉氏の勢力が伸びた。
 ところが、あまりにも道灌の声望が大きくなったため、主の定正(さだまさ)が道灌を怖れるようになり、ついに道灌を謀殺した。道灌を殺したのは、今の主・朝興(ともおき)の相談役・曾我兵庫頭(ひょうごのかみ)である。
 主を恨むわけにいかないので、太田一族の憎しみは曾我一族に向けられた。
 当然ながら、曾我と太田の関係は険悪なものになり、朝興の側近として権勢を振るう曾我兵庫頭は太田一族を冷遇した。
 武蔵における扇谷上杉氏の拠点は三つある。
 河越城、江戸城、岩付(いわつき)城である。
 河越城は、上野(こうずけ)の平井城を本拠とする山内上杉氏と対峙する重要拠点で、曾我兵庫頭が城代を務めている。
 江戸城には当主の朝興がいて、相模の北条氏と対峙している。
 岩付城を任されているのが道灌の孫たち、すなわち、太田三兄弟である。この城は、元々は下総(しもうさ)を基盤とする古河公方(こがくぼう)との戦いに備えて築かれた城だが、古河公方の力が衰えるにつれて、城の重要性も低下している。
 普段、岩付城にいるのは次男の源三郎資貞(すけさだ)と三男の源四郎資時(すけとき)の二人である。
 長男の源六郎(げんろくろう)資高(すけたか)は江戸城にいる。香月亭(こうげつてい)と名付けられた曲輪(くるわ)で暮らしながら、朝興の補佐役を務めているのだ。
 江戸城は道灌が縄張りして築いた城で、太田一族にとっては、江戸城の城代となることが悲願と言っていい。
 北条氏との戦いが近付くと、扇谷上杉氏の方でも戦いに備えて様々な手を打った。相模から攻め込んでくる北条氏を迎え撃つのだから、三つの拠点のうち、江戸城に兵力を集中することになる。年明けに山内上杉氏とは和睦したから北からの脅威はないし、古河公方を怖れる必要もない。
 太田一族は今度こそ自分たちが江戸城を任されるものと期待した。
 が......。
 朝興は曾我兵庫頭を河越城から呼び、源六郎には岩付城に帰るように命じた。反(そ)りの合わない源六郎が江戸城にいたのでは何かとやりにくいと考えた曾我兵庫頭が裏で細工したのである。
 源六郎は失意のうちに香月亭を引き払って岩付城に戻った。事情を知った二人の弟たちは激怒し、
「もはや敵は北条ではない。曾我である。兵庫頭、討つべし!」
 と息巻いた。
 そんなときに北条氏から再度、内応を持ちかけられたのである。
 北条氏は初代・宗瑞以来、好んで調略を用いた。
 敵国に数多くの忍びを送り込み、処遇に不満を抱いている家臣はいないか、と調べた。
 そういう家臣を見付けると、金や土地など、様々な餌をぶら下げて裏切りを促すのである。
 太田三兄弟についても、格式と伝統のある名家で、しかも、三兄弟の器量が人並み以上であるにもかかわらず、曾我兵庫頭に疎(うと)まれ冷遇されていることを調べ上げた。
 本来であれば、主の朝興が曾我と太田の仲をうまく仲裁するべきだったが、朝興は愚物と言っていいほどに凡庸で、曾我兵庫頭の言いなりだから、太田三兄弟の不満を取り除いてやることができなかった。
 去年の秋、北条氏は太田三兄弟に調略の手を伸ばした。
 その誘いを、源六郎はきっぱりと断った。
 曾我兵庫頭は憎いが、扇谷上杉氏が憎いわけではない。昨日今日、主従になったわけではなく、百年もの長きにわたって仕えてきたのだ。主家に謀反した裏切り者と後ろ指を指されることになったら、ご先祖さまに顔向けできない、という理由である。
 もっとも、源六郎の胸中が複雑だったのは、北条氏から調略されたことを朝興に告げなかったことである。
 曾我兵庫頭も馬鹿ではない。太田三兄弟に憎まれていることを承知しているから、三兄弟には常に目を光らせていた。
 それ故、北条氏から調略の手が伸びていることも知っていた。
(なぜ、黙っている? まさか、われらを裏切るつもりなのか。あやつらは信じられぬ)
 三兄弟に対する疑念が膨らんだ。
 その結果、曾我兵庫頭は北条軍とどのように戦うか、その詳細を三兄弟に告げず、それどころか、でたらめの作戦まで口にして三兄弟を岩付城に追い払ったのである。
 三兄弟が江戸城に呼び戻されたのは高輪原の合戦の直前である。朝興と曾我兵庫頭が全軍を率いて出陣するので、江戸城の留守役が必要になったからだ。
 今度は弟たちだけでなく、源六郎も腹の底から強い怒りを感じた。
(そこまで愚弄するか......)
 扇谷上杉氏における重臣筆頭は曾我氏であり、それに次ぐのが太田氏である。その太田氏が北条氏との決戦当日まで作戦の詳細を知らされなかったというのは尋常ではない。
 合戦が起こり、扇谷上杉軍が勝った。捷報(しょうほう)が届き、喜びに沸く江戸城で、太田三兄弟だけが苦い顔をしていた。
 その夜、玉縄城に太田源三郎がやって来たのである。しかも、一人ではない。長男・源六郎の嫡男を人質として連れて来た。
 氏綱は、この申し出を疑った。高輪原の合戦で北条氏が勝ったのであれば、勝ち馬に乗ろうとして主を裏切ろうとするのもわからないではないが、合戦に勝ったのは扇谷上杉氏の方である。なぜ、わざわざ負けた方に味方しようとするのか、その理由がわからなかった。
 とにかく、会って話を聞くことにした。松田顕秀、大道寺盛昌、金石斎、小太郎の四人が同席した。
「堅苦しい挨拶はいらぬ。なぜ、上杉を裏切る気になったのか、それを申せ」
「それは......小田原殿が高輪原で敗れたと知ったからでございます」
「何と申した? われらが敗れたから、われらに味方すると申すのか」
「御意」
「それは、おかしいではないか。われらが勝ったのであれば、旗色の悪い扇谷上杉を見限るというのもわからぬではない。ところが、負けたから味方したいという。話が逆ではないのか」
「高輪原で扇谷上杉が敗れていたならば、わたしはここにおりません。われら太田兄弟が小田原殿にお味方したいと申し出ることもなかったはずです」
「わからぬ話よのう。わかるように説明してみよ」
「もし扇谷上杉が高輪原で敗れて江戸城に戻ったならば、われら兄弟で曾我兵庫頭、佑重(すけしげ)、冬之助の三人を討つ覚悟を決めておりました......」
 それから源三郎は、曾我一族に対する恨み辛みを滔々(とうとう)と語った。
「もうよい」
 氏綱は源三郎を下がらせると、どうしたものかと四人に相談した。金石斎と松田顕秀は、信用できない、この話に乗るべきではない、と反対した。
 大道寺盛昌と小太郎は、信じられないような話だからこそ真実だと思えるし、合戦に勝ったばかりの扇谷上杉氏が小細工を弄(ろう)するとも思えない、と太田三兄弟の裏切りを信じるべきだと主張した。
 小太郎は、明日になれば権現山城の扇谷上杉軍が江戸城に戻るだろうから、今夜のうちに守りの手薄な江戸城を攻めるべきだと付け加えた。
 その策を氏綱は受け入れ、深夜、一万二千の北条軍が玉縄城を出た。
 氏綱は一万の兵を率いて権現山城を包囲し、大道寺盛昌が二千の兵を率いて江戸城に向かう。
 江戸城には曾我兵庫頭の息子・佑重の兵が三千、太田三兄弟の兵が三百、合わせて三千三百の兵がいる。それを二千の兵で奪おうというのだから、普通に考えれば不可能な話である。太田三兄弟の裏切りが前提なのだ。
 この夜、呆気なく江戸城は落ちた。
 太田三兄弟は三百の兵たちに命じて城内に放火させ、同時に表門を開いて北条軍を城に入れた。
 扇谷上杉軍は大混乱に陥り、城を預かる曾我佑重は何の抵抗もせずに逃げた。置き去りにされた兵たちも我先にと城外に逃れたので、戦いらしい戦いもなく北条軍は江戸城を手に入れた。
 権現山城は孤立した。玉縄城と江戸城の間に位置しているので、長期戦になって補給路を断たれてしまえば立ち枯れて自壊するしかないのである。
 扇谷上杉軍は権現山城を捨てて江戸城に向かった。
 氏綱は追撃せず、悠々と権現山城に入った。扇谷上杉軍がどう動くか、事前に予想しており、その通りになった。
 途中で敗残兵を収容するうちに扇谷上杉軍は七千という大軍に膨れ上がった。
 江戸城にいるのは北条軍二千と太田三兄弟の三百である。数だけを比べれば、扇谷上杉軍が圧倒しているが、北条軍は強固な江戸城に拠っている。真正面から力攻めしても、そう簡単に落ちるような城ではない。攻撃するたびに扇谷上杉軍の死傷者が増えた。ついに朝興は攻撃を諦め、河越城を目指して北進を始めた。
 朝興は武蔵の南半分を失った。
 江戸城は武蔵の水陸交通の要衝に位置しており、武蔵の臍(へそ)とも言うべき重要拠点である。江戸城を中心とする商業圏は扇谷上杉氏の経済を支えていたし、周辺の小城や砦は江戸城との繋がりなくしては立ち行くことができない。
 だからこそ、宇田川、毛呂(もろ)、岡本といった、江戸城周辺に古くから住み着いている土豪たちは、朝興の敗走を知ると、直ちに氏綱のもとに出向いて降伏を申し出た。父祖伝来の土地を捨ててまで、朝興に忠誠を誓うつもりはなかったし、あれこれ逡巡しているうちに北条軍に攻められたら何もかも奪われてしまう。
 氏綱は降伏を受け入れ、所領安堵を約束した。この寛大な処置を知った他の土豪たちも雪崩を打つように氏綱に降伏したので、一夜にして、武蔵の勢力図が書き換えられた。武蔵南部は北条氏の勢力圏となり、江戸城は武蔵北部にある河越城や岩付城と対峙する拠点となった。
 氏綱は遠山直景(とおやまなおかげ)を江戸城の城代に任じ、太田三兄弟には香月亭を与えた。
 太田三兄弟が江戸城を欲していることは氏綱も承知していたが、江戸城の重要性を考えれば、すぐに太田三兄弟に任せることはできなかった。
 正式な恩賞は、後々、改めて与えると約束し、太田三兄弟も納得した。江戸城を任せてもらえるほどの信頼を氏綱から得ていないとわかっていたからだ。
 氏綱は扇谷上杉軍の反撃を警戒したが、これといって目立った動きもないので、小田原に戻ることにした。江戸城、権現山城、玉縄城の三つの城に合わせて五千の兵を配置した。これだけの兵力があれば、たとえ扇谷上杉軍が不意に南下してきたとしても、小田原から氏綱が駆けつけるまで十分に持ちこたえることができるはずだった。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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