2020 11/09
経済社会の学び方

第16回 社会研究とリベラル・デモクラシー①――科学は政治から逃れがたい

■「科学の政治化」という問題

 前回、社会研究が常に無色透明な、中立的な目的と手法で問題を解析できると考えてはならないと指摘した。この点をもう少し具体的に考えてみよう。研究に取り組む過程で起こる価値判断については、「科学の政治化(politicization of science)」あるいは「科学と政治の対立」の問題として長い論争の歴史がある。20世紀の後半になるとこの議論自体をひとつの研究主題とする専門領域が急速な発展を遂げてきた。価値の選択問題は、価値の多様化が進むにつれて解決がますます難しくなることは避けられないようだ。

 本来、科学は目的を持たない知的営為であった。その科学に価値の選択の問題が入り込むようになったのは何故だろうか。ひとつには、科学の命題を現実の脈絡に置き換えるとき、必ずしも「絶対確実」に成立することがないという点に起因している。言い換えれば、科学の命題の多くは「ほかの事情が同じならば(ceteris paribus)」と仮定して導かれているから、実際に適用する場合には「必要な変更を加えて、準用(mutatis mutandis)する」ことが必要になる。その「必要な変更」が何なのかという判断が求められる。

 また、「科学の政治化」という問題は、政治によって科学がゆがめられる、あるいは似非科学に依拠して政治が正統性を主張するという問題にも繋がる。社会研究の文脈で言うと、政治権力にとって有利な方向へと科学が誘導されるということが起こる。

■ガリレオ裁判とルイセンコ論争

 こうした点は、歴史的には自然科学の分野でまず大きな問題となった。誰しも思い起こすのは「ガリレオ裁判」であろう。われわれが中学や高校の歴史の授業で学んだこの裁判は、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が、当時、信じられていた天動説を誤りだと主張した結果、宗教裁判(異端審問)にかけられ有罪を宣告された事件である。

 ガリレオは、宗教界(ローマ・カトリック教会)の知見の無理解と闘った英雄として語られる。この「宗教裁判」はどのような形で進行したのか。近年発見された裁判の記録では、ガリレオは強く抵抗をすることなく、自分の考える地動説も仮説の一つだという意味の発言をしているという。この点については、科学の拠って立つ「仮説と検定(実験)」という手法の性格に焦点を当てた考察がなされているが、ここでは科学と宗教権力の対立の歴史例として触れるだけに留め、近年のヴァチカン教皇庁の見解を含め、その詳細には立ち入らない(田中一郎『ガリレオ裁判 ―400年後の真実』参照)。

 もうひとつの自然科学の政治誘導の例として、「ルイセンコ論争」もガリレオ裁判ほどではないが一般に知られた歴史的事件である。旧ソ連では、科学研究が政府の強い統制のもとにあった。スターリンの共産主義独裁体制のもとでは、「人間は教育によって思うようにつくりかえることができる」「努力すれば必ず報われる」という共産主義思想が浸透していた。遺伝によって人間の形質(character, trait)が決定的影響を受けるという学説は不都合なものであった。教育や環境によって人間は変わるものであり、後天的に獲得された形質は遺伝するという学説が正統の生物学として位置づけられていた。遺伝子という概念を否定する「ルイセンコ主義」と呼ばれる反遺伝学である。「ルイセンコ主義」に従うと、農作物の育種や品種改良などの科学的な農学は否定され、ライムギが小麦になり、小麦が大麦になることも可能だということになる。

 スターリンの指示によって、ルイセンコ学説に疑義を呈し、メンデルによる遺伝学を擁護した生物学者が多数(3000人とも推定されている)投獄され、強制収容所へ送られるか処刑され、あるいは獄死する者も出た。遺伝学や細胞生物学の研究が禁止されたため、その後のソ連におけるこうした分野の研究が著しく立ち遅れたことは言うまでもない(詳しくは、ジョレス・メドヴェージェフ『生物学と個人崇拝』〔佐々木洋解題・監修、名越陽子訳〕を参照)。

 こうした歴史的な大事件だけを挙げると、「科学への信頼の厚い現代では、もはやそのようなことは起こりえない」という楽観的な意見も出るかもしれない。しかしそうした意見は、科学が最終的に物事の真と偽、当否を確実かつ明晰に示せるという「信仰」に過ぎないと言える。したがって科学とイデオロギーが結びつくことの恐ろしさを知らない安易な態度と批判されても仕方があるまい。科学はあくまでも、(いみじくもガリレオが言ったように)仮説とその検証を経て成り立つ知の体系なのだ。筆者も、科学への信頼や敬意について人後に落ちないつもりであるが、科学の世界においても「絶対」は無い。

■月と雲の時代

 科学はすべてを直ちに解き明かしてくれるわけではない。断言できること、確率的・統計的にしか言えないこと、あるいは全く謎でしかないことなど、われわれの知識の確実性には様々なレベルがある。

 30年以上も前のこと、子供の通っていた小学校で、著名な数学者H先生の講演会があった。「これからの教育と父親の役割」と題する講演で、ご両親の思い出と、数学の専門的研究が素人にもわかるように巧みに語られ、いまもその中のいくつかのエピソードを思い出すことができるほど刺激に満ちた話であった。

 講演の最後の方で、自然科学の分野における一つの大きな傾向として、「月と雲の時代」という喩えに触れられた。月には解析性があり、現在の位置と運動法則を把握すれば、すべてが予測できる。ところが雲には解析性がない。意外性に満ちており、2,3時間後のことさえ予想するのが難しい。これら二つのタイプの対象の研究が調和を保ちつつ共存するのが、自然科学における「月と雲の時代」なのだという。H先生は、ご自分の育った家庭に関して考えてみると、父は月、母は雲だったんじゃないかという気がしている。両方がいて、うまく行っていたと思うと述べて話を結ばれた。

 論理だけで真実に迫るとみなされる自然科学においても、厳密な意味での正確な予測ができない研究対象が未だ多く存在しているということに、われわれはもっと気付いてもよさそうだ。われわれが身を置く現実の世界は、まさに雲のような不確かさに満ちている。ウィルスの正体が正確に把握できているわけではない。感染症がどのように広がるのかを正確に予測するのも至難の業である。多くの科学分析では、雲の形や動きを予想する時と同じように、強い仮定を置いて科学的な手続きに沿った推論を行う。科学における知的探求の作法の基本は、このような「仮説と検定(実験)」という作業から成り立っているのだ。

「月と雲の時代」の譬えは、厳密な論理と実験の精神で裏付けられた自然科学の分野にも、実は完全な論理だけでは、表現も、証明も、予測もできない事象があるということを教えてくれる。したがって、自然科学の問題の立て方と分析方法とに似せれば、そして自然科学的な論文の体裁をとれば、それは学術的にレベルの高い内容だと判断する必要はない。自然科学に似せようとする努力には「明晰さ」という点で大きなプラスの面があるが、同時に自然科学的な分析のフレームワークに乗せるために、数々の要素を削り落としてしまう、というマイナス面がある。注意を要することは、科学的分析の価値を十分に認めつつ、しかしそれを絶対視するなということだ。

■限定と単純化があるという自覚

 すでに第2回で、「真理」と「真らしさ」という区別は、要するに学問は厳密に数理的に論証できるような性質の研究と、厳密に論証は出来ないが、「真らしさ」を探究するという二つの道があることだと述べた。論証する(verify)学と探究し(explore) 続ける学の二つの違いを認識しないと、すべての問いかけを論証する、論理的に証明することだけが「学の本質」だと思い込んでしまう。

 自然科学的な厳密さと正確さを尊重するあまり、取りあげられた問題が論証のためのフレームワークにうまく収まるかどうかということだけに関心が向けられるようになる。問題の性格によって論じ方は異なってくるはずだ。厳密性を重んじる手法では、結果に影響を与えるかもしれない要素を削ぎ落し、単純化していることを忘れてしまう。社会研究には、単純化し問題を限定することで科学として厳密に議論するという手法に馴染まないものがある。問題の性格に応じて、論じ方は変えなければならないのだ。

 数学の諸科学への応用に強い関心を持っていたP.ヴァレリー(1871-1945)は、レオン・ワルラスの『純粋経済学要論』(第三版)への書評を書いている。そこで彼が指摘している点は重要なので紹介しておきたい(Revue Générale du Droit, de la Législation et de la Jurisprudence en France et a l’Étranger)。ポイントは次のように要約することができよう。

「ワルラス氏は、社会現象の雑然たる堆積の中から、一個の「経済的空間」を作り出すに役立つものを抽出する。ここに「経済的空間」とは、純粋に量的な関係で結びあわされた変数の総体、その結合や変化の特性を知るにはただ数学的操作さえほどこせばよいといった変数の総体である」。しかし、「そこには厳密さと批判主義に欠ける項目が数多くみられる」として、「数学的解析に先行すべき元の事実の分析にかかわるように見えるという点」が重要なのだが、「ひとたび計算を導入できるようになれば、困難はもう終わったのだといえよう」と穏やかな批判の矢を放っている(『ヴァレリー全集 11』より、佐々木明訳)。

 何事においても世間は創始者を温かくは迎えない。ヴァレリーは、ワルラス氏の思索が他のいかなる思索にも増して奨励される価値があるとし、数学の拡張の感動すべき歴史の一資料であるとその価値を認めると同時に、その分析手法は、「量的関係」に限定されていることに注意を促しているのだ。

 ヴァレリーの指摘の重要性は強調してもし過ぎることはない。すでに述べた社会科学における「理論」、特に数理的に組み立てられた理論の持つ長所は、社会をそのまま観察し理解する時の制約ともなりうる。それは思い切った単純化、問題関心を限定するために設定された強い仮定から生まれる避けがたい犠牲なのだ。

■現代の科学も政治化され得る

 自然科学の分野でも、先に見た「ルイセンコ論争」のような、悪夢とも言うべき(似非)科学の政治への誤用・悪用が起こったわけであるから、「雲」の研究に近い社会科学で、こうした「科学の政治化」が生まれることは十分想像できる(ちなみに政治化〔politicize〕という動詞は、「政治的性格を帯びたものにする」ことを意味する)。実はこの「科学の政治化」は日常の政治の中でも見いだせる。ある問題の重要性や深刻度に対する認識、問題の原因究明の仕方、その対策に大きな違いや対立が生じている例は少なくない。その具体的な例をいくつか挙げておこう。

 科学と政治の関係については、新型コロナウィルスへの国や自治体の対策でも問題になった。感染症や疫学の専門家が科学的な知見に基づく可能性や事実を明らかにするステップ、それをベースとしつつ、政治が対策を選び取るというステップがしばしば語られた。確かに判りやすい正論だが、二つのステップはそれほど単純には分けられない。その最大の理由は、第一のステップ自体に、すでに不確実性に対する判断が混入していることがあるからだ。先に述べた「譬え」で言うと、問題の対象が「雲」のような不確かなものである場合、科学的な知見として明確にできること、そしてそれぞれの不確かさの可能性(possibility)とその蓋然性(probability)は必ずしも客観的に測定できないからだ。その時、蓋然性の度合いをどんな指標で測定するのかについては、主観的、かつ「政治的」な判断が入って来る。つまり政治が一つの政策を選び取る前に、提示された選択肢のメニュー自体がすでに主観性と政治性を帯びているのだ。

 もうひとつの例は「地球温暖化問題」であろう。気象学者の多くは、地表の温度はここ数十年間にわたって確実に上昇しており、この傾向は人間の経済活動が生み出す「温室効果ガス」(二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、フロン)の排出が原因であると考える。それに対する批判者たちは、科学的な方法として、こうした推論と予測は気象学者のコンセンサスとして受け入れるまでには至っていないと強く反論してきた。1990年代に入ると、石炭、石油、鉄鋼、製紙、自動車、化学など、化石燃料と深いつながりを持つ製造業界は、環境主義者たち(environmentalists)の「温室効果ガス」排出に対する規制運動に、疑義を呈しつつ反撃の運動を展開し始める。

 こうした「反環境」を旗印とする社会的活動組織(いわゆるロビイスト)のうち、最大規模を誇ったGlobal Climate Coalition(1989年発足)は、「京都議定書」が採択(1997年12月11日)された後、メンバー数が減少し始めたため、2001年に事実上解散している。それが完全な科学的知見の勝利なのか、単に世論からのプレッシャーによる撤退であったのかは分からない。しかしこの過程で、科学が政治化したことにより、各国内だけでなく国際政治の場でも完全な合意に至るのかは依然不透明である。「京都議定書」をベースとするいわゆる「パリ協定」を、温室効果ガスの二大排出国の中国も米国も批准したが、米国は2019年11月に正式に離脱した。

 地表の温度が上昇傾向(trend)を見せているのは、単なる循環(cycle)の上昇局面にすぎず、やがて反転して気温は低下するという見立てをどう「科学的に」説明(予測)できるのか。トレンドとサイクルを識別するには時間がかかることは確かであろう。

■ゼロ・リスクへの誘惑

 類似の問題は、たばこ(喫煙)と健康(特に肺がん)の因果関係をめぐるたばこ産業界と医学界の間でも起こってきた。すでに1950年代から喫煙が肺がんを引き起こすという考えが医学界で指摘されていた。これに対して、たばこ産業はシンクタンクやロビイストに多額の資金を投入して、肺がんの発症原因に関して別の説明を検討するよう働きかけた。筆者が1960年代に米国に行ったとき、たばこの箱の側面に、「公衆衛生(医務)長官(Surgeon General)は、喫煙があなたの健康に有害かもしれない(Cigarette-smoking may be hazardous to your health)と警告している」との注意書きを見て、「なんだ、これは?」と不思議に思ったものだ。

 その後、禁煙運動、嫌煙運動が世界を席巻したことは周知の通りだ。喫煙は「犯罪」の如き感を呈している。それに対する反嫌煙運動も表立った形ではないものの進められている。愛煙家擁護運動のコピーとして、Cigarette-smoking のところを、Eatingと入れ替えて、Eating may be hazardous to your healthなどと題する本が出版されたりする。Eating だけではない。Death, Living, Sexなどの言葉をあてはめる冗談めいたコピーも現れた。

 こうした対立はなぜ起こるのか。健康や生命に関する考え方の違いも影響しているだろう。しかし根本的な原因のひとつは、科学が「絶対的真理」というものには辿り着いていないところにある。つまり科学的知見と価値の選択に関わる命題が確率的、統計的な命題にとどまる限り、その命題が政治的・経済的利益を左右する場合に科学が政治化されることは避けがたい。さらに検出された統計的な関係が、相関関係であれ、因果関係であれ、リスクを極力(時にはゼロにまで!)低下させようとする者によって利用され、問題が政治化されるケースも生まれる。リスクを含む商品生産などの経済活動に対して、民主制議会における立法のレベルで何らかの規制が導入されれば、全国民はそれに従うより他なくなる。

 科学が、現実の世界で100%確実な命題を確立できない限り論争は続き、そこにイデオロギーや政治的判断が混入してくる可能性が生まれる。政治判断の混入をゼロにすることが事実上無理な場合、求められる唯一の態度は、その「主張」の根拠を吟味し、できる限りリスクが少ないと判断する方向(例えば、完全な禁煙の強制)に舵を切らざるを得ないということだろう。

 どのような事象にも可能性(possibility)がある。しかし可能性と確率(probability)は区別しなければならない。確率ゼロ(いわゆる測度ゼロ)でも起こる事象はある。これは確率という概念を学ぶときに知るべき重要な点だ。ただ現実には、多くの科学的な命題は、確かさとして、100%もゼロも保証するわけではないので、どうしてもゼロ・リスクの方へ議論が傾きやすくなるのだ。

■マーシャルの“Cool heads but warm hearts”

 もちろん、主張する本人や本人が属する社会的なグループの利害に関わっているのか否かが、その科学的命題の「純度」を測る物差しになる場合もある。しかし常に確実な尺度となるものではない。残された道を簡単に抽象的に表現すると、問題に対して冷静に(「無私」の立場から)分析の刃を突き付けること、と同時に、その姿勢には他者への「共感」の気持が伴わなければならない、ということになろうか。

 この点について、A. マーシャル(1842-1924)のアドバイスは参考になる。 経済社会を研究しようとする者の心構えとして、マーシャルの “Cool heads but warm hearts” という言葉がしばしば引用される。「怜悧な頭脳で、しかし温かなこころを持って」というこの名言は、マーシャルがケンブリッジ大学の教授就任講演(1885年2月24日)の結びで述べたものだ。就任講演で彼が訴えたのは、当時のイギリス社会を巣食っていた想像を絶するほどの貧困問題と、その解決に貢献しうる経済学徒がケンブリッジ大学から輩出することであった。1880年代は、経済学がPolitical Economy からEconomicsへと名称を変え始め、経済学が近代社会科学の独立した専門分野としての地位を獲得し、今後の力強い展開が期待された時期であった。そのような時代的な背景のもと、ケンブリッジ大学が経済学の分野でどのような人材を世に送り出すべきかをマーシャルは新任教授として述べたのである。

 この “Cool heads but warm hearts” という表現を吟味する場合、1)マーシャルは経済学をどのような学問と考えていたのか、彼の「経済学」観は、現代の経済学と比べるとどのような違いがあるのか、2)頭脳(heads)とこころ(hearts)の双方を考慮するという場合、これらふたつの「能力(faculty)」はどのように区別できるのか、という点を分けて考えておく必要がある。

 言うまでもなく、この区別に完全かつ明白な基準があるわけではない。この難題(アポリア)は、愛と正義の補完性と代替性を考察する西洋中世思想の中の正義論の中でも、「愛のない正義は残酷となり、正義のない愛は亡びの母となる」(トマス・アクィナス)という命題としても見事に表現されている。

(以下、次回。参考文献は、新書刊行時にまとめて表示いたします)

猪木武徳(いのき・たけのり)

1945年、滋賀県生まれ。大阪大学名誉教授。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学大学院特任教授などを歴任。主な著書に、『経済思想』(岩波書店)、『自由と秩序』(中公文庫)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『経済学に何ができるか』(中公新書)など。