男じゃない 女じゃない 仏じゃない第4回

 窓の外から仄か(ほの)に漂う金木犀の香りが秋の訪れを告げる頃、とある部屋に全裸の男が一人。床に敷いた新聞紙の上にあぐらをかいて座り、目に涙を浮かべたまま、バリカンを握りしめる男、それが私だ。
今日は週に一度の定例行事。自分の坊主頭を綺麗に整える日である。二十年以上も慣れ親しんだこのいがぐり頭。実家が貧乏だったこともあり、散髪代の節約のためにはじめた髪型も、ここまで続ければ愛着が湧いてくる。自分で髪の毛を刈るのはもうお手の物。なにせ小学生の頃からやっていることだ。三面鏡を使わなくても己の感覚のみで剃り残し一つなく仕上げられる。時間にして七、八分もあれば充分だ。
 ところが、今日は勝手が違った。最初の一太刀を入れようと前かがみになった瞬間、床に落ちている一本の髪の毛が視界に入った。女性のものと思われる長い黒髪。私の陰毛はこんなに長くないし、もっと縮れている。最近は女性が遊びに来たこともデリヘルを呼んだこともない。ああ、そうか、これは別れた恋人の髪の毛だ。六年間同棲した末に別れた彼女の残り髪。一緒に住んでいた痕跡を完全になくすため、ハウスクリーニング業者に清掃を頼んだのに。本当に業者は肝心な時に役に立たない。
 
 Sの字にくねった一本の髪の毛から、まだ幸せだった頃の光景が鮮明に思い出される。
 春の陽気でポカポカした部屋、彼女が吸った煙草で黄ばんだ壁、バリカンで頭を丸める私を見ながら、ドライヤーで髪を乾かしている風呂上がりの彼女。「情けない格好だね」と茶化す言葉と、ミントとローズマリーが混ざったシャンプーの良い匂い。洗濯機からは洗濯が終わったことを知らせるブザー音が何度も鳴っている。「ガタンゴトンガタンゴトン!」と電車が通り過ぎる音が近づいてくる。線路沿いの部屋に住んでみたいという彼女の夢を叶えるために引っ越した西武新宿線近くのアパート。ビートルズ好きの大家が作ったレンガ造りの素敵な建物は二人のお気に入りだった。私は小説家、彼女は音楽家になるというお互いの夢が叶う気配は少しもないけれども、確かな幸せがこの部屋にはあった。そんな過去を思い出しているうちに、バリカンを片手に泣いてしまったわけだ。
 大袈裟に一回深呼吸。気を取り直してバリカンを握りしめる。新聞紙の上にポトリポトリと涙の雫のように落ちる髪。無事に剃り終わった後、自分の髪の毛と彼女の髪の毛を一緒にして捨てた。シャワーで頭を洗い流している途中、堪え切れなくなってまた泣いてしまう。何か変なことをして感情をごまかそうと、自分の陰毛を一気に剃り上げる。無性にくるりの『東京』が聴きたい。パイパンで聴きたい。
 
 ジョリジョリと自分の頭を手で撫でながら「まいったなぁ」とつぶやく。頭皮の上を秋の冷たい風が通り過ぎていく。近所の小学校からは、昼休みの終了を告げる校内放送が聞こえている。もうそんな時間か。駅前の蕎麦屋で美味くも不味くもないきつね蕎麦を食べて、馴染みのお寺に行こう。今日も今日とて、私は住職に助けを求めてしまう。
「というわけで、下の毛を剃ってしまったんですよ。住職」
「......」
「まだ早い時間からこんな話をしてすみません」
「もう慣れてますので大丈夫です」
「毎度毎度ありがとうございます」
「いつも思うのですが、あなたはどうして言わなくてもいいことを平気で人に伝えてしまうのですか」
「信頼している相手にはなんでも伝えたいんです。こんなことを言えるのは住職とオカマさんだけですよ」
「信頼というか、こいつはどうでもいいやって思ってるからじゃないですか」
「その可能性もあります」
「......」
「住職、お坊さんってどうして髪の毛を坊主にするんですか」
「仏教においては、毎日伸びる髪の毛を尽きることのない人間の煩悩(ぼんのう)の象徴と捉えているんですね。それを切り捨ててしまおうという意味で坊主頭にするのですよ。宗派によっては必ず坊主にする必要はないですけどね」
「最近流行ってるおしゃれ坊主とかはどうなんですか」
「見栄えを良くしようという煩悩が入っているのでダメですね、綺麗に整えずありのままでいることが良いのです」
「でも、住職は昨日もパチンコ屋にいらっしゃったじゃないですか」
「私もまだまだ修行が足りないということです」
「僕、上は坊主頭で下もツルツルなので住職よりも煩悩から解脱(げだつ)できてるってことになりますかね」
「......下のことはよく分かりませんね」
「住職も下の毛をお剃りになればパチンコやめられるかもしれませんよ」
「パチンコはねぇ......楽しいですからねぇ......」
 いまだ忘れられぬ彼女への思いを、坊主とのバカ話でごまかして暮らす日々はまだ続きそうだ。

 そして今日も夜が来る。Pet Shop Boysの『New York City Boy』が鳴り響く店内で、トリケラトプス似のオカマは今夜も美しく輝いている。「お、今日は剃りたてじゃん」と嬉しそうに私の坊主頭を乱暴に撫でる彼女。この世で私の身体を乱暴に扱っていいのは親とオカマと風俗嬢だけだ。私の話を聞いたトリケラさんはファジーネーブルを一気飲みしてから口を開いた。
「アンタさ、もう引っ越した方がいいんじゃないの」
「やっぱりそう思う?」
「引っ越す金はあんの?」
「あんまりないんだよな。借りる所の家賃次第で貯金はなくなっちゃうね」
「いいじゃん、お金ないならないでちゃんと働くでしょ」
「そりゃそうだけどさ、家借りるの面倒くさいよ」
「別れた女の思い出が詰まった場所に居たらなんもできないわよ。特にあんたみたいな寂しがり屋の甘えん坊はね」
「寂しいよ。家探すのはいいよ。一人で探すのが寂しい。今までずっと二人で探してたのに」
「あら、珍しい。素直に寂しいとか言って可愛いわね」
「もう一回頭撫でてくれよ」
「ダメ、それは有料」
「ひでえなぁ」
「......」
「......」
「ね、内見一緒に行ってあげよっか?」
「へ」
「一人で部屋探すの寂しいんでしょ」
「うん」
「ちゃんと普通の格好で行くから安心しなさい」
「いや、オカマの格好で来てよ、その方が面白いじゃん」
「人を見世物みたいに扱わないで」
「......ごめん」
「ちゃんと謝れる子は大好きよ」
 そう言ってまた頭を撫でてくれた。嬉しかった。男でも女でもオカマでも、自分を触ってくれる人は信用できる。

 天気の良い木曜日。私を元気づけるための優しい嘘だとばかり思っていたら、本当にトリケラさんと内見に行くことになった。中野ブロードウェイの入口辺りでトリケラさんと待ち合わせ。なぜちょっとだけ胸が高鳴っているのかは分からない。「お待たせ」とやけに低音を効かせた声がした方を振り返る。そこには普段のトリケラさんからは想像がつかない男前の中年紳士がいた。整髪料でがっつり固めたオールバックが格好良い。ネイビースーツで決めたトリケラさんはやり手の実業家に見えた。
「トリケラさんのおでこ初めて見たかも」
「富士額だからあんまり見せたくないのよねぇ」
 決してトリケラさんを褒めることはせず、できるだけどうでもいい話をする。「では行こうか」と、トリケラさんが偉そうに言う。私は初めて東京に出てきた田舎者、トリケラさんはその付き添いでやってきた親戚の叔父さんという設定だ。二人で並んで歩いて不動産屋へ向かう。
「有名な所は仲介料が高かったりして信用できないから、駅前にある老舗に行こう」そう言ってトリケラさんは私の手を引いて歩きだした。その手の感触は不思議と嫌じゃなかった。
 不動産屋というよりも八百屋さんのような佇まいの不動産屋に到着。創業五十年になるという店内にはお茶を美味しそうにすすっているお爺ちゃんが一人きり。二階にあるお茶菓子を取ってくると言ったきり五分間戻ってこなかったり、不安を煽る行為ばかりが目に付いたが、提案してくれた物件は、どれも素晴らしいものばかり。一件一件吟味する私の横で「大事なのは収納よ!」、「これ日当たり良くないわね」、「風水的によくないわ!」と普通にオカマ言葉でしゃべるトリケラさん。それを気にも留めずにニコニコ笑っているお爺ちゃん。私はこの街が大好きだ。
 二件ほどに絞り込んで内見を申し込む。物件情報のコピーを取りながら「走れるの三台あったかな?」と呟くお爺ちゃん。外に出た私達を待っていたのは使い古されたママチャリだった。
「車が通りにくい路地を通るから自転車で行きましょう。私ね、車の運転苦手だしね。今日は天気もいいしね。ね?」
 秋が深まる中野の街並みを走る三台の自転車。先導するのは不動産屋のお爺ちゃん、それについていく私、後ろから聞こえてくるのは
「肉体労働があるとか聞いてねえぞ、ふざけんなよ」
「内見終わったら酒おごれよ」
というオカマの野太い言葉。
 別れた彼女と自転車に乗ってデートするのが本当に好きだった。彼女と走ったことがない道。彼女の匂いのしない家へと続く道。グラグラした未来へ続く道をオカマと一緒に自転車で進んでいる。また、くるりの『東京』が聴きたくなってきた。好きな曲は幸せな時も辛い時も聴きたくなるものだ。この東京という町で、私はまあまあうまくやっている。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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