2020 05/15
経済社会の学び方

第10回 あいまいな心理は理論化できるか①――「期待」が人間の行動を考えるカギ

■不確かさの源泉 ― 他者と未来

 一般に自然科学に分類される学問では、研究の対象は「こころ」を持たない。もちろん、精神医学、人類学、動物行動学、霊長類研究などの領域では、対象は「こころ」を持ち、「こころ」によって観察者(研究者)と観察される対象との「相互作用」が生まれる。しかし、落下する物体やウィルスなど伝統的な自然科学が対象とする事物は、観察されているからといって、自分の行動や形態を変える、あるいは将来の予想を修正することはない。対象となった主体(agents)なり事物が、「こころ」を確実に読み取れない「他者」である、あるいは不確かな「未来」を意識して自己の行動を決めている、とは考えられない。

 しかし一定以上の知能を持つ動物の場合、観察されていることを知った場合とそうでない場合では行動が異なってくることがある。それだけではない。倫理学や文学、歴史学あるいは社会学、経済学、政治学などの分野では、人間のこころの不確かな動き、他者との相互関係、そして「未来」や「これから」へ向けられる(forward-looking)心理や考えがつねに問題となる。人間は現在をどう捉え、未来に向かってどのように行動するのかが探究の主要なテーマのひとつになるのだ。だがこの「未来」に向けた人間の行動をどのように学問的な枠組みの中に位置づけるかは容易ではない。

 そもそも未来という概念も曖昧である。確実なのは、過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在だけであり、過去、現在、未来といった時間の分割はそれほど確かなものではない。古代の賢人が言ったように、あるのは、過去についての現在である「記憶」であり、現在についての現在である「直観」、未来についての現在としての「期待」だけだ。

 もうひとつ、人間社会の考察を難しくしている要因は、人間と、その人間が属する集団(社会)との錯綜した関係である。人間は、ある集団の一員である場合、他のメンバーの考えや行動によって自分の行動を決めることが少なくない。1対1の場合は、相手の考えや行動で自分の行動が決まることは想像できる。多くの人がいる集団の場合も、「他者」の考えや行動によって自らの行動を決めるケースは珍しくない。「人間は社会的動物である」(アリストテレス)と言われるのは、まさに、人間はひとりで孤立してこの世に存在するわけではないという単純かつ冷厳な事実を指す。一人で存在するとすれば、倫理も道徳も、正義・不正も、知性も愛情も必要とはされないだろう。この問題は、社会研究の古典的名著、ダニエル・デフォー『ロビンソー・クルーソー』で鋭い考察が加えられている。この問題については後に再び触れる。

「人間は社会的存在であること」、そして「未来が不確かであること」は、われわれの知識が不完全であることの根本的な原因と言える。「知識の不完全性」と「社会的存在」は互いに結びついているのだ。人間の知識が不完全であるからこそ社会性を持たざるを得ないのであり、法も道徳もこの不確実性にその発生の源があると考えられる(ハート『法の概念』)。さらに、自分の行動が自分以外の人間の行動に依存する場合があること、そして自分が持つ情報が完全でないからこそ、われわれは意識の程度に差はあれ、未来の予想をしながら行動するのである。はっきり意識されていなくても、われわれは推理し予想し、すべての考え、言葉、行動を選択する。「未来」は人間にとって常に不確実であり、「他者」のこころを正確に読み取ることはできないのだ。ここに社会研究を困難にする根本原因が認められる。

■蜘蛛の巣サイクルに見る「期待」の難しさ

 人間の未来に向けた選択・行動について、経済学は問題を厳しく限定しつつも、いくつかの洗練された理論を展開してきた。経済学の場合、概念が数量化されるものが多い。将来の価格がどうなるか、次期の売り上げは大丈夫か、あるいは所得は増えるのか、消費税率が上がれば消費はどの程度低下するのかなど、極めて具体的な「数値予測」の形をとる。政治学や国際関係論で、戦争は起こるのか、外交交渉はうまく妥結するのか、報復的な関税措置は採られるのか、などの予想は、考慮すべき要因が多いだけでなく、数量化してその予想を数式で表現できないものがほとんどである。来春のファッションはどのような色彩やデザインなのかという予想に至っては、何を手がかりに予想すべきかについて一致した見解は存在しないであろう。

 経済的な予測は、企業や家計の現在の選択に実質的な(決定的な)影響を与える。経済行動をする主体(agents)は、基本的にすべて将来を見据えて物事を決めているからだ。主体が持つ、前に向けた(forward-looking)見通しを、経済学では「期待(expectations)」と呼んでいる。この期待という用語は、ある種、経済学の同業者用語(jargon)であって、必ずしも「よいことを待つ」ことを意味しない。将来に向かって見通しを立てることであって、予想(foresight)や予測(prediction)と基本的に同義と考えてよい。

 経済学は、こうした経済主体の期待をこれまでどのように捉えてきたのかについて簡単に振り返っておこう。過去の研究者たちがこの複雑なテーマとどのように取り組んできたのかを学んでおくことは、問題の手ごわさを知る上でも有益だ。

 最初に期待の形成を理論化したのは、古典派経済学者たちの「蜘蛛の巣サイクル(cobweb cycle)」モデルである。このモデルは、例えば「供給者が来期の価格を予想するときは、今期の価格と同じ価格が来期も成立すると考える」という素朴な形をとっている。このメカニズムを河崎秋子の短編集『土に贖う(あがなう)』の「翠に蔓延る」で語られている、ハッカ栽培を例にして説明しよう。

 清涼感のする香りや味のするハッカ(メントール)が日本で栽培され出したのは江戸後期からであるが、本格的な生産は明治に入ってから、主に北海道への移住者によって始められた。食品、医薬品などにも用いられ、1930年代の日本のハッカ生産は、世界全体のシェアの7割を占めるほど盛んであった。戦後は、インド・ブラジルからの輸入品や石油を原料とする合成ハッカの登場で衰退を余儀なくされた。

 ハッカ農家が前年の市場価格を前提に今期の作付けを決めても、今期に予想した価格が翌年に成立しているとは限らず、需要側に「高すぎる」と考えるものが多ければ売れ残る。こうした状況に陥り、農家が窮地に追い込まれる様子がこの短編小説に描かれている。

 ハッカが高価格で市場に出回っていることを農家が知り、「そんなに高く売れるなら増産だ」と判断して、他の作物用の農地をハッカ生産に転用する。他の農作物の生産は減少し、ハッカの生産量は増加する。しかし増加したハッカを市場へ供給できるのは次の時期だ。翌期に、農家が生産したハッカを売り尽したいと思っていても、次の年の需要に対して供給過剰になり、価格を下げざるを得なくなる。その次の時期には、下がった価格に応じて供給する量を減少させるため、市場は超過需要になる。こうして供給超過と需要超過のサイクルが生まれ、直ちに需要と供給が一致することはない。サイクルを描きながら均衡価格の周りをグルグル回るという現象が生まれる。

 こうした予想と現実の乖離を繰り返し、サイクルを描きながら最終的には需要曲線と供給曲線の交点に価格は落ち着く過程を「蜘蛛の巣サイクル理論」は記述する。この調整過程を需要曲線と供給曲線を使ってグラフに描くと、蜘蛛の巣のような形になるので、「蜘蛛の巣サイクル」との名が付いた。

 この調整過程の考え方には重要なポイントが二つある。ひとつは、こうした農家の予想では必ずしも最終的に需給両曲線の交点に価格が収束するとは限らないということ。需要曲線の傾きが供給曲線の傾きよりも急な場合は、価格は需給両曲線の交点へと収束せずに、大幅な上下振動を繰り返しながら発散するという不安定な状態が生まれる。

 さらに重要なのは、このモデルでは来期の市場価格が、今期のそれに等しいという素朴な予想がなされている点である。次の年も今年と同じ価格で市場取引ができると予想しているのだ。これを「単純だ。現実はもっと複雑だ」とコメントして終わってはいけない。このシンプルなモデルに、いかに、そしてどこにどのような修正を加えて行けば、よりよく現実を記述できるのかを検討するのが、「理論的に考える」ということなのだ。

 いずれにせよ、「蜘蛛の巣サイクル」のより立ち入った解説は、ミクロ経済学のテキストを読むことをおすすめする。

■期待を重視したケインズ

 期待(予想)を組み込んだ19世紀の古典派の「蜘蛛の巣サイクル理論」は、その約100年後に経済学徒たちの強い関心を集めた「合理的期待形成(rational expectations)― RE」理論の展開への礎石を提供した。このRE理論は「モデルの中の行動主体はそのモデルを知っており、平均としてモデルが予測するところを妥当だとみなすと仮定するモデルである。大雑把に言えば、個々の主体の期待は間違っているかもしれないが、長い目で見ると、平均としては(全体としては)正しいとみなす考え方である。このモデルのマクロ経済学的な意味と価値は専門家の論争に委ねたい。以下では、「期待」という要素をケインズが重視したことと、蜘蛛の巣理論とREとの懸け橋となった「適応的期待(adaptive expectations)」の2点に触れるにとどめる。

 経済学における「期待」の役割の重要性をケインズは幾度も指摘している。マクロ経済学における、投資の決定や資産価格の形成における「見込み収益(expected returns)」や長期期待の重要性を強調した点でも、ケインズの貢献は極めて大きい。ケインズ自身は期待形成のメカニズムを明示的に組み込んだモデルを提示したわけではないが、生産や雇用の決定要因として期待が中心的な役割を果たすと考えていたことは確かだ。このケインズの見解は、消費行動、投資理論、貨幣需要、インフレーションの理論など多くのマクロ経済学の理論に、「適応的期待(adaptive expectations)」などの形で組み込まれるようになった。

「適応的期待」という概念は、1950年代に、ケーガン(Phillip D. Cagan, 1927-2012)やフリードマン(Milton Friedman, 1912-2006)など、金融政策やインフレ制御理論の研究者たちが期待形成を記述するために開発したモデルである。

 数式で表現すると次のようになる。

 今期に期待する値 = 前期に期待した値 + λ(前期に実現した値 - 前期に期待した値)

 つまり、「今期に人々が予想する価格は、前期に実現した価格と前期に予想した価格との差の一定割合を、前期に予想した価格に、足し合わせたもの」とアップデイトされる。人は前期の予想の誤り分(予測値と実現値の差)の一部を取り入れながら、前期の予測値を修正して(適応させて)今期の予想を決めるというモデルである。

 先に説明した「蜘蛛の巣モデル」に比べると、より賢明で(「過ち」を学習しながら)現実的な予想の立て方をモデル化している。ケーガンのモデルは微分方程式と指数関数を駆使したものだが、20世紀の世界で起こった7つのハイパー・インフレーションのダイナミックスをデータに基づいて実証的に示すことに成功し、その後のインフレーションを論ずるマクロ経済学へ多大な影響を与えた。

「期待」が人間の行動を把握するカギとなる概念であり、経済学においても重要な変数であるにもかかわらず、現実の経済活動でも経済学の中でも、表舞台の主役の位置を占めるに至ってはいない。この現状は、いかに将来を見据えた(forward-looking)人間の行動を、科学的・数理的な形で分析することが難しいかを示している。

 このように考えると、投機的な取引(forward-lookingな取引そのもの)のひとつである株式の価格の決定を理論的に解明することの難しさも理解できる。株価がどのように形成されるのか理論的に解明するという難問に取り組んできた研究者もいる。しかしこの種の研究はそれ自体一つの自己矛盾を孕んでいる。すなわち仮に「正しい」株価形成の予測理論が発見されたとしても、その理論を使って皆が「ひと儲け」しようとすれば、株価は別の動きを示して予測の有効性は失われる。理論そのものが、その理論を「正しい」と信じた人々の行動によって裏切られるのだ。したがって仮に株価形成の「正しい」理論を開発した者がいたとしても、それを公表することはないはずだ。

■「米騒動」(1918年)の特徴

「期待」という概念がいかに社会研究や経済政策の策定にとって重要な主要変数かは強調してもし過ぎることはない。その「期待」が、現実の歴史の中でいかなるショックによって生まれ、いかなるメカニズムが作動するのか。先に触れたケーガンの研究のようなメカニズムに関する優れた貢献はあるが、その期待形成が生まれるきっかけとなる「ショック(出発点)」を論ずることも軽視できない。つまり「そのような物価騰貴のプロセスは何故始動し始めたのか」という問題である。

 メカニズムが作動し始める原因として、どのような要素が考えられるのかについて、日本の歴史事例を示したい。参考になるのは、1918年夏、日本全国で勃発した「米騒動」である。石橋湛山の論考、「騒擾の政治的意義」(大正七年九月五日号『東洋経済新報』「社説」)はこの「騒動」を簡潔に分析している。この文章を取り挙げる理由は、経済的な「期待」(湛山は「思惑」という言葉を用いる)がどのようなメカニズムを経て社会的な混乱を招き、その混乱によって内閣が倒れるという政治的事件まで招来したかを活写しているからだ。

 米騒動は江戸時代にも何度か起こっている。江戸時代は米が、人体における血液のように経済生活を動かしていたから、その価格の動向は最も重要な経済生活の指標であった。明治に入ってからも、明治23年、明治30年に米騒動は発生している。これらの米騒動は、凶作によるコメの供給不足が原因で米価の高騰が起きて、貧しい市民が市役所や警察署、富裕階層を襲撃したため、警察や軍隊が鎮圧したという事件であった。近年では、平成5(1993)年の「米騒動」も、記録的な冷夏による米の供給不足現象が原因であった。消費者だけでなく卸売業者までがコメの確保に奔走して、店頭から米がすっかり姿を消したことを筆者も覚えている。だが警察や軍隊の出動はなかった。

 しかし1918(大正7)年夏に起こった米騒動は米の供給不足が原因ではない。政府の政策とそれによる「思惑」から発生しているという点で他とは性格を異にする。その特徴に注目し、いかに「思惑」が経済や政治を動かすかを示すために、この事件の概略を説明しておこう。

 第一次世界大戦が始まり3年ほど経つと、米価は一般物価と共に急速に上昇し始めた。やがて地主や米穀商の投機のための「買占め」や「売り惜しみ」によって、さらに上昇するだろうという「思惑」が生まれて、ますます米価は高騰する。1918年7月23日下旬、米価の異常暴騰に対して、富山県魚津町の漁師の妻たちがコメの移出を差し止めようとして海岸に集結して不穏な空気が漂い始める。8月に入ると漁民が米屋や有力者たちに「米の移出禁止」と「米の安売り」を求める行動に出た。マスコミの報道もあり、この動きは富山湾沿岸から全国一帯に広がる。こうしてデモや暴動は(青森、岩手、秋田、沖縄を除いて)日本全国で9月中旬まで続いた。

 この1918年夏の「米騒動」によるデモや暴動は、警察だけでは鎮圧できず、実に120か所に軍隊が出動した。8月2日に寺内内閣が決行したシベリア出兵への批判も世情を不穏にした。内相が米騒動の記事の差し止めを命令したことに対して新聞記者大会が内閣を弾劾、山県有朋ら元老の支持を得られなかったこともあり、寺内正毅首相は9月21日、辞表を提出する。

■若き石橋湛山の分析

 この騒擾を湛山はどう分析したか。彼が重要だと指摘したのは、1)米価さえ下げれば万事解決、騒擾犯者を厳罰に処すればいいという考えの浅薄なこと、2)米は不作ではなく、供給不足でもなかったにもかかわらず、何ゆえ米価は高騰したのかを考えねばならないことの二点である。政府は前年9月1日に発布した「暴利取締令」によって、米価をはじめ諸物価の騰貴を警戒していたことも念頭に入れると、米価のこの異常騰貴がなぜ始まったのかの説明が必要だと考えるのだ。

 湛山は「しからば米価は何が故にかくのごとく暴騰したのか。他なし、主として思惑の結果である」と喝破する。1918年5、6月頃から「米の25、6円は安すぎる。他の物価に比べると40円、50円でも高くない」という噂が伝播し、米に対する買い煽りが、定期市場においても、正米市場において盛んに流通して、その結果遂にかくの如き暴騰が起こったのだと言う。

 ではこの「思惑」はなぜ生まれたのか、その始点はどこにあったのか。湛山は「政府の愚劣なる輸出奨励策」にほかならないとする。つまり、政策という外生的なファクターが、「思惑」の作動するメカニズムに火をつけたと見るのだ。日本政府は世界大戦のさなか、輸入の途絶を心配すべきところ、逆にこれを喜び、交戦国と海外諸国による日本の物資への需要が増大することを「天祐」とみて、国債まで発行して輸入為替資金を調達した。そして「百万輸出」を奨励するという愚を犯したのだと湛山は政府の政策を批判する。米をはじめ、食料品、被服品などの国民生活の必須品が不足しようとしまいと、「委細構わず、底を叩いて、輸出させた」のだ。その結果、20円内外を尋常の値段と考えて居る商人たちが、単に「思惑」から、米価の20数円は安すぎる、通貨膨張もみてとれるゆえ米価も40円、50円になって当然と言いふらして一斉に買い煽りに出たところに、この米騒動の原因があると指摘したのである。

「思惑」が生まれた原因を指摘している点でも湛山の論考は秀逸だ。そして「米騒動」の意味を概括し、「政府がその第一任務たる国民全体の生活を擁護せずしてかえってこれを脅かしこれを不安におとしいれた」という一語に尽きるとしたのである。

(以下、次回。参考文献は、新書刊行時にまとめて表示いたします)

猪木武徳(いのき・たけのり)

1945年、滋賀県生まれ。大阪大学名誉教授。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学大学院特任教授などを歴任。主な著書に、『経済思想』(岩波書店)、『自由と秩序』(中公文庫)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『経済学に何ができるか』(中公新書)など。