もぐら新章 青嵐第六回

第一章

1(続き)

 節子は微笑みを向けた後、竜星に言った。
「紗由美(さゆみ)ちゃん、今日も遅くなるそうよ」
「忙しいんだな、おばちゃん」
 真昌がノートに目を向けたまま言う。
「人材派遣の話?」
 竜星が訊いた。
「詳しいことはわからないんだけどね」
 節子が言う。
 紗由美は変わらず、人材派遣部門の新設スタッフとして、立ち上げ準備に追われていた。
 コロナの影響で観光客が激減し、今、ホテルの従業員はあぶれている状況だった。
 国や県の支援でなんとか生き延びていたホテルも、ぽつりぽつりと廃業し始めた。
 新設中のホテルの中には、トイレや壁材など、必要な資材が届かず、建設を中断しているところもある。
 周辺産業の土産物店や菓子や原料の製造会社も瀕死の状態。県の有効求人倍率も一倍を割っている。
 にもかかわらず、人材派遣会社の需要は高い。特に、マッチングアプリシステムによる短期、超短期の人材需給は活況を呈している。コンビニや農業などで、必要な時に必要な人数だけを集められる点が支持されている。
 紗由美が関わっている人材派遣部門も、当初は対面での人材確保を目指していたが、世の中がリモートワークに傾いていく中、システムの開発と人材の受け入れ先の開拓にシフトし、尽力することとなった。
 経営計画が柔軟であることは悪くないが、大きく方針を変更されると、一から築き直さなければならなくなり、手間が増える。
 紗由美は今、そうした状況下に置かれていた。
「まあでも、仕事が忙しいというのはいいことね」
「そうですかあ? あんま忙しいと、自分の時間がなくなるじゃないですか。それは嫌だなあ」
 真昌が言う。
 と、節子は目尻に深い皺を刻み、微笑んだ。
「若い頃は、仕事だけじゃなくて、遊びたいものね。若い人たちが、仕事よりプライベートを大切にしたいという気持ちはわかる。けどね。歳を重ねるほどに、仕事があるということにとてもありがたみを覚えるようになるのよ」
「俺はならないと思うなあ」
「なるわよ。仕事があるというのは、イコール、誰かに、社会に必要とされているということだから。人はね。若い頃は自分のために生きられるけど、歳を取るほどに自分のためだけには生きられなくなるの。だから、求められている時に精一杯、その気持ちに応じて、自分の居場所を作る。それが大事なのよ」
 節子が深みのある柔らかな声で話す。
「そんなもんなんですかね?」
 真昌がきょとんとする。
 節子は笑って、
「まだ、わからなくていいわよ。今晩はチャンプルー作るからね」
「そいつは、いただきます」
 真昌は頭を下げた。
 節子は竜星と目を合わせて微笑み、部屋を出た。
 自分の居場所、か......。
 竜星は節子の話を噛み締めつつ、勉強に戻った。

(続く)

もぐら新章 青嵐

Synopsisあらすじ

最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄の暴力団組織「座間味組」や、沖縄の開発利権を狙う東京の「波島組」との戦闘を乗り越えた竜星だったが、親友の安達真昌とともに己の生きる道を模索していた。(もぐら新章『血脈』『波濤』)

そして今、沖縄随一の歓楽街に、不意の真空状態が生じていた。松山・前島エリアに根を張っていた座間味組は解散し、そのシマを手中に収めようとした波島組も壊滅状態。その空隙を狙うように、城間尚亮が、那覇の半グレたちの畏怖の対象だった渡久地巌の名を担ぎ出して、動き出したのであった……。

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が110万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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