男じゃない 女じゃない 仏じゃない第15回

 二〇一一年、六年間同棲した彼女をDJに寝取られてから、私は家の鍵をかけずに生活するようになった。近所に買い物に行く時、部屋でダラダラしている時、夜眠る時、地元への帰省で一週間ほど部屋を空けた時も、私のアパートの鍵は常に開いたままだった。
 お金に関しては、口座からすべて下ろし、有り金全部を現生で持ち歩いていた。金銭以外で盗られて困る物がない部屋に鍵など必要ない。もし、侵入してきた泥棒や強盗に殺されても、そこまでの人生だったと諦めればいい話じゃないか。ただ、そういうことがあったら、真っ先にあのDJが疑われるように、「私になにかあった時はこのDJに殺されたと思ってください」という書き置きだけ残しておいた。
心に病を抱える彼女の闘病を支えながら、いずれ訪れるであろう二人の明るい未来を信じて生きてきた六年間だった。愛する人と人生の目的を同時に失った私は、己にも他人にも期待をせず、毎日をできるだけ雑に生きて、必要以上に自分を傷つけた痛みで「生」を感じていた。

 二〇一五年、「家に鍵をかけない生活」も四年目に突入した。今のところ危険な目に遭ったことは一度もない。しかし、ここまで何も起きないのもつまらない。田舎(いなか)ならまだ分かるが、ここは日本の首都、東京なのだ。もっとスリル、ショック、サスペンスがあってもいいはずだろう。それとも中野区には悪人は一人も住んでいないのか。税金を払っていない芸人、役者、バンドマンは腐るほどいるというのに。
 あのこっぴどい失恋から四年の月日が経ち、私の生活にもちょっとした変化が起きていた。ひょんなことがきっかけで、口の悪いオカマとギャンブル依存症の住職と友達になり、自分が住むアパートの大家の婆さんにベタ惚れされてしまっている。あれほど雑に生きてきたつもりが、やけに濃い人生になっている。
 何気なく部屋の中を見回してみる。広さにして七畳半のワンルームアパート。宝石、時計、ブランド品といった、お金に換えられそうな貴重品の類(たぐい)はいっさい見当たらない。部屋の大部分を占拠しているのは映画のDVDと漫画本の山である。部屋の壁は煙草のヤニで綺麗なチョコレート色に染まっている。
 この部屋で一番目立つものといえば、勤務先の社長に勧められて購入した五千円の神棚だ。少しは神様に気を遣って、わざわざ部屋で一番高い場所に設置していたのだが、ここ最近は、その神棚の周りが、私のお気に入りのエロDVD置き場と化していた。
「神棚とエロDVDを同じ高さに置くな」と怒る人がいるかもしれないが、私にとって神とAV女優は限り無く等しい存在なので、とくに問題はない。神に助けられたことなんて記憶にないが、AV女優に救われた夜は幾夜もある。男なら誰だってそうじゃないのか。
 しかし、改めて思うが、本当に鍵をかける価値のない部屋である。
 
 そういえば、しばらく見かけてないが、家の鍵はちゃんとあるのだろうか。心当たりのある場所を調べてみたが、どこにも見当たらない。どうやら知らないうちに鍵を紛失してしまったようだ。何かあった時のために鍵自体は持っておきたい。すぐに合鍵を作ろうと思い立ち、スペアキーを持っている大家のもとを訪ねた。こちらの用件を伝えたところ、私にベタ惚れしている大家の婆さんは、顔を真っ赤にして怒り出した。
「合鍵なんて作らなくていいのよ! 玄関の鍵ごと全部取り替えないとダメよ!」
「え、そこまでしなくてもいいですよ」
「もし、悪い人に拾われてたらどうするの! 悪用されちゃいますよ! 鍵を全部替えましょう!」
「いやぁ、でも取り替えるお金がもったいないし、合鍵なら安いから......」
「お金なら私が出しますよ。当然です」
「失くした方が悪いんだから、僕の自己負担ですよね」
「大家の私が全部払うと言ってるの! 大家は絶対なんです! おとなしく言うこと聞いてください!」
「......」
 問答無用とはまさにこのことだ。業者への連絡を手短に済ませた大家は、「鍵屋さん、五分で来てくれるそうよ」とニコニコ笑っている。程なくして、原付に乗った鍵屋が颯爽(さっそう)と現場に到着した。当事者の私をないがしろにして、大家と二人で作業工程をパッパッと決めていく。
「では、新しく取り付ける鍵をこの中から選んでください」
 そう言って、鍵屋は私の目の前にシリンダー錠のサンプルを差し出した。一口にシリンダー錠と言っても、鍵の形状や中の構造によって、たくさんの種類がある。公共住宅や一般家庭でよく使われるものから、民間企業で採用される防犯性の高いもの、外国のメーカーが作っている高級品質のものといったように千差万別だ。鍵屋が提案してくれたラインナップの中から、私はごくごく一般的な鍵を選ぶことにした。金額も一万円を切っていてお手頃価格である。
「あの、私、怒りますよ」
 後ろから私の様子を窺っていた大家の顔がまたもや真っ赤になっている。
「人にお金を出してもらう時に遠慮なんてしちゃいけません。それは逆に失礼なことをしてるんですよ。いいから一番高い鍵を選びなさい。私に恥をかかせないで。いいですか!」
「はい......」
 こうして、私の部屋の鍵は、世界でも有数の防犯能力を持つ外国製の鍵になった。鍵屋の話ではヨーロッパの一流銀行でも採用されているものらしい。合鍵を作るのに身分証明書とIDカードが必要となるたいそうな代物だ。交換費用は、出張工事費も含めて五万円近くになった。大家は「いいことにお金を使いしました」と満足そうな表情を浮かべていた。
「合鍵を作るのに手間がかかるので、最初に多めに渡しておきますね」と、鍵屋から渡された鍵の本数は全部で六本だった。二本は私、一本は大家、もう一本は管理会社に渡すとしても、二本残ってしまう。
「大家さん、もう一本預かってくれませんか?」
「あら、やだわ、そんなにたくさんいらないです」
「そう言わずにもらってくださいよ」
「ダメ、困ります。あらあら、どうしましょ。困っちゃうわ。あらあら」
「ほら、ほら、どうですか? ほら」
「いやだわぁ、もう......」と、身体をクネクネさせて困っている大家の姿は、やけに官能的だった。やばい。六十五歳の老婆で勃起してしまった。
 
 さて、私の手の中に残った鍵は二本。ということは、あいつらに渡すのにちょうどいい本数である。
 まずは住職のもとへと足を向けた。
 蝉(せみ)の鳴き声がまったくしなくなった秋口。蝉嫌いの私にとって、ようやく安心して外を歩くことができる素晴らしい季節がやってきた。はっきりいってご機嫌である。お寺へと続く商店街をスキップ気味に歩きながら、肉屋でメンチカツとコロッケを、焼き鳥屋でつくね三本を買い食いする。横断歩道の信号待ちで、自転車に乗ったお巡りさんから「口に焼き鳥のタレがついてますよ」と笑われる。平和だ。蝉がいない世界はこんなにも幸せに満ちている。住職の大好きなカニクリームコロッケもちゃんと買ってある。これを手土産にして、合鍵を気持ちよく受け取ってもらう算段だったが、話はそうはうまく進まなかった。
「お断りします。私が持っておく必要がないでしょう」
「まぁ、それはそうなんですけど、こんなに鍵があっても仕方ないんだから、一本ぐらいもらってくださいよ。人助けだと思って」
「何かあった時のために、ご自分で持っておけばいいじゃないですか。新しい彼女さんができたらお渡しすればいいし」
「もらってくれないなら、境内(けいだい)にバカでかい穴掘って埋めて帰りますよ」
「こら、やめなさい」
「受け取ってくれるまで、着払いの宅配便で送りつけます」
「迷惑極まりないですね」
「じゃあ賽銭箱(さいせんばこ)に勝手に入れて帰ります」
「入れるのはお賽銭だけにしてください」
「お寺の本堂の中に投げ込んじゃいますよ」
「......」
「お願いだからもらってくださいよ。俺らパチンコ友達じゃないですか」
「はぁ......」
「もらってくれますか?」
「引き出しの奥にしまっておくだけですよ」
「ありがとうございます」
「相変わらずしつこい方ですねぇ......」
「僕は知ってます。住職って最後の最後は必ず僕を受け止めてくれるんです」
「本当に腐れ縁ですねぇ」
「仏もいいけど、俺のことも大切にしてくださいね」
「よくもまぁ、そんなことが言えますねぇ。はっはっはっ!」 
 蝉の鳴き声が聴こえなくなったお寺の境内に、私と住職の笑い声が響いていた。本当にいい季節になった。

「ハイ! いただきます! ありがとうございます!」
 甲子園で選手宣誓(せんしゅせんせい)をする高校球児のようなハキハキとした大声で、トリケラさんは私から合鍵を受け取った。真面目に受け取るのが恥ずかしくてふざけているのだろう。本当は嬉しいくせに。相変わらず素直じゃないオカマだ。今日は銭湯に行ってから出勤したというトリケラさんの身体からは、いつもの柑橘系の香水の匂いとは違った銭湯帰り特有のいい匂いがしている。トリケラさんは風呂上りもまた素敵である。
「今度さ、お返しにアタシん家の合鍵もプレゼントしてあげる」
「ええ? まぁもらえるならもらうけど」
「合鍵もらったからって家まで押しかけてくんなよ?」
「俺、トリケラさんの家知らないもん」
「お前だって自分の家教えてくれないじゃん」
「お互いの家を知らないぐらいが一番いい関係だと思うんだけどねぇ」
「まぁ、それはちょっと分かるけどさ」
「でしょ」
「いやぁ、でも、合鍵っていいよな。合鍵って別に使わなくても持ってるだけで幸せ感じるわ」
「へぇ、そんなもんかな」
「お前も彼女いたんだから分かるだろ」
「そうだねぇ」
「......なぁ、まだ、家の鍵しないで生活してんの?」
「あぁ、うん」
「せっかく大家さんが新しいの付けてくれたんだからさ、これからはちゃんと家の鍵をしなさい」
「そうしようかな」
「あのさ、家に鍵をかけない俺って、ちょっと面白いとか思ってたんだったら、全然面白くないからな。本当にそこは勘違いすんなよ?」
「......ハッキリ言うなぁ」
「あ、あと部屋の中で突然死とかはやめろよ。お前が変な死に方したら、合鍵を持ってるこっちまで疑われるんだからね」
「そっか、俺が死んだら、坊主とオカマが疑われるのか」
「いいか。アタシと住職のためにも、これからはちゃんと生きるんだ」
「うるせえな、わかったよ」
 うん、オカマと坊主のために生きる人生も悪くないな。私は本気でそう思う。
 
「あら。朝帰りですか?」
 その日のオカマバー帰り、散歩中の大家と偶然鉢合わせになった。大家は、朝五時とは思えないハイテンションで話しかけてきた。
「私ね、あれから考えたんですけど、防犯ってね、鍵だけじゃまだ不安だと思うの。あなた、金庫も買ったらどうかしら? 大切なものをそこに入れなさい。二重の防犯になるわよ? もし必要ならいつでも言ってね。すごくいい金庫買ってあげるから!」
 今度は金庫かよ。本当に世話好きな婆さんだな。それに買ってもらっても中に入れるものがねえよ。あ、神棚の横に積んでるエロDVDを入れるのにちょうどいいかもしれないな。そんなことを思いながら、私は自分の家に帰る。そして、ドアの鍵を「カチリ」と閉めてみる。
 うん、さすがヨーロッパ製の鍵だ。なんとなく閉め心地がいい。
 もしかしたら私は、彼女にフラれて以来、一度も眠らずに生きていたのかもしれない。そんな気がする。

 ようやくだ。ようやく、私は何も考えずにぐっすりと眠れそうだ。
 
 おやすみオカマ。
 おやすみ坊主。
 おやすみババア。
 
 おはようオカマ。
 おはよう坊主。
 おはようババア。
 
 おやすみとおはようを繰り返して私は新しい人生を生きていく。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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