持続可能な魂の利用第4回

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 ......のほうが××より美少女だろ。
 ××は圧倒的美少女。
 おまえ美少女の意味わかってる?
 女だけど××が好き。
 ××の存在感すげー。
 ××が美少女じゃなかったら誰が美少女なんだよ。
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 目の前を流れていく馴染みのない言葉に、口の中が一気にもぞもぞした。
 変な言葉。
 顔を見合わせると、どの顔も口の端を歪ませ、鼻孔を膨らませている。チヨの顔はもう真っ赤だ。
「美少女」
「美少女」
「美少女」
 それぞれが口に出してみる。
 口に出したら、まるでその言葉が唇の上を蟻が這うみたいに、余計にむずむずした。とてもじゃないけど堪えていられなくて、息を吐き出した。
「美少女だって」
「なにそれ」
「ウケる」
「ウケる」
 ボスっと一斉に吐かれた息と重なった笑い声が図書室に響く。笑い上戸のチヨは涙を流している。
「少女」という言葉の前に、「美」がついている。それだけなのに、なんでこんなに面白いの。「美」と「少女」、「少女」と「美」。その二つの単語がくっついて使われたことなど、これまでなかった。
「美少女」
「美少女」
「美少女」
 ぽんぽんと口に出しているうちにますます面白くなってしまい、腹を抱え、足をばたばたさせ、笑った。何度言ってみても、どう意味合いを測ればいい言葉なのか、想像がつかない。
「ちょ、落ち着こ」
 班長のミカが、ぜえぜえあえぎながら言う。口の端から床にたれたよだれを、上履きの裏でぞんざいに拭き、グギュキュッと耳障りな音がする。
 ミカの一言にみんな素直に従うと、よじっていた体をまっすぐ伸ばし、深呼吸。
「とりあえずあれだよね、××を形容する言葉として『美少女』が使われていたってことだよね」
 一足先に落ち着いたフミコが言いながら、両手の人差し指に渾身の力を込めて、頬のにきびを潰す。中から丸々とした角栓がぴゅっと飛び出す。
「やめろよ、お返しするぞ」
 飛んできた角栓が見事に着地したスカートの持ち主であるユキエが、ぱたぱたと裾をはたく。ユキエの頬でも大きなにきびが二、三個、赤く熱を持っている。
 ここ数日、ユキエは触れるたびに、まだまだだな、と言っていた。わたしたちも確かめるべくユキエの頬のニキビ群に触ると、同意した。言うまでもなく、ニキビは最高に大きくなった時に潰すものだ。じゃなきゃ楽しくないだろう。肌を破いて角栓が出てくる瞬間、自分の体がこんな快感を生み出すことができることに、毎回うっとりする。
「そういうことだよね。変なの。『少女』に『美』っておかしくない?」
「うん、普通はつかないよね」
 おのおのハテナマークが浮かんだ顔を見回す。
「美少女」はつまり、「美しい少女」という意味だろう。「少女」というのは、一般的に、わたしたちぐらいの年頃の女性のことだ。わたしたちよりもうちょっと年下、もうちょっと年上も、「少女」に含まれる。その「少女」に、「美」がついている。「美」とは、美しい花、美しい夕焼け、などが使用例だ。主に、観賞する対象に用いられる。
「美少女」
 考えると、意味がわからなくて、また笑けてくる。見ると、みんなも口元がへらへらしている。
「これはやっぱさ、そういう言葉が使われていた社会背景からリサーチするべきなんじゃない?」
 チヨが冷静な調子を装って言ったが、口の端がひくひく動いているので、治まっていない笑いを必死で我慢しているのがバレバレだ。チヨは歴史好き。好きな理由は、嘘みたいなことがたくさん起こるから、面白いことにことかかないから。
「そうかもね」
「ナイスチヨ」
「こんなにも××が『美少女』だったかどうか論じられているわけだし重要かもね」
「じゃあふた組に分かれるか」
 じゃんけんしようと、五本の拳が突き出される。
 最近はまっているじゃんけんでは、グーの手でお互いのグーの手をごんごん殴りまくり、最後までイテッと言わなかった人が勝ちだ。我慢強いフミコが有利になるが、ユキエの容赦のなさも侮れない。指の毛がふさふさだと防御壁になっていい感じだと、この前気づいてわたしがひそかに指の毛を伸ばしはじめたことは、まだ誰にも気づかれていないようだ。
 拳で拳を叩き合っていると、だんだん息が荒くなってくる。制服の中で脇が汗ばむ。渾身の力で、打って打つ。
「でもさ、グループ発表は明後日だよ。そこまでやってたら間に合わなくない?」
 はっと我に返ったミカが言い、慌ててパーにした手でまだ打ち合っている四本の拳を上から止めた。
「情報の一つではあるけど、それが××を表わす言葉として、どれだけ重要だったかもまだわからないわけだし。とりあえずは課題通り××のリサーチに集中して、時間があまったらやろう。中途半端な発表してる場合じゃないよわたしたち。アカネもこのままじゃくやしいんじゃない」
 ミカがわたしの顔を見る。
 もうすぐ学期末だ。先月の弁論大会でまとめ担当だったわたしがくしゃみを連発してしまい最下位の称号を与えられたわたしたちのグループにとって、今学期名誉挽回できるチャンスは、この発表だけしか残っていなかった。
 確かにな。
 わたしたちは真面目な顔でうなずき、真っ赤になった拳を収めた。

 ミホー、と部屋に入ってきたエマは、美穂子の後頭部に軽くキスをした。左手には二本ビールのボトルが握られている。エマは手が大きい。
 美穂子はパソコンの電源を消しながら、手を後ろに伸ばし、エマの肩のあたりに触れる。
「ケイはなんて?」
 画面が真っ黒になったのを確認してから、ノートパソコンをぱたんと閉じると、美穂子はエマに向きなおり、差し出された冷えたボトルを一本受け取った。
「冷たい」
 美穂子は笑いながら言う。
 カナダで暮らすようになってから、日本で暮らしていたら言葉にしていなかったような些細なことも、なんでも声に出して言うようになった。
 第一言語で生活しなくなってから、言語能力の問題で、言えないことや言えない感覚ができた。だから、どんな小さなことであろうと感覚であろうと、美穂子が明確に言葉にできることはすべて言葉にして、エマに伝えたい。美穂子がいろんなことを感じる人間であることを、今彼女の横でいろんなことを感じて一緒に生きていることを、エマに伝えたい。そう思うようになった。
「元気そう。でもなんか日本のアイドルにはまってた」
「アイドル? 男の子? 女の子?」
「女の子」
 それ面白い。
 エマは言いながら、後ろの毛羽立ったソファーに腰かける。美穂子も横に座った。
 さっきまで敬子と話していたパソコンが置かれた小さな作業スペースは、エマと共有のものだ。共同で立ち上げて数年になる「FUROSHIKI」ビジネスはまだ軌道に乗らず、美穂子はトロントを拠点にした日本の財団でイベントマネージャーとして働き、美術大学でデザインを学んだエマは風呂敷のデザインを担当する傍ら、パンフレットやショップカードなど、雑多なデザイン仕事を引き受けていた。
「今すごく人気があるんだって。ほら、日本でどんどん新しくできる大量の女の子たちのグループ。あのキモいおじさんがプロデュースしてるやつ。ケイもはまって、目が離せないんだって」
 美穂子はボトルに口を押し当てたまま、言う。飲み口の冷たくてつるつるした円で唇がなぞられて、なんとなく気持ちがいい。
「それじゃ若い女の子に鼻の下を伸ばしてる日本のおじさんたちと一緒じゃないかな。アイドルになる女の子たちも女の子たちだよね。わざわざ自分から性的搾取されにいくようなもんだよ」
「システムに問題があるからといって、実際にその中でアイドルをしている女の子たちまで否定するのは違うんじゃない?」
 エマが湿った唇をぬぐいながら言う。ボトルはもうほとんど空だ。
「日本の会社や社会のシステムに問題があるからって、その中で働いたり暮らしたりしている日本女性のことまで否定されたら腹が立つでしょ。冗談じゃないってなるでしょ。それはどの国でも言えることだけど」
 エマは飲み干したボトルをサイドテーブルに置くと、うーんと伸びをしながら、
「わかんないけど、日本って特に、悪い意味で、女性のことしか見ない国だよね。家父長制が徹底してるっていうかさ。女性にそうさせている男性の存在は無視して、女性だけを問題にして、非難することが当たり前になってる。そのシステム自体は絶対に問題化しない。これじゃおじさんたちはまるで透明人間」
 と、ものすごくリラックスした調子で続けた。「午後に飲むビールおいしいよねー」とでもいうような調子で。
 美穂子の中でもやもやとした鬱陶しい霧のようなままの気持ちを、あっという間に言語化してクリアにしてみせるエマやこの国で出会ったさまざまな国の人たちのことを、美穂子はいつも驚嘆の目で見つめている。言語能力の話ではなくて、自分の考えや気持ちを言葉にすることに慣れているのだ。こっちに来てから美穂子は日々痛感するようになった。私は自分の意見や気持ちを口にすることを、教育されてこなかったと。
 思い返せば、ずっとそうだった。
 十代の頃から、美穂子は周囲の女の子たちと一緒にもやもやもやもや薄い霧の中で過ごし、誰かはっきり意見を言う女の子がいると、みんな目を丸くして、うっすらと笑みを浮かべて横に流した。流すことだけ、周りにうまく合わせることだけ、学んだ。
 成人しても同じだった。学んでも、働いても、遊んでも、恋をしても、誰と出会っても、すべてはあの霧の中。どうもがいても、霧が晴れない。それどころか、霧はどんどん深くなる。親しくなった人にこの霧が見えるかとそれとなく何度か聞いてみたことがある。見えないと言われた。本当に、この霧が見えないのか。美穂子は呆然とした。
 二十代の終わり、すべてが息苦しくてたまらなくなっていた美穂子は、わけわかんなくなって闘牛士の格好でDJもどきをしていた色彩感覚ゼロの渋谷のクラブで、大手英会話教室の講師の職を得て日本の地を踏んでいたエマと出会い、お互いのはんぱな英語と日本語能力を駆使して愛を育み、我々は結婚したいんじゃと半ギレ気味でエマが生まれ育った国に一緒に帰った。
 逃げた、としかいえない感覚だった。美穂子は日本から逃げた。
「わかってるけど。私もそれが嫌で日本を離れたんだし。わかるから、その中で甘んじている女の子や女性たちのことがはがゆくなるんだと思う」
 敬子のことを考えながら、美穂子はため息をついた。
 一ヶ月間美穂子の家に滞在していた三つ年上の敬子は、はじめは心底疲れ切っており、全体的によれよれしており、イメージとして痩せた老犬を思わせ、その姿は美穂子がエマとウキウキ新婚ライフを営んでいた五年の間に姉の心体に蓄積した日本社会の闇を感じさせるに充分で、美穂子を震撼させた。敬子から語られた話もひどいものだった。
 でも、陽射しが降り注ぐ街に毎日連れ出し、いろんなものを食べさせまくっているうちに、敬子はみるみる元気を取り戻し、一人で出かけていくようになった。帰ってくると、
「この国だったら住めるかも」
「この国だったら住める」
「この国に住みたい」
 と、時々うわ言のように繰り返すので、大丈夫かと心配しつつ、美穂子はなんなら本当に姉も引っ越してくればいいと思いはじめていた。
 この街には、そんな風にして、集まった人たちがたくさん住んでいた。亡命し、逃亡し、より良い生活を求めて、移民となった。

 I want more.

 はじめてその言葉を聞いた時、美穂子は驚いた。
 どうしてこの国に移住したの?
 はじめの頃、出会った人たちが自分と同じ移民であることを知ると、美穂子はいつもこの質問をした。

 I want more.

 それぞれが生まれ育った国の歴史や社会情勢や法律について語った後、シンプルにそう付け加える人が数人いた。
 自分も望んでそうしたくせに、日本から逃げたことにどこか後ろめたさを覚えていた美穂子は、そんなこと口にしてもいいのかと戸惑った。それに、美穂子が育った国の教育は、欲しがらないように、と子どもに教えた。特に女性は。出る釘は打たれる、なんてことわざがあるくらいだった。特に女性は。「欲しがりません勝つまでは」。そのフレーズで戦争を乗り切ろうとしたのは、そんなに遠い過去ではない。

 I want more.

 そうはっきり口に出すことができる人たちと知り合ううちに、美穂子は自分もそうなんだとわかった。そうだったからこそ、ここにいる。
 自分はもっと欲しい。
 当たり前のこととしてそう思えるように、言えるようになったことが、美穂子は嬉しかった。ここにいる理由を誰かに尋ねることもなくなった。その一言があれば、ほかに理由なんて必要なかった。

 I want more.

 敬子にもそう思って欲しかった。そう言って欲しかった。
 一緒に過ごした一ヶ月間、毎日なにやらノートに書き綴っていた姉の生真面目な横顔を美穂子は思い出す。敬子は昔から逃げ足が遅い。子どもの頃、近所の子たちと遊ぶといつも、鬼ごっこでもかくれんぼでもドッジボールでも、最後まで生き残るのはいつも美穂子のほうだった。悪さをして見つかった時も、逃げ遅れて大人に怒られるのは敬子の役目だった。
 開け放った窓から、行き交う人々の喧騒が聞こえてくる。
 古本屋やレストラン、自然派のカフェが並んだ、嘘みたいに陽気なストリート。エマと美穂子が住むアパートは古びた小さな建物で、一階にはおいしいタコスのお店が入っているのでとても便利だ。もはや二人の主食と化している。タコス最高。今日は夕方になったら、エマとチャイナタウンにフォーを食べに行く予定だ。
 新しく生活することになったこの国でも、もちろん差別はあるし、問題なんていくらでもある。こわい思いだってする。でも、自分のもっと欲しい気持ちを叶えてくれた国で生きていきたいのだ、と部屋に流れ込んでくる様々な音を聞きながら美穂子は思う。
「ミホー」
 横にいるエマがどうしたのと美穂子の頭を抱く。
 そう、何より自分にはエマがいる。美穂子はエマの肩に頭をのせる。
 自分の名前を、漢字で思い出すことも、書くことも最近ではあんまりない。自分に大切なのは、語尾が柔らかく上がる「ミホー」の響きだけだ。望むように生きられないのなら、生まれ育った国のアイデンティティーなんてなんの意味があるのだろう。美穂子にはもう少しもわからない。

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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