波乱万丈な頼子第二十四回
六章
24
腹を割って話す。
これが"友情"の基本だと、なにかの本に書いてあった。
だとしたら、マキノさんとはいい関係が築けるんじゃないかしら。
事実、マキノさんとはメールアドレスの交換もした。「私、LINEとか苦手なんですよね。既読とかつくの、あれ、余計なお世話じゃないですか? なんか、ずっと束縛されているようで嫌い」。マキノさんの意見にはまったく同意だった。だから、職場のグループLINEとは別にメアドを交換したのだ。言い出したのはマキノさんのほうだ。それはつまり、私と個人的に関係を築きたい......ってことよね?
千栄子は、年甲斐もなく、ときめいた。
二回り近く年下の子が、私に興味を持ってくれた。しかも、メアドまで教えてくれた。こんなありがたいことがある? それまでは、あまり注目したことがなかった。毒舌ばかり吐く、面倒くさい子。そんな印象だったから、距離も置いてきた。
でも、実際は、とても魅力的な子だった。
毒舌というのは裏返せば正論だ。正論は耳に痛いことばかりだから、毒舌なんて言葉で片付けてしまうが、耳触りの良いことばかり言う人のほうが、むしろ、危ない。そういう人ばかりと付き合っていると、蜜のような甘ったるい地獄に慣らされてしまい、ついには体中が壊死してしまうのだ。
毒は、薬でもある。マキノさんは、自分が悪者になることを承知で、いちいち毒を私たちに与えてくれていたのだ。しかも、私には個人的にそれを与えてくれた。わざわざツーショットになって。
それって、つまり、特別扱いってことじゃない?
千栄子の全身に甘い痺れが走る。
ああ、マキノさんのこと、色々と知りたい。だって、友情を育むには、その人のことを知らなくちゃ。でも、それを根掘り葉掘り聞くのはあまりに品がないし、マキノさんだって警戒するだろう。ここは慎重に行かなくちゃ。
『今日は、色々とアドバイス、ありがとう。目からうろこだった。やっぱり、若い人の意見は参考になるね』
何度も何度も書き直して、結局は無難な挨拶文をマキノさんに送った。
返事が来るまでに二時間ほどかかった。その二時間がどれほど長く感じられたことか!
『こちらこそ、すみません。失礼なことを色々と言ってしまって』
返事が来たときは、狂喜乱舞した。比喩ではない。本当に部屋中を踊りながらくるくると回り続けた。「来たわ、来たわ、返事が来たわ♪」と、変な節をつけて歌いながら。
マキノさんのメールには続きがあった。
『今度の日曜日、お時間空いてますか? もし空いているなら、また二人で会いませんか?』
千栄子は喜びのあまり、雄叫びのような声を上げた。でも、ここで「行く、行く、行くに決まっている!」なんて返信をしたら、がっついているおばさんと思われる。ここは冷静に。
『日曜日は、午前中はちょっと予定が入っているけど、午後なら』
ちょっと嘘をついた。本当は一日中、特に予定はなかった。
『じゃ、日曜日の午後二時ぐらい、どうですか? また、あの喫茶店で』
うん、わかった、行く! 絶対に行く!
そんな前のめりな気持ちを抑えて、
『了解』
と、短文を打ち込むと、返信ボタンをタップした。
指の先から新たな痺れが全身を巡る。そして、その痺れを楽しむかのように、千栄子は万歳三唱を繰り返した。
こんな気持ちになったの、もしかして初めてかもしれない。
齢(よわい)六十になって、初めてのことだ。この歳になって、ようやく"親友"ができた! 代償なんか必要のない、"親友"が!
ずっとずっと、憧れていたのだ。でも、漫画やドラマに出てくるような"親友"なんて、自分には無理だと諦めていた。所詮、フィクションの中のこと、現実には"親友"なんていない。都市伝説のようなものなのだ......と。
でも、本当にできた、親友が!
その日、千栄子は眠れなかった。でも、それでもよかった。こんな状態で眠るなんてもったいない。この喜びをいつまでも味わっていたい。千栄子は、マキノさんからもらったメールをスクショするとプリントアウトし、すでに飾ってあった絵を額から取り出して、それを入れた。絵は、母の形見で、売れば数百万円になるらしいが、そんな絵よりも、マキノさんのメールのほうがお宝だ。
それから千栄子は、スマートフォンに保存されている画像をすべて洗い出した。マキノさんが写っている画像があるかもしれない。
あった。
それは、カラオケ屋でとった集合写真だったが、マキノさんはつまらなそうに、横を向いている。
でも、そんなところにまた、親しみを覚えた。
千栄子はパソコンに向かうと、マキノさんの部分だけ拡大し、それもプリントアウトした。そして、やはりすでに飾ってあった別の絵を額から取り出して、マキノさんの横顔を入れ、リビングの一番目立つところに飾った。
そんなことをしていたら、止まらなくなった。メールと画像を何枚もコピーし、それを部屋中に飾りまくった。
夜が明ける頃には、リビングは「マキノさんの部屋」になった。でも、まだまだ足りない。もっともっと、飾らなくちゃ! この家中、親友だらけにしたい!
そんな高揚した気分のまま、仕事に行く。マキノさんを見つけると、心臓がどくんと鳴った。でも、マキノさんはつれない。目で軽く挨拶するだけだ。
そうか。これは、秘密の友情なのね。そりゃそうよね。他の人に知られたら、面倒だもの。ミツヤさんなんか、あることないこと触れ回るに違いない。あの人、嫉妬深い人だから。他の人が仲良くしていると、それを壊さずにはいられない人だから。
だから、私たちは、秘密で関係を築くのね。なんてロマンチック。
会社ではつれないマキノさんだったが、メールは頻繁に来た。メールが来るたびに、千栄子はそれを部屋に飾った。
+
そして、日曜日。約束の日を迎えて、千栄子は、早朝から何を着ていくかで格闘していた。あーでもないこーでもないと言っているうちに正午になり、結局は、いつも着ている普段着に落ち着いた。
だって、"親友"と会うんだもん。親友に会うのに、かしこまった服はおかしい。親友とは空気のような存在で、だからパジャマ姿で話し合えるような関係でなくちゃいけないのだ。なにかの漫画でそんなシーンがあった。だからといってパジャマで喫茶店に行くわけにもいかないので、千栄子は、普段着ている服の中でも、一番のお気に入りをチョイスした。
しかし、マキノさんはリクルートスーツのような出で立ちで、待っていた。
例の喫茶店。
ちょっと大根買ってくるね!というような普段着で到着した千栄子は、しばし、戸惑う。なにしろ、マキノさんだけじゃない。他にも人がいる。自分と同じぐらいの年頃の女性が二人。彼女たちも、スーツをぱりっと着ている。その横には、厚いカバン。
「あ、千栄子さん、こちらです。こちら」
マキノさんが、手招きする。それに従うように、千栄子は空いている椅子に腰を落とした。
「こちらが、猪又千栄子さんです」
マキノさんが他の二人にそう紹介すると、ベリーショートの女性がまず反応した。
「ああ、あなたが。南条ちかの娘さんですね」
え? 南条ちか? なんで、母のことを?
「ごめんなさい、千栄子さん。色々と調べさせてもらったの」マキノさんがぺろっと舌を出す。
「だって、あんなパン工場で働いているパートにしては、お金持っているんだもん。千栄子さんって、いったい何者なんだろう?って。でも、違法なことはしてませんよ。色々と、聞き回ってみただけ。そしたら、ミツヤさんが教えてくれたんですよ。ミツヤさん、千栄子さんを尾行して自宅まで行ったみたいなんですよね。そしたら、大豪邸で驚いたって。その住所をネットで調べたら、古い雑誌の記事がヒットして、南条ちかの名前が出てきたって。昔は、芸能人の住所とか公開していたんですね。びっくりですよ。まあ、それ以上にびっくりしたのが、千栄子さんが、あの昭和の歌姫の娘さんだったということですけど」
「.........」
「では、今度は千栄子さんにご紹介しますね。この二人は、私の上司なんです」
「上司?」
「私、本業は投資会社の社員なんです。でも、旦那が病気で入院しちゃって、住宅ローンが危うくなったんで、隙間時間にパン工場でパートをしていたんです」
ああ、なるほど。だから、時間がバラバラだったんだ。
「で、今日は、ぜひ、千栄子さんにご案内したい投資物件がありまして」
「......投資?」
「安心してください。安心安全なやつなので。千栄子さんの資産運用に必ず役に立つと思います。......まずは、こちらのプランを――」
と言いながら、マキノさんがテーブルに置いたチラシには、『一千万円』という文字が躍っている。
一千万円......。
「こちらのプランですと、あっという間に億り人になれますよ」
マキノさんの上司の一人が言った。
「あ、失礼しました。猪又さんはすでに、億り人でしたね」
まさか。そんな余裕があるなら、パン工場でパートなんかしない。
確かに、以前は、母の遺産と印税だけで暮らすこともできた。が、その遺産のほとんどは、怪しげな投資話を持ってきた、かつての母の"親友"に騙し取られた。今残っているのは、築六十年のあの家と、そして印税。印税は年に五百万円ほど入るが、あの家を維持するだけで大半が飛んでいく。だから、パン工場で働くことにしたのだ。......だって、この歳まで、ろくな仕事に就いたことがない。手に職もない。私を雇ってくれたのは、あの工場だけだった。
「千栄子さん自身も、歌手としてデビューしたことがあるんですよね? 古い記事に、そんなことが書かれてました」
マキノさんは、プリントをテーブルに置いた。それは、母がまだ生きていた頃のずいぶんと昔の週刊誌の記事だった。母が、先走って、私のデビューを週刊誌に売り込んだのだ。
でも、結局は、デビューはできなかった。当時の"親友"に、スキャンダルをリークされたのが理由だ。
「一千万円......」
千栄子は、チラシを手にした。
「一千万円、払えばいいの?」
マキノさんの目が輝く。
一千万円払えば、いいのね。
やっぱり、友情には、代償が必要なのね。
でも、やっぱり、一千万円は無理。自宅に戻ると、千栄子は頭を抱えた。
口座には、いくらも残っていない。
なら、この家を売る?
建物には価値はないけれど、土地には価値があると、いつだったか不動産屋に言われたことがある。
でも、できない。
母の遺言には、「ここは売るな」とあった。愛着のある土地だから、人手に渡したくないと。
だったら、ママのコレクションの絵を売る? でも、それだって、いくらも残っていない。ほとんど売ってしまった。残っているのは、先日、額から取り出したあの二枚の絵ぐらいだ。それを売っても、一千万円には届かないだろう。
それでも、マキノさんに嫌われたくない。「残念です」と言われたくない。
マキノさんの期待に応えたい!
でも、でも、でも、一千万円なんて......。
なにか答えがないかと、ネットサーフィンしていたときだった。
「大阪万博」のニュースが目に入った。
「あの頃とはまったく違うな」
そんな嫌味がつい出てしまう。同じような感想を持つ人はいないか検索をかけてみると、
【波乱万丈】頼子の孤独な終活【70代】
というタイトルが、唐突に視界に飛び込んできた。
なんともいえない"縁"を感じた千栄子は、その動画を再生してみた。そして、
「見つけた!」
千栄子は、少女のように飛び跳ねた。
「ようやく、見つけた! 私の運命の人を!」
その瞬間、マキノさんのことは、すっかり色褪せてしまった。
それからは、千栄子の生活は『波乱万丈な頼子』一色となった。
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
Newest issue最新話
- 第二十八回2024.08.23
Backnumberバックナンバー
- 第二十七回2024.08.16
- 第二十六回2024.08.09
- 第二十五回2024.08.02
- 第二十四回2024.07.26
- 第二十三回2024.07.19
- 第二十二回2024.07.12
- 第二十一回2024.07.05
- 第二十回2024.06.28
- 第十九回2024.06.21
- 第十八回2024.06.14
- 第十七回2024.06.07
- 第十六回2024.05.24
- 第十五回2024.05.17
- 第十四回2024.05.10
- 第十三回2024.05.03
- 第十二回2024.04.19
- 第十一回2024.04.12
- 第十回2024.04.05
- 第九回2024.03.29
- 第八回2024.03.15
- 第七回2024.03.08
- 第六回2024.03.01
- 第五回2024.02.23
- 第四回2024.02.16
- 第三回2024.02.09
- 第二回2024.02.02
- 第一回2024.01.26