2019 06/07
日本ノンフィクション史 作品篇

第16回 アカデミック・ジャーナリズムの可能性④――平松剛『光の教会 安藤忠雄の現場』『磯崎新の「都庁」』と渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』『北の無人駅から』

■渡辺一史『北の無人駅から』

渡辺一史『北の無人駅から』(北海道新聞社、2011年) 北海道の6つの無人駅を起点に、それぞれの小さなまちに生きる人々の生活や苦悩を描き出した。第16回林白言文学賞(2012年)、第12回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(草の根民主主義部門、2012年)、第34回サントリー学芸賞(社会・風俗部門、2012年)、第26回地方出版文化功労賞(2013年)受賞作。

 さて、平松が建築を一貫したテーマとして大宅賞とサントリー学芸賞を受賞したのに対して、渡辺の第二作は“障害者もの”ではなかった。『北の無人駅から』からも冒頭に近い部分を引いてみる。

《その駅に初めて降り立ったときの正直な感想は、「すぐにでも帰りたい」だった。
 東室蘭駅から2両編成の鈍行列車に揺られること1時間ちょっと。室蘭本線で最長のトンネル「新礼文華山(しんれぶんげやま)トンネル」(2,759メートル)を抜けると、そこが小幌だった。
 降りたのは、案の定、私一人である。
 トンネルにはさまれた、列車1~2両分ほどの短いホーム。走り去る列車のエンジン音が遠のくと、あたりは不気味な静寂に包まれた。
 トンネルから漂ってくるのであろう、燃料の焼けたようなにおいと、強烈な草のにおいがする。ホームの北側は山である。頭上にときおり車の音が聞こえるので、道路は案外近いのかもしれない(地図上の直線距離で1キロ弱)。そう思って、ホーム横を流れる沢づたいに斜面を少しのぼってみるが、草また草で、道路へ通じる道があるのかないのかさえ判然としなかった。つまり、列車なしにはここから動けない、逃げ場のない空間ということだ。》

『北の無人駅から』で取り上げられる6つの無人駅のひとつ、小幌(こぼろ)駅の描写である。この最初の訪問から、渡辺は駅の歴史や、そこに関わった人々の取材へと進んでゆく。

『こんな夜更けにバナナかよ』とはがらりと異なるテーマを選んだのはなぜだったのか。《おわりに――北海道と私》から著者の言葉を引いてみる。

《私がこの本に取り組むことになったきっかけは、冒頭に書いたように、20代の頃からバイク旅行の際に、軒先を借りてきた「無人駅」というものの存在に魅かれたことである。
 しかし、もう一つの大きなきっかけがあった。
 それは、「北海道」について書きたいという思いからだった。》

 渡辺は北大の学生時代からミニコミ誌を発行し、大学を中退してからも観光情報誌に記事を書くフリーライターだった。『こんな夜更けに~』は渡辺がライターをしているのを知っていた北海道新聞の記者が仕事を持ちかけたことから始まっていたが、『北の無人駅から』は彼自身の企画だった。

 観光情報誌や観光案内パンフレットに記事を書く仕事を通して、さまざまな「北海道」についての文章を書いていたとき、《「ウソ」ばかり書きつらねてきた、という思いが強》かったと渡辺は書く。手抜き仕事をしたわけではない。だが《一定の企画意図に基づき、ある“定型”を逸脱しない範囲内で、自明な“落としどころ”に向かって、誰もが安心するおなじみの「北海道」を発信しつづけてきた》と自分の仕事ぶりを評する。そして一念発起して『北の無人駅から』に取り組む。

《もっと「本当のこと」を書かなければならない――。この20年間で、私が見たこと、感じたこと、考えたことのすべてをこの本の中に封じ込めたい。この本の取材と執筆に取り組みながら、私が憑かれたように思い続けてきたのは、そのことだった。》

 この作品が、なぜサントリー学芸賞に選ばれたのか。この作品の選評も袴田茂樹が書いていた。

《最初からグイグイ引き込まれる。酔って列車に轢かれ両足を失ったアイヌの文太郎が、もの凄い気力と体力、漁の腕前により、文字も読めないのに「アタマのええ」船頭として清水次郎長的な親分になる話。よそ者である都会人の自分勝手な「自然保護」の意識とはまったく違う感覚で、信念を持ってタンチョウやオオカミを相手に暮らしている「頑固な変人」たちとの心温まる交流。陸の孤島の漁村に道路が通じて変わる漁民たちの生活と心。また、こういう地元の人たちに、心を開いてもらうまでの涙ぐましい著者の努力。
 われわれが上からの目線で切り捨てる世界を、このように愛情をもって魅力的に浮き彫りにする作者の力量は、単に優れた観察力や文章力ゆえではなく、彼の人間性ゆえでもあろう。》

 読んでいて民俗学者宮本常一の名著『忘れられた日本人』を思い出したと袴田は書く。確かに宮本もまた地方の人々の暮らしと語りを、民俗学研究のレベルを保ちつつ、それを誰をも魅惑する味わい深い文章で綴っていた。そんな宮本を連想させるというのは、この作品もまた現代社会を扱う民俗学的調査のヴァリエーションたりえており、その意味で研究、評論を対象とするサントリー学芸賞の受賞作としてふさわしいということだろう。

 ただし袴田は苦言もあえて書いている。

《個別のミクロ世界も、確かな眼で穿つと、自ずと普遍の世界につながる。しかし、意識的に普遍化しようと安易に理屈や論に走ると、一挙に生彩を欠く。本書でも、本来の手作り的な「有機農業」と北海道の「クリーン農業」の違いに関連して、農業指導員の苦労話などを具体的に語るのは面白い。しかし、その先に進んで著者の農業政策論、TPP論などに及ぶと、たちまち平板な紋切り論になり個性が消える。》

《宮本常一が一般化を敢えて禁欲した意味を著者はしっかり噛みしめて欲しい》と袴田は書く。「論」に傾く部分で生彩を欠いている欠点については、研究、評論を対象とするサントリー学芸賞の選評として、やはり触れておかなければならないわけで、袴田はその義務を果たしている。

 だが「論」としては評価しなかったが、それでも《広く社会と文化を考える独創的で優れた研究、評論活動》と認めたのは、論に至らない《多くの無名の人たちの生き様を、直接の聞き取りや資料調査で微に入り細にわたって描いた》部分に大きな価値を認めたからだ。

 そこでは平松の場合とは異なる「知」のあり方が評価されている。平松の場合、建築学の教育を受け、現場経験を積んで身につけた専門知が評価された。渡辺にそうした専門知はない。しかし取材を通じて認識を改め、自分自身が変わってゆく、そうした経験を積み、それを書いて読者にも変化をもたらす。

 こうした知のあり方について思い出すのはベストセラーとなった『バカの壁』のなかで養老孟司が語っていたことだ。養老は東大教授時代に東大出版会の理事長をしていたことがあった。その時に一番売れた本が『知の技法』だった。知を得るのにあたかも一定のマニュアルがあるかのようなスタイルを採用したその本が養老には気に入らない。

《何でこんな本が売れやがるんだ、と思って、出版会の中で議論したことがある。結局、答えが得られない。私以外は、そんなことを気にしてはいなかったのでしょう。
 その後、自分で一年考えて出てきた結論は、「知るということは根本的にはガンの告知だ」ということでした。学生には、「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話してみます。》
《その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。》

 本当の知は自分を変えてしまう力を持っている。知る前の自分にはもう戻れない。マニュアル的な『知の技法』に養老が噛み付いたのは、アカデミズムの専門知も本来はそうしたものであるべきだという考えからだった。マニュアルもそうだし、専門性に閉じこもり、仲間内で僅差を争うようなアカデミズムの研究姿勢でも、知る人自らが変わってしまうような知識はなかなか提示されない。

 ところが渡辺の『こんな夜更けに~』は著者を変え、読者を変えてしまうかたちで身障者とボランティアの姿を描いた。大宅賞の選考委員だった藤原はそんな知識のあり方に感動したのだ。『北の無人駅から』も同じだ。知ることで「北海道」に対する見方ががらりと変わってしまうような驚きがある。そこに、アカデミズムでもそうあるべき本来の知のあり方、凄みを感じたからこそ、「論」に流れがちな欠点を認めつつも、袴田はその作品をサントリー学芸賞にふさわしいと考えたのではないか。

 ただ、ここでも人間を描き、よりジャーナリズムらしい『こんな夜更けに~』が大宅賞を受賞し、人間を描きつつ北海道という地方のあり方をも描き出そうとして、どちらかといえば評論に寄っている『北の無人駅から』がサントリー学芸賞を受賞している。平松の二作もそうだったが、それぞれの性格を思えば妥当な配置ともいえるものの、ジャーナリズムか、アカデミズムかの二分法のなかにぎりぎりで留まり、ジャーナリズムとアカデミズムを総合するアカデミック・ジャーナリズムにもう一歩届かない口惜しい印象も残る。

 大宅壮一ノンフィクション賞とサントリー学芸賞をともに獲得している書き手が登場したのだから、次には両賞を同時に受けるような作品の登場に期待したい。その作品こそまさにアカデミック・ジャーナリズムの名にふさわしいものになるのではないか。そして、そうした作品を正しく評価するためには、戸坂にならって、アカデミズム界の住人は停滞しがちなアカデミズムに刺激を与えるジャーナリズムの、ジャーナリズムの側でも皮相化しがちなジャーナリズムを牽制して原理的な検討に向かわせるアカデミズムの効用を、それぞれ理解する必要性があるだろう。(以下次回)

武田徹(たけだ・とおる)

1958年東京都生まれ。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。国際基督教大学大学院比較文化専攻博士課程修了。80年代半ばからジャーナリストとして活動。専門は社会学、メディア論。著書に『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『暴力的風景論』(新潮選書)、『日本ノンフィクション史』(中公新書)など。