男じゃない 女じゃない 仏じゃない第7回

 除夜の鐘の音を聞くたびに一人の尻軽女を思い出す。忘れることのできないアバズレ女。 巨大な釣り鐘を楽しそうに打ち鳴らす彼女と、その鐘を鳴らすことができなかった私。そんな二人の恋だった。
 彼女の名は裕美(ひろみ)。私が九州の大学に通っていた二十一歳の時、出会い系で見つけた人生で初めての彼女だ。一つ年下の美容学生で、オレンジやピンクといった蛍光色の服を好んで着る派手な女の子だった。満月のようなまん丸顔にキリッとした極太眉毛がとてもチャーミングで、私はすぐに恋に落ちてしまった。
 お互いに手近な場所で出会いを求めていたこともあり、とんとん拍子で付き合うことに。ただ、交際する上で二つの問題があった。彼女が生粋のヤリマンであることと、家族ぐるみでカルト宗教にハマっていることだ。
 
 裕美の浮気相手は美容学校のクラスメイト、会社役員、自衛隊員、果ては日本に駐留中の米軍兵士にまで及んだ。国籍を超えて拡大の一途をたどる私の穴兄弟。浮気がバレても、悪びれた様子もなく、反省の色を見せない彼女の態度に、別れることも何度か考えた。しかし、やっとの思いで手に入れた恋人を自分から手放すことなどできようもない。
 それに、裕美はどれだけ浮気をしても、必ず私のもとに戻ってきた。幼少期に母親に捨てられた過去を持つ私は、必ず自分の所に帰ってきてくれる尻軽女がいとおしくて仕方なかった。

 裕美の信仰していたカルト宗教は、「毎朝五時に起きて吉方位に向かってお祈りをすること」、「襖や障子の敷居は何があっても踏まないこと」、「人生は試されることの連続だと思いなさい」という三つの教えで成り立っていた。何を信じるか信じないかは個人の自由であるし、しつこい勧誘もいっさいしてこないので、この件に関しても私は目を瞑ることにした。
 神という抽象的な存在を支えにできる人はすればいい。自分の瞳に映るものしか信用できない私は、目の前のアバズレ女を信じることにしたのだ。
 愛する人の不貞と信仰に惑わされる日々を過ごしながらも、彼女がいるからこそ、こういう悩みを持てるんだなと、私は幸せを噛み締めていた。
 
 ある時、浮気と信仰が不思議なシンクロを見せたことがあった。裕美の浮気が3Pという複数プレイに進み始めたことに危機感を感じた私は、「浮気を許す代わりにめちゃめちゃエロいことをさせなさい」というルールを作った。これによりウインウインの関係を築くことが狙いだ。おかげさまで、顔射やSMなど憧れのプレイをほぼ経験することができたのだが、私にエロいことをされるたびに、「私......試されるのね......」と裕美がつぶやくのが嫌だった。これは試練ではなく、浮気をした罰である。
 
 付き合って二年が経った頃、裕美からカルト宗教の総本山への参拝に誘われた。本格的な勧誘活動のスタートだ。断ろうかと思ったが、少林寺シリーズを代表とするカンフー映画を愛する私は「総本山」という言葉の魅力に抗うことはできなかった。
 日本全国に支部をもつようなメジャーな宗教ではないのに、私の目の前に現れた総本山は、大河ドラマに出てきそうな大きな城門を構えた立派な施設だった。足を踏み入れてみると、広大な敷地に五重塔、祈禱(きとう)所、待合室に神殿と思われる建物が何個も散見され、その豪華な造りには目を見張るものがあった。
 広さにして三畳半程の非信者用の応接室に通され、宗教に関するPRビデオやレクリエーションを受けることになった。広報担当が熱を帯びた講義をしてくれたのだが、私の目は担当者の背後の棚に見える「ニルヴァーナLIVE」とラベルに書かれたビデオテープに釘付けに。頭の中では『Smells like teen spirit』のメロディがエンドレスでリピート、知らないうちに講義は終わっていた。「これであなたは半分済まされました」と満足そうに頷く信者の笑顔が怖かった。

「御本尊を見せてあげるよ」と、オレンジ色のノースリーブを着た裕美に手を引かれるまま、平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)によく似た形の大本堂に足を踏み入れた。百人を超える信者が祈りを捧げる異様な現場。祭壇の中央に純白の賽銭(さいせん)箱が設置されており、その上に大きさにして三メートルはあろうかと思われる巨大な白い釣り鐘があった。信者の様子を見るに、どうやらあの鐘がご本尊らしい。
 行儀よく一列に並んだ信者たちは、賽銭箱にお布施を納めた後、鐘を「ゴーン......ゴーン......」と突き鳴らし、その場で土下座して祈りを捧げていた。異様な雰囲気に圧倒されつつも観察を続けると、お布施の金額に応じて鐘をつく回数に違いがあることに気付いた。金額が高いほど鐘を多く鳴らせるシステムのようだ。
 満面の笑みで鐘を鳴らし続ける信者たちを見ているうち、私もあの鐘を鳴らしたいという欲望を抑えきれなくなった。「裕美、お試しで鐘を鳴らしたりできるのかな?」と聞いてみると「あなたはまだ半分しか済まされていないからダメよ」と怒られてしまった。試されたり済まされたり、宗教って本当に面倒くさい。
「じゃ、私も行ってくるね!」と裕美は信者たちの列に並んだ。いきなり一人ぼっちにされたことで挙動不審な動きをしていた私に「あなたは御本尊を鳴らさないのですか?」と何人かの信者が優しく声をかけてくれたので「あの......僕、まだ済まされてないんです」と申し訳なさそうに謝った。
 自分の番が回ってきた裕美は「ゴーン......ゴーン......ゴーン」と三回鐘を鳴らした後、祭壇からこちらに手を振ってくれた。とても素敵な笑顔だ。だが、私と一緒にいる時にあんな素敵な笑顔を見せてくれたことはない。そうか、私は宗教に勝てないんだな。もしかしたら浮気相手にはあの笑顔見せてるのかな。そんなことを考えているうちに「あと一回だけめちゃくちゃエッチなことさせてもらって別れよう」と心に決めた。

 大晦日の除夜の鐘の音を聞くたび、結婚式でチャペルのベルが鳴り響くたび、近所の小学校がチャイムを鳴らすたび、私の頭の中には楽しそうに鐘を鳴らす裕美の顔が浮かぶ。セックスのことしか考えていなかったあの頃。ちゃんとした恋だったのだろうか。裕美を私の初めての彼女と呼んでもいいのだろうか。確かなことは、別れる時に私も裕美も子供のように泣いたことだけだ。

 六年間同棲した彼女にこっぴどくフラれた二〇一一年が今日で終わろうとしている。
 時刻は二十二時、住職のいる通い慣れたお寺の境内(けいだい)、除夜の鐘を突くための列に並んでいる。私の横には、トレンチコートに鹿撃ち帽というシャーロック・ホームズと見間違うようなファッションに身を包んだトリケラさんがいる。

「トリケラさん、明日一緒に除夜の鐘をつきに行かない?」
「死ねよ」
 これ以上ない拒絶の意思表示に、黒霧のお湯割りを吹き出す私。
「ごめん。よく聞いてなかった。アタシ、あんたのお願いはだいたい、死ねよ、で答えることにしたからさ」
「ひでぇなぁ」
 新しい黒霧を乱暴に注ぎながらトリケラさんが口を開く。
「アタシと? 二人で?」
「そうだよ。大晦日と三が日は働かないって言ってたじゃん」
「まぁ暇はしてるけどさ。除夜の鐘ねぇ......、は! もしかして?」
「どうしたの?」
「鐘を突くって......エッチな意味で言ってたりする?」
「何が悲しくて大晦日にそっちに目覚めないといけないんだ」
「今年のケツは今年のうちにって言うじゃない」
「くだらないことばかり言ってないでさ。どう?」
「......いいわよ。今年だけ付き合ってあげる」
「......ありがとう」
 六年振りに一人で迎える年越しが寂しくて仕方なかった。わざわざ説明しなくても、そのことを分かってくれるトリケラさんの優しさが身に染みた。
 
 というような前夜のやり取りから今に至るわけだ。
「これはこれは......よくおいでくださいました」と聞き慣れた声がした。寒い中を並んでいる人たちにあたたかい甘酒を配っていた住職がこちらに気付いた。
「もしかして、この子がいつもお世話になっている住職様ですか? いつもありがとうございます」
 私の保護者のような口調で、トリケラさんは深めに頭を下げる。
「では、あなたがこの方がよく話されているあのお方なのですね。お会いできて光栄です」
 住職はそう言って手を合わせる。
「あのお方とかやめてくださいな。私はただのオカマですから気楽に話しましょう」
「ほっほっほっ。噂通りの気さくなお方ですね」
「住職様には悪いけど、オカマは仏を信じませんので! オカマが信じるのは自分だけ! 今日はこの子の付き添いなんです。一人で年越しするのが寂しいんですって」
「ほっほっ......この人は意外と寂しがり屋ですからなぁ。ほぼ毎日お寺に来るんですよ」
「住職様にご迷惑かけてませんか? 本当に嫌な時は無視していいですからね」
 お寺にいるのに、一瞬でオカマバーにいるような砕けた雰囲気にできるトリケラさんの話術の凄さ。
 恋人と別れ、途方に暮れていた私を救ってくれた坊主とオカマが目の前で私の悪口で盛り上がっている。その光景を見ているだけでなぜか胸が熱くなる。
 ちょっと泣きそうになったのをごまかすために住職に話しかける。
「住職、除夜の鐘を突く時に気を付けることって何かありますか?
「そうですね。何も難しいことはないですよ。鐘をつく前に手を合わせて一礼。鐘をつき終わった後にも合掌して一礼。こんなところですね。あと大切なのは、本堂でお参りする前に鐘をついてください。お参りしてからつくことは戻り鐘といって縁起が悪いのです」
「なるほど」
「あとあなたが一番注意しないといけないことは、鐘は適度な強さついてくださいね。あなた、思い切り鳴らしそうで怖いです」
 この前「サム出てこい! サム!」と海物語の台を叩いていたパチンコ狂の坊主に言われたくない。
「ほんと住職様の言う通りよ。あんたバカだからね。気を付けて」というトリケラさんの言葉で三人で笑った。
「では本日は忙しいのでのちほど......」と住職は席を外すことに。
 立ち去る前に私に向かって「このお方なら大丈夫そうですね」と言って住職は笑った。

 時刻は二十三時、除夜の鐘が鳴り始める。「ゴーン......」という音が街に響く。やっぱり裕美のことを思い出してしまう。きっと一生忘れることはできないんだろうなと苦笑する。
 私達の順番が来た時、トリケラさんが話しかけてきた。
「アタシが先につくわね。あんたは後からね」
「なんで?」
「オカマの後につく。まさにオカマを掘るってね」
「くだらねぇ」
 本当にどうしようもない話だけど、一年の最後にする会話がくだらない会話であることは幸せな証拠なんだろうなと思った。
 係の坊主から、撞木(しゅもく)を受け取るトリケラさん。ところが「思ったより重い!」と駄々をこね始めてしまった。仕方ないので二人で一緒に鐘をつくことにする。
 呼吸を合わせて「いっせーの!」で鐘をつく。
「ボォォ~ン」という音が中野に響き渡る。
 あの時、私は彼女と一緒に白い鐘を鳴らすことを許されなかった。
 まさか時を経てオカマと一緒に鐘を鳴らすことになるとは思わなかった。
 
 除夜の鐘をついた後、初詣をするために本堂に向かっているところで年が明けた。
「あけましておめでとうございます。トリケラさん」と真面目に挨拶をする。
「あけましておめでとうございます」とオカマが背筋を伸ばして答えてくれる。
 今年から鐘の音を聞くたびに、私はオカマとヤリマンのことを思い出して生きていく。これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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