男じゃない 女じゃない 仏じゃない第12回

 私が住むアパートの大家のババアは御年六十五歳。
 この手に触れずともその柔らかさが見てとれる彼女の頬は、今日もりんごのように真っ赤である。それは生まれつきのものではなく、私と話している時だけ、彼女の頬は朱に染まる。だが、かく言う私の頬もまた真っ赤なのである。
 二〇一三年秋。私が大家のババアに恋をしてから、もう二年になる。
 
 私たちの出会いはゴミ捨て場だった。
 うちのアパートは、大家の計らいで、入口近くの共有スペースに、簡易のゴミ捨て場が設置されていた。簡易といっても、「可燃ゴミ」「不燃ゴミ」「資源ゴミ」といったように、ゴミの種類ごとに捨てる場所が分けられた立派なもので、二十四時間いつでもゴミを捨てられることは、住人にとって本当にありがたいものだった。

 毎朝八時になると、ほうきとちり取りを手に持った大家が、ゴミ捨て場の掃除にやってくる。モラルの低い住人によって床に投げ捨てられたビールの空き缶、ゴミ袋を食い破ったカラスがまき散らした生ゴミの残骸。ゴミ捨て場の状況は目も当てられないものだった。大家は一日も休まず、雨の日も風の日も一人で掃除を続けていた。その様子を不憫(ふびん)に思った私は、出勤前の朝七時に、ごくごく簡単ではあるが、ゴミ捨て場の清掃を始めた。
 善人ぶりたいとかそういう気持ちはいっさいなかった。掃除をしている大家の小さな背中が、実家の祖母の背中とオーバーラップしてしまったのだ。生粋のおばあちゃん子である私が、この状況を見過ごすわけにはいかない。

 掃除を始めて一ヶ月が経った頃、大家から声をかけられた。面と向かって話をするのは、アパートの契約審査の時以来だ。
「一〇二号室の人ですよね。いつも掃除をしてくれてありがとうね」
「好きでやってるだけなんで大丈夫ですよ。大家さんこそ、いつもありがとうございます」
「私は大家として当然のことをしているだけです。あなたに何かお礼がしたいのです。何かお力になれることありませんか?」
「特にないですよ。あ、家賃を下げてください」
「あら、やだ、それは困ったわぁ。うふふ」
 そう言って大家は笑った。なんだ。お婆さんだとばかり思っていたら、なかなか可愛い顔をしているじゃないか。九〇年代に活躍した女性歌手の谷村有美によく似たショートカットがよく似合う清楚な淑女に私は軽く恋をした。

 彼女の喜ぶ顔が見たい一心で、前よりも念入りにゴミ捨て場の掃除をするようになった私。大家もこちらに時間を合わせるようになり、二人でおこなう朝の掃除は、一日に欠かせない大切な時間となった。自然な流れでお互いの身の上話もするようになった。早くに一人息子を亡くしてしまい、夫にも先立たれた大家は、現在は妹と二人暮らしで、うちのアパートの管理をしているそうだ。作家になりたいという私の夢を聞いた大家は「素敵な夢じゃないですか」と、真っすぐな瞳で言ってくれた。彼女の夢を聞いてみると「私みたいな老いぼれにはもう夢なんて......、だからあなたの夢が叶うのを見届けることを私の夢にしたいです。息子が生きていたら、あなたと同じぐらいの歳だしね。それでもいいですか?」となんとも可愛らしい答え。何の計算もせずに男の心を射抜く素敵な言葉が言えるババア、恐るべし。

 それから半年後、このアパートに引っ越してきてから初めての契約更新。不動産屋で事務手続きをしている時に、私は「ええっ!」と大声を出してしまった。以前は六万五千円だった家賃が、五万八千円まで下がっていたのだ。これは記載ミスではないかと思い、不動産屋に確認をすると「大家さんのたってのご希望で、家賃を下げたいとのことなんですよ」とのことだった。このまま契約を更新するわけにはいかない。翌朝、私は大家に真意を確かめることにした。
「私は約束を守っただけですよ。あなた、家賃下げてって言ってたじゃないですか」
 私を驚かすことができたのが嬉しいのか、大家は子供のようにはしゃいでいた。
「年寄りには、いろいろさせてください。誰かに何かをしてあげることなんてもうないと思ってた人生なんです。あなたが喜ぶことが私の喜びなんですよ」
「......本当にありがとうございます」
 私は、大家の誠意をしっかりと受け止めることにした。大家の両手を握って感謝の言葉を伝える。手を握られた大家は、自分の顔をトマトのように真っ赤にして頷くだけだった。

 私と大家の親子未満恋人未満のような不思議な関係はこうやってはじまった。下衆(げす)な話になるが、もし大家から「抱いて」とお願いをされたら、いつでも抱ける心構えはしているし、「家賃の数だけキスをして」とわがままを言われたら、五万八千回キスをするぐらいの気持ちは、男として常に持ち合わせているつもりだ。そんな日が来るはずないのは、お互いによく分かっているだろうけど。

 私は、好きな人ができたら、ちゃんと友達に伝えるようにしている。それは、学生時代も大人になってからも同じである。
 恋の話をするのは夕暮れ時が似合うと思い、十六時頃に寺を訪れた。いつもと違う時間帯での私の訪問に、警戒を強める住職。そんなことは気にせず、いつ以来になるのか分からない恋バナを始めた。私の話を聞き終えた住職が、いつもより弾んだ声で話し始める。やはり恋の話は坊主でも楽しくなるらしい。
「私は嬉しいですよ。あなたがまた誰かを好きになれたことが」
「住職が?」
「これでもあなたのことは私なりに気にかけているのですよ。この前、あなたに女装を見せられた時は本当に心配しましたからね」
「あれはあれで僕の人生には必要なものだったんですけどね」
「......確認ですが、その素敵な大家さんのことは本当に好きなんですか?」
「......好きは好きでも本当の好きではないですよね。ままごとのような恋ですよね。実はそれが悩みなんですけど」
「悩みとは?」
「すごく乱暴に言えば、これって嘘の恋じゃないですか。こんなことしている暇あるのかなって」
「あなたにもそういう繊細な気持ちがあるとは意外でした」
「......」
「私から言えることは、嘘であろうとなんであろうと最後まで貫き通せば、それは必ず一本の道になるということです」
「道......」
「明らかに間違った道でしたら止めますけどね。でも大家さんもあなたも、この関係を楽しんでいるじゃないですか。誰も不幸になっていない。お互いに幸せだ。何もいけないことはございません。それならば、安心してこの道を行くのはいかがでしょう」
「住職、今日はやけに優しいですね」
「本来、仏教とは悩む人の背中を優しく押すためにあるのですからね。己の心のままに進みなさい。もし、あなたがつまずくようなことがあったら、その時は必ず話を聞きますから」
「住職、今日は久しぶりに住職らしかったですよ」
「あとはお友達のオカマさんの意見も聞いてみたらいかがですかね」
「はい、そうします」

 街が夕闇に染まり、夜がやってくる。夜行性の恐竜たちがわらわらと集まるオカマバーの入口をいつものようにくぐる。私の話を聞いたトリケラさんは、どこか不機嫌そうだった。
「トリケラさん、もしかして焼いてくれてるの?」
「調子にのんな。私、今日生理なんだよ」
「トリケラさんにも生理あるの?」
「ある。オカマにも生理がある。オカマは頭が生理になるんだよ」
「頭が生理?」
「私たちは体が女じゃないぶん、頭の中で女性らしくあろうとか頑張るだろ。だからたまに頭が疲れちゃうんだよな」
「なんだ、俺が大家さんのこと好きになったのでやきもち焼いてくれたのかと思ってた」
「何年戦士だと思ってんだ。オカマはめったなことじゃ嫉妬(しっと)しない。嫉妬しても報われないことを誰よりも知ってるからね」
「染みること言うねぇ」
「大丈夫ですかって、私のこと心配しろよ。バカ。そういう優しさがないから、六年同棲してた彼女をDJに取られるんだよ」
「......傷口えぐるよなぁ」
「私、生理ですので」
「くそが」
「ま、いいじゃない。お前はさ、住職様と私じゃ手に負えなかったからさ。可愛い大家さんの力も借りたいところだわ」
「......」
「ババアとオカマと坊主の三位一体でお前が真人間になるまで面倒みてやるから安心しな」
「......大変心強いです」
「謙虚でよろしい」

 朝は大家とゴミ捨て場掃除、日中はお寺の坊主で暇つぶし、夜はオカマとバカ話。朝から晩まで私は一人じゃない。そう思えるだけで気持ちが楽になる。ちゃんと心のリハビリをして、また素敵な女性と素敵な恋ができるようになります。だから、どうかその日までは、あなたたちに甘えさせてください。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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