北条氏康第十二回
十一
平四郎と二人で講義の下調べをするようになったおかげで、伊豆千代丸は講義の最中にまごつくことがなくなった。宗真に指示された箇所をすらすら読み下すことができるし、その解釈も正しい。
「見事です。わたしが付け加えることは何もありません」
宗真が誉めることが増えた。
まだ子供だけに誉められると伊豆千代丸も嬉しくてたまらない。それまでは大して集中できなかった講義に真剣に取り組むようになるし、下調べにも熱を入れるようになる。
あるとき、珍しく勝千代が解釈を誤った。
「若君、いかがですか?」
宗真が問う。
「それは、このように......」
伊豆千代丸が間違いを指摘し、正しい解釈を示すと、
「その通りです」
宗真が大きくうなずく。
伊豆千代丸は誇らしげに小鼻をうごめかす。
一方の勝千代は悔しさを隠そうともせず唇を強く噛む。
それ以来、講義に活気が出てきた。
伊豆千代丸と勝千代が競い合うように学問に励んだからである。
学問に自信が持てるようになってくると、不思議なもので剣術稽古にも熱が入るようになってきた。
「剣術がうまくなるには何も立ち合いばかりする必要はありません。要は、相手に斬られる前に相手を斬ればいいだけのことですから、太刀筋を速くすればいいのです」
という十兵衛の言葉に従い、早朝、三百回の素振りをするようにした。ひとつ工夫したのは、普段、剣術稽古のときに使っている木刀よりも重い木刀を使って素振りをしたことである。わずかの重さの違いでも、何度も振っているうちに、その重さの違いがずっしりとこたえてくる。三百回の素振りが終わる頃には、腕が鉛のように重く感じられ、朝飯の箸を持つのも辛いほどになる。
だが、そのおかげで午後の剣術稽古では弁千代に負けなくなった。太刀筋が速くなったことで、相手の動きを見切る余裕が生まれ、弁千代の木刀が伊豆千代丸の体に触れる前に、弁千代を打つことができるようになった。元々、弁千代よりも背が高く、腕も長いのだから、太刀筋が速くなれば負けようがない。三度立ち合えば、三度とも伊豆千代丸が勝つようになった。
勝千代と立ち合っても、それまではまったく歯が立たなかったのに、三度の立ち合いのうち一度は勝てるようになり、時には二度勝つこともあった。
学問と同じように、伊豆千代丸は剣術稽古も楽しくなってきた。
言うまでもなく、負けん気が強い勝千代と弁千代も、それまで以上に稽古に励むようになったから、三人の剣術の腕前はめきめきと上達した。
宗真や十兵衛から報告を聞いた氏綱は、
(よしよし、伊豆千代丸め、ようやく、少しはやる気を出すようになったな)
と喜んだ。
Synopsisあらすじ
伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!
Profile著者紹介
1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。
「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。
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