2020 02/17
経済社会の学び方

第7回 因果推論との向き合い方①――結果には必ず原因があるという思考法

■福沢諭吉と「逆の因果性」

 経済理論と経済政策は区別しなければならない。理論が示す「原因と結果」という因果的推論に、われわれの考えは容易に囚われてしまう。その理論を根拠に政策を提言して実行する場合、根底にある考え方は「こうすれば、こうなるはずだ」、「このようなことが起こっているのは、これこれしかじかの原因のためだ、だからこの政策を打たねばならない」という信念である。この点を少し立ち止まって考えてみたい。

「ある社会現象にはひとつないしはいくつかの原因が存在するから、その原因に対して手を打たねばならない」という思考形式を無条件に受け入れられるのだろうか。こうした因果推論の発想が必要かつ有用な場合があるものの、原因の特定と推論には思わぬ落とし穴が至る所にある。また、ある現象に原因が存在するか否かという問題と、存在したとしてもそれがある特定の原因に帰すことができるのかという問題は区別しなければならない。

 Aという原因がBという結果を生むが、A以外の原因もBを生み出すかもしれない。さらにBという原因が逆にAという結果に影響を及ぼしているかもしれない(逆の因果性 ― reverse causality)。因果の推論に関して慎重な論者は、注意深くその作用の方向を様々な実験や方法でチェックする。

 逆の因果性を論じた古典的な例としては、福沢諭吉の教育と貧困に関する議論が思い出される。福沢は、貧困と教育の問題について、その因果の双方向性を認め、決して一方向だけを主張しなかった。(1)『学問のすゝめ』では、教育の重要性を説き「無知が貧困の原因」だと指摘する。(2)その後、商業の発展によって貧富の差が露わになり始めると、「貧困が無知の原因」となり、人力を持って直には如何ともしがたい、と論ずる(『時事新報』明治17年10月24日~30日の巻頭社説)。(3)さらに貧困を放置するような政策を批判して、西洋の通俗経済書は「富者に媚を献ずるもの」とまで言い放つ(『時事新報』明治24年4月27日~5月21日の巻頭社説)。

 もちろん、福沢は矛盾したことを述べたわけではない。問題の視点をどこに置くかによって、因果関係の方向を区別して政策を考えている。理論に合わないからといって、「現実の方が間違っている」として、現実を安易な因果の理論に合わせるような解決手段に訴えることはなかった。

■プロクルーステースの寝台?

 現実を無理やり理論に合わせようとする倒錯は、「プロクルーステース(Procrustes)の寝台」に喩えられる。プロクルーステースは、ギリシャ神話に登場する盗賊である。旅人を騙し拉致して鉄の寝台に寝かせ、もし相手の体が寝台より長ければはみ出した部分を切断、短ければ身体を引き延ばした。この話は、無理やり、しゃくし定規に標準に合わせることを意味する言葉として使われるようになった。社会研究の理論家が陥りやすい誤りである。例を挙げておこう。

 経済学には、市場は参加者の数が多いほど競争が激しくなり、「完全競争」が効率性を保証するという基本命題がある。しかし決して「あらゆる財とサービスが多数の生産者によって生産されるべきである」とか、「同一のコストで、ある財を生産する多数の生産者がつねに存在しなければならない」という規範的な結論を意味しない。実際には、ある種の財の生産単位には、コスト面からみて最適の規模が存在するだけではなく、特定の企業だけが利用することのできる技術や立地条件、伝統(集積された知識)のようなものがあり、極端な場合には、生産コストをカバーしうるような価格でその財を販売できる企業はひとつしかないというケースもありうる。

 こうした場合、その企業は新たな参入者が市場にあらわれないギリギリの水準まで価格を高く保つことが可能になる。したがって完全競争という理論的条件が満たされていないという理由で、市場の非効率性を判定してその企業を分割することは「プロクルーステースの寝台」となる。ほとんどの産業は、そういった意味での理論上の完全競争の条件を満たしえないのであり、すべての市場は本質的に「不完全」にならざるを得ないのが現実であろう。重要なのはルールに従った自由な競争であって、参加者の数ではない。無数の参加者がいる市場よりも、参加者の数が少ない寡占状態における競争の方が激しいこともめずらしくない。現実の競争の利点や有効性は「数が多い」という点に求められるべきではない。それゆえこうした現実を完全競争の理論的前提に近づけようとするのは、「プロクルーステースの寝台」にも等しい考え方となる。

■複雑さを受け入れる

 これと似た推論、あるいは誤った推論は、現代の社会問題を論ずるときに、何が原因で何が結果かのメカニズムを説明する場合にも起こる。例えば、病になると貧困に陥る、という面に注目するのか、貧困に陥るから病にかかりやすいと考えるのか、双方向の因果の鎖が存在するから、それぞれの方向の因果の鎖へのさらなる考察が求められる。

 テレビやゲームの暴力的な映像を多くの時間見ている子供は暴力的である、という主張はどうだろうか。この論の因果関係も簡単に確定することはできない。暴力的なシーンを観たことが子供を暴力に走らせるのか、暴力をふるいたがる子供がそういう映像を見たがるのかは、データを大量に集めるだけでは(ビッグデータ!)、結論は出ない。

 こうした因果の方向性の判別が困難な要素間の関係を、「想像以上に複雑な問題である」として引き受けることは重要だ。特にある現象の発現を単一の原因に帰するような、「過度の単純化」には警戒しなければならない。この点は社会研究において極めて重要な問題であるから、いくつかの側面を検討しておきたい。

 原因、結果という概念と発想は必ずしも当たり前のものではない。そこには一定の制約と限界があり、古来、認識に関わる論争の重要テーマのひとつであった。その論点を知るために、原因、結果という思考法の歴史を簡単に振り返ってみたい。当たり前だと思っていることを再考するのは面倒なことだが、頭から既存の考え(思い込み)を取り除いて「頭の体操」をしておく必要がある。

■ヒポクラテスの考えた因果の論理

 経済政策における因果関係の分析には、医学における治療と薬剤の効果をどう確定するかという問題と似たところがある。なぜこの病に罹ったのか。この病の原因は何か。原因はあるにしても、それは特定のひとつの原因なのか。この薬は効くのか、この薬は別の効果を生み出しているのではないか、ある治療や処方にはいかなる効能があるのかといった問題は、素人が考えるほど単純ではなさそうだ。言い換えれば、冒頭で述べたように、原因があるか否かという問題と、ある現象なり結果を特定の原因に帰すことができるのかという問題は、厳密に区別されるべきなのだ。

 その意味で、経済政策の効果を判定するときに、医師や医学・薬学研究者たちの因果関係の論じ方から学ぶべき点は多い。筆者は現代の医学を知るわけではないが、古代ギリシャ(エーゲ海のコス)で医療を行っていた医師、ヒポクラテス(BC460?~BC370?)の考えは今も大いに参考になる。

 ヒポクラテスは医師の倫理規範(いわゆる「ヒポクラテスの誓い」)を初めて確立したことで知られるが、投薬や手術などの医療行為と快癒との因果関係を探究しつつ、「経験科学としての医学」の道を切り拓いた医師でもあった。

 歴史的に見ると、どの社会でも医術と呪術の間には分かちがたい関係があった。日本でもお祓いや加持祈祷を医療からはっきり締め出す方針が公式に「医制」(医療制度や衛生行政に関する各種規定を定めた日本の法令)として発表されたのは明治に入ってからである(1874年)。それほどに、医術と呪術は混じり合いながら社会生活の中に浸透していたのである。ヒポクラテスは、医術を呪術から切り離すために、多くの症例を蓄積して、経験的なデータから治療と快癒との因果関係を探究した。

 まずヒポクラテスが書いたとされる論考「神聖病について」を一部振り返っておこう(ここでいう「神聖病」とは「てんかん」のことである)。注意を要するのは、彼は神業に対する祈りと、呪術的お祓いとを区別しており、神への祈りを否定しているわけではない。どの病も「神業であり、どれもが人間的である。各々が自分自身にもとづく自然と作用とをもっている、そしてどれ一つとしてわれわれはこれを扱う方法と処置に困窮するものではない。ほとんどのものがその因っておこる原因と同じものによって治癒できる」としている(「神聖病について」第21節)。

 次いで彼は「技術」について実に含蓄に富む指摘をしている。彼の論敵が、医者にかからないで回復した人間が多くいることを例に挙げるのに対して、次のように反論する。確かに医者にかからなくても偶然医術的に成功することはあり得る。それはもし医者にかかったとしても受けたであろうと同様の自家治療を偶然に用いたからである。そして「失敗といえども成功に劣らず医術が存在するという証拠である。有効であったのはその適用が正しかったためであり、有害であったのはその適用が正しくなかったためである」と、実に慎重に自らの見解を述べている(「技術について」第5節)。つまり、技術そのものには、正しい、誤っているとの判断が介入する余地はなく、「用いられ方次第である」と指摘するのだ。

 そしてヒポクラテスは「ひとりでに」と「何かによって」の違いを次のように要約し、「何かによって」を重視するよう促す。この点は、後述するように、(ヒュームが区別した)「絶対的知識」ではなく「蓋然的な知識」を扱う社会研究においては特に留意すべきであろう。

「優秀な医師たちにおいても医術そのものにおいても、無用なものはないのであって、たいていの植物や製品には治療や鎮痛(もしくは沈静)用の物質が含まれているのだから、医者にかからずに健康を回復した人々が《ひとりでに》の原因で癒ったという理屈はあり得ないのである。(中略)すべて生ずるものは《何かによって》生ずることが見いだされるのである、そして《何かによって》においては《ひとりでに》は何らの存在をももたず、名をもつだけであることが明らかである。ところが医術は《何かによって》および《経過の予見》において存在を有することが今も明らかであるし、将来も明らかであるであろう。」(「技術について」第6節)

 ヒポクラテスが論じた問題を経済政策や国際関係の予測の問題に重ねて考えると、学びうる点は多い。経済学で財政政策や金融政策の有効性を論ずるとき、結果に影響を与える多くの要因が存在するため、そのうちのどれが効いているのか、効かないのか、結果全体から判別することは極めて難しい。しかし《何かによって》結果は生まれていることは否定できないのである。顕在する要因だけでなく、陰伏している要因があることを自覚し、その潜伏的な要素の影響力を探究することを怠ってはならない。

■アリストテレスの因果律

 因果性(causality)を人々はどのようにとらえてきたのかという哲学史的な問題を振り返る場合、少なくとも三人の重要な人物、すなわちアリストテレス、そしてヒュームとカントの考え方に注目する必要がある。「原因と結果」という考え方は、思考形式としては必ずしも自明のものではない。すべての論者が、その知識の確実性の如何にかかわらず、すべての学問分野における問題の前提として因果律を受け入れてきたわけではない。

 少し理屈っぽくなるが、ヒポクラテスに続いて因果関係を分析的に論じたアリストテレスと、そうした概念の適用範囲を厳しく限定したヒュームの考えを祖述し、そのヒュームの説を必ずしもそのまま受け入れなかったカントの見解を紹介しておきたい。

 アリストテレスは、あらゆる事物は、その本性からして、本来決められた目標に向かって変化すると考えた。目的論的な事物の把握である。そして変化の原因は必ずあると考える。その説明は彼の『自然学』と『形而上学』で詳しく展開されている。その内容を、厳密さを喪うことなしに要約することは(筆者には)難しいが、大まかにいえば次のようになろうか。変化を受けるものはすべて何ものかによってそうさせられる。つまり変化には原因が必要である。変化するものはそのようになる可能性と能力を持っている。そして変化は、変化するものからは区別された「あるもの」がもたらす。

 さらにアリストテレスは次のように論ずる。同じ変化には同じ原因が必要なこと。原因と結果は表に現れるか、隠れて見えないという形で存在する。彼にとって「因果現象」は規則的に起こる。具体的な現象を観察し、観察結果から帰納的に推論して一般的な命題に到達する。彼がここで「帰納法」を明示的に示しているわけではないが、推論のひとつの方法を示していることは確かだ。この規則性が、完全なものではないにしても、偶然に起こる規則性だとは考えない。ここにアリストテレスが因果現象に普遍性を与える根拠がある。

■ヒュームの懐疑とカントの反論

 西洋思想史の中で主流をなしたアリストテレス的な因果律に疑義を呈したのはD. ヒュームであった。因果性を信じる根拠を心理学的に解明しようとしたところにヒュームの議論の独創性がある。主著のひとつ『人性論』の正式なタイトルは、A treatise of human nature, being an attempt to introduce the experimental method of reasoning into moral subject,(「実験的論究方法を精神上の主題に導入する一つの企てである、人性論」(大槻春彦訳、岩波文庫)である。この長い表題は、大槻氏が注記しているように、ガリレオやニュートンの近代的自然探究の精神で人間を解明するという彼の意図を表すものであった。「実験的」という言葉がそれを端的に示している。

 ヒュームはまず人間の知識を絶対的知識(knowledge)と蓋然的知識(probability)に分ける。前者は、絶対確実な普遍妥当的知識を指し、後者は経験に依存しており絶対確実な普遍妥当性を持たない知識だ。後者、つまり蓋然的知識は経験に依存するため、原因・結果は経験の告げる関係になる。そこから、原因・結果という思考は、抽象的推論あるいは省察の告げるものではないという彼の考えが生まれる。彼は完全な正確さと確実性とを保存できる学としては、わずかに代数学と算数学を挙げるのみで、幾何学ですら完全な誤りのない学とみなすことはできないとしている(『人性論』第一篇「知性に就いて」第三部・第一節)。いわんや社会研究においておや、である。

 蓋然的知識に関する因果的連関という観念は、ヒュームによると、習慣(custom)によって形成されたものであって、それ以外には基礎を見いだし得ないとされた。原因とは、単に他のある事象に近接して先行しているもののことであり、後者に先行して近接している関係にあるもののことだと考える。われわれが経験するのは出来事が規則的に連続していることだけであって、この経験の繰り返しが、反省の印象と呼ぶ感覚上の期待を生み出しているに過ぎない。この考えに立てば、習慣上形成される感覚上の期待は、観察者の心に生まれるものであるから、ヒュームの因果性の理解は、「信念(conviction)」という心理学的な説明に終始することになる。新しい推理や推論を全く欠いて、単に過去の反復から生ずるすべてのものが「習慣」であり、一切の信念はこの「習慣」という起源に由来する。

 ヒュームの因果律についての立論は、学問研究のすべての分野を念頭に置いたものではなく、蓋然的知識に関する論である。その区別に留意しないと、あらゆるレベルの物事の因果性に対する否定的態度をうみだしかねない。彼の論は、自然科学に適用できるのであろうか。この点で、イマヌエル・カント(1724-1804)は「独断のまどろみを破った」とヒュームの学説を評価しつつも、自然科学(特に物理的現象)における因果性の推論を護ったといえよう(『純粋理性批判』の「経験の第二類推」参照)。

 カントは、自然科学に関してはニュートンが打ち立てたような普遍的法則が存在すると信じていた。カントは人間の認識を批判的に吟味した結果、人間の感覚が実体的、因果的に統一性を持つように働く、つまり人間が必ず因果的な形で経験を理解するという心の構造と機能を持っていることを重視した。その限りにおいて、因果性は、経験のすべての領域に適応される客観的な妥当性があると考えたのだ。

 認識をめぐる少し抽象的な難しい話になった。しかし因果的推論(causal reasoning)を反省的に考えておくことは、数学、自然科学、社会科学における認識や知識の性格の違いを自覚しておくためにも重要なので、あえて考え方の違いと論争点を筆者なりに要約しながら解説してみた。

(以下、次回。参考文献は、新書刊行時にまとめて表示いたします)

猪木武徳(いのき・たけのり)

1945年、滋賀県生まれ。大阪大学名誉教授。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学大学院特任教授などを歴任。主な著書に、『経済思想』(岩波書店)、『自由と秩序』(中公文庫)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『経済学に何ができるか』(中公新書)など。