波乱万丈な頼子第三回
一章
3
「え? 本当におしまい?」
莉々子は、唖然とディスプレイを眺めた。
なんだかんだ言って、ここ一年、毎日のように見ていた。ルーティンのひとつになっていた。それがなくなるというのは、ちょっと寂しい。
いやいや、なにを言っているんだ、自分。
インチキが一人でもいなくなるのはいいことじゃないか。それだけ、被害者が減る。
それに、「今日で動画は最後です」とか言いながら、しれっと再開するチャンネルの多いこと。いわゆる、閉店セール商法だ。パチンコ店などでよく見かける。
「だから、たぶん、近日中にまたはじめるんじゃないの?」
間違いない。「やめないでください!」「どうか戻ってきてください!」という声が溢れた頃、「お久しぶりです」と、再び登場するのだろう。そういうチャンネルも多く見てきた。
しかし、こうなると、悪いのは配信者だけではなくて、ころっと騙される視聴者たちのほうではないかと思えてくる。
視聴者というか、もはや
「特に、この人がヤバいんだよね」
莉々子は、コメント欄を表示させた。
「チエコ」というハンドルネームの視聴者で、このチャンネルの常連だ。前のライブ配信のときも、合計で上限の五万円をスパチャ(投げ銭)していた。
今日も、立て続けに投げ銭している。
「千円、三千円、五千円、五千円......、マジか。今日も合計で五万円!」
二日で十万円の投げ銭をしていることになる。
「チエコって人、金持ってんのかな?」
いや、自分の経験からすると、気前よく投げ銭をする人は、たいがい、それほど裕福ではない。裕福な人は、むしろ、ケチだ。滅多に投げ銭などしない。
「だから、たぶん、チエコという人も、
でも、
カルト教団の訴訟のときに何人かの信者から聞き取りをしたが、みな、
「
莉々子は、ふぅぅと長いため息をついた。
「いずれにしても、チエコみたいなアホな信者がいるから、配信者も図に乗るのよ」
いつだったか、結婚詐欺事件の訴訟があったときも、加害者が妙なことを言っていた。
「僕は、むしろ、被害者ですよ」と。
なぜかと訊くと、
「だって、あっちが、馬鹿みたいに貢いでくるんですよ。そうなると、こっちも、十万円、五十万円、百万円とエスカレートしちゃうじゃないですか。さすがに一千万円までいったときは、断ってくると思ったんですよ。それか、訴えられるか。僕としてみれば、断ってほしかった。彼女と縁を切りたかったから。だから、無茶振りをしたんです。なのに、彼女は一千万円を用意した。もう心底恐ろしくなって、僕のほうから警察に自首したんです」
このときの加害者男性はその道のプロではなく、ただの大学生だった。その大学生をSNSで見つけた四十代の女性が一方的に熱をあげて、大学生にアプローチ。最初はママ活でもしている気分で、あるいは遊び半分でお金をおねだりしていたが、あまりに気前よくお金を貢いできて、挙げ句のはてには、結婚を迫ってきた。薄気味悪くなった男性は、「一千万円くれたら、結婚してもいいよ」と、無理難題を出す。それにもしっかりと応えた女性に恐れをなして、自首をした次第だ。男性はこうも言った。
「僕は詐欺師ではないけれど、結果的に詐欺行為をしてしまった。結婚する気はないのに、結婚をちらつかせて一千万円を用意させたんだから。でも、僕から言わせれば、詐欺行為をさせるあっち側のほうがヤバい。ああいう人たちを
なんていう言い草なのかとそのときは呆れたが、今は、一理あると思える。
詐欺における加害者と被害者は、表裏一体なのではないかと。むしろ、共犯関係なんではないかと。
「高幡さん、お願いしていた契約書、大丈夫ですか?」
ふいに声をかけられて、莉々子の背中がバネのように伸びた。
弁護士(アソシエイト)の、明石(あかし)先生だ。
主婦をしていたが一念発起、三十九歳でロースクールに通いはじめ、四十五歳で司法試験に合格した苦労人だ。
本人曰く、訴訟は苦手なのだという。だからもっぱら、成年後見人や遺言書作成、遺産整理などの仕事を引き受けている。自他ともに認める"終活請負人"だ。
「はい、契約書、用意しております。こちらです」
莉々子は咄嗟にビジネス用の微笑を浮かべた。
契約書の束をぺらぺら捲る、明石先生。
「ありがとう。......うん、完璧。やっぱり、高幡さんは仕事速いわね。朝お願いしたのに、お昼には完璧に仕上げてくれる」
褒められるのは、いつでも嬉しい。莉々子の頬がぐだぐだに緩む。
明石先生の姿が消えると、その代わりとばかりに、藤村が声をかけてきた。
「高幡さん、ずっと動画を見ていたくせに、いつのまに、契約書を? 僕なんて、昨日の昼に頼まれた契約書、まだできてないのに......」
藤村が、疲労困憊というように、肩を竦める。
「コツがあるのよ、コツが」
「どんなコツですか?」
簡単に教えるわけないでしょう。というか、そんな魔法のようなコツなんて存在しない。この数年間で、コツコツと磨いてきたスキルの結晶なのだから。結晶ができるまでに、いったいどれだけの契約書を作成してきたと思っているの。どれだけ徹夜したと思っているの。あんたも、自分自身の努力で結晶を作るしかない。それが、コツよ。
「ね、どんなコツがあるんですか?」
「さあね」
惚けていると、
「コツを教えてくれたら、僕も耳寄りの情報をお教えしますよ」
「は?」
「ギブアンドテイクです」
「その情報による。隣のラーメン屋が百円引きキャンペーンをやってる......なんていう情報だったら、なんの値打ちもないんだからね」
「え? あのラーメン屋、百円引きなんですか?」
「そう。明日まで。......つか、なんで私のほうがあんたに情報を提供しなくちゃいけないのよ!」
「あざーす」
「で、藤村君が握っている情報って? 契約書を速く仕上げるコツに匹敵するほど、値打ちがあるの?」
「あると思います」
「へー。どんな?」
「高幡さん、ずっと、波乱万丈な
「......うん」
こうやって口に出して言われると、猛烈に恥ずかしくなる。
「その動画の配信者の頼子って人、架空だと思っていますよね?」
「あたりまえじゃない。この手の動画は、たいがい、フェイクなのよ」
「でも、頼子って人、実在しているみたいですよ」
「え?」
「ほら、僕って、ホームページの管理も任されているじゃないですか」
急に得意げになる、藤村。まあ、確かに、この事務所のシステム管理のようなこともしている。弁護士になるより、そっちの道に進んだほうがいいんじゃないかと思うほど、知識は豊富だ。
「で、うちの事務所、最近は終活に力を入れているでしょう? その流れで、ホームページにも終活のページを充実させた。......まあ、ほとんど僕が作ったんですけどね」
いちいち鼻につくな、こいつ。
「そのおかげで、終活について相談したいというメールが結構くるんですよ。一日で五通はくる」
「そんなにきているの? 月に百五十通ってこと?」
「そうなりますね。実際に契約までいくのは三十通のうち一つあるかないかなんですけど。その相談メールを振り分けて、管理しているのも僕なんですよ」
だから、いちいち自慢すんな。
「その相談者の中に、"よりこ"という名前があったのを思い出したんです。漢字も、源頼朝の"頼"に子供の"子"」
「ただの、同名じゃない? 珍しい名前でもないし」
「そうも思ったんですけど、でも、職業の欄が"動画配信"ってなっていて、妙に記憶に残っていたんです」
「それも......偶然なんじゃない?」
「そうでしょうかね? 住んでいる場所も同じみたいなんだけど」
「住んでる場所? どういうこと?」
「相談メールがきた頼子さんという人は、鎌倉市の大船に近いところに住んでいます。ご存じですか? 大船」
「まあ、地名だけは。行ったことはないけど」
「で、波乱万丈な
「え? なんでわかったの? 住んでいる場所なんか公表してないはずだけど」
「気がつきませんでした? 頼子さんの部屋の窓から、うっすら大船観音が見えているんですよ」
「大船観音?」
「東海道線の下りに乗っているとですね、戸塚を過ぎて大船に近づくにつれて右手に白くて巨大な石の塊が見えてくるんですけど、知りません?」
「東海道線にはあまり縁がないので」
「いずれにしても、それが、大船観音です。さっき、高幡さんがご覧になっていた動画をちらりと見て、あ、大船観音だって」
莉々子は、慌ててパソコンに当該動画を表示させてみた。
小さなキッチンで、ひたすら料理を作っている
「あ」
よくよく見てみると、キッチン向こうの部屋に腰高窓がある。レースのカーテンで目隠しはしているが、時折風が吹いて、カーテンを揺らしている。
「はい、そこで一時停止」
藤村の突然の指令に、思わず一時停止ボタンをクリック。
「ほら、これですよ、これ」
藤村の指先を追うと、確かに、窓の外にぼんやりと白いものが見える。
「不鮮明ですが、間違いありません。この形は、大船観音です。この大船観音の見え方から、この部屋がどこにあるのかある程度特定もできます」
言いながら、藤村は自身のスマートフォンに指を滑らせていく。
「そう、まさにこのあたり。鎌倉市X町二丁目」
「町名まで特定できるの?」
「おおよそですけどね。......で、終活の相談メールをよこした
「え!?」
「どうです? 名前と職業が同じで、住所までほぼ同じ。ここまでの偶然はそうないですよね?」
「いやいや、そういう偶然もないことはない」
「莉々子さんは、やっぱり手強いな。安易に鵜呑みにしないところが、さすがです。じゃ、これはどうですか?」
藤村は、スマートフォンに指をちゃちゃちゃっと滑らせると、画面をこちらに向けた。そこには、年季の入ったアパートの外観と内観、そして間取り図が表示されている。
「これは、メールをくれた頼子さんがお住まいのアパートの、賃貸入居者募集広告の画像です。頼子さんとは違う部屋ですが、このアパートはどれも同じ間取りのようなので、参考になると思います。......どうですか? この内観、見覚えありませんか? 特に、このキッチン」
波乱万丈な頼子がいつも料理しているキッチンだ!
莉々子は、藤村のスマートフォンを奪い取るように自分のほうに近づけた。
「ね? ここまで来たら、ほぼ同一人物でしょう?」
「.........」
「さあてと。僕が持っている情報は提供しました。莉々子さん、今度はあなたが持っているコツ(スキル)を僕に提供する番ですよ」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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