もぐら新章 波濤第六回

第1章(続き)


 綱村啓道は、スポーツバッグを一つ持ち、熊本刑務所の玄関を出た。
 陽の光を浴びて、両腕を大きく上げ、伸びをする。
 後ろにいた看守長が声をかけた。
「綱村、これからどうするんだ?」
「まあ、少し羽伸ばして、地元に帰りますよ」
「あてはあるのか? 更生保護施設を紹介してやってもいいんだぞ」
 看守長が言う。
 綱村は看守長を見下ろした。
「先生。俺は出所した後、あれこれ言われたくねえから、仮出所も断わって、刑期を務め上げたんです。外に出てまで、四の五の言われる筋合いはねえ」
 太い眉を上げ、大きな目で看守長を睨む。
「まあ、給料が二十万くらいあるんで、なんとかしますよ」
 綱村は笑顔を見せた。
 給料というのは、刑務作業の報奨金だ。年間で二万円にも満たない金額だが、綱村は日用品の購入以外にはほとんど使わず、二十年近い刑期の中、報奨金を貯蓄した。
「綱村。おまえは本来、真面目な男だ。一度こうと決めたことをやり通す気概もある。表の世界で生きていこうとは思わんか?」
「先生、勘違いしねえでください。俺はそういうヤツだから、一度決めたヤクザの道をまっとうするんですよ」
 そう言う綱村に気負いはない。
 看守長は目を伏せ、ため息をついた。
「まあ、おまえの人生だ。これ以上は言わんが、できれば二度と、事は起こすなよ」
「一般人を巻き込むようなまねはしません。ただ、逆らうヤツは一般人とは認めませんがね」
 綱村は笑みを濃くした。
「世話になりました」
 頭を下げ、歩きだす。
 看守長が、不安げに綱村の背中を見送る。
 綱村は看守長の視線を感じつつも、二度と振り向かず、表門を出た。
 県道145号線を東へ歩く。豊肥本線の東海学園前駅へ向かうつもりだった。
 白川支流の川の端に差しかかった時、黒塗りのセダンが近づいてきた。綱村の脇で停まる。
 綱村は足を止めた。運転手を睨みつける。運転手は降りてきて、綱村の方を向きもせず、右の後部ドアを開けた。
 グレーラメのスーツを着た男が脚を出した。上着の前ボタンを留めながら、ゆっくりと降りてくる。
「綱村、務めご苦労」
 男は立って、綱村に笑みを向けた。
「......生長の叔父貴、ですか?」
「太っちまったし、頭も白くなって薄くなっちまったがな」
 生長が口角を上げる。
「ご無沙汰しております」
 綱村は深々と頭を下げた。
「わざわざ、波島の若頭に出迎えていただいて――」
「何、言ってんだ。今は組長だ」
「ほんとですか! 犀川の親父さんは?」
 綱村は目を丸くした。
「まあ、立ち話もなんだ。乗らねえか?」
「ありがたいんですが、まだ、うちの連中にも会ってねえし、親父にも連絡してねえんで、遠慮させていただきます」
「古謝の兄貴の件で話があんだ」
 生長が真顔で見つめた。
 綱村は生長を見返した。
「わかりました」
 綱村が言う。
 生長が車内に戻った。運転手がドアを閉める。運転手はその足で、左後部に回った。
「こちらへどうぞ」
 ドアを開く。
 後方から車が来ていた。迷惑気な顔で綱村たちを睨む。綱村は睨み返した。
 後ろの車の運転手は、綱村の迫力に気圧され、目を伏せた。
 後部左のシートに乗り込む。運転手はドアを閉め、運転席へ走った。すぐ、発進する。
 生長は、今年四十七歳になった綱村の五つ上だ。座間味組組長の古謝とは犀川を通じての古い知り合いでもある。
「親父に何かあったんですか?」
 綱村がすぐに訊いた。
「座間味組が解散した」
「なんだと!」
 大声を張った。
 運転手は驚き、ブレーキを踏んだ。生長が前のめりになる。綱村は助手席のシートに顔面をしたたかに打ちつけた。
「何やってんだ! ちゃんと運転しねえか!」
 生長が怒鳴った。
「すみません!」
 運転手はあわてて謝り、再び車を出した。
「どういうことですか、叔父貴!」
「でけえ声出すな。落ち着け」
 生長は顔をしかめて、諭した。
「落ち着いてられますか!」
「話するから、静かにしろって言ってんだ」
 綱村を睨む。
「すんません」
 綱村はシートに深く座り直した。
 生長は綱村が落ち着くのを待って、やおら口を開いた。
「まずは、おまえに謝らなきゃならねえ。この通りだ」
 生長は太腿に両手をつき、頭を下げた。
 綱村が驚く。
「何なんですか、叔父貴。頭上げてください」
 あわてて促す。
「いや。兄貴の組を潰すきっかけを作ったのはうちなんだ」
「どういうことですか?」
 綱村は生長の頭を睨んだ。
 生長は顔を上げた。
「うちの企業舎弟(しゃてい)の仕事を手伝ってもらったんだがな。そいつがしくじって、結果、兄貴とおまえの組に迷惑かけることになっちまった。それでうちの親父も引退せざるを得なくなったんだが、代替わりしても、詫びるに詫びきれねえ」
 再び、頭を下げる。
「叔父貴、何があったんです? 話してください」
 綱村は何度も頭を下げる生長を見て、怒るに怒れなかった。
「うちのフロント企業が、スマートシティーの利権を獲ろうとしていたんだがな──」
 生長は事の顛末を語り始めた。
 綱村は話のうちの半分もわからない。IT産業が大きく飛躍し、変化した時代、刑務所の中で過ごしていた。
 生長のことは昔から知っていたが、まるで宇宙人が話しているようにも聞こえていた。
 ただ、要点はわかる。
 要するに、円谷公紀(つぶらやこうき)という〈天使のはしご〉の社員と、渡久地巌という元組員が裏切り、波島組のフロント企業である〈未来リーディング〉を破綻に追い込み、その余波を受けて、波島組は縮小して組長だった犀川哲郎は引退、座間味組は壊滅に追い込まれたということだ。
 どのような理由があろうと、綱村は、一度忠誠を誓った親を裏切るような真似をする者は許さない。
 円谷は死んだらしいが、渡久地巌は大分刑務所に服役中だという。
「それとな。この話には、もう一人、大きな罪を犯した者がいるんだ」
「誰です?」
「影野(かげの)竜司」
 名前を聞いて、綱村が気色ばんだ。
「もぐらですか?」
 生長が頷く。
「ヤツは死んだでしょう」
「ヤツの遺産だ。最終的に兄貴の組を潰したのは、影野とタッグを組んでいた楢山、楢山とつるんでいる糸満の金武と道場の連中、それと──」
 生長は綱村を見据えた。
「影野の一人息子、安達竜星」
 生長が言う。
 綱村は奥歯をぎりぎりと噛みしめた。今にも暴れ出しそうな怒気を放っている。
「くそったれが......」
 握る拳がぶるぶると震えた。
 影野竜司と出会う機会はなかった。が、名前はよく知っている。
 久茂地(くもじ)や松山、辻といった那覇市内の繁華街で〝もぐら〟と呼ばれている男に何度もしのぎを邪魔されたという話が耳に届いた。
 綱村は、自分が叩きのめそうとしたが、古謝に手を出すなと止められていたため、我慢した。
 手をこまねいているうちに、綱村は逮捕され、刑務所へ送られることになった。
 その後も、差し入れに来る者から竜司の話は聞いていた。
 綱村一派が検挙されて組が弱体化していく過程に、竜司とその一派の存在も大きな役割を果たしていたらしい。
 綱村は、出所後は必ず影野竜司を潰すと心に決めていたが、収容されてまもなく、竜司が死んだと聞かされた。
 綱村は憤った。
 自分のシマ内で勝手な真似をしていた者を排除できず、顔も知らないまま死なれてしまった。
 せめて、一度でも対峙していれば納得もいったが、何もできないまま好き勝手に荒らされ、逃げられてしまったような気がした。
 綱村は刑務所の中で、出所後に縮小した座間味組の勢力を再び復興させることでその無念を晴らそうと思っていた。
 だが、肝心の組がなくなった。
 しかも、潰したのは影野竜司に関係のある者だという。
 やはり、自分が刑務所へ入る前に潰しておくべきだったという後悔の念が沸き立ち、それが怒りに変わっていく。あまりの憤怒に血の気を失い、身震いした。
「叔父貴。空港に送ってもらえませんか」
「どうする気だ?」
「すぐ、島に帰って、全員ぶち殺しますんで」
 綱村は声を震わせた。激しい怒気が声色に滲む。
「空港には送ってやる。だが、行き先は東京だ」
「内地に用はねえ」
 綱村が目を剥く。
「気持ちはわかる。しかし、連中をぶち殺した後、どうするんだ?」
「そんなこと考えてねえよ」
「バカやろう!」
 生長が怒鳴った。
 綱村はますます目を剥き、生長を睨みつける。生長も退かず、睨み返した。
 運転手は、車内に充満する張り詰めた空気に息が詰まりそうだった。ちらちらとバックミラーで様子を確認しつつ、とばっちりを浴びないよう、慎重に運転する。
「てめえがそんなんだから、座間味が潰されたんだろうが!」
「なんだと! 叔父貴のとこがしくじったからでしょうがよ!」
「最終的にはそうだが、そこまで弱らせたのは誰だ? そもそもは、てめえが兄貴が止めるのを無視して、勝手に相手の組にカチコミかけてパクられたせいじゃねえのか?」
 生長が痛いところを突く。
 綱村は言葉を飲み込んだ。
「てめえがもう少し考えて、務めもこんなに長くならねえようにしときゃあ、座間味が渡久地や竜星みたいなガキに舐められることもなかった。違うか?」
 さらに追いつめる。
 綱村はぐうの音も出なかった。
 確かに、暴れまくって長い懲役を食らうようなことがなければ、なんとかできた。少なくとも、一般の者にまで踏み込まれるようなみっともない事態は避けられただろう。
「てめえの力は認める。てめえが座間味のシマを大きくした功績も認めてやる。だがな。てめえがてめえ勝手に暴れたツケはでけえ。何も考えねえで暴れりゃこうなるって、わかりやすい話になってるじゃねえか」
 生長が畳みかける。
 立ちかけていた綱村は、静かに腰を下ろした。肌が白むほど拳を握り締め、震えている。が、もう返す言葉がなかった。
「ここまで言うつもりはなかったんだが。すまねえな」
「いえ、叔父貴の言う通りです」
 綱村がうなだれる。
「なあ、綱村。おまえの望みはなんだ?」
「俺は、うちを潰した連中を──」
「座間味の復興じゃねえのか?」
 生長が言う。
 綱村は顔を上げた。目を見開く。
「古謝の兄貴は解散届を出したが、本意じゃなかったはずだ。無念だったろうと察する。おまえを待ってた座間味の連中も、さぞ悔しい思いをしてんだろう。兄貴や仲間の思いを拾ってやるのが、おまえの役目じゃねえのか?」
 生長が諭すように語りかける。
「竜星たちをぶちのめしゃ、おまえは気が済むだろうが、そりゃ、座間味の最後っ屁みてえなもんだ。やっぱ、座間味は暴れるだけの能無しだと笑われるだけだ。それはよ。兄貴とおまえが大事にしてきた座間味そのものを笑われることでもあるんだ。おまえにしても本意じゃねえだろ」
「そりゃそうです。でも、いっぺん解散したものを、どうやって再興するってんですか?」
「何が必要だと思う?」
「事務所にシマにしのぎに──」
「まずは金が要るだろうよ。事務所構えるにも金がかかる。仲間を集めるには仕事もいる。手伝ってやるよ」
「叔父貴がですか?」
 綱村は生長を見つめた。
「うちも、沖縄の一件は頭にきてんだ。いろいろあったにせよ、結果、うちの大事なしのぎを全部持っていかれることになったからよ。本当は島に乗り込んで、全員ぶち殺してえんだが、今、それをやっちまえば、うちも潰れちまう。古謝の兄貴も、気持ちはうれしいが、うちまで潰れちまったら、それこそ申し訳が立たねえと言ってくれてな」
 生長は顔を背け、目頭を指で揉んだ。
 綱村には、生長が滲んだ涙を拭っているように見えた。
「なもんで、まずは土台を立て直すことに力を注ぐことにした。その話におまえも乗せてやる。そして、土台を固めた上で、座間味を復興しろ。そうすりゃ、兄貴も喜ぶ」
「親父が......」
「ああ。兄貴はもう、渡世(とせい)の道には戻らねえと言ってるから、おまえが頭を張りゃあいい。おまえが座間味を再生して、二代目を継ぐと聞きゃあ、兄貴も本望だろうな。しっかりと組を起ち上げた後、渡久地や竜星をぶちのめしても遅くはねえ」
 生長が言う。
 綱村はうつむいた。
「ともかくよ。俺たちの話を聞け。その上で、座間味の再興より、竜星たちをぶちのめす方が大事ってんなら、もう止めねえ。好きにすりゃあいい。どうだ?」
 生長が迫った。
 綱村は逡巡した。
 生長の言うことに理はある。しかし、自分に頭を張る器があるとも思えない。
 それに、古謝が解散させた組を勝手に再興していいのかも疑問だ。どんな理由があるにせよ、組長が自ら解散を宣言するというのは、この世界ではとてつもなく大きなことだ。古謝自身、悩みに悩んだ末、出した結論だろう。
 勝手に復興させるのは、古謝の苦悩に泥を塗る話にもなりかねない。
「叔父貴。親父は今、どうしてるんですか?」
「引退後は、姐さんと二人で島を出て、東北の温泉地で暮らしている」
「島を出たんですか!」
「仕方なくな。勢力が衰えていたとはいえ、松山といやあ座間味だったろ。解散、引退はしたものの、やはり、兄貴をおもしろくなく思う者がいてな。跳ねた連中に襲われないとも限らねえから、俺が進言したんだ。本意じゃねえだろうが、島を離れてくれってな。兄貴も渋々了解してくれた」
「親父に会わせてくれませんか?」
「それはできねえ」
 生長が断ずる。
「今、おまえの顔を見りゃあ、兄貴も姐さんも里心がついちまう。そりゃ、残酷というものだ。だがな。おまえがもう一度、島で力を持ちゃあ、兄貴も姐さんもまた島に戻れる。それを手土産に、兄貴を迎えてやったらいいじゃねえか。兄貴もきっと喜ぶよ。今は会う時じゃねえ」
 生長は優しげな声で話し、綱村を見つめた。
 綱村は目を閉じた。そしてゆっくりと顔を上げる。
「......わかりました。座間味再興の件は、とりあえず、叔父貴の話を聞かせてもらってからでいいですか?」
「当然だ。じっくり考えてくれりゃあいい。おまえも出てきたばかりだからな。うちで少し、のんびりしろ」
 生長は綱村の二の腕を叩いた。腹の中でほくそ笑む。
 綱村を乗せた車は、そのまま熊本空港へ走り去った。

もぐら新章 波濤

Synopsisあらすじ

序章と第一章を公開中!

続きは、文庫『もぐら新章 波濤』(2020年3月19日発売)で

お楽しみください!



最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。ひょんなことから、暴力団組織・座間味組が手がける犯罪に巻き込まれ、かつて父・竜司とともに数々の難事件にあたってきた仲間たちとともに事件解決に乗り出した竜星は、度重なる危機の中で亡き父から受け継いだ「最強の血」を覚醒させる。(『もぐら新章 血脈』2018年3月刊)

座間味組を解散に追い込んで一年余、高校三年生の竜星は平穏な日々を送っていた。ところがそこに、かつて座間味組の武闘派グループを率いていた最凶の男・綱村啓道が刑務所から出所しようとしていた……

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が100万部を突破しブレイクした。他の著書に、「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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