持続可能な魂の利用第14話

 同じ体なのに、性的に見られたり、見られなかったりすることが不思議だ。
 ウィーンという機械音とともに両足が大きく開かれていき、普段から股関節のストレッチをしていなければ、ちょっときついぐらいの位置で固定される。
 腰のあたりぐらいまではカーテンがあり、向こう側にいる医師の姿は見えない。
 とはいえ、最初に短い面談の時間が設けられているので、もう顔は合わせた後だ。だから、このカーテンは果たして必要な配慮なのだろうかと、もう何度目かの検査のたびに敬子は考えてしまう。大開脚状態なのに、ここだけ取り繕っても仕方なくないか。医師と目が合うのも気まずいが。
 医師の紺色のパンツが近づいてくるのが見え、性器によくわからない器具がつっこまれる。ひやっとした硬い感触は痛みとも呼べず、心の中でどう分類すればいいのか、戸惑う。思わず上を見ると、天井から設置されている内視鏡や超音波用の小さな液晶スクリーンに、つくりものの蔦が這わせてあるのが目に入った。
「はい、終わりです」
 紺色のパンツが遠ざかっていくと同時に、さっきはいなかった女性の声がする。再び、ウィーンという音とともに、足が閉じられていく。
「靴下かわいいですね」
 同じ声がそう言う。
「あ、ありがとうございます」
「E.T.ですか?」
「E.T.です」
 意識していなかったが、今日履いていた靴下は、E.T.を自転車のかごに乗せて少年が走っている姿のシルエットが総柄になっている。特に何の理由もなさそうだったが、この前香川さんがくれたものだ。股を大きく開いたままで、姿の見えない誰かに靴下を褒められたことがおかしかった。そういえば、敬子はこの映画を見たことがない。幼い頃、あんなに大ヒットしていたのに。まだ小さすぎたのかもしれない。
 椅子から降りてかごに入れてあった下着とワイドパンツにさっと足を通し、すでに医師が座っている診察デスクに戻る。何もなかったかのように奥で静かに作業している看護師が、さっき敬子の靴下を褒めてくれた人だろうか。まっすぐな横顔にはもう何のヒントも残っていない。
 検査結果は一週間後にまた取りに来ることになっている。敬子は小さなビルの二階にある婦人科を出ると、狭い階段を降りた。
 アスファルトの地面を歩き出す。和菓子屋やラーメン屋が並んだ商店街を自転車が行き交う。E.T.は乗っていない。
 駅の方向に歩きながら、敬子はなんだか気持ちが軽く感じた。
 病院のように、自分の体が性的に取り扱われない場所、ただ検査や処置を必要としている箇所として処理してくれる場所を一つでも知っていると、落ち着く。これが普通だと安心できる。分娩室もそうなのではないか。人によっては恥ずかしさや恐ろしさで婦人科の検診を後回しにしてしまうこともあるようだが、敬子は検診が好きだった。今日みたいに、患者の性器が丸出しになっていても靴下の話をしてくるような、何気なさというか、もうそこを気にしている段階じゃない具合が良かった。相手がこちらの体のパーツを恥ずかしいものと思っていないのなら、こちらも恥ずかしくない。
 商店街の入り口あたりにさしかかった敬子を追い抜くように、一瞬、強い風が体を通り過ぎる。
 同じ体なのに、性的に見られたり、見られなかったりすることが不思議だ。
 敬子はもう一度思った。


 午後のオフィスはすでにすっかり打ち解けていて、朝の硬さを微塵も感じさせなかった。一定の人数がその中でそれぞれの役割に従って動き話し働いているだけで、場所としてここまで毎日律儀にほぐれるなんて、面白いことだ。
 つやつやと冷たく光る壁に手を触れれば、案外ぐにゃりと腕まで飲み込んでしまうんじゃないか。
 などと適当なことを考える余裕があるくらいに、敬子は新しい職場に慣れてきた。職種は事務職だが、海外との業務提携があるために早番と遅番があり、遅番担当は13時(or 14時)から21時(or 22時)が勤務時間だ。反対に早番となると、夕方には帰宅することができる。今日のように、わざわざ半休をとらずとも仕事の前に検診を済ますこともできるし、スタートが早いイベントやライブに行くこともできる。
 数ヶ月前、ネットで募集要項を目にしたとき、ここ動きやすそう、と敬子は直感したのだが、実際そうだった。
 動きやすそうな場所には、動きやすさを求める人が集うもので、職場環境もまずまず悪くない。あんなことが起こった以前の職場も、まずまず悪くないと思っていたから安心はしないが。しかし、思えば、まずまず悪くない、と思っていた職場にいても敬子は安心したことなどなかったし、どこにいても安心など一度もしていなかったかもしれない。
 失ったものを一つ一つ取り戻すように、敬子は生活をした。生活を続けた。
 ××たちの活動を追いかけたり、自分自身の活動を少しずつ進めたり、香川さんの好きなジャンルに一緒に行ってみたり、そこから交友関係が広がったりと、再び軌道に乗りはじめた敬子の日々は充実していた。こんなにも世界は素敵なもので溢れていて、誰もが各々の推しに目を輝かせているというのに、しかし日本社会全体がなんだか不穏な様子で敬子の目には映った。いや、勘違いでも、考えすぎでもなく、今では隠しようもなく、はっきりと不穏だった。ジグソーパズルの後半、残っていたピースがパチパチとはまっていくように、不穏さは加速していた。

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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