男じゃない 女じゃない 仏じゃない第9回

 珍しく寝覚めの良い二月の朝、冬とは思えぬポカポカ陽気に励まされ、いつもなら面倒な洗濯も、不思議とやる気が湧いてくる。溜まった家事を終わらせたら、近所の銭湯に繰り出そう。帰り道で、富士そばのカツ丼をペロリとたいらげてやるぞ。今日は素晴らしい休日になる。そんな期待に胸を膨らませていたその日、私は味を失った。
 
突然だが、味覚障害になってしまった。味がまったくしない「味覚消失」である。ここ最近、食事を口に入れてから、実際に味を感じるまでに数分かかるという症状が続いていたのだが、ついになんの味もしなくなった。試しに、家の醤油をくいっとひとくち飲んでみたが、激しく噎(む)せるだけで、しょっぱいとも辛いとも感じない。
 一時的なものかもしれないので、二週間ほど様子をみたが、味覚が戻る気配はなし。仕方なく病院の診察を受けてみる。医者が言うには、血液中の亜鉛不足が原因とのこと。治療法としては、薬物療法と生活習慣の見直しによって、日々の亜鉛摂取量を増やすことが有効らしい。
もしかしたら、味覚を失った引き換えに超能力を手に入れているのではと思い「頭が爆発しろ......爆発しろ......」と医者に悪しき念を送り続けていたら、「そこまで深刻な顔をしなくても大丈夫ですよ」と心配されてしまった。

 何を食べても味がしない生活がはじまった。
味覚障害になると、食事を楽しめないことが原因で食欲減退に陥る人も多いそうだが、私の場合はその通りではなかった。病は気から。こんな病気に負けてなるものか。味がしようがしまいが、自分の好きなものを食べるのだ。私は大好物のシーチキンをいつもと同じように食した。消しゴムのカスを食べているようなひどい食感だったが、それもまた一興。私はシーチキンの味だけが好きなんじゃない。シーチキンという存在が好きなのだ。シーチキンじゃないとダメなんだ。これは愛だ。味覚を失ったことで、私はシーチキンへの愛を再確認することができた。味覚障害も悪いことばかりではない。
 同じ考えで、味がしなくとも行きつけの店には通い続けた。
ある時、馴染みの蕎麦屋(そばや)のおばちゃんが「あんた、いつも美味しそうに食べてるのに、ここんとこ無表情だね。うちの蕎麦、不味くなったかい?」と心配そうに言ってきた。事情を伝えようかとも思ったが、可愛いおばちゃんに余計な心配をかけるのは大人の男のすることではない。ここは男らしさをアピールせねば。
「何言ってんだよ。おばちゃんの蕎麦は日本一だよ。自信持って! 明日も来るからね」
なぜか、おばちゃんはほっぺを赤くしてコクッと俯いた。たぶん濡れていただろう。
 『我、味を失うも、婆を濡らす』
味がしないことを逆手に取って、苦手な物も食べてみた。ソラマメ、エンドウマメ、生魚。どうしても口にできなかった物をモリモリ食べられることが面白かった。
考えようによっては、味覚障害になる前よりも「食」を楽しんでいるのかもしれない。これは新しい発見だ。
 私は、新しい発見は、必ず友達と共有することにしている。
 というわけで、あの二人に会いに行かなければ。
 
パチンコで負け続きの金欠住職はご機嫌ななめだったが、味覚障害のことを話すと、真剣な顔でこちらに向き直してくれた。
「住職、僕、罰が当たったんですかね?」
「心当たりでもありますか?」
「ほら、前にも話したけど、仏像をオナニーのオカズに使ったり、その他にもいろいろ......」
「確かに......褒められたことではありませんね」
「きっとこのまま視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を順番に奪われていくんですよ」
「ほっほっほっ、それはないと思いますよ」
「なぜですか?」
「仏様は人に罰を与えたりはしないからですよ」
「そうなんですか?」
「仏教では、人は何かしら罪を犯すものだと考えております。我々の罪を仏様はご自分の徳で償おうとしてくださるのですよ。罰を与えるなんてとんでもないです」
「仏様ってすごいんですね」
「それはもう」
「じゃあ今回味覚を失ったのは......」
「あなたが今までしてきたことの報いですね。自業自得、因果応報、身から出たサビですね。ほっほっほっ!」
 私をやり込めることができて、とても嬉しそうな住職。パチンコで大当たりした時もこんな顔をしてるんだろうな。カチンときたので、少し困らせてやることにする。
「住職、お百度参りしていいですか?」
「ほっ?」
「あるじゃないですか。一日百回お参りしたら願いが叶うってやつ。早く味覚が戻りますようにって、今から百回参ります」
「いや、そんなのしなくても......、どうしてもやるならうちじゃなくて、近所の氏神様の神社にしてください」
「拒否するんですか。仏様は太っ腹なのに、仏に仕える身の住職は私を拒むんですね」
「......」
「ごめんなさい。ちょっといじめちゃいました」
「......また罪を重ねましたね」
「でも住職、パチンコ海物語のサムなら一日百回会いたいでしょ」
「会えたら大当たり濃厚ですからね......」
「春までに味覚戻るかな~」
「あなたの心がけ次第ですよ」
 私が味覚を失った日と同じようなポカポカ日和の境内で住職とバカ話、味覚を失ってもこの時間だけは変わらない。それはとても素敵なことだ。
 
「店が忙しい時にかぎって、面白そうな話持ってきやがって!」
 そう言ってトリケラさんは顔をしわくちゃにして笑った。この笑顔に今までどれだけ救われたか分からない。
テキパキと仕事を片付けたトリケラさんは、気だるそうにタバコに火をつける。悪趣味な店内照明に照らされた煙が紫色に染まる。口から紫の煙を吐き出すトリケラさんはとても妖艶で美しい。
「それで? 味がしないのに食事は大丈夫なの?」
「全然大丈夫。それに味がしなくなってから、食べ物の触感や色を楽しめるようになってきたよ」
「触感や色を楽しむって下着泥棒が下着を選ぶ時と一緒じゃねえか、この変態野郎!」
「味覚を失った人に変態とか言うなよ!」
「あんたには優しくする方が逆効果だしねぇ」
「まぁ......そうだけどさぁ」
「お百度参りはやめときなさい。私もしたことあるのよ」
「そうなの?」
「昔ね。好きだった人との恋が叶いますようにって近所の神社でやったのよ」
「効果はあったの?」
「効果も何も警察呼ばれちゃったわよ」
「え?」
「お百度参りって人に見られずにやることと、裸足でやる方がいいって聞いたからさ。その通りにやったら通報されたわよ。深夜にやったのもよくなかったわね」
「悲しい思い出だね......」
「おまえ、顔が笑ってるじゃねえか」
「さっきのお返しだよ」
「生意気だな。お酒のおかわりは?」
「味がしないから何でもいいや、トリケラさんのおすすめで」
 私が一番好きな梅酒のソーダ割を持ってきてくれたトリケラさんが、いたずらな顔でささやく。
「ね、味がしないってことはキスしても味がしないってこと?」
「そうだよ。俺はキスの味とかよく分かんないけど」
「私とキスしてみる?」
「はぁ?」
「味がしないならオカマとキスしてもいいじゃない? 大サービスで百回キスしてあげる」
「なんでだよ」
「お百度参りよりオカマの百回のキスの方が効果あると思わない?」
「思わないな~」
「お百度参りより時間もかからないわよ。目をつぶってなさい。パパッて終わらせちゃう」
「やだよ。もしトリケラさんとキスするならちゃんとしたいよ」
 自分でも変なことを言ったなと気づいた時に、トリケラさんはめずらしく女の顔になっていた。
「いっちょまえのこと言いやがって」
 そう言って照れるトリケラさん。
『我、味を失うも、オカマを火照らす』

 二ヶ月後、治療の甲斐もあり、無事に味覚を取り戻すことができた。しかし、味覚を取り戻すのと同時に、仕事をクビになるという悲劇が待っていた。
『我、味を取り戻すも、職を失う』
結局のところ人生の味が一番苦いということかもしれない。いや、トリケラさんのキスの味の方が苦そうだ。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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