波乱万丈な頼子第十三回
四章
13
「うそ!」
猪又千栄子は、叫んだ。
その声は思いのほか大きく、斜向かいに座る親子を驚かせたようだ。バギーに乗る幼子がぐずりだす。うらめしそうにこちらを見る母親を尻目に、千栄子はタブレットに表示されたその文字をいま一度、確認した。
【波乱万丈】頼子のステキなおひとりさまライフ【新居】
「復活してる!」
千栄子は、まるで三歳児のように体を弾ませた。
右隣のテーブルに座る男性が、あからさまな侮蔑の色をにじませて、こちらを睨み付ける。
昼下がりのカフェ。
リモートワークをする会社員たちと、噂話に花を咲かせるママたちで賑わっている。
あと三十分もすれば、この近くの大学に通う学生たちが合流するだろう。箸がころがってもおかしくてしかたがない年頃の彼らがやってきたら、この店内はますますカオスになる。その前に撤退しようと身支度をはじめた頃だった。千栄子は、その動画を見つけたのだった。
「うそ、うそ、うそ! 頼子さんが復活している!」
まるで、お気に入りのアイドルの新情報を目の当たりにした少女のように、千栄子は手を叩いて、さらに体を弾ませた。
実際、千栄子にとって頼子は、アイドルだった。今風に言えば、「推し」だった。なんなら、生き甲斐だった。
そんな生き甲斐が突然引退。千栄子の生活は一気に闇に呑み込まれた。
そんなことを言ったら、笑われるだろう。
「大袈裟な。つか、若いアイドルや俳優や、ホストにうつつを抜かすのはわかるよ? でも、相手は、自分より年上のおばあちゃんだよね? ただの一般人だよね? そんな人が"推し"って、意味わかんない」
先日も、友人にそう笑われた。
わかってないな。年齢や職業は関係ないの。そこに救いがあるなら、それはすべて"推し"なのよ。
「どんな救いがあるっていうの?」
友人の質問に、千栄子は間髪を容れずに応えた。「ひとことでいえば、シンパシーね」
しかし、この回答は、友人の理解を得ることはなかった。首をちょっとひねって肩を竦める友人。......まあ、いいわよ、わからなければそれで。っていうか、わかってもらおうだなんて思わない。自分だって、よくわかってないんだから。
そんな"推し"が復活したのだ。歓喜するしかない。
「あ、でも。頼子さん、引っ越ししたんだ?」
サムネールに表示されているのは、見慣れないキッチン。事実、タイトルにも【新居】とある。
だからか。
先日、頼子さんが住んでいるであろうアパートを探し出して、行ってみた。頼りは、大船観音。ここで間違いないと思ったのだが、人違いだった。アパートの大家さんからも「そんな人は住んでいない」ときっぱりと否定された。大船観音があの角度で見えるのはあのアパートで間違いないと思ったのだけど、違ったか......と、意気消沈しているところだった。
まさか、引っ越ししていたなんて。
サムネのキッチンは、いかにもファンシーだ。それまでのミニマリストなキッチンとは対極にある。
そこに映り込んでいる頼子さんも、なんだか別人に見える。背格好は頼子さんのようにも見えるけれど、着ている服とエプロンが、それまでとまったく違う。
疑問符をいくつも浮かべながら、千栄子は再生ボタンを押してみた。
+
ご無沙汰しております。頼子です。
一度、閉じたチャンネルですが、訳あって、再開することにいたしました。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
もうひとつ、お知らせがあります。
お気づきかもしれませんが、私、引っ越しました。
今度の住まいは、一軒家です。
この家は、かつては姉夫婦が住んでいました。ところが、姉とその夫が立て続けに亡くなり、この家は長らく、空き家だったのです。その空き家を私が相続することになりました。放棄することもできたのですが、私もちょうど引っ越しを考えていたので、ありがたく相続することにしました。地方の家で、築年数も古く、家にも土地にもそれほどの価値はありませんので、相続税はほとんどかかりませんでした。固定資産税も、年に数万円。賃貸で住むよりお得だと思い、飛びつきました。
でも、世の中、そんなに甘くはないですね。長年空き家だったせいか、いろんなところにガタがきていて。特に水回り。とても、そのまま住める状態ではありませんでした。
なので、とりあえず住める形にリフォームしなくてはなりません。
まず、手をつけたのがキッチン。
どうですか。ステキに仕上がっているでしょう?
なけなしの貯金をはたいて、新しいシステムキッチンを入れました。新しい......といっても、中古なんですけどね。でも、とても気に入っています。
冷蔵庫も電子レンジも、新調しました。といっても、これらも中古なんですけど。
だから、デザインや色に統一性はないんですが、それがかえって、おしゃれかな?と思っています。
DIYにも挑戦しているところです。
しかし、持ち家っていうのは、いいものですね。画鋲をさしても、釘をさしても、穴を開けても、なにかを貼っても、文句を言われないんですから。
なにか、解放された気分です。
毎日が楽しくてしかたありません。
私、本当はファンシーな感じが好きなんですよ。でも、今まではそれができなかった。自分の好みをずっと抑えつけていたんです。だからなのか、殺風景な感じになっていました。
でも、これからは自由です。好きなようにできます。
あああ、私の本当の人生は、これからなんだなぁって思っています。
なにか、ドキドキしてしまいます。
みなさまにも、このドキドキをわけてあげたい。
あ、それと。息子の件です。色々ありましたが、すべていい方向に解決いたしました。息子も反省しております。もう私には迷惑はかけないと、誓ってくれました。
私は今度こそ、自分の人生を歩んでいきたいと思います。
これからも応援、よろしくお願いします。
+
「よかった。頼子さん、幸せそうで」
そうだ、頼子さんは幸せをようやく掴んだんだ。だから、ちょっとふっくらしたんだろうし、雰囲気も変わったのだろう。
千栄子は早速「いいね」ボタンを押した。すでに、千以上の「いいね」がついている。相変わらずの人気だ。
そうだ。コメントも残しておこう......と、コメント欄を表示させると、すでに、絶賛と祝福のコメントが溢れかえっている。見ているだけで、こちらも幸せが満ちてくる。
......うん?
『動画に映っている人物、誰ですか? 明らかに、前の人とは別人ですよね? 頼子って、何人いるんですか?』
幸せな気分をぶち壊す、アンチのコメントを見つけてしまった。
ほんと、アンチってうざい。
アンチめ、アンチめ、アンチめ!
千栄子は思わず、テーブルを連打した。
その音に驚いたのか、右隣のテーブルに座る会社員風情の男が、またもやこちらを見る。
千栄子は男を睨み返した。そそくさと、男は視線を逸らす。
アンチ退散、アンチ退散、アンチ退散!
そんな呪文を呟いていると、男は降参とばかりに、席を立つ。
勝利気分を味わっていると、案の定、姦しい学生軍団ががやがやと入店してきた。
もう、こんな時間か。
タブレットをトートバッグにしまうと、千栄子も席を立った。
家に戻ると、再び、頼子の動画にアクセス。もう一度、あの幸福感を味わいたかった。
ところが。
「え? もう新しい動画がアップされている?」
そのサムネのタイトルは、天国から地獄に突き落とすほどのインパクトだった。
『余命宣告されました』
余命宣告? どういうこと? え? え? え?
わけがわからず、無闇に部屋の中を歩き回る。
どういうこと? 頼子さんが余命宣告されたってこと? どうしよう? どうしよう? とりあえず、落ち着け、自分。そして、動画を再生するのよ。......だめ、怖くて、できない。ああ、怖い!
それから十五分後。気持ちを落ち着かせるためにラベンダーとペパーミントのハーブティーを淹れると、千栄子は改めてタブレットを開いた。
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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