男じゃない 女じゃない 仏じゃない第19回

 鬼が来る。
 鬼が都にやって来る。
 銭湯でひとっ風呂浴びた帰り、ポカポカの体を気持ち良く左右に揺らしながらパチンコ屋に入った瞬間、私の携帯に親父からのメールが入った。本文には「近々、東京見物に行くからな」とだけ書かれていた。

 私が生まれてすぐ、母親は一つ年上の兄を連れて家を出て行った。時を同じくして、親父が借金の保証人をしていた親戚が失踪してしまい、我が家は多額の借金を抱えることになった。母親がいなくても、家が貧乏でも、そんな境遇に負けない強い男に育てようと、親父は過酷なスパルタ教育を私に課した。私がまだ三歳の頃だった。
 子供だからといって、いっさいの甘えは許されず、テストで百点を取ろうが、かけっこで一位になろうが、何を成し遂げようとも褒められることはなく、罰を受けるときは容赦のない鉄拳制裁が飛んできた。私にとって親父という存在は、人ではなく鬼に近いものであった。
 そんな鬼が東京にやって来る。実家の香川から上京して、もう十年あまり経つが、一度も私の様子を見に来なかった親父が、いったいどういう風の吹き回しなのだろうか。今さら実家に強制送還でもされたらたまったもんじゃない。その理由を聞くために、私は親父に電話をかけた。
「来るなら来るで別にいいけどさ、なんでいきなり東京に?」
「......たまには旅行でもいいかなって思ったんや」
「旅行嫌いの親父が? 痛風もひどいのに?」
「......」
「なんか理由あるんやろ? あ、俺、実家に帰るつもりはないよ」
「......オカマさんに会いに行くんや」
「へ?」
「うちに遊びに来たお前の友達のオカマさんと約束したんや。お店に遊びに行くって」
「......え?」
 予想もしない答えに自分の耳を疑ったが、どうやら、親父はトリケラさんに会うために東京に来るらしい。子供の頃、あれほど恐ろしかった鬼が、オカマとの約束を果たすために、遠路はるばる東京まで。電話の向こうで、ばつが悪そうにしているであろう親父の姿を想像すると、私は顔のニヤニヤが抑えられなかった。

 最近、オカマとして生きることに迷いが生じたトリケラさんは、徒歩による四国八十八カ所巡りをおこない、己自身を見つめ直した。その結果、「歩けども歩けどもオカマはオカマ」という妙な悟りを開き、オカマとしての人生をまっとうする覚悟を決めたのだ。
 悟りを開いたのなら、とっとと東京に帰ってくればいいのに、トリケラさんは私の実家に寄り道をした。簡単に住所を教えてしまった私もいけないのだが。
 その時にトリケラさんが撮った記念写真を見直す。満面の笑みで一枚の写真に納まっている三人。九十歳を超えても腰が曲がることなく、いまだに畑仕事に家事にと大車輪の活躍を見せる祖母。大学時代、名門アマチュアレスリング部で身につけた技術を生かし、還暦を超えた今も、警備員として日夜働き、不審人物には日大アメフト部も真っ青なアマレスタックルを仕掛けている親父、お遍路さんの正装である白装束に身を包みながら、唇には真っ赤な口紅を塗って怪しく微笑むオカマ。この写真には化け物しか写っていない。
 私の悪口を話の種にして、すっかり仲良くなったトリケラさんと親父。トリケラさんのことを気に入ってしまった親父は、近いうちに、東京のオカマバーに遊びに行くことを約束したのだという。すぐさま行動に移すあたりが「人との約束は必ず守れ」と、昔から口うるさく言っていた親父らしい。
 しかし、親父がこんなにも自然に笑うことができるなんて知らなかった。子供のときに何度かいっしょに写真を撮ったことがあるが、そのときの親父は、常に明治時代の軍人のような険しい表情をしており、私はその横でこれでもかというぐらい背筋をピンと伸ばして立っていたことをよく覚えている。
 東京に来る日時や、宿泊場所などを打ち合わせているうち、オカマバーに行くのがはじめてだという親父にしつこく頼まれて、私もトリケラさんのお店に付き添うことになった。

 三月初旬、日本列島を北上する桜前線を追い越して、親父は東京にやってきた。聞いたところによると、東京に来るのは四十年ぶりになるらしい。道に迷ったりしないか心配だったので、私は羽田空港まで迎えに行くことにした。
 小さい頃、「空を飛びたい!」と言った私の服の中にトンボを入れ、恐怖で泣き叫ぶ私に「どうや、飛べそうか? 空を飛ぶのも大変やろうが!」と笑っていた親父が、飛行機に乗ってやってきた。私は、あのトンボが原因で飛行機に乗れない体になってしまったというのに。その理不尽さがなんだかおかしくて笑ってしまう。
 東京モノレール、山手線、中央線と電車を乗り継ぎ、羽田から私の家がある中野へと向かう。私が友人の結婚式で帰省して以来、五年ぶりの親子の再会であったが、電車の中ではお互いに無言だった。
 どうせなら、私の家に泊まることを勧めたのだが、「同じ部屋で寝たくない」という親父の申し出により、親父は中野駅近くのビジネスホテルに宿を取った。思い返してみれば、子供の頃から一度もいっしょに寝た記憶がない。お風呂にいっしょに入ってくれたことすらない。そういえば、私は三歳の頃から一人でお風呂に入り、一人で寝ることを義務付けられていた。今さら同じ部屋で寝るのも確かに気持ち悪い。
 ホテルに無事チェックインを済ませると、一階ロビーの時計はお昼の二時を指していた。トリケラさんのお店が開くまでにはまだまだ時間がある。さて、何をして時間を潰そうかなと考えていると、「おい、お前の家を見せろ」と親父が言ってきた。親の立場からすれば、子供がちゃんとした生活をしているのかどうかを確認したいのは当たり前か。
 ビジネスホテルを出て、中野通りを直進し、早稲田通りとぶつかる交差点までいっしょに歩く。
「この通りはね、桜が満開になるとすげえ綺麗なんだよ」と親父に教えると、「わしゃ桜は好かん」と気のない返事が返ってくる。
 早稲田通りに入り、ちょっと行った先を左折して、薬師あいロード商店街に足を踏み入れる。すぐ目に入って来た焼き鳥屋で「もも」と「つくね」を二本ずつ買って、親父といっしょに食べようとしたら「歩き食いはあかんで、みっともない。食べたら殺すぞ」と怒られたので、渋々諦める。
「ばあちゃんへのお土産を買いたい」と親父が言い出したので、甘いもの好きの祖母にぴったりの「パパブブレ」という飴(あめ)の専門店を案内したが、「わしはこういう西洋かぶれした店は苦手じゃ」と店の中にも入ってくれなかった。
 子供の頃からいつもこうだ。私が何かを提案しても、いつも親父には否定されてしまう。しつこく食い下がると「うるさいのぉ」と言って、私の頭にゲンコツが落ちてくる。端から見ると乱暴なやり取りだろうが、これが私と親父のコミュニケーションの取り方なのだ。確かに親父は鬼のように怖い人だが、私の言葉を無視することだけはしなかった。しっかりと私の話を聞いた上で厳しく叱ってくれた。そのことには感謝している。

 このまま家に向かっても時間が余るので、結構な遠回りだが、住職に親父を紹介しようかなと思い、すぐに考え直した。
 THE BOOMのボーカルの宮沢和史(みやざわかずふみ)、洋食全般、近所に住んでいた生意気な大工、ビートルズ、オノ・ヨーコ、ウニ、イクラ、ウナギ、坂本龍馬、宮川大助・花子、リンゴ、ナシ、行列に並ぶこと、七三分け、縦列駐車。
 いろいろと嫌いなものが多い親父だが、そんな親父が一番嫌いなものがお寺の住職なのだ。
 親父と寺の坊主との因縁は非常に深い。親父が坊主を嫌いになったのには、私の祖父の死が深く関わっている。
 生前、私の祖父は酒の席で酔っぱらうたびに、大声でこう言っていた。
「わしは戦争で米兵をたくさん倒した! 千人ぐらい倒したぞ!」
 おそらく嘘なのである。祖父が出兵した戦地には米兵はいなかったし、何より祖父は、負傷者の治療を主な任務とする衛生兵だったのだから。仮に、本当に千人も相手を倒していたら「伝説の衛生兵」として、その名をとどろかせていたことだろう。
 周囲の人はしらけた顔をしていたが、私を含めた家族は祖父のほら話が好きだった。確かに不謹慎な嘘ではあるが、そういう嘘をつかないといけないぐらい、祖父は戦争で辛い思いをしたのではないかと思うのだ。衛生兵として、傷つき死んでいく仲間を何人も見送ってきた祖父。お国のために死ぬつもりで出兵したのに、おめおめと生きて帰ってきたことをずっと悔やんでいたと祖母から聞いた。戦争の辛さを乗り越えられずにふさぎ込んでしまうぐらいなら、大ぼらを吹いてでも元気でいてくれるほうが、私たち家族は嬉しかった。
 そんな祖父が死んだ時、私と親父は祖父のほら話を本当の話にしてあげたいと思い、葬式に来たお寺の坊主に、祖父の戒名を「千人殺居士(せんにんごろしこじ)」にしろと要求した。お寺に高額のお布施をすれば「光」とか「輝」といった高尚な文字を戒名に入れてくれるという噂を聞いていたので、親父はなけなしの金を五十万円ほど用意して、祖父に「千人殺」という三文字をくれと土下座した。中学三年生だった私も親父の隣で土下座をして必死でお願いしたのに、お寺の坊主はその申し出を却下した。
 以前話題になった、自分の子供に「悪魔」という名前を付けようとした親とは違う。この「千人殺」という文字をもらうことで、きっと祖父は救われる。何より遺族がそれを一番に望んでいることをどれだけ説明しても、その坊主は首を縦に振らなかった。それどころか、「お前たち家族はみんな狐(きつね)に憑(つ)かれているかもしれないぞ。お祓いが必要だ。その五十万円でお祓いしてやるぞ」と言い放った。その一言でキレてしまった親父はお寺の坊主とつかみ合いの大げんかをしてしまい、それ以来、親父はこの世で一番お寺の坊主のことが嫌いになった。
 私もそのことがきっかけでお寺の坊主が苦手になったのだが、そんな私の偏見を変えてくれたのが今の住職だった。住職と親父を会わせてみたい。あの人なら、親父の凝り固まった心を優しく癒してくれるんじゃないかと思うのだ。
「寺の坊主はあかんて。マジで。殺すぞお前」
 お世話になっている住職に会って欲しいとお願いしたところ、親父は私の胸ぐらを掴んでこう言った。残念だが、今日のところは諦めるしかないか。
 
 私のアパートに着くと、親父は部屋の中をなんの断りもなく物色し、私の生活態度を確認し始めた。余計な心配をかけないように、事前に大掃除を済ませ、普段は空っぽの冷蔵庫の中も、いかにも自炊をしてます風に大量の食材で埋め尽くしておいた。五分ほど部屋をくまなくチェックした親父は、満足そうに「ちゃんとやってるようやな」と頷いた。
 私がホッと胸を撫で下ろしていると、親父が口を開いた。
「お前も変わったな。寺の坊主と仲良くするとは。お前も昔から坊主が大嫌いやったろうが。東京に住んだせいか? 女にフラれて人恋しくて坊主に慰めてもらってんのか」
「......」
「どうなんや?」
「親父、この世の中には悪いお坊さんもいるけど、良いお坊さんもいるんだよ」
「......」
 やばい、自分で口にしておいて笑いをこらえるのに必死になってしまう。俺は何を言ってるんだ。まぁ住職が素敵なお坊さんであることは間違いないが。親父は納得できない表情をしていたが、それ以上何も言わなかった。
 しかし、坊主にここまで人生を翻弄されている親子は私たちぐらいのものだろう。

 やがて夜のとばりが静かに下りてきた。しかし狂乱の宴の幕は今から上がるのだ。
 オカマと私と親父の長い夜がはじまろうとしていた。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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