持続可能な魂の利用第19話

 調べれば調べるほど、わたしたちは〝アイドル〟について考えさせられました。
 ××たちは異彩を放っていましたが、一方で、〝普通〟のアイドルたちは、求められるアイドル像を維持し続けていました。
 しかし、本当に維持できていたのでしょうか。
 多くのアイドルの女の子たちが、〝卒業〟していきました。この〝卒業〟は、特殊な言葉です。アイドルグループでの活動を学校生活に重ね合わせており、まるで学校を卒業するかのように、いかなる理由であろうと活動をやめることを、〝卒業〟と呼びました。学校生活での卒業は最終学年に訪れるものでしたが、この〝卒業〟は、年齢やタイミングを問いませんでした。
〝卒業〟にはいろいろな理由がありました。
 このアイドル体系はアイドルの女の子たちに奇妙なルールをいくつも課していましたが、その一つに恋愛禁止というものがありました。恋愛というものがどういうものか、わたしたちにはよくわかりませんが、それによって人類は人類というグループを維持してきたそうです。まるで一つのアイドル体系を長続きさせるために、たくさんの女の子を必要とし続けたように。
 恋愛禁止というルールを破った女の子、または誰かと付き合っていることをうまく隠すことができなかった女の子は、ひとりひとり事情や人気度に合わせた処罰を受けました。
 それはファン、そして社会に対しての見せしめとなりました。日本社会は、罰せられる女の子を日常的に娯楽として楽しんでいました。眉をひそめる人たちもいましたが、その批判的な眼差しは、なぜか女の子たちにも注がれました。
 なぜ恋愛禁止だったかといえば、アイドル体系を維持する大人たちにとって、女の子たちは商品だったからです。商品が傷物になると売れ行きに影響します。傷物というのは、つまり処女性をなくすということで、日本の社会は、女性の処女性を高く評価していました。特定の相手と恋愛をしてしまった女の子は用済みも同じです。
 一つ付け加えると、この処女性というものは、男性に対しては逆の働きをしました。男性は処女性を持たないほうが自慢できたそうです。なぜ女性と男性で逆だったのかは、わたしたちにはなんだかよく理由がわかりませんでした。
 ルールを破った女の子は、遅かれ早かれ〝卒業〟していきました。ルールを破る女の子が後を絶たないので、新しい女の子がどんどん必要でした。その繰り返しです。
 たとえば、次世代の〝センター〟になることを見込まれていた一人の女の子がいました。
 彼女は高校生でした。
 デブ
 ブス
 体調管理ができていない
 アイドルとしての自覚がない
 わざとらしい
 などなどの言葉が、ネット上でまだ十代の女の子に対して投げつけられていました。当人が読まないだろうと思ったのだとしても、投げつけられた石であることには変わりありません。
 デブ
 ブス
 体調管理ができていない
 アイドルとしての自覚がない
 わざとらしい
 もう一度言います。二十一世紀だというのに、これらが十代の女の子に投げつけられた石でした。
 突如として世間の注目を浴びた高校生の彼女は、同じ学校にボーイフレンドがいることをスクープされ、恋愛禁止のルールを破っていたことが知れ渡りました。アイドルでい続けるために、彼女は恋人などいないと嘘をつき、窮地を切り抜けました。アイドルとしての自覚がない、とはそのことを指しているのだと思われます。
 けれどわたしたちは思います。もしこのルール自体がなければ、彼女の行いは批判されることもなく、写真を撮られることもなく、嘘をつかなければならない窮地に陥ることもなく、アイドルとしての自覚がない、などとあいまいな石を投げつけられることもなかったでしょう。
 その後、窮地を切り抜けたはずの彼女は、しばらくして〝卒業〟しました。
 出演しているテレビ番組の途中で、彼女が涙に声をつまらせながら〝卒業〟を発表するのをわたしたちはアーカイブで確認しました。
 これも当時の人々にはごくありきたりの光景でした。何か〝問題〟を起こしたとか歳をとりすぎたとか特にぱっとしなかった等々、はっきりと明かされないとしても容易に合点がいく理由で、女の子がある日泣きながら〝卒業〟を発表する。
 そこまでの道筋を経て一つの娯楽として完成しました。ですが、その頃にはすでに手垢がつきすぎていて、〝ファン〟以外の人たちは、特に興味を持ちませんでした。
 インターネットの時代です。メディアがブラウン管しかなく、結婚が決まった国民的アイドルの引退映像をお茶の間という場所で人々が固唾を呑んで見守った頃ははるか昔でした。興味を持つことは、他にたくさんありました。
 少し考えてみたいのですが、アイドルとしての自覚があるアイドルとは、どんな存在でしょうか。
 もちろんルール違反をせず、〝スキャンダル〟を起こさず、アイドルとして適当な体重をキープし、肌にはニキビ一つつくらず、疲れを見せることなくいつも笑顔を顔に貼り付け、完璧な女の子でいること。
 それは意思のないお人形のことでしょうか。女の子が意思のないお人形になることを人々は求めていたのでしょうか。揃っているデータをかんがみると、どうもそうとしか思えません。
 わたしたちがもう一つわからないのは、〝ファン〟と呼ばれる人々も、ルール違反をしたアイドルの女の子たちが〝卒業〟していくことに、異議を唱えなかったことです。
 アイドルグループを運営する側は、〝ファン〟に満足してもらうために、ルールを設けていたところが大きいはずです。その人たちが利益をもたらしてくれるからです。
 ならば、〝ファン〟が、そんなルールはおかしい、そんなルールはいらないと主張していれば、ルールは不必要となり、撤廃されていたかもしれません。
 自分が愛しているはずのアイドルが〝卒業〟してしまったら、彼女のアイドルとしての活動をもう見ることができなくなります。そのことよりも、ルールを破ったという事実が〝ファン〟にとっても許せないことだったのでしょうか。
 アイドルにルールを課すというシステム、これがこのアイドル体系を衰退へと導きました。
 なぜなら、女の子は人間だからです。歴史を鑑みても、良くも悪くも、人間はルール通りには生きられません。
 ですが、アイドルにはルールがありました。だから女の子たちはどんどん脱落していきました。
 このアイドル体系の十年以上にわたる栄枯盛衰の一つの意義は、〝完璧な女の子〟なんていないという事実が、誰の目にも明らかになったことではないでしょうか。ですが、それはここまで時間をかけて、現実の女の子で実験されないとわからないほど難しいことだったでしょうか。

 今回××たちの楽曲について調べるうえで、ほかの歌手たちの楽曲についてもわたしたちは調べました。
 ××たちの楽曲の主なテーマは、社会や同調圧力への反抗、社会における生きづらさについてでした。
 これらのテーマはアイドルの女の子が歌うからこそ異質に感じられましたが、本来は、はるか以前から、様々な歌い手によって繰り返し歌われ、ヒットし、〝共感〟という感情を集めてきました。
 社会に不満を抱えた人々は、ドブネズミみたいに美しくなりたいと願い、闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろうと嘆き、盗んだバイクで走り出しました。
 わたしたちが不思議で仕方ないのは、社会批判がテーマの歌が繰り返しつくられ続けてきたというのに、その間、社会が改善されなかったということです。人々は社会に不満を持ち続けていました。
 社会が息苦しい、おかしい、やばい、大変だ、納得できないと、こんなにも歌われているのに、一体全体政治家は何をしていたのでしょう。それとも、政治家の耳と市井の人々の耳はつくりが別で周波数が違い、お互いの声を聞くことができなかったのでしょうか。調べた限りでは、人間の耳にはそんな機能はなかったはずです。
 社会の息苦しさを歌う歌が世間で売れても、ヒットしても、ただ歌がヒットしているだけと、流して、終わらせてきた歴史がわたしたちには見えました。この繰り返しでは、誰も先に行くことができなかったのも無理もないでしょう。歌って、歌って、歌って、それで終わりでした。
 そうして、××たちの時代に、××たちが歌う歌に〝共感〟がたくさん集まったというならば、それは、社会の設計が相も変わらずおかしかったというゆるぎのない証拠になります。
 驚くべきは、〝ファン〟ではない人たちに歌が下手だ、踊りが下手だ、学芸会だ、口パクだ、昔のアイドルは良かったと、まるで鬼っ子のように語られがちな彼女たちが、それでも人目を引きつけてしまうことです。
 口パクとは、パフォーマンスの最中、実際には歌わず、録音した歌声を流すことを意味します。
 踊りながら歌えない、人数が多いので歌を合わすことが不可能等、いくつかの理由で、このアイドル体系では、それが当たり前のこととして行われていました。ライブに足を運んでいる人ならば、彼女たちが実際に歌う現場を多々目撃していましたが、通常は、特にテレビ番組では、彼女たちが携えたマイクはお飾りにすぎず、電源が切られていました。彼女たちは声を奪われた状態で、パフォーマンスをしました。
 ならば、声を持たないはずの彼女たちのステージになぜ人々は熱狂したのでしょう。声など必要としないくらい、彼女たちは彼女たちであるだけで力を持っていたからだとわたしたちは考えます。
 これは他のアイドルグループにも共通する現象です。
 ですが、同じようなグループが乱立しても仕方がないので、話題性を生むために個性を出すべく××たちに担わされたのは、反抗の歌でした。その違いは、大きかった。そして、そのことに、××たちをつくり出した側は気づいていませんでした。
 ××たちの楽曲は、大人たちが、男たちが、女の子に歌わせるためにつくった、彼女たちの自発的な声ではないはずのものでした。それはつまり、世の中の話題になることをねらった、打算的な歌のはずでした。
 ところが、ここで逆転が起こります。
 お人形のように、与えられた楽曲を披露するだけの役割を負った女の子たちは、その歌を生きはじめてしまいます。
 あれだけの情熱と心血を注いで、練習に明け暮れ、ステージでその歌を生きればこそ、その歌にのっとられるのもあり得ることだとわたしたちは思います。
 歌わせるだけ歌わせて、女の子が歌から一切の影響を受けないと思っていたのなら、彼女たちをなめすぎというものでしょう。
「わたしたちは革命について歌ったのだから、革命を歌ったのだから、革命をしなければならない」という彼女たちの声が聞こえるようです。
 いえ、わたしたちは、確かに彼女たちの声を聞きました。
 ここで発表者を交代します。

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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