男じゃない 女じゃない 仏じゃない第3回

 別れた恋人との思い出の品をどうするか。
 世間でも聞き古されたであろうこの質問、いざ自分が直面してみると予想した以上に大変だった。後腐れがないように、別れた後に彼女と一緒に分別作業をすることになったのだが、六年間という長きに渡って同棲をしていたこともあり、その品数の多さに辟易した。
 特に場が紛糾(ふんきゅう)したのは漫画とDVDの所有権についてである。お互いに一番好きな漫画は低俗ギャグ漫画の『激烈バカ』、お気に入りの映画はフェリーニの『道』といったように趣味嗜好が双子のようにそっくりだった私達は、交際時は漫画とDVDを仲良くシェアしていた。始めのうちは「やっぱりこのシーンたまらないよね」と和やかなムードだったが、気がつけば、どちらがこの作品を愛しているかで不毛な言い争いになり、勝者が自分の物にできるといった所有権戦争が勃発していた。
 最初はお互いにむきになっていたが、次第に馬鹿らしくなって笑えてきた。別れたというのに、まるで子の親権を争っている夫婦のようじゃないか。二人の関係が手遅れになる前に、こうやってちゃんと喧嘩をする時間を作ればよかったなと感慨にふけっていたら、ほとんどの漫画とDVDを奪われてしまった。次に付き合うのは趣味が合わない女にしようと心に決めた。
 付き合った当初から、うつ、不安障害、睡眠障害という心の病を抱えていた彼女。薬物療法によってなんとか日常生活を送ってはいたものの、薬の副作用で動悸、息切れなどの諸症状に悩まされる毎日。「このまま薬づけの人生は嫌だ」という彼女の強い意志を尊重し、減薬に挑戦した。錯乱状態に陥って襲い掛かってきたり、自殺未遂をしたりの波乱万丈の六年間。どん底から這い上がり、見事に減薬に成功してDJと浮気するぐらい元気になった彼女は私の誇りである。

 一方で、実は私も幼少期から閉所恐怖症を患っていた。エレベーター、満員電車、人が多いコンサート会場に行くとたちまち気分が悪くなる。だが、恋人との生活を支えるためには自分が強くあらねばならない。その使命感で弱い心を奮い立たせ、時折襲い来る閉所の重圧に必死で耐えていた。
 その閉所恐怖症が、失恋をきっかけに悪化してしまった。守るべき存在がいなくなって気が抜けたことと、今まで無理をしていた反動が来たと思われる。特に、電車に乗ることが苦痛で、人がまばらな車両に乗ってもすぐに気分が悪くなる有り様だった。病院から薬を処方してもらったが、できるだけ飲まないようにした。辛い減薬をやり抜いた彼女に負けたくないという意地だった。私から漫画とDVDを奪った挙句、残していったのは閉所恐怖症。でも、この恐怖症とうまく付き合っていくことができたら、その時に新しい恋に出会えるんじゃないかという予感もしていた。
 病院の先生からは「一人で思い悩まないようにしてください。ご両親や友達など、信頼できる人に病気のことを話しておくと気持ちが楽になりますよ」とアドバイスを受けた。
 先生、私が今信頼できるのは坊主とオカマしかいないんです。
 
 毎年節分の日に行われる催し物の準備に追われていた坊主に、事の次第を伝えてみる。境内(けいだい)に飾ると思われる竹細工を作る手を止め、少しため息交じりに坊主は口を開いた。
「お辛いとは思いますが大丈夫です。よく言われますが、仏様は越えられない試練を人には与えません」
「そういうものなんでしょうか」
「月並みなことしか言えなくて申し訳ありません」
「いえ、聞いてもらえただけで楽になりました」
「お役に立てたのなら何よりです」
 そう言って両手を合わせて満足そうに微笑む坊主。その得意そうな笑顔にちょっとイラッとする。
「住職、こういう時って欲望のままに行動してもいいんでしょうか?」
「欲望......といいますと?」
「一時のぬくもりを求めることです。まぁ風俗なんですけど」
「......いいと思いますよ」
「いいんでしょうか?」
「今まであなたは少々我慢し過ぎだったのではないでしょうか。ちょっとぐらい道を踏み外してみてください。もとの道に戻れなくなったらまたここに来ればいい」
「住職......」
「男ですしね。たまにはそういうお店もいいでしょう」
「すいません、彼女と付き合ってる時からずっと風俗行ってました」
「......」
「......」
「......」
「住職、一緒に風俗に行きませんか?」
「参りません」
「ガールズバーは?」
「参りません」
「そうですか......」
「......」
「もしかして怒ってますか?」
「仏の道に進んでから、こんなにも俗なお誘いを受けたことはなかったです」
「すみません。怒ってますよね?」
「怒ってはおりません。怒ってはおりませんが絶対に忘れません」
「......」
「本当に優しい人間とは人の過ちを忘れてあげる人、私は優しくないのでこのことはずっと忘れません」
「すみませんでした」
「でも羨ましいですよ。忘れることのできない彼女さんとの思い出があって。私なんて何もないので」
「住職......」
「若いっていいですね。本当にそう思います」
「パチンコ好きの女の子紹介しましょうか?」
「私はパチンコは好きですが、パチンコ好きの女性は好きではありません」
「その気持ち、分かりますよ」
「分かって頂けて嬉しいです」
 具体的なアドバイスはもらえなかったが、茜差す昼下がりの境内で下世話な話をしたことで、心の重荷を幾分か下ろせた気がした。

「日本代表として戦え」
 オカマバーのバーカウンターにどっしりと座ったトリケラトプス似のオカマから、突然日本代表に選出された。最近痛風が発症したトリケラトプスはカウンターの下で足をもぞもぞさせている。
「日本代表ってどういうこと?」
「恐怖症なんかに負けてちゃダメよ、戦いなさい」
「戦う?」
「電車に乗る時にね、車両の中にいる外国人を探すのよ」
「外国人?」
「そいつがお前の対戦相手よ。日の丸背負ってんだから情けないとこ見せんじゃないよ」
「むちゃくちゃだな」
「何かに怖がる時って、自分が一人ぼっちだって思うから余計に怖くなるの。だから対戦相手を探しなさい」
「隣に一緒にいてくれる彼女じゃダメなのかな」
「いつまでも女に甘えてんじゃないよ。あんたはそういうことがダメなんだよ」
「......はい」
「私はね、電車の中で外国人のオカマやゲイを見かける度に戦ってるわ。私が日本代表オカマだって思いながら」
「ははは」
「オカマだって一度ぐらい日の丸背負ってみたいじゃない。お前が外国人と戦ってる時、同じ電車に乗ってる日本人はみんなお前の味方、サポーターだと思いなさい」
「そりゃ心強いな」
「電車の中はホームよ、アウェイじゃないんだから」
「ありがとう、頑張ってみるよ」
「お互い日本代表として凛々しくたくましく生きましょう、乾杯!」

 翌日の会社帰り、普段ならタクシー乗り場に向かう私の足は、駅に向かっていた。満員の山手線が目の前に到着する。ホームを小走りして、外国人が乗っている車両を探す。身長二メートルはあろうかと思われる大柄な黒人男性を発見。扉が閉まるギリギリのタイミングでその車両に駆け込み、彼の対面に仁王立ち。視線は絶対にそらさない。俺は国を背負っているんだ。てめえなんかに負けないぞ。いつもは敵にしか見えない他の乗客が、私の背中を強く押してくれる応援団に見えた。さあ、試合開始といこうか。
 威勢の良さは一分も持たなかった。すぐに気分を悪くして、その場に座り込んでしまう日本代表。
 ちくしょうオカマの野郎め。最悪の一日だ。今にも泣きだしそうな私の背中に大きな手が触れた。
「アーユーオーケー? ダイジョウブデスカ? オミズノム?」
 人懐っこい笑顔で先ほどの黒人男性が笑っていた。手には見たこともないミネラルウォーターを持っている。どこに売ってんだその水。でもありがとう。彼の笑顔はとても素敵で、私に触れた手からあたたかさが伝わってきた。そうだ、世界はそんなに辛くない。坊主もオカマも外国人も優しい。俺は一人じゃない。今よりちょっとだけ他人に優しくなりたい。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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