北条氏康第十四回

十三

 軍配者となる教育をうけるために、小太郎が下野の足利学校に向けて旅立ったのは永正十六年(一五一九)二月である。それから四年半以上が経ち、十四歳の少年が十八歳の青年になり、小田原に帰ってきた。
 足利学校では最初の一年で武経七書(ぶけいしちしょ)と医書を学び、それから三年かけて、易、陰陽(おんみょう)道、観天望気を学んだ。観天望気については、足利学校に入学する前から、韮山(にらやま)で吉兵衛という名人に多くのことを教わっていたから、さほど苦労しなかった。
 陰陽道は厄介だったが、基本思想である陰陽五行説を理解した上で、式盤(ちょくばん)の使い方を身に付けてしまえば、あとは占いの技術を磨くだけのことであった。
 式盤というのは陰陽師が使う占いの道具である。
 この時代の陰陽道というのは実践的な科学技術という側面が強い。式盤を駆使することで、日時や方角に関する吉凶を科学的に知ることができると信じられていた。
 易は深遠な哲学であり、『易経』には中国文明五千年の叡智(えいち)が凝集されている。易の奥深さに小太郎は魅せられ、筆写した『易経』を何度となく読み返した。懐には常に筮竹(ぜいちく)と算木(さんぎ)を忍ばせ、暇があると略筮(りゃくぜい)というやり方で占いをした。
 小太郎に易の手ほどきをしてくれたのは、後に第七代庠主(しょうしゅ)となる九華(きゅうか)だった。
 九華は小太郎の熱心さと優秀さに惚れ込み、
「それほど易が好きならば、このまま足利学校に残ってはどうだ」
 と誘ったほどだ。
 それは、つまり、教授にならないかという誘いを意味している。そんな誘いを受ける学生など滅多にいるものではない。
 しかも、小太郎は十八歳である。年下の学生など、ほとんどいない。そんな小太郎を教授に抜擢しようというのだから、九華はよほど小太郎の学才を買っていたのであろう。
 九華の言葉に涙が出るほど感激しながら、しかし、小太郎は、
「わたしは、いずれ小田原に戻らなければならぬ身ですから」
 と誘いを断った。北条氏の軍配者になるという決意は、いささかも揺るがなかったのである。
 九華は残念がりつつも小太郎の決意を尊重し、
「ならば、次に進んだ方がよいのではないかな」
 と勧めてくれた。易の専門家になるつもりなら、どれほど時間をかけても十分ということはないが、軍配者になるために易を学ぶだけなら、もう十分だと判断したわけである。
 小太郎は次の段階に進んだ。古今の戦争を題材にした学生同士の図上演習である。
 ここでも小太郎は抜群に優秀だった。
 それも当然で、韮山にいたとき、宗瑞から手ほどきされている。日本史に残るほどの英雄であり、不敗の名将だった宗瑞から戦の駆け引きを学んだ小太郎が学生相手の図上演習で後(おく)れを取るはずがなかった。
 この頃になると、他の学生たちから、
「青渓(せいけい)はすごい奴だ」
 と一目置かれるようになっている。
 青渓というのは、宗瑞からもらった法号である。足利学校にいる間、学生は僧形となり、法号を名乗る決まりなのだ。「青渓」というのは王維(おうい)の『桃源行』に出てくる言葉である。
「斎藤加賀守以来の天才かもしれない」
 と噂する者さえいた。
 斎藤加賀守安元(やすもと)というのは、わずか四年ですべての段階を学び終えて足利学校を卒業し、太田道灌(どうかん)に仕えた伝説的な軍配者である。
 道灌は、その生涯で、数十度の合戦に臨み、一度も負けたことがないと言われているが、道灌が無敵だったのは、陰で斎藤加賀守が支えたからだと言われている。
 斎藤加賀守の法号を星雅(せいが)といい、その生涯を終えるまで、宗瑞とも刎頸(ふんけい)の交わりを結んだ。
 足利学校で学んだ年月だけを比べれば、小太郎はすでに四年半も在校しているわけだから、その点では斎藤加賀守に及ばない。
 しかし、斎藤加賀守が二十代で入校したのと違い、小太郎は十四歳で入校している。その年齢差を考慮すれば、この二人は甲乙付けがたい天才同士と言っていいかもしれなかった。

 小太郎が庠主・東井(とうせい)に呼ばれたのは大永三年(一五二三)十月下旬である。氏綱から使者が送られてきて、学問を切り上げてすぐに帰国せよ、という命令が伝えられたのである。
「おまえも承知しているであろうが、遠からず扇谷上杉氏と北条氏の間で戦が起こる」
 世間話でもするように、顔色も変えずに東井が言う。
 足利学校の庠主ほど、諸国の政治情勢に詳しい者はいない。足利学校は下野の田舎にあるが、全国津々浦々から様々な情報が正確に、しかも、かなりの速さで伝わってくるのである。卒業生たちが全国各地に散っており、彼らの多くは軍配者として、その国の最高機密に接することのできる立場にいる。卒業しても足利学校と縁が切れるわけではないから、彼らが情報を送ってくるのだ。
 それ故、東井が、戦になる、と言えば、それを疑う理由はない。
「北条氏にも軍配者はいるであろうに、わざわざ小田原殿がおまえを呼び戻そうというのは、よほど大きな覚悟を決めて、この戦に臨むつもりなのであろうな。相手を懲らしめてやろうとか、国境付近にある城をひとつかふたつ取ってやろうとか、そんな軽い考えで戦を始めるのではない。扇谷上杉氏を滅ぼすつもりなのではないかな」
「そんなことができるのですか?」
「扇谷上杉氏とて必死に戦うであろうし、関東をぐるりと見回せば、あちらこちらに上杉一族が根を張っている。その中で最も力のある山内上杉氏とは不仲のようじゃが、北条氏が扇谷上杉氏を滅ぼすのを坐して眺めているとも思えぬ。上杉一族が結束して北条氏と戦うことになれば、関東中の武士が戦に巻き込まれることになる。小田原殿が戦を始めれば、それはいつ果てるとも知れぬ泥沼のような戦になりかねぬということなのじゃよ」
「御屋形さまには、その覚悟ができている、ということですか?」
「早雲庵殿がなくなってからの四年、小田原殿は、ひたすら、その日のために準備してきたといってよかろう。おまえを呼び戻すのも、長い戦になるのを見越して、おまえに経験を積ませよう、すぐに役に立たずとも、何年か先に北条氏の軍配を預かってくれればいい......そんな考えなのではないかと思う。このままでは明日には小田原に戻ることになり、そうなれば、二度とここに戻ることはできまい。それ故、率直に話をする。おまえの心に迷いがあるのなら小田原に戻ることはない。納得できるまで、ここで学問を続けてよいのだ。わしや九華のように、ずっとここに残って学生たちの相手をしてもよかろうし、やはり、軍配者になりたいというのであれば、そのときにそうすればよい」
「そんなわがままが許されるとは思えませんが」
「北条氏に気兼ねすることはない。足利学校で学ばせるために様々な便宜を図ってくれたり、援助してくれたことに感謝するのは当然だが、所詮、それは金で片が付く話でな。おまえは生真面目だから北条氏に恩義を感じているのであろうし、自分のわがままを押し通すことに後ろめたさを感じるのであろうが、この足利学校はそういう世俗のしがらみから超越したところにある。この学校にいる限り、どんなわがままを押し通しても構わないのだ」
「......」
 小太郎は黙り込んだ。東井の提案は魅力的であり、その提案に心が傾いたのも事実である。東井の言う通り、小田原に戻れば、二度と足利学校に戻ることはできないだろうと思う。どっぷり学問に耽(ふけ)ることのできる時間はなくなり、現実の戦の中で生きることになる。
 足利学校に残って教授になってはどうかという九華の申し出を断ったことに迷いを感じたことはなかった。自分はいずれ小田原に戻って、北条氏の軍配者になるという覚悟を決めていた。
 だが、それは先のことだと思っていた。もっと学問できるものだと考えていた。突然、終わりが来るとは思っていなかった。こうなるとわかっていたのなら、もっとやっておきたいことがたくさんあった。まだまだ学び足りない気がした。東井の提案に従いたい、足利学校に残って、もっと学問を続けたい、そんな言葉が小太郎の喉元まで出かかった。
 しかし、小太郎は大きく深呼吸して、その言葉を飲み込んだ。
(ここで四年半も学問三昧の生活を送ることができたことに感謝するべきだ。早雲庵さま、わたしは足利学校で多くのことを学びました。ここで身に付けたことを小田原で生かし、少しでも北条氏のお役に立ちたいと思います)
 それが小太郎の出した結論であった。

 東井と話した翌日、小太郎は足利学校を後にした。氏綱の命令を届けに来た武士も一緒だ。この武士はただの使者ではなく、小太郎を無事に小田原に連れ帰る役目を担った護衛でもあった。扇谷上杉氏との関係が悪化しているので、陸路で武蔵を通過することを避け、遠回りにはなるものの、安全な古河(こが)公方の支配地を通り、船で小田原に戻るように氏綱から指図されていた。
 小田原に着くと、
「よく知らぬ土地ですから、少しばかり歩きたいと思います。日が暮れるまでには城に参ります」
 と、小太郎は武士に言った。
「そのような悠長なことをせず、すぐに御屋形さまに到着の挨拶をするべきではないか」
 武士はいい顔をしなかったが、
「これが足利学校で学んだ者のやり方でございますれば」
 小太郎も頑として譲らなかった。韮山で生まれ育ったので、小田原という土地をよく知らないのである。初めての土地に足を踏み入れたときは、まず自分の足で歩き、そこがどういう土地なのか、どこに山があり、どこに川があり、どこに市があり、どこに城や砦があるのか、しっかり自分の目で確かめよ、というのが軍配者の心得なのである。
「では、先に城に行き、われらの到着を御屋形さまに伝えることにしよう。できるだけ早く城に来るがよい」
 武士も承知せざるを得なかった。
「はい」
 それで小太郎は小田原と、その周辺を一人で歩いたのである。その途中、伊豆千代丸たちが凶暴な猪に襲われているのに遭遇した。
 学問に比べると、小太郎は武芸はあまり得意ではない。それでも人並みに剣術はできるし、弓矢を扱うこともできる。
 伊豆千代丸の警護の武士が落とした弓を拾い、矢を手にして猪に向かった。肝心なのは勇気だけであり、技量ではなかった。猪は逃げようとしているわけではなく、人間に襲いかかろうと接近してくるのだ。猪の牙に突かれるかもしれないという恐怖心を押し殺して、そばに猪が迫るまで待つことができれば矢を命中させることは難しくはない。
 小太郎は矢を射た。それは猪に命中し、おかげで伊豆千代丸と奈々は命拾いをした。
 近在の農民たちを呼び集め、負傷した者たちを城に運ぶ指図をし、小太郎は伊豆千代丸たちと共に城に向かった。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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