もぐら新章 青嵐第一七回

第1章(続き)

「お先に」
 飯嶋は夜間の職員に声をかけ、職員室を出た。
 午後六時を回ったところだが、外はとっぷりと暮れている。吹き付ける寒風に背を丸め、とぼとぼと駐車場へ向かった。
 これから帰って、晩飯を食べて、風呂に入って、少し子供たちの更生に役立つ書物を読んで、寝るだけ。
 よほどのトラブルがない限り、これが飯嶋のルーティンだ。この生活をもう二十年以上続けている。
 妻子はいない。ずっと独り身だ。
 それなりに付き合っていた女性は何人かいたが、彼女たちとは結婚できなかった。
 当時は、普通の家庭というものにまったく興味がなかった。
 欲するのは、ひたすら薬物。より強く、より夢を見させてくれる薬物を求めて、すべての力を注いだ。
 結果、すべてを失った。
 人間関係はもちろん、住まいも金も、貴重な時間も――。
 逮捕されるたびに後悔し、薬物を断つことを強く心に誓うが、出所して壁にぶつかると誘惑に負けてしまう。
 そんな弱い自分が家庭など持てるはずもない。
 看守やカウンセラーは、他人のために生きられるようになれば、それだけで大きな歯止めになると言っていたが、しばらくは、そんな単純な話ではないと拒否していた。
 一方で、何かをしなければ、何も変わらないとも感じていた。
 惑う飯嶋に声をかけてくれたのは、最後に入所した刑務所に説法をしに来ていた僧侶だった。
 彼は保護司(ほごし)をしていて、一度、自分の活動を手伝ってくれないかと誘われた。
 散々迷惑をかけてきた自分のような人間に人助けができるわけがないと、一度は断わった。
 しかし、僧侶は、犯罪に走る者の痛みと苦悩を知るからこそ、真の手助けができるのではないかと説いた。
 そして、更生する彼らと向き合うことは、自分と向き合うことでもあると。
 飯嶋は、そうかもしれないと思い直した。
 これまで、自分自身と正面から向き合ったことはなかった気がする。
 何も変わらないのかもしれない。だが、動かないよりはマシだ。
 飯嶋は出所後、寺に住み込み、僧侶とともに更生施設で働き始めた。
 初めのうちは、自分と変わらない連中を前にして、嫌な気分にさせられた。同族嫌悪というやつだ。
 自分の弱さを出自や社会のせいにして、犯した罪を正当化しようとする。
 まるで、刑務所を行ったり来たりしている自分を見ているようだった。
 少年たちの態度に怒りを覚える。同時に、彼らがそうした道へ走ってしまった憤りも、我が事のようにわかる。
 彼らを弱い、甘いと非難し、強くなれとはっぱをかけても、何の意味もない。
 そうなるまでに、彼らは、普通に生きる人々が想像もできないほどの苦痛を味わわされている。
 表から見てわかりやすい虐待もあれば、一見普通でも胸の内では息もできないほど苦しんでいることもある。
 飯嶋もそうだった。
 飯嶋はわかりやすい部類だった。
 父は仕事もせず、暴力をふるうダメ男で、母は父と一人息子を残して出て行った。
 母が出て行ったあとは、父の生活はますます荒れ、昼間から酒を飲んでは女を家に連れ込み、快楽を貪るようになった。
 働いていないので、快楽の原資はすべて借金。消費者金融で借りられなくなると、高利にまで手を出し、それも借りられなくなったら、飯嶋が進学のためにと年齢を偽ってバイトして貯めた金を奪ってまで、非道を繰り返した。
 どうすれば、こんなクズができあがるのかと思うほどの父親だった。
 父のようになりたくないと、飯嶋はなんとかまともに生きようと必死になった。
 しかし、十代半ばの子供にとって、それは大きなストレスとなった。
 飯嶋は何度金を奪われようとアルバイトを続け、金を貯め、なんとか高校に進学した。
 そして、大学を目指して勉強をしながらアルバイトに精を出す生活をしていた時、父が失踪した。
 借金取りに追われ、飯嶋を置いて逃げたのだ。

もぐら新章 青嵐

Synopsisあらすじ

最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄の暴力団組織「座間味組」や、沖縄の開発利権を狙う東京の「波島組」との戦闘を乗り越えた竜星だったが、親友の安達真昌とともに己の生きる道を模索していた。(もぐら新章『血脈』『波濤』)

そして今、沖縄随一の歓楽街に、不意の真空状態が生じていた。松山・前島エリアに根を張っていた座間味組は解散し、そのシマを手中に収めようとした波島組も壊滅状態。その空隙を狙うように、城間尚亮が、那覇の半グレたちの畏怖の対象だった渡久地巌の名を担ぎ出して、動き出したのであった……。

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が110万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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