波乱万丈な頼子第十六回

四章

16

「クラファン!」
 千栄子は、小さく叫んだ。そして、考えるよりも早く、数字キーを連打した。
『100000円』
 そして、その数字を見返すことなく、【支援】ボタンを押す。
 まったく後悔はない。後悔があるとすれば、額が少なかったかも?という点だ。
 十万円は、確かに高額だ。千栄子の一ヵ月分のパート代だ。でも、頼子さんのためなら、そんなのどうってことない。
 頼子さんの余命が延びるんなら、どんな支援も惜しまない。
 千栄子は、再度、クラファンサイトを開くと、今度は300000円と入力した。
 今現在、口座にある全残高だ。これをつぎ込んだら、千栄子は今度こそ、借金に頼らざるを得なくなる。
「借金がなによ。頼子さんの延命に比べれば、些細なこと」
 こんなこと、他者(ひと)に言ったら、間違いなく、眉間に皺を寄せられるだろう。
 特に、友人のレイコはこんなふうに言うに違いない。
『あなた、馬鹿みたいよ。そんなこと、やめなよ』
 でも、レイコもレイコで、某スポーツ選手に入れあげて収入の大半を費やしている。
『わたしの場合は、イケメンのスターだもん。投資する意味もある。でも、あなたの場合、どこの誰とも知れない、おばあちゃんでしょう? そんなおばあちゃんに入れ込むなんて、意味わかんない。推し活するなら、もっと有益な人を選ばなくちゃ』
 推し活? 推し活と一緒にしないでほしい。推し活なんて、所詮は暇つぶし。または苦しい現実を忘れるための逃避。でも、私の場合は、暇つぶしでも現実逃避でもない。これは、私の人生をかけた、使命なのだから。
『いやだ、なにそれ。なんか宗教みたい』
 ほんと、わかってない。これは宗教なんかじゃない。むしろ、宗教とは真逆だ。だって、私がやっていることは――。
 いずれにせよ、頼子さんに会わなくちゃ。今度こそ、会わなくちゃ!
 
   +

 莉々子は、頭を抱えていた。
 あの頼子が、クラファンをはじめてしまった!

『それは、やばいですね......。マジで、やばい。明日にでも、明石先生に相談してみましょう』

 藤村の返事は、案の定、他人事のような内容だった。むしろ、どこか楽しんでいる節もある。......いや、さすがにそれはないか。我ながら、被害妄想が過ぎる。
 でも、明石先生に相談するのは気が引ける。きっと、明石先生は呆れかえるだろう。もしかしたら、その場で解雇される恐れもある。
『明石先生に相談するのは、もう少しあとのほうが?』
 莉々子は返した。
『なんでです? こういうことは、早いほうがいいんですよ。下手にもたもたしたら、取り返しがつかなくなるもんなんです。ぼくが教師をしていた頃も、生徒が――』
 藤村は、いつもの教師時代の経験談を喩えに出してきた。でも、まったく頭に入ってこない。
今、莉々子の目に映るのは、頼子のクラファンのページだ。どんどん寄付金が増えていく。あっという間に、五十万円を超えた。この調子では明日には百万円を超えるかもしれない。
 マジなのか。
 寄付をしている人たちって、頭がどうかしているんじゃないか?
 だって、明らかに、これ、詐欺じゃん。なにしろ、頼子がまったくの別人に入れ替わっているんだから!
 他に同じ考えの人はいないかと、「頼子」をキーワードに検索してみると、匿名掲示板がヒットした。どうやら、ウォッチングスレッドが立っているらしい。

〈頼子、クラファンはじめたみたいだけど、通報したほうがいいんじゃないか?〉
〈だね。こじき行為より質が悪いよ〉
〈とりあえず、暴露系ユーチューバーにたれ込んでみるか〉

 暴露系ユーチューバー!?
 まずい。あそこで取り上げられたら、相当深掘りしてくる。必ず、ママの存在に行き着くだろう。
 ああ、やっぱり、明石先生に相談したほうがいいんだろうか?
 そうだ。こちらは、あくまで"被害者"なのだ。動画を勝手に使用された。もちろん、契約書などは交わしていない。被害者として先手を打ったほうが、傷も浅いんじゃないか? 
 そうだ。藤村が言うとおり、下手に先送りすればするほど、分が悪くなる。
 よし。じゃ、明日の朝一に。
 と、気合いを入れ直すと、莉々子はパソコンに向かった。明石先生に説明するために、経緯をまとめるためだ。

 ......あらかたまとまり、それをプリントアウトしたところで、莉々子の瞼にいやな予感がよぎった。
「っていうか。そもそも、『頼子』って何人いたんだろう? 少なくとも、頼子の一人は死んだ。あのアパートで。まさか、他の頼子も死んでたりする? だとしたら、次は、うちのママが?」
 鳥肌が止まらない。
 まさか、いくらなんでも考えすぎ。
 莉々子は、自分の考えが間違いであることを証明しようと、動画サイトにアクセスした。そして『波乱万丈な頼子』チャンネルを表示させた。
 このチャンネルがスタートしたのは、一年前。一番古い動画を再生してみる。
 それは、初めて見る動画だった。莉々子がこのチャンネルに気がついたのは二ヵ月ほど前だ。更新のたびに閲覧していたが、遡って見るのは、今回が初めてだ。
「あ」思わず、声が出る。「あのアパートじゃない!」
 似たようなアパートだが、壁紙の色が違う。キッチンの仕様も違う。
 しかも、映っているのも違う頼子だ。
 顔から下の映像だが、明らかに体形が違う。でも、続けて見ていたら、その違いに気がつかないのかもしれない。アハ体験というものがあるが、連続して見続けていると、あからさまな違いにも気がつかないものだ。
 そうこうしているうちに、オープニングが終了し、本編に入った。

『はじめまして、頼子です。
 ささやかな日常を記録してみたくて、動画をはじめました。
 なにしろ、パソコン初心者のおばあちゃんです。うまくいかないことも多いかと思います。どうか、寛容なお気持ちで見守ってくださいね。
そういえば、今日、万博のニュースを見ました。大阪でまた万博が開催されるのですね。でも、私にとって万博といえば、昭和四十五年の大阪万博です。新幹線に乗って、見に行きました』

 そんなテロップからはじまるその動画は、まるまる昭和四十五年の思い出にまつわるものだった。
 そして、ラスト、衝撃的な告白で締めくくられる。
『......大阪万博が開催されていた裏で、私は、見ず知らずの男たちに純潔を奪われました。そう、レイプされたんです。だから、私、万博が大嫌いなのです』 

 動画に映っているのはあくまで牧歌的な日常。それを背景に語られる昔話は、あまりに酷なものだった。
 なるほど、波乱万丈な頼子がここまで人気を博したのは、そのアンバランスさゆえだろう。莉々子もつい気になって、次の動画を再生してしまった。
二番目の動画は、レイプの生々しい様子が語られている。耳を覆いたくなるような内容だ。その内容に心奪われて、料理をしている頼子の印象は薄れがちだ。もしかしたら、それが狙いなのかもしれない。頼子そのものには注目をさせない作戦。なぜなら、二番目の動画の頼子は、最初の動画とは別人だったのだ。
 それに気がついたとき、莉々子の口からはひときわ大きな声が飛び出した。まさに、アハ体験。
「ちょっと、待って。この時点ですでに、頼子は二人?」
 しかも、キッチンも違う。アパートではあるようだが、最初の動画とは違うキッチンだ。料理しているのも、別の頼子だ。
 莉々子は時間も忘れて動画を再生し続けた。動画の半分を再生した頃には、丑三つ時になっていた。残りの半分は早送りで再生し、朝の七時にすべてを見終えた。
 莉々子は、朦朧とした頭で、改めて、プリントアウトしたレジュメを眺めた。そして、赤ペンを握りしめると、書き殴った。
『頼子は、(ママを除いて)3人。撮影場所のキッチンは少なくとも4カ所。3ヵ月前から、頼子も撮影場所も固定』
 そして、その撮影場所で、頼子の一人は死んでいた。
「あとの頼子は、どうなったんだろう?」


次回の更新は6月7日を予定しております

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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