男じゃない 女じゃない 仏じゃない第10回

 初恋の女の子は、自転車泥棒だった。
 初体験の相手は、出会い系サイトで知り合った車椅子の女性だった。
 初めて付き合った人は、カルト宗教にハマっているヤリマンだった。
 初めて同棲した女は、自分の唾を変態に売って生活している女だった。
 初めて飼ったペットは、アサリだった。
 どうして、私の人生はこんなにも初めての相手に恵まれるのだろうか。
 
 今日は私とアサリのお話をしようと思う。

 私が小さかった頃、我が家は多額の借金を抱えており、ペットを飼う余裕なんてどこにもなかった。一家の長である親父が大の動物嫌いなので、たとえ借金がなかったとしても、犬や猫と一緒に暮らす生活は不可能だったと思う。
 小学校四年生の時、不意にチャンスが訪れた。
 貧しい我が家では、「行楽」というよりも「狩猟」として行われていた潮干狩りの帰り道。あまりの大漁に気をよくした親父が「アサリの中から一匹だけ選んで飼えばええが」と言い出した。軽い冗談のつもりで言ったのだろうが、私はこの千載一遇のチャンスを逃さなかった。

 その日の夕方、台所の隅で砂抜きをしているアサリ達に、私は優しく話しかけた。
「僕が一匹だけ飼ってあげるからな。選ばれんかった子は堪忍な」
 大小入り混じったアサリの中から、綺麗な虹色模様をした一匹を選んだ。早速名前を付けることにする。当時、夢中になって読んでいた江戸川乱歩(えどがわらんぽ)から名前を拝借して、選ばれしアサリに「乱歩」と名付けた。
 人生で初めてのペットを手に入れた。祖父、祖母、父、私、アサリの乱歩。四人と一匹の新生活が始まる。図鑑で調べたところ、アサリの寿命は七~八年らしい。私が高校生になるまで一緒じゃないか。入学や卒業などの人生の節目では、乱歩との記念写真を撮ることにしよう。期待に胸を躍らせる私の前に、大きな問題が立ちはだかった。

「アサリの飼い方がまったく分からない」

 親父に助言を求めるも、「自分でなんとかせえ」と突き放される。祖父母も皆目見当がつかないと困り顔。そこで、近所の魚屋を頼ることにした。頭にねじり鉢巻きをした昔かたぎの魚屋のおじさんは、「よう分からんけど、塩水に入れとけばいいやろ」と、面倒臭そうに答えた。
 バケツいっぱいに溜めた水道水に食塩を溶かし、そこを乱歩の住居とした。餌として、ちりめんじゃこを細かくすり潰したものをバケツの中に放り込んだが、食べる様子はみられなかった。

 乱歩と一緒に過ごす最初の夜。
「おやすみ、乱歩」と挨拶をして布団にもぐりこむ。
 朝は「おはよう」、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」。当たり前の挨拶なのに、人間以外の生命体に伝えるだけで、こんなにも胸がドキドキするんだなと思った。「ずっと仲良くしようね」と、バケツの中で眠る乱歩に呼び掛けて、私は気持ちよく眠りについた。
 
 翌日、さわやかな日曜日の朝に乱歩は天に召されていた。
 半開きになっている殻の隙間から強烈な異臭がした。なぜだ。頭の中が真っ白になった。魚屋の開店と同時に店内に駆け込み、乱歩の容態を確認してもらう。
「死んどるね」
魚屋は冷たく言い放った。
「おやすみ」の後に待っていたのは「さよなら」だった。
 飼い主の務めとして、庭にお墓を作ってやることにした。小さく穴を掘り、その中にもう動かない乱歩を入れて、上からそっと土をかぶせる。毎日手を合わせて供養をしてやろうと思っていたら、その日のうちに、死臭を嗅ぎつけたカラスが墓を掘り起こし、乱歩を食べてしまった。乱歩という名にふさわしく、彼は鳥葬という猟奇的な形式で天国へと旅立った。
 その後、家計が安定してきてから、何回かペットを飼えるチャンスはあったが、どうしても乱歩のことが思い出されてしまい、ペットを飼う勇気が持てなかった。

 二〇一二年、彼女にフラれてからもう一年が経った頃、私は犬を飼ってみようかなと思っていた。そのために、乱歩をちゃんと供養してやりたい。私の足は住職のもとへと向かっていた。

「そういうわけで、住職のお力を借りることはできないでしょうか」
「......」
「よろしくお願いします」
「そこまでおっしゃるなら、月に一回、霊を供養してお経を唱える会がありますので、そこで供養しましょうか」
「本当ですか!」
「ただし、卒塔婆(そとば)をお納め頂く必要がございますね。そこに供養したい御方のお名前を書いて供養させて頂きます。卒塔婆は......」
「お金を出して買えということですね」
「神仏に関することは『買う』という概念は使わないのですが、身も蓋もない言い方をすればそうです」
「住職、アサリの卒塔婆をお願いします」
「......」

 一週間後の供養会。「鈴木家」「〇〇秀則」と書かれた卒塔婆が立ち並んでいる中に「乱歩」と書かれた卒塔婆を見つけた。お堂の中に入り、他の人たちと一緒に住職の読経に従ってお経を唱える。その途中、思いがあふれて涙を流している人もいた。すいません、僕はアサリのためにここにいるんです。

「アサリのためにお経を唱えたのは初めてですよ。お勤めですので心からお経をあげましたのでご安心ください」
 お勤めを終えた住職がやれやれといった感じで話しかけてきた。
「住職、ありがとうございます。これでようやく私も前に進めそうです」
「本当にそうだといいのですが......」
「本当ですって」
「どうだか......」
「......」
「......」
「住職とアサリの話をしてたら、アサリの味噌汁が食べたくなってきました」
「私は酒蒸しが好きですね」
「アサリって美味しいですよね」
「ええ。とっても美味しいですね」
 そう言って私達は笑った。
乱歩のことで誰かとこうやって笑い合える。それが一番の供養のような気がした。

 ゴールデンウィーク明け、行楽日和の水曜日の朝。外行き用の紳士形態のトリケラさんの運転する車の助手席で、私は大きな欠伸をひとつふたつと繰り返す。この日、トリケラさんが借りたレンタカーはハイエースワゴンだった。二人でドライブに行くのは初めてだが、なんともムードのない車だ。
「トリケラさんよ。ハイエースなんて、引っ越しの時ぐらいしか借りない車でしょうよ」
「何言ってんだ。男は黙ってハイエース。女は黙ってハイエース。オカマもやっぱりハイエースだろうが。荷物をたくさん積める車が一番安心できる車なんだよ」
「ちょっと葛西(かさい)まで潮干狩りに行くだけじゃん」
「お前は潮干狩りを舐め過ぎ! 汗かいた時の着替えとか、サンダルとか。潮干狩りってなんだかんだで荷物が多くなるんだよ!」
「今日のトリケラさん、異様にテンション高くない?」
「そりゃそうだよ。久しぶりに海を見れるから興奮してんだよ」
「海なんて、そんなに感動するもんかね」
「海のこと悪く言うんじゃないよ!」
「綺麗な海のどこがいいの? 俺は海の力強さが好きだよ。青い海より灰色の海、波一つない静かな海より荒れ狂う海が好き。癒しなんていらない。めちゃくちゃに心をかき乱されたいよ」
「......」
「綺麗なものを見て心が落ち着く人は、なんだかんだでまだ余裕がある人だからね」
「はいはい、そうですか」
「夜は一人で泣いてるんですよとか言ってる奴いるじゃない? 泣けるだけ幸せだからね。本当にヤバいのは泣いてもいい時に泣けなくなった時なのにさ」
「......」
 ちょっとだけ重苦しい雰囲気で、銀のハイエースは葛西海浜公園を目指して突っ走る。

 数日前、トリケラさんにアサリの話をしたら、「そんな話はどうでもいいわ。それよりも、久しぶりに潮干狩りに行きたくなっちゃった。一緒に行かない?」と海に誘われた。トリケラさんと一緒に行く海。断る理由がなかった。
 トリケラさんには黙っていたが、今から行く葛西海浜公園は、別れた彼女とよく潮干狩りに行っていた場所だ。恋人との思い出がオカマとの思い出で上塗りされていく。それは素敵なアップデートだと思う。
 楽しみにしていたお出かけの初っ端で喧嘩しちゃうなんて最悪極まりない。なんとか私から謝らなければと思っていたら、トリケラさんが口を開いた。
「お前さ、昨日も徹夜仕事で朝帰りだろ? 運転は私に任せて寝ていいわよ」
「いきなり優しい言葉かけるのやめてくんないかな」
「海が見えてきたら起こしてあげるから」
「......じゃあ、ちょっとだけ寝るよ」
「寝てる間に変なことしちゃおうかしら」
「......うるせえ」
「もし、アサリがたくさん取れたら、住職様に分けてあげないとね」
「そうだね」

 寝ているフリをして、運転をしているトリケラさんの横顔を薄目で見る。もう少しで海が見えてくるはずだ。海を見た時にトリケラさんはどんな顔をするのか盗み見してやろう。
「お前、起きてるだろ」
 トリケラさんはそう言ってこっちを見て笑った。本当に抜け目のないオカマだ。トリケラさんは続けて言った。
「お前のアサリを飼ってた話は面白いけどね。心の底からアサリを飼おうと思ったか?どこかでひねくれてなかった? アサリを飼う自分はちょっと面白いとかさ」
「それは......あったかもね」
「そうだろ? あんまりひねくれて生きんなよ。綺麗な海を見て素直に綺麗だって言えることが実は一番素晴らしいんだよ」
「......うん」
「私みたいになるなよ」と小声でトリケラさんが言った気がした。

 天気が良い今日、最高に綺麗な海が私たちを待っているだろう。次のカーブを曲がって海が見えたら「最高だね」と素直に言おう。私の言葉を聞いたトリケラさんは笑ってくれるだろうか。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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