もぐら新章 波濤第一回

序 章


 午前零時を回っていた。
 佐東孝彦(さとうたかひこ)は、吉祥寺にある〈那波リゾート〉本社ビルの五階、社長室にいた。
 着ていた上着は床の端に放られ、ネクタイも緩み、ワイシャツのボタンは半分ほど飛んでいる。
 目元や頬は腫れ、口からしぶいた血が白いワイシャツを赤く染めていた。
 佐東は傷ついた状態で正座させられていた。
 目の前には応接セットがあった。
 ソファーには、那波リゾート社長・那波哲人(ななみてつと)、人材派遣会社〈オパール〉の社長・沖谷令子(おきたにれいこ)、同じく、人材派遣会社〈ハピマン〉の顧問・生長丈士(いくながたけし)が座っていた。
 三人は冷たい目で、佐東を見下ろしている。
 佐東は顔を上げられず、太腿に置いた両手を握り締め、震えていた。
「さて、どうしましょうかね、こいつ」
 那波は右手の中指に嵌めた金の指輪をいじりながら、佐東を見据えた。
「沈めるか?」
 生長がうっすらと笑う。
 佐東は首をすくめ、ますます小さくなった。
「まあ、待ちなさいよ、二人とも」
 令子は笑みを浮かべて脚を組み、胸下で腕を抱き、佐東を見つめた。
 しかし、佐東には、令子の視線が最も恐ろしかった。
 佐東は、経済産業省地域経済産業課の職員だった。
 転機は三年前。大学の同期の友人に誘われ、財界関係のパーティーに顔を出した時だった。
 そこで、人材派遣会社の最大手〈オパール〉を女手一つで築き上げた沖谷令子を紹介された。
 小ぎれいなスカートスーツに身を包み、髪をアップにまとめている姿や丁寧な話しぶりは、キャビンアテンダントのようだった。
 それでいて、仕事に対する熱意が全身からにじみ出る。
 できる女性像そのものだった。
 以来、佐東は令子と何度か会食をした。官僚が特定企業の経営者と親密になるのは、あまり褒められた話ではないが、彼女の豊富な知識や見識に魅了され、親睦を深めていった。
 そうした中、ある会食で引き合わされたのが、那波と生長だった。
 その時は四人の会食で、令子はいつにもまして饒舌にビジネスについて語っていた。機嫌がよかったのか、従業員に頼み、四人で写真も撮った。
 会食が進み、食事が終わる頃に令子が口にしたのが、沖縄県北部にテーマパークを建設する構想が具体化しているという話だった。
 それは、佐東の耳にも入っていた。
 沖縄振興局が進めている地域振興計画で、土地接収の目途もつき、近々、コンペと入札が行なわれるだろうという話だ。
 佐東も詳細は知らなかったが、令子は的確な情報を得ていた。
 その情報の出所が、与党の衆議院議員・千賀理(せんがおさむ)だということも明かした。
 千賀は当選三回の議員で、現在五十七歳。経済産業大臣政務官や内閣府の沖縄及び北方対策担当大臣政務官などを務め、次世代のホープの一人と目されていた。
 だが、度重なる失言がマスコミに取り沙汰され、国民からの人気も凋落し、今では役職もなく、一議員に甘んじている。
 令子はそこまで裏情報を明かしたのち、こう切り出した。
 私たちでグループを組んで、このテーマパーク構想に参画しましょう、と。
 正直、まずい会食に同席したと思った。
 令子が、自分に何を望んでいるのか気づいたからだ。
 佐東は、この計画に直接絡んでいないものの、情報を知り得る立場にいる。
 つまり、入札価格を調べてこいということだった。
 佐東は、やんわりと距離を置いて、令子たちから離れるつもりだった。
 が、そうはいかなかった。
 生長が〈波島組〉の組長だと聞かされたからだ。
 表向きは人材派遣会社の顧問だが、〈ハピマン〉という会社は、実は生長の企業舎弟が経営するフロント企業だと知らされた。
 会食の途中に写真を撮ったのは、そういう意味だった。
 生長が現役のヤクザだと知れれば、そこに同席していた佐東は確実に出世の目が絶たれる。省内での立場もなくなり、官僚を辞めざるを得なくなるだろう。
 公務員にとって、反社会的勢力との付き合いは致命的だ。
 もっと慎重になるべきだったが、時すでに遅し。令子たちの計画に乗るしかなかった。
 佐東は沖縄北部で進むテーマパーク建設構想の情報を集め、テーマパーク内に建設されるホテルの落札金額をほぼ間違いないところまでつかんだ。
 令子たちは、那波リゾートを中心としたグループを作り、このホテル建設と経営に関する権利を落札しようと奔走した。
 そして、一般競争入札の日を迎えた。
 佐東は、これまでの経験からみて、負けるにしても、入札金額の誤差は十万単位だろうと踏んでいた。
 だが、いざ、ふたを開けてみると、落札者の最低価格とは五千万円もの開きがあった。
 当然、那波リゾートグループは落札できず、テーマパーク建設への参画は霧消した。
 佐東は、あまりの開きを不審に思い、調べてみた。
 原因は単純なものだった。
 警察から公募自治体の担当者に、生長がグループと関わりを持っている可能性があるとの情報がもたらされていた。
 その生長が入っている那波リゾートグループは、はなから落札対象者ではなかった。
 しかし、疑いだけで一般競争入札から締め出すのは、人権問題にもかかわる。
 そこで、担当者は偽の入札価格をオフレコで流した。その情報が佐東の耳に届いただけのことだ。
 そして、その情報が確度の高いものだと思い、令子たちに伝えていた。
 大失態だった。
 佐東は、ほとぼりが冷めるまで、家族を連れて海外へ逃げる決意を固めた。
 が、その矢先、生長の会社の従業員に捕らえられ、那波リゾート本社の社長室まで連れて来られた。
 部屋へ入るなり、暴行を受けた。
 生長の部下にしこたま殴られた後、三人の前に正座させられた。
 もう二時間になる。脚は痺れて、感覚を失っていた。
 令子が口を開いた。
「佐東さん。今回の入札には三億円ほど使っているんですよ。けど、落札できなかったので、丸々の損失。どうなさるおつもりで?」
 切れ長の目で佐東を見据える。
「それは......」
 佐東はうなだれた。
「保険金で返してもらおうかしら」
 令子の言葉に、佐東の息が詰まった。
 シャレにならない。汗ばんだ手のひらを何度も握り締める。
 と、令子が笑い声を立てた。
「冗談よ。名誉挽回のチャンスがあるの。当然、手伝ってくれるわね?」
 令子が言った。
 話の中身はさっぱりわからないが、首を縦に振るしかなかった。
「ありがとう」
「チャンスとは、なんですか?」
 那波が訊いた。
「実は、先生からもう一つ、お話をいただいているの。南部開発」
「南部か......」
 生長が渋い顔をした。
「どこだ?」
 令子に訊く。
 令子は生長に顔を向けた。
「糸満市の真栄里(まえざと)から名城(なしろ)の一区画。エージナ島を中心に一大リゾートを建設する計画よ。けど、問題が二つあるの。一つは、この区画の一部が沖縄戦跡国定公園に指定されていること」
「許可がいりますね」
 那波の言葉に、令子が頷く。
「ただ、こっちの問題は、先生が地元議員の協力も仰いで、交渉を進めてくださってる。もう一つは地元住民の反対運動。どこからか開発の噂が流れて、すでに一部住民の反対運動が始まってる」
「なぜです?」
「エージナ島には御嶽があるの。御嶽は沖縄の人たちにとって神聖な場所。そんな場所を観光地にして儲けようなんて、地元の人にとっては耐えられないことよね」
「でも、沖谷さんが信仰に関係しているわけではないでしょう?」
「私は神なんて信じないから」
 令子が嘲笑する。
「だったら、住民をねじ伏せてしまえば済む話じゃないですか」
「簡単じゃねえんだ」
 生長が口を開いた。
「反対住民の中には、喜屋武(きゃん)の人間もいるんだろ?」
 生長が訊く。
「そういうこと」
 令子はため息をついた。
「なんですか、喜屋武の人間って?」
「おまえ、リゾート会社の社長やってて、喜屋武も知らねえのか。沖縄のヤクザは、内地とはまるで違うんだが、その中でも喜屋武の連中は別格だ。ケンカに勝つためなら、バズーカまで持ち出してくる」
「日本でですか?」
 那波は目を丸くした。
「日本だろうがよ、沖縄は」
 生長は那波を睨んだ。
「国定公園内の許可はなんとかなりそうだけど、土地を接収できなければ、水泡に帰す話。でも、うまくいけば、私たちで利益を独占できる。賭けてみる価値はあるんじゃないかしら?」
「だから、簡単に言うなよ」
 生長は腕を組んで唸った。
 うつむいたまま話を聞いていた佐東も、浮かない表情を滲ませた。
 沖縄南部の風土や喜屋武岬周辺の人々のことは、噂に聞いていた。
 彼らは地元意識が強く、よそ者が自分たちの土地を荒らすことを許さない。台風で道に倒れたサトウキビを一本盗んだために、車ごと破壊されたなどという噂も、まことしやかにささやかれていた。
 近年は、喜屋武岬までの道も整備され、観光地としても認知されているので、昔ほど閉鎖的ではないものの、地場産業の中心がサトウキビやマンゴーの栽培であることに変わりはない。
 激戦を潜り抜けた先祖たちが代々守ってきた土地や畑を軽々しく手放す者はいないだろうし、御嶽を観光資源にすることもないだろう。
 確かに、沖縄県が観光を収入のメインに掲げるならば、南部地域の開発も必須だ。北部の開発が進む中、このままでは南北格差が生まれる。
 おそらく、千賀は、南北格差を解消し、県全体の経済を活性化して底上げするとともに、基地問題解決の糸口を提示しようとしているに違いない。
 それができれば、政治家として復権を果たすことにもなるからだ。
 官僚の立場から見て、その目の付け所は悪くないと思うが、同時に、実現には相当の時間がかかる話だとも感じた。
 強引に事を推し進めれば、衝突は必至。それは逆に、沖縄の経済振興を大きく遅らせることにもなりかねない。
 今、唯一の救いは、力業を請け負う生長が躊躇していることだ。
 生長が強硬策をあきらめれば、少なくとも住民との話し合いで事を進めることになる。長丁場になろうと、地元住民と何度も意見交換をし、ゆっくり進めていくのが、南部開発を成功に導く唯一の方策だ。
 佐東は、生長が断念することを願っていた。
 が──。
「ヤツをあててみるか」
 生長が腕を解いて、太腿をパンと叩いた。
 佐東の肩がびくりと弾む。
「誰です?」
 那波が訊く。
「座間味(ざまみ)にいた男だ。凶暴なヤツでな。出てくるたびに敵対する組織の頭や幹部の首を獲るようなヤツだ。今、殺人で服役しているが、そろそろ出てくる」
「おもしろそうね」
 令子がほくそ笑む。
「しかし、座間味組は解散したはずでは?」
 那波が言った。
「だから、おもしれえんじゃねえか。ヤツはまだ、組がなくなったことを知らねえ。適当に吹き込みゃあ、怒り狂って暴れるだろうよ。そうなると、死人は出るかもしれねえが、かまわねえな、沖谷」
「大事を成す過程で、犠牲が出るのは致し方ないことですから」
「こっちも沖縄の件じゃ、煮えくり返ってるからよ。存分にやらせてもらうぞ」
「仕事に全力で取り組むのは、とてもいいことだと思うわ」
 令子が言う。
 生長の両眼がぎらりと光る。
「じゃあ、リゾート開発計画は私と那波さんで進めておくから、お願いね。佐東さん」
 声をかけられ、佐東は身を強ばらせた。
「そういうことだから、出番が来るまでは、しっかりと省内で働いていてください。今度逃げようとしたら、暴行程度では済みませんよ。自殺もやめてくださいね。あなたの親族郎党を処分しなきゃならなくなる。それは面倒だから。お願いしますね」
 令子は業務命令のように淡々と話す。
 佐東は深くうなだれ、太腿に置いた拳を握り締め、憤りと恐怖に震えた。

もぐら新章 波濤

Synopsisあらすじ

序章と第一章を公開中!

続きは、文庫『もぐら新章 波濤』(2020年3月19日発売)で

お楽しみください!



最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。ひょんなことから、暴力団組織・座間味組が手がける犯罪に巻き込まれ、かつて父・竜司とともに数々の難事件にあたってきた仲間たちとともに事件解決に乗り出した竜星は、度重なる危機の中で亡き父から受け継いだ「最強の血」を覚醒させる。(『もぐら新章 血脈』2018年3月刊)

座間味組を解散に追い込んで一年余、高校三年生の竜星は平穏な日々を送っていた。ところがそこに、かつて座間味組の武闘派グループを率いていた最凶の男・綱村啓道が刑務所から出所しようとしていた……

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が100万部を突破しブレイクした。他の著書に、「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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