2020 10/20
経済社会の学び方

第15回 歴史は重要だ(History Matters)ということ③――証拠の客観性をめぐって

■QWERTYの由来

 デイヴィッドが取り上げた例は、タイプライターのキーボードの文字配列(現代のパソコンも同じ配列)がなぜ今のかたちに、どのような経緯で確定したのかという問いであった。このキーボードの配列は「QWERTY配列(文字の最上段左からの順序)」と呼ばれてきた。経路依存性について具体的で分かりやすい例なので紹介しておこう。

 ラテン文字を書きこむ機械として、米国で発明されたタイプライター(typewriter)、あるいはコンピュータの文字入力のキーボードを見ると、確かにその文字配列がなぜいまの形に決まったのか、その由来を知りたくなる。この形が標準となった歴史には紆余曲折があるという(その主要なポイントはデイヴィッドの論文に説明されている)。

 昔のタイプライターは活版文字が先(頭)に付いたアーム(金属棒)が、打鍵すると飛び出てきて紙に印字するというメカニズムであった。したがって、早く連続的に打鍵するとアームが絡むという不具合が起こることがある。性能の良い製品の条件としては、「早く打鍵できること」、「文字を紙に打ち込むアームが早く打っても絡まないこと」がまず考えられる。

 米国で1860年代に開発されて以来20世紀初頭まで、タイプライターのアームがどこから飛び出すかについてはいくつかの方式があったようだ。どの配列を用いれば、早く打鍵し続けられるのかという形の競争が、製造業者間で繰り広げられたことは想像に難くない。アルファベットの中でも、TやE、Hのように頻繁に現れる文字もあれば、X、Q、Zのようにあまり使われない文字もある。文字の順序もTの後にHがくる、あるいはQの後にはだいたいUが来る、というように、組み合わせの相対頻度は計算できる。各々のメーカーは、早く、そしてトラブルなしに打鍵できるような文字配列を見つけ出す技術競争を始めた。しかしこの競争は技術的な側面の問題を解決するという形で最終決着を見たわけではなかった。19世紀の末にタイプライターの主要メーカーがトラストを結成し、QWERTY配列に統一してしまったからだ。寡占企業がデファクト・スタンダードを確立したことによって、それ以上の効率性の追求を待たずしてQWERTY…の配列が確定した(詳しくは、安岡孝一「QWERTY配列再考」『情報管理』Vol.48 No.2 May 2005)。

 合理性や効率性の唯一解が見つかる前に、寡占企業の作りあげたデファクト・スタンダードにロック・インされたまま現在に至ったという経路依存性が無視できないのだ。

 もちろん、技術外の要因が、技術の選択を決定するということは驚くべきことではないかもしれない。ビデオ・カセットについても類似の現象はあった。ソニーが開発したベータマックスが世界市場でVHSに敗れた原因のひとつとして、ソニーがポルノ・ビデオを大量に生産するメーカーにベータマックスのライセンスを与えなかったことにあったという説がある。ポルノ・ビデオの市場が圧倒的にVHSに傾斜したことが大きかったと言われる。つまり需要側がVHSを圧倒的に求めたのである。

 タイプライターのキーボードも、VHSも、いずれも技術的優秀さの視点から選択されたものではなく、外生的な「攪乱」による経路依存的なプロセスが認められることをこれらの例は示している。

■個別事例研究と法則定立科学

 QWERTY配列のケースが示すように、経路依存性の強調は、歴史的な物事の推移には、合理的かつ普遍的な唯一の経路があるわけではないという考えに繋がる。こうした視点を含めて、社会研究において「初期条件」や「攪乱」を含めた歴史的要素を重視するのか、あるいはより一般的な合理的理解が可能な普遍的命題を求めるのか、という学問探究の姿勢の違いは、しばしば「方法論を問う」という形で論争が繰り返されてきた。その代表的で、かつ最もよく知られた論争は19世紀末葉のドイツで「方法論争(Methodenstreit)」として展開された。この論争にはいくつかの時期と局面があり、それぞれ多くの歴史学者や社会学者が加わっている。ここではその経緯を解説することは控え、要点のみを指摘するにとどめたい。

 筆者はこの連載の冒頭で、具体的な素材や対象のない論争や、研究に入る前に抽象的な方法論の議論に入り込むのは不毛だと述べた。本質論、概念規定、方法論などの「論争のための論争」を避けるべきだと考える理由は、「概念規定」は、研究の出発点で行うのではなく、研究の最後にはじめて明らかにできることであり、「方法論」は具体的な研究を行うことによって、「問題に応じた適切な方法を探るべきだ」と考えるからだ。ただ、この「方法論争」で何が問題とされたのかについては、その学説史的側面を含めて知っておくことは必要だろう。

 社会を理解するための知識の性格を区別する、分ける、という点で、社会科学的な第一歩を踏み出したのはスコットランドの啓蒙思想家たちであろう。この点を強調する、スコットランド啓蒙思想の研究家W.C.レーマン(1888-1980)は、社会学的アプローチとして歴史主義(historicism)と進化主義(evolutionism)を次のように区別した(Lehmann, “ John Millar, Historical Sociologist : Some Remarkable Anticipations of Modern Sociology,” British Journal of Sociology, March 1952)。

(ちなみに、レーマンのいう「歴史主義」という言葉にコメントを加えておきたい。ポパーもハイエクも、特殊で一回生起的な現象への関心をhistorismとし、法則と予言を意図した歴史主義をhistoricismと呼び、彼らが批判したのは後者のhistoricismであった。この二つの用語はほとんど反対の概念であることを理解しておく必要である)

 レーマンの論は次のようなものである。進化主義は理論的・推論的な歴史であり、常に一般化と演繹的作業を伴っている。歴史の一回生起的な性格を重視せず、事実に重きを置くという傾向はない。他方、歴史主義は個々の孤立的な事実を記録したり、具体的な事象や状況を記述することによって、そこに働いている連続性や因果関係を定立しようとする。しかしその際、常に経験的事実によって導かれること、固有性、唯一性を重視するのである。

 この二つの知識獲得の方式を、進化主義は法則定立的(nomothetic)、歴史主義は個別事例研究的(idiographic)と称して区別したのである。

■歴史学派が現れた背景

 この区別は、19世紀の経済学の中にも実は明確に残っていた。もちろん結果としては、進化主義の法則定立的側面が経済学の主流を占めることになったが、経済学の母国英国では個別事例研究的なアプローチも厳然とその命脈を保っていた。

 19世紀後半の経済理論と経済学方法論の著作でこの知識の問題を論じているのは、C.メンガー(1840-1921)である。メンガーは『社会科学とくに経済学における諸方法の研究』(1883)の最初の部分で「歴史的・統計的経済学」と、正確な法則を伴った「理論的経済学」とを截然と区別している。これはメンガー自身が、科学的知識を二つのクラスに分けていたこととパラレルである。「個別的」、歴史的、統計的知識と、「一般的」、理論的知識である。これに加うるに、第三の範疇として応用実技や実践科学的なものも考えていたようだが、いずれにせよこれら三つの知識はその性格を異にするがゆえに、厳密に区別されるべきであり、経済理論や政策について唯一の方法を主張することの愚を戒めている。

 このあたりから(新)歴史学派のグスタフ・シュモラー(1838-1917)との方法論争(Methodenstreit)が始まる。メンガーを代表とするオーストリア学派の経済理論は元来、経験の外にある「認識による知識」というカテゴリーに基礎をおくものであった。つまり非経験的な「内省」(introspection)によって経済主体の一般的経済合理性を仮定する一種の「先験主義哲学」である点が、歴史学派の個別性を強調する立場と基本的に異なる。

 歴史学派が現れた背景には、リカードあるいは古典派経済学の素朴な追随者たちの中に、近代の普遍的な自然法思想に基づいた、抽象的、演繹的な合理性貫徹の「普遍史」という思想が社会科学研究において支配的になったことがあった。アダム・スミスの経済学から歴史観を取り去ったような古典派経済学に対し、国と時代によって異なる具体的な個別性・特殊性を重視して、政策の妥当性を論じることの重要性を主張するものであった。人間の理性を重視し、理性を思考の基礎に置いたフランスの啓蒙思想が19世紀の経済学にも濃い影を落とすようになったことへの反省という側面もあった。

 ただし、メンガーとシュモラーの「方法論争」は、重点の置きどころの違いであり、そのベースにある、「客観的な認識」、あるいは「客観的な証拠」とは何かという問題に目を向けたのがマックス・ウェーバー(1864-1920)であった。「客観性」をどう考えるのか。政策科学の分野で用いられる「証拠に基づく政策―EBP(Evidence-Based Policy)という手法との関連で、改めて振り返っておく必要がある。

■証拠(evidence)をめぐる医療と公共政策の違い

 近年、経済学の分野でも、「証拠に基づく政策」という言葉がよく使われるようになった。証拠(evidence)なしに主張するよりも、証拠のある方が、信頼性が高く説得力も増すという意味ではEBEP(Evidence -Based Economic Policy)の重要性は否定すべくもない。しかし問題はそれほど単純ではなさそうだ。

「証拠に基づく政策」という言葉は、元は医療や診療の場で生まれた「エビデンスに基づく医療」に由来している。注意深く、十分に実施された医療研究で得られた証拠に基づいて施される医療行為を指す。近年、特に臨床結果(治療結果や珍しい症状のケーススタディ)が症例・論文として数多く医学誌に発表されるようになり、こうした知識に基づく医療方針を一般的なものと見做すようになってきた。それは、医療従事者の業績が評価される制度が明確な形で確立したこととも関係している。医療現場から生産・蓄積されるこうした膨大な数の医療データに、数々の統計処理を施すことによって、医師の決定をより根拠のある確実なものにできると考えられるようになった。その際、既に第3章で触れたランダム化比較実験(RCT)が重要視されるようになったことは言うまでもない。

 抗がん剤に見られるように、治療法は日進月歩で向上している。したがって医者は常に最新の医学・薬学情報を得ておかねばならない。さもないと治療が好ましくない結果をもたらした場合、裁判に持ち込まれる可能性もある。したがって最新の治療法を知っておくことが医師と患者双方にとって重要になってきたのだ。

 こうした「証拠に基づく医療」という考え方が、公共政策、特にミクロの経済政策の分析に転用されるようになった。しかし医療と公共政策には根本的な違いがある。治療の場合は、患者の治療という点では医師と患者の目指す所(利益)は一致している。そのためいかなる治療を選択するのかについて、そこに「目標価値」における分裂はない。しかし公共政策においては利害関係者の目標が一致しない場合が多い。そうした場合、どの政策を選択するのかについて、「価値」の選択が表面化することは避けられない。すなわち問題が「政治化」するのだ。その場合、仮に「証拠」が信用できる質のものであっても、EBEPによって問題が解決するというわけではない。ここに医療の場合と公共政策の場合との違いがある。

■説明責任(accountability)とは

 公共政策の場合、ある政策を採択する根拠としてEBEPが重要な役割を果たすようになるのは、採択された政策の財源が主として税金で賄われるため、その説明責任(accountability)が必要となるからである。

 近年、日本の政治家によって「説明責任」という言葉が多用されているが、元来は公金を使用することの責任を十分説明できるかどうかを意味する言葉であった。政府や行政機関は納税者である国民に対して政策の採択を、経営者は株主に対して財務状況や経営戦略について経過報告を行う。科学者も、研究内容を社会に対して説明する義務があると考えられるようになった。資源を利用する者が、利用を認めた利害関係者に対して、その適正な利用と保全に関する事実を説明し報告すべきだという考えは至極自然なものと言えよう。

 説明責任(accountability)という言葉は、計算や会計を意味するaccountから派生している。立憲政治の母国イギリスでは、中世以降、国王による課税は議会の承認を必要としたが、税金の使途について、国王はその「会計」を議会に報告する責務を負った。王様が公的資金をどう使ったかを監査するというシステムの生成と議会制民主主義の発展は同時に進行してきたのである。説明責任と会計報告がその起源において表裏一体の関係にあったため、accountability という言葉が使われた。

■客観性(objectivity)について

 公共政策において、「証拠に基づく政策」の「証拠」として多くの情報の中からその政策に合致するような証拠が選び取られたのではないか、という見方が生ずるのは避けられない。既に選択された政策が念頭にあって、その政策をサポートするようなリサーチが行われるのではないか、という疑念が生まれることも皆無ではない。ある政策の帰結が、複数の、あるいは無数の要因による「因果関係」から発生しているとすれば、この疑念を軽視することは出来ない。それゆえ、「証拠に基づく政策」はevidence-based policyではなく、Policy-based evidence making(政策に基づいた証拠集め)と揶揄される理由もここにある。もちろんこの問題は、決してEBEPすべてを否定するものではないが、証拠(evidence)の客観性(objectivity)の問題は避けられない。だがこの客観性という概念が、どうも一筋縄ではいかない厄介なものなのである。

 Evidence-based Policyと客観性の問題点は近年突然指摘され始めたものではない。ここにも学問上の短くはない論争史がある。主役は先に触れたマックス・ウェーバーである。

 ウェーバーは、「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」(1904)、「社会学的および経済学的科学の「価値自由性」の意味」(1917)においてこの問題を論じている。いわゆる「価値からの自由(Wertfreiheit)」をめぐる議論である。

 現代では、社会科学、あるいは社会研究が、経験科学であって、規範科学ではないと考える研究者は多いが、政策論に関しては「この政策より、あちらの政策」と言うように、選択が問題となるとき、そこに何らかの「規範性」が持ち込まれることは避けられない。だが経済学の場合、規範性、あるいは価値の上下関係への判断について無自覚になりがちなことは否めない。政策目標の選択だけでなく、証拠そのもの「客観性」について考えることは等閑には出来ないのだ。

 われわれは一般に、経験的事実として「そうあること(Sein)」と先験的原理に基づいて「こうあるべきこと(Sollen)」は別物で、はっきりと区別できると思い込んでいる。そしてこの二つ、すなわち研究者の倫理的・政治的判断と「客観的」科学的論証を混同すべきではないと考える。こうした学問の見方は、新カント派の哲学者の学問の性格付けの基本命題としては正論であり、正論であるがゆえに反論は出来ない。

 しかしウェーバーは、問題をこの区別だけには終わらせなかった。彼は、研究者は常に無色透明な政治的立場に身を置くということはあり得ず、したがって実践的な価値判断から自由でなければならないとは考えなかった。ましてや善悪の判断や信念を持たないことを求められているとも考えなかった。

 ウェーバーの考えは先に挙げた彼の論考そのものを読むことが重要なので、ここではその論点だけを大まかに示すに留める。われわれは一般に「客観的」という言葉を使うとき、「主観的」な価値判断をすべて排除した認識や議論を意味すると考える。しかし「主観的な価値判断をすべて排除する」ということは果たして可能なのであろうか。われわれは常に何らかの視点に立脚してものを見て考えている。その視点そのものが「客観性」を保証するような根拠はどこにもない。自分の主観的な視点に無意識であること、無自覚であることこそ、その視点を対象化・相対化して観ることの妨げになってしまう。むしろ自分の立脚点を明確に意識することこそが、ウェーバーの価値自由(Wertfreiheit)の意味するところなのだ。つまり、自分の視点・立脚点を明確に意識しつつ、価値観を持ちながらそれに囚われずに、自由に見ることを意味している。

 このように、ウェーバーは、経験科学としての社会研究が価値判断をなしうると主張することも、価値判断は科学ではないから科学的議論から排除せよと論ずることも認めない。彼は、先に挙げた、経験的事実として「そうあること(Sein)」と、先験的原理に基づいて「こうあるべきこと(Sollen)」の原理的区別を強調するのである。

 経験科学にとっては、目的に対する手段の適合性はある仮定の下で確定することができる。すなわち採用された手段がどのような副作用を伴うのかを明らかにすること、手段が生み出す結果を比較することは可能であろう。いろいろな手段はそれぞれ別々の結果をもたらすが、そのいずれを採択するのかは認識の問題ではなく、価値判断の問題である。ウェーバーは、この目的を生み出す理念は何であり、目的と理念の間に内的な関連が認められるのかを分析することが、経験科学のなしうる作業であると指摘するのだ。

 要約すると、社会研究の中で、経済学だけでは「何をなすべきか」に答えることは出来ないということになる。「何をなすべきか」は理念であり、価値観なのだ。繰り返しになるが、重要なのは、ウェーバーは決して価値判断を回避せよと言っているのではなく、客観性を重んずるあまり(装うあまり)に、「価値判断」を軽視することや、「価値判断ではないと思い込む」ことを厳しく批判しているという点だ。社会研究があたかも、無色透明な、中立的な手法で問題を解析していると考えてはならないということなのだ。この問題の重要性は強調してもし過ぎることはない。

(以下、次回。参考文献は、新書刊行時にまとめて表示いたします)

猪木武徳(いのき・たけのり)

1945年、滋賀県生まれ。大阪大学名誉教授。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学大学院特任教授などを歴任。主な著書に、『経済思想』(岩波書店)、『自由と秩序』(中公文庫)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『経済学に何ができるか』(中公新書)など。