2020 07/10
経済社会の学び方

第12回 あいまいな心理は理論化できるか③――熱狂が社会を変えた事例

■個人の動機と社会全体の帰結

 すでに指摘したように、経済だけでなく一般に社会現象について考察する場合、行動主体の意図とその行動がもたらす結果を分けて考えなければならない。政府の経済政策が、その意図とは異なる帰結を生むこともある。例えば、急速な工業化によって都市に流入した労働者の生活費の軽減を目的として、いくつかの国では地方政府が都市部の住宅家賃を統制する政策(rent control)を打ち出したことがあった。しかしこの介入政策は、家主から住宅の質を改善するための投資意欲を低下させた。その結果、住宅を劣悪化させ、都市の一部をスラム化することにもつながった。

 個人の意図と社会全体の結果という関係で見ると、古典的な例として、B. マンデヴィルの「私的な悪徳は公共の利益」という言葉、あるいはスミスの「正義のルールを犯さないで、個人がそれぞれ私的な利益を追求すると、知らず知らずのうちに社会全体の厚生が促進される」という命題などは、近代の経済科学の誕生を告げる「社会」の発見であったとも言えよう。社会というのは、単に個人を足し合わせたものではないという認識である。

 こうした「社会」の発見にとどまらず、社会研究者が十分に意識してこなかった「意図と結果」の食い違いの問題は、現代の産業化社会にも多々存在する。馴染み深い現象として、不況(depression) やインフレーション(inflation)が挙げられよう。不況もインフレーションも、誰かが(あるいは各人が)低い所得、あるいは物価の高騰を望んだから発生するわけではない。個人の行動と全体の結果との間に、何らかの悪循環をもたらすメカニズムが存在しているから生まれるのだ。銀行による信用創造、あるいは先に解説した銀行の「取り付け騒ぎ」、「バブル」と呼ばれる市場の崩壊現象も、頻繁に起こるわけではないが、その具体例と言える。

 個人(ミクロ)の意図とは独立に、全体(マクロ)として固有に観察される現象についての研究をいくつか類型に分けて考えてみたい。(1)相互に依存し合ったミクロの行動の全体的な状態が臨界点を過ぎると、まったく異なった局面(phase)に突入するような現象、(2)個人の好みや感情のわずかな偏りが、相互依存関係を想定しなくても、全体としてヨリ強調された形で現象するようなケース、(3)個人にとって、ある外的な条件が同一化・徹底化するに従い、別の条件が侵食され、結果としてもとの外的条件も損なわれるというケースである。この(3)は条件相互間の両立性の問題とも捉えられる。重要な例は、「平等の条件」が徹底されるに従い、全体として「自由の条件」が侵食され、その結果、不自由のみならず不平等も生まれるというパラドックスである。

 (1)と(2)は、重なり合う部分、相互に判別しにくいケースもある。(3)の自由と平等の両立可能性は、思想史的な問題、あるいは社会研究の枠組みだけでは論じられない大きなテーマであるので、ここでは扱わない。

■(1)クリティカル・マス(臨界質量)という考え方

 個人の行動が、他者のそれに強く連動している場合、集団全体の動きを示すパラメーターがある閾値を超えると、全体が突如異なった局面に突入する場合がある。経済現象が、群集心理(mass psychology, mob psychology) によって動かされる場合があることを考えれば、このような現象の持つ意味は小さくない。何が進行しているか表立っては見て取れないような時でも、ある変量が一定の臨界点に達するや否や、全体が大転換を来たすことがある。

 特定の結果を得るために十分な数量や人数は、臨界質量(critical mass)と呼ばれる。突然の転換現象を説明する理論は、この物理学の用語を借用したクリティカル・マス・モデルと名付けられる。核分裂物質を集積していくと、ある集積量以上で、内部の核分裂反応が臨界状態に達する。その最少量を、核物理学では臨界質量(critical mass)と呼ぶからだ。
このモデルを社会現象にあてはめたのは、米国の社会科学者トーマス・シェリング(Thomas Schelling 1921-2016)であった。『ミクロ動機とマクロ行動』(Micromotives and Macrobehavior (1978))でシェリングの挙げた「消えゆくセミナー」(dying seminar)の例をまず示しておこう。 

 大学で共通の問題関心を持つ研究者25名が、定期的に開かれる研究セミナーを新たに組織したとする。第一回のセミナーには4分の3以上が出席した。どうしても予定の調整のつかない4分の1のメンバーが欠席しただけである。しかし会を重ねるごとに出席者は減り、4,5回目あたりから半数にも満たなくなる。やがて突然2,3人となり、研究セミナーは消滅する。

 こうした現象は、人々が他の人々の出方に依存して行動する場合にしばしば起こる。「十分な数の人々が出席するのなら自分も出よう」と考える者が多ければ、臨界点を越えた段階でセミナーはあっけなく消滅する。皆そのセミナーに同じように関心を持っていたにもかかわらず消滅するのである。当初、全員が目指していた「共通の関心を刺激し合い、全体の研究を向上させる」という共同利益を実現する機会は失われる。

 個別主体の持つ特性(attribute)が一定水準に達しないと、全体的な変化が起こらないという現象は、現実の経済の世界でもしばしば観察される。教育の普及と経済発展の関係のメカニズムを示す(thresholds)仮説もそのひとつである(Jasmin and Lau (1982))。教育水準は、一定程度蓄積され、全体に浸透してはじめて生産性向上につながる。識字率がある程度高まらなければ、識字を前提とした社会システムが導入できないことなどはその例である。

 類似のモデルとして、一国経済の各部門が、いずれもその部門だけでは工業化の採算が取れない場合でも、その経済のほかの多くの部門が同時に工業化すれば全てを利する方向へ動く、という現象を説明する「ビッグ・プッシュ」理論があげられよう(Rosenstein-Rodan(1961))。国内市場が小さく、貿易が自由ではなければ、企業は規模の利益を生かした生産ができない。こうした環境が「工業化」を妨げている、という視点から「ビッグ・プッシュ」の理論は生み出された。ひとつの部門の工業化が、他部門の市場規模を拡大させるという効果を軽視することは出来ない。またこの理論は、政府が刺激を与えうる部門間の投資の連携的調整(coordination)が、工業化にとって本質的に重要だということを示している。ひとつの部門が低レベルのままに留まっていると、工業化の進展の局面に入ることができないが、その部門がある水準(臨界質量)に達すると、一挙に工業化が進むという現象が起こるのだ。

■(2)相互依存のない状況で、ささやかな好みが極端な結果を生むケース

 個人個人のささやかな好み・選択が、集計されたマクロの現象として驚くべき極端な結果をもたらすというケースがある。シェリングが、“Dynamic Model of Segregation”,(Journal of Mathematical Sociology, Vol.1,1971)で例として論じているのは、米国における人種ごとの「住み分け」(segregation)現象だ。白人と黒人それぞれが、特段強い差別意識を持っていない場合でも、自分が居住する近隣にはどちらかというと同じ人種が「少し多め」の方がいいという感覚を持っていれば、結果としては明確な「住み分け現象」が起きてしまうことを論証した。つまり、個人が、「どの人種をどれほどの割合で隣人として持つことを望むか」に関して、かすかな差別的な好みを持てば、結果としては人種ごとの完全な住み分け状態が生まれることを、シミュレーションを重ねて視覚的に示したのだ。

 このモデルでは、各人が自分の好みだけで選択をする。誰も「他人の動きを予想して動く」ことがない状況で、こうした現象が起こるとした点が重要だ。個人の根本の動機が極端でなくても、観察しうる全体の動きは極端になりうるということだ。

■日常生活の具体例

 先に挙げた「臨界質量(クリティカル・マス)」に関して、私たちが日常でしばしば経験するのは、横断歩道で信号待ちをしている人々の行動だ。信号がまだ赤であるにもかかわらず、せっかちな人々は、青に変わるのを待たずに横断しようとする。同じように待たされている、どれだけの数の人々が横断を始めるか。その数が十分だと判断したとたん、信号の色が赤であっても多くの人々が横断を決行する。まさに文字通り「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というわけだ。

 これは「他の人々の出方に依存して自らの行動を選択するような状況」では、全体の秩序が崩壊しやすいことを示している。こうしたクリティカル・マス・モデルが記述する現象は、社会にとって公共的な利益を毀損する方向に作用する場合がある。

 こうした現象は、個人の動きが社会全体の動きにいかに影響されるかという問題としても考えることできる。「周囲の人の何パ―セントが一定の行動をとれば、その個人も同じ行動をとるのか」という選択の形に定式化できる。先に述べた核分裂物質の場合と類比的だと見做すのだ。

 この「何パ―セントが一定の行動をとれば」という「反応曲線」を実際に測定する研究も存在する。高木英至(埼玉大学)はこの反応曲線(reaction curve)を「テレビ番組」の選択と「服装」の選択に関する質問項目を用いて推定した。

 多数に同調するのを嫌う傾向(ユニークネス)がある回答者もいる。高木の調査では「もし、あなたの周囲の人が多く観ていれば自分は観ないということであれば、何パーセント以上なら自分は観ないかをお答えください。思いつかなければ記入しないで構いません」という項目も立てている。「服装」に関する質問では、このパーセンテージが確かに高い。そして「実際にある行動を採用する者の%」が高くなると、同じ行動をとる率が低下する(ユニークネスを求めるものがいる)という結果も出ている。低下が始まる点は、採用率45%あたりである。言い換えれば、45%以上の人が同じ服装をし出すと、ひとはその服装をもはや身に着けなくなる。これは多くの人が採用し始めると、「バスに乗り遅れるな」と同じような行動に走りがちな「投機」の場合とは違った行動パターンの例である。

 高木はこうした調査結果から、問題によって反応曲線は異なるものの、ある種の問題には、確実に「ミクロ的な動機づけは、マクロな集計結果である反応曲線に関連付けて初めて社会現象に結びつく」という結論を得ている。この研究は、マクロの反応曲線があるレベル(臨界点)に達すると、ミクロ(個人)の行動がそれまでとは逆方向へと反転するケースである。

 しかし経済行動では、一般に熱意が集団的に煽られ、全体として熱狂や破裂を起こすケースが多く見られる。歴史を振り返ると、熱狂的な個人崇拝や行き過ぎた投機熱が社会を崩壊させた例は確かに目に付く。そして注目すべきは、こうした熱狂と破裂が、終息を迎えた後に社会的風土や政治体制を大きく転換させるということだ。

■歴史的事例1 — ジョン・ローのシステム

 集団としての人間が熱狂的な行動をとった歴史的な事例は、すでに19世紀の半ばにチャールズ・マッケイ(Charles Mackay 1814-1889)によって集められている(マッケイ『狂気とバブル ― なぜ人は集団になると愚行に走るのか』)。同書の中から陶酔感(euphoria)とも呼ぶべきふたつのバブル現象と、それがもたらした社会的帰結について簡単に示しておこう。

 1)ジョン・ロー(John Law 1671-1729)の事業として有名なミシシッピ計画(The Mississippi Scheme)は、18世紀初頭にフランス国営企業のミシシッピ川周辺の開発・貿易計画が、今日でいうところの「開発バブル」を引き起こした事件である。ジョン・ローは倒産寸前のミシシッピ会社の経営権を入手したのち、1716年に設立した国王からの免許状を得て「王立銀行」も所有し、大量の不換紙幣を発行させ、ミシシッピ会社の好況を宣伝してその発行株価を40倍にまでに暴騰させた。フランス政府から北アメリカと西インド諸島との貿易独占権も手に入れ「インド会社」とし、巧みな宣伝活動によって「インド会社」の株式に対しても猛烈な「投機買い」を発生させて株価が暴騰した。しかし結局1720年夏に「破裂」が起こり、株価のバブルは急転直下の大暴落、ローは、フランス国外への逃亡を余儀なくされる。不換紙幣の(コントロールされることのない)無制約な供給が、バブルを生むことを示す重要な歴史的な事例となった。

 アダム・スミスやヴォルテールなど多くの著作家がジョン・ロー論を展開している。ジョン・ローと同時代人で、『ロビンソン・クルーソー』で有名なダニエル・デフォー(Daniel Defoe 1660?-1731)も、The Chimera: Or The French Way of Paying National Debts Laid Open(1720)、と題するパンフレットで、ローの人生を皮肉りつつ、ミシシッピ・スキームを手厳しく批判して、そのジャーナリストとしての才を遺憾なく発揮している(ちなみに『ロビンソン・クルーソー』は、社会経済を学ぶ上での貴重な入門書だ。この点については、章を改めて考えたいと思う)。また、デフォーは、1665年、ロンドン市中で7万人以上の死者を出したペスト流行についても、フィクション仕立てで、A Journal of the Plague Year (平井正穂訳『ペスト』)として書いているのにも注目したい。

 伝染病の蔓延は疫学的現象であり、個人の行動によって起こる金融や資産市場で起こるバブルとは性質が異なる。しかし疫病の蔓延が社会にもたらす影響や結果とある種の類似性がみられる。 1665年から1666年に18か月間続いたロンドンの腺ペスト(bubonic plague)は断続的に数世紀にわたってヨーロッパで発生していた疫病の流行のひとつであった。ロンドンの外に住居を持ち、郊外へ逃げることのできた富裕階級と、ロンドンから脱出できなかった貧民層とでは死亡率が異なった。この疫病が終息するかどうかの時期に、ロンドンは「大火」に見舞われる。その結果、腺ペストでロンドンの人口は3割減少、木造建築がほとんどであったロンドンは大火で文字通り焦土と化した。復興の過程で、改めてロンドン再建の都市計画が策定され、木造建築の禁止や道路の拡幅が立法化された。火災保険が生まれたのもこの大火の経験からであった。

■歴史的事例2 — 南海泡沫事件

 もう一つの有名なバブルとして、南海泡沫事件(South Sea Bubble)がある。南海会社は1711年に、スペイン領中南米との奴隷や商品の取引を目的としてトーリー党の大蔵卿ロバート・ハーレーによって設立されたものである。その背後には、スペイン継承戦争の戦費調達で膨れ上がった国債を南海会社に引き受けさせて低利債へ転換するという目的があった。南海会社は1713年のユトレヒト条約で、スペイン領への奴隷の独占的供給権を得た。さらに南海会社が、熾烈な入札競争によって東インド会社とイングランド銀行を抑えてほとんどすべての国債を引き受けることを議会に認められたため、南海会社の膨大な利潤を予想するものが続出、同社の株価が急騰するようになった。しかし密貿易が跋扈、スペインとの関係も悪化し海難事故も多発したため、国債引き受けはもとより、利益が全く上がらないことが判明した。この時点で、同社の株価は大暴落したのである。

 この事件も、意図せぬいくつかの制度を結果としてイギリス社会にもたらした。ひとつは、一般からの資金調達による株式会社という事業形態には「公正な第三者」による会計記録の検査が必要であると認識され、公認会計士制度と会計監査制度の誕生のきっかけになったことである。いまひとつは、この事件の事態収拾にあたったウォルポールは、国王ジョージ一世から絶大な信頼を勝ち得、長く第一大蔵卿として政権を担当し、イギリスにおける「議院内閣制」の基礎を築くことになったことである。

 もちろん、日本に関しても、こうした群集心理がもたらす社会現象は少なからず発生している。江戸時代に数回起こった「お蔭参り」と呼ばれた伊勢神宮への数百万人の集団参詣、幕末期1867-68年に起こった町々を集団で「ええじゃないか」と連呼して踊り狂った「ええじゃないか」などは歴史的な事例として知られている。

■偉大な経済学者の犯しがちな過ち

 これまで、期待(予想)や思惑の分析の難しさ、ミクロの動機とマクロの結果の乖離、情報に根拠がなくても集団行動に同じた方が個人にとって「合理的」な場合があること、などについて歴史事例を引きながら述べた。こうした論点は、われわれに何を教えてくれるのだろうか。

 それは、社会科学はその理論構造が堅固であればあるほど、その政策的な適用には注意が必要だということだ。筆者はたびたび、経済学と経済政策(特に経済政策への提言)は、直接には結びつかないと論じてきた。両者は「ゆるい関係」にしかない。経済学を身に付けた者は、そうでない者よりも経済や経済学についての知識や理解は確かであろう。しかしそれでも完全な理解からは程遠い。特に経済や政治だけでなく、人々の心理、特に集団心理は、どういう動きを見せるのか予測できないことが多い。この世は不確実性に満ち満ちているのだ。その点からも、理論が教える「定理」自体をそのまま現実の政策論議に援用することには慎重でなければならない。

 複雑な経済現象を理解するためには、正確な「事実」の把握と、論理的に(つまり筋道を立てて)考える力がもちろん必要だ。しかし、論理的な筋道を立てるという作業だけでは、単なる「骨」か「柱」だけの建造物の構造を論じているにすぎない。それだけでは生きた人間が「人間として気持ちよく住める建物」にはならない。論理以外の美しさ、気持ちよさなどの精神的な無形の要素も不可欠だ。ここで言う「人間として気持ちよく住める建物」は善き生活のための善き経済政策に対応する理念であり、「骨」や「柱」は経済理論に相当すると考えてもいいだろう。

 だが柱だけの家には住めない。それは「文法だけを(例外の例外まで)学習しても、外国語をマスターしたことにはならない」のに似ている。言語の例に引き寄せて言うと、文法に当たるのが経済学であり、読む、話す、書くといった実際の言語の「使用」「運用」に関わる力が経済政策であろう。外国語として言語を学ぶ際、文法の理解が不可欠なことは言うまでもない。けれども、それだけでは不十分である。

 ここで思い出されるのは、ケインズとほぼ同時代を生きた優れた経済学者、アーヴィン・フィッシャー(Irving Fisher 1867-1947)の理論家としての卓越性と予想者としての失敗である。フィッシャーは、効用理論、利子理論、金融論、課税理論など経済学の発展に多大な貢献をなした。同時に、ジャーナリズムにおいてもしばしば発言し、具体的な経済政策や健康増進の社会運動にも力を注いだ。理論知に秀でているだけでなく、実践の人でもあった。

 フィッシャーの偉大な学問的貢献と評判を大きく傷つけたのは、1929年10月の米国における「株価の大暴落」を巡る彼の現状分析と自信に満ちた予測の誤りであった。実際の暴落が起こる10日ほど前には、「株式市場は、恒久的な高値のプラトーにある」と公言し(New York Times、Oct.16)、株価がジグザグを示してもさらに上昇する可能性さえあると指摘する。10月23日の銀行協会でも、ほとんどの証券価格は膨張しているわけではない(not inflated)と発言した。そして実際に大暴落が起こったあとも、数か月にわたって、「回復はもうすぐだ」と投資家たちに伝え続けた。ただ、大恐慌が長期化しはじめてからは、デフレが負債(debt)の実質価値を上昇させて、不払いと倒産の連鎖を生みだし、米国経済を苦境に陥れると警告を発しているのだが。

 こうしたフィッシャーの株価予測の確信的な発言は、彼自身の保有していた株式の資産価値を下落させただけでない。経済学者としての評価さえも不当に貶めることになる。彼のデフレ理論がケインズの経済学に比肩しうるほどの研究内容であったにもかかわらず、その学問的価値が再評価されるまでに、4,50年の年月を要したのは不幸なことであった。フィッシャーをめぐる経済学史上のこのエピソードは、理論という認識知と経済政策という実践知が決して単純な関係には無いことを改めて教えている。

(以下、次回。参考文献は、新書刊行時にまとめて表示いたします)

猪木武徳(いのき・たけのり)

1945年、滋賀県生まれ。大阪大学名誉教授。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学大学院特任教授などを歴任。主な著書に、『経済思想』(岩波書店)、『自由と秩序』(中公文庫)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『経済学に何ができるか』(中公新書)など。