Interview著者インタビュー

第一部 伊豆千代丸


 先頭を歩くのは大黒笑右衛門(おおぐろしょうえもん)という武士で、五十七歳である。そのすぐ後ろを市女笠を被り、杖代わりの棒を手にしたお国が続く。四十二歳の大年増だ。二人とも脚絆が泥に汚れ、髪が埃で白くなっている。襟元も垢じみている。その姿を見れば、何日も旅してきたことは一目瞭然だ。旅の汚れのせいばかりでなく、身なりそのものが貧しげである。そうでなければ、市女笠などを被って旅などしないであろう。
 お国の後ろには下男の弥助がいる。二十歳の若者である。
 弥助は馬を引いている。春日という、もう二十歳を過ぎた老馬だ。老馬だが足腰は丈夫だし、主に忠実でおとなしい馬である。
 春日には三人の子供が乗っている。三人とも小さいので、大人の鞍に三人のお尻がすっぽり収まってしまう。鞍の後ろに跨がっているのが長男の勝千代で、九歳になる。真ん中にいるのが次男の弁千代で四歳だ。弁千代に抱かれる格好で先頭に乗っているのが長女の志乃で三歳になる。
「じい、あれが小田原城か?」
 馬の背中で伸び上がりながら、勝千代が訊く。
 城が見える。まだかなり遠くだが、周辺には、その城以外に高い建物がないので、遠くからでもよく見えるのだ。
「さようでございます。ようやく小田原に着きましたな」
 笑右衛門が勝千代を見上げて微笑む。
「立派な城じゃのう、兄者」
 弁千代が大きな声を発する。
「うむ、立派だな」
「今川さまの館より立派に見えるのう」
「うん、立派、立派」
 志乃が何度もうなずく。
 この三人の兄弟妹は駿府で生まれた。城と言えば、今川氏の本拠・今川館しか目にしたことがない。今川館は、その名の通り、城というよりは広壮な館と言う方がふさわしい。駿府という町そのものが京都を模して設計されたこともあり、駿府を治める今川氏の本拠も、猛々しい城ではなく、優美な公家屋敷を範と築かれた。
 小田原城は、後には巨大な城の代名詞のように言われるようになるが、それは何十年も先のことであり、この当時は、せいぜい頑丈な砦という程度の城に過ぎない。それでも勝千代や弁千代の目には、素晴らしく立派な城に見え、どうにも興奮を抑えることができなかった。
「わしらは、あの城に住むのか?」
 弁千代が訊く。
「さあ、それは何とも言えませぬが......」
 笑右衛門が言葉尻を濁す。
「わたしは、あそこがいい。一番高いところ。あそこに住みたい」
 志乃が城を指差しながら言う。
「志乃はバカだな。あれは物見台だぞ。見張りをする兵が詰めるところだ。人が住むところではない」
 弁千代が大笑いする。
「志乃はバカじゃない。弁千代がバカ。弁千代なんか大きらい。志乃はあそこに住むんだから。兄さま、いいわよね?」
 志乃が勝千代に訊く。弁千代と違って、勝千代は志乃に優しいのだ。困ったときには勝千代に助けを求めるのが志乃のやり方である。
「うん、いいとも。志乃は好きなところに住めばいいさ」
 勝千代がうなずく。
「ほ~ら、兄さまがいいってよ」
「ふんっ、物見台に人は住めない。志乃は本当にバカだ」
「わたし、バカじゃない。ね、兄さま?」
「志乃はバカじゃない」
「兄者は、どうして志乃を甘やかすんだ」
 弁千代が膨れる。
「若君さまたち、喧嘩などしてはなりませぬよ。もうすぐ小田原の主、北条さまにお目にかかるのですから行儀よくせねばなりませぬ。行儀悪くすると、笑われるのは若君さまたちではなく、お父上やお母上なのですからね」
 お国がたしなめる。
「そうですぞ」
 笑右衛門も同調する。
 弁千代と志乃が口を閉じる。幼いとはいえ、武家の子である。傅役(もりやく)や乳母の言葉には素直に従うように厳しく躾けられているのだ。
 それから半刻(一時間)ほど後......。
 一行は小田原城の門前に至った。
 二人の門番が出入りする者を改めている。
「お願い申し上げる」
 笑右衛門が門番に声をかける。
「何の用だ?」
 門番がじろじろ眺める。薄汚い姿をした奴らだ、という蔑みの目である。
「北条さまにお取り次ぎをお願いしたい」
「は? 北条さまだと?」
 二人の門番が顔を見合わせる。
「この城の主、左京大夫さまのことでござる」
「このじじい、頭がおかしいな」
「ああ、おかしい。何を血迷ったことを言うか。さっさと帰れ」
 犬でも追い払うような仕草で笑右衛門を押し退けようとする。
「待たれよ。わしらを疑うのはわかる。本来であれば、髪をきれいに梳(くしけず)り、体を流し、汗と垢と埃で汚れた旅装束を着替えてから訪ねるべきであろう。それはわかっているが、ご覧の通り、幼き子供らを三人も連れている。正直に言うが、今日は朝から何も口にしておらぬ。一刻も早く北条さまにお会いせねば......」
「なるほど、乞食か。ひもじいから何か恵んでくれというのであれば、最初から、そう言うがいい。当家は先代の早雲庵さまの頃から慈悲に篤い家で、毎朝、粥を煮て貧しき者たちに施している。明日の朝、またここに来るがいい。そうすれば粥を食うことができる。もたもたしていると粥がなくなってしまうから、夜明けと共に来るのだぞ」
 門番が諭(さと)すように言う。
「待たれよ。わしらは乞食ではない。今川の武士だぞ。もっとも、今は浪人しているが......」
「わけのわからないことばかり言ってないで、さっさと帰れ。そんなところにいられると邪魔だ」
「なるほど、わしを嘘つきだと思っているな。おのれ、これを見るがいい」
 笑右衛門は懐から油紙の包みを取り出す。
「大切なもの故、中身を見せることはできぬが、これは早雲庵さまからいただいた手紙であるぞ」
「何だと、早雲庵さまの手紙? この野郎、ぬけぬけとふざけたことを言いやがって。何も知らぬようだから教えてやるが、早雲庵さまは四年も前にお亡くなりになった。手紙など書けるはずがなかろう」
「何と愚かな者たちよ。もちろん、生きているときにいただいた手紙に決まっておるであろうが」
 笑右衛門も腹を立てる。
「うるさい、帰れというのに」
「帰らぬ! 門番風情が偉そうなことを言うな。黙って取り次げばよいのだ」
「何だと、このじじい」
 門番たちが肩を怒らせて笑右衛門に詰め寄ろうとしたとき、
「城の門前で何を見苦しく騒いでおるのか!」
 怒鳴り声が聞こえる。
「あ、伊奈さま」
 門番たちが直立不動の姿勢を取る。
 伊奈十兵衛である。駿東の名家・伊奈氏の当主で、宗瑞の妻・田鶴(たづる)の甥に当たる。晩年の宗瑞に影のように付き従っていた側近である。年齢は二十八。
「実は、この男が......」
 門番が事情を説明する。
「ふむ」
 十兵衛が笑右衛門に顔を向ける。
「話はわかった。その方は早雲庵さまの手紙を持っており、その手紙を御屋形さまに見せよ、と申すのだな?」
「さようでございます」
 笑右衛門は、相手が身分の高い武士であると見抜き、言葉遣いや態度を改めた。
「その手紙には何が書いてある?」
「失礼ながら、それを申し上げることはできませぬ。北条さまに直々に」
「念のために言っておくが、わしは嘘が嫌いだ。もし、その方が偽りを申したとわかれば、ただでは済まさぬ。それでよいか?」
「はい」
「このまま立ち去れば、何もなかったことにしてやる、という意味だが?」
「嘘など申しておりませぬ」
 笑右衛門が胸を張って答える。
「よかろう。それを、わしに預けよ。御屋形さまに届けてやろう」
「まことにございますか?」
「わしは伊奈十兵衛という。嘘など言わぬわ。さあ、どうする、わしを信じて、それを渡すか、それとも、ここで押し問答を続けるか。好きにするがよい」
「では」
 笑右衛門が姿勢を改め、
「よろしくお願いいたします」
 腰を屈め、頭を下げて手紙を差し出す。
「門の中で待つがよい」
 そう言うと、十兵衛は門を潜って城に入っていく。

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