北条氏康第五十三回

十八

「若君......いや、若殿でございました。申し訳ございませぬ」
 小太郎(こたろう)が畏(かしこ)まって頭を下げる。
「構わぬ。好きに呼べばよいわ」
 氏康(うじやす)は座敷にひっくり返り、腕枕をして庭を眺めている。
「そのように襖(ふすま)を開け放って......寒くはございませぬのか?」
「ふんっ、冬は寒いと決まっている。わかりきったことを言うな」
 氏康は小憎らしいことを言う。
 元服して、まだひと月ほどである。
 今は享禄(きょうろく)三年(一五三〇)の正月だ。
 氏康は十六歳になった。
(何かお気に召さぬことでもあるのか......)
 小太郎が小首を傾げる。
 氏康は、伊豆千代丸(いずちよまる)と名乗っていた幼少時代、素直でおとなしい子供だった。気が弱くて、すぐにめそめそ泣くようなところがあり、北条氏の将来を案じた家臣たちから、
「まるで女のようではないか。情けない」
 と陰口を叩かれた。
 小太郎は、そういう氏康の性質を情けないとは思わなかった。それは氏康の優しさであろうと思い、人の上に立つ者には厳しさだけでなく優しさも必要だから、氏康には将器がある、と期待した。
 とは言え、人は成長するものである。背丈が伸び、齢(よわい)を重ねるに従って、氏康の性格にも変化が出てきたように思われる。それがはっきり表れてきたのは、二年前、生母を亡くしてからである。気難しく神経質な面が出てきた。元々、おしゃべりな方ではなかったが、むっつりと黙り込むことが多くなった。たまに口を開くと、皮肉めいた顔で揚げ足を取るようなことを言うのである。
 子供が少年になり、少年が青年になるにあたっては、肉体だけでなく、精神にも大きな変化が生ずるものだ、と小太郎にもわかっている。己の変化に戸惑い、その戸惑いが苛立(いらだ)ちになり、苛立ちが怒りとなって、その怒りを誰かにぶつけたくなる。
 そういうものだと小太郎は思う。小太郎自身は、少年時代のほとんどを足利学校で過ごし、学問漬けの毎日だったので、あれこれ悩む余裕もなかった。
 しかし、氏康は、そうではない。学問にも武芸にも励んでいるが、ごく少数の限られた者たちと触れ合うだけで、しかも、氏康の都合に合わせて行われるので、さして忙しいわけではない。中途半端に時間があり、暇を持て余すことも多いので、かえって、いろいろなことを考えすぎてしまうのかもしれなかった。
「何か気に障ることでもございましたか?」
「いや......」
「余計なことを申しました」
「いいのだ。昨日の夜、父上に呼ばれた。珍しく機嫌がよく、わしにも酒を勧めてくれた。酒など大して好きではないが、せっかくだから少しだけ飲んだ。ほんの少しだけな」
「ほう、そうでしたか」
「父上は機嫌がいいとおじいさまの話をする。おじいさまがどれほど立派な御方だったか、どれほど戦(いくさ)に強く、どれほど民を慈しんだか......そんな話をする。わしも、おじいさまのことが大好きだ。おじいさまの口から若い頃の話を聞かせてもらったこともある。おまえもだろう、小太郎?」
「はい。聞かせていただいたことがございます。早雲庵(そううんあん)さまほど立派な御方はおられませぬ。わたしにとっては、大恩人でございます」
 小太郎は、宗瑞(そうずい)に見出されて足利学校に行かせてもらった。大恩人というのは決して大袈裟ではない。
「おじいさまの思い出話をするのは楽しい。今までは、そうだった。しかし、ゆうべは、そうではなかった。おじいさまがいかに立派だったかという話を聞いているうちに気が重くなってきた」
「なぜですか?」
「おじいさまの後を継いだ父上は、さぞ大変だったろうと思う。人にも言えぬ苦労をなさったに違いない。しかし、立派にやり遂げた。今の北条家は、おじいさまの頃よりも大きくなっている。伊豆と相模だけでなく、武蔵の南半分も支配している。白子原(しらこはら)で敗れなければ、武蔵を征し、今頃は上野(こうずけ)や下総(しもうさ)あたりにまで支配地が広がっていたかもしれぬ。途方もないことだと思わぬか? 父上は、おじいさまほど偉い御方はいないとおっしゃるが、わしには父上もおじいさまと同じくらい偉い御方に思える」
「わたしも、そう思います」
「で......わしだ」
 氏康が体を起こし、小太郎に向き合ってあぐらをかく。
「おじいさまと父上の次が、このわしだぞ。二人の後が、こんな頼りない男でいいのか? そう考えると、気が重くなってきた。おじいさまと父上が築き上げた北条家を、わしの代で潰すようなことになったらどうしよう......そんなことを考えた」
「お気持ちはわかります。しかしながら、早雲庵さまにしろ、御屋形(おやかた)さまにしろ、最初から偉かったわけではないと存じます。早雲庵さまから聞いたことですが、早雲庵さまは備中(びっちゅう)荏原郷(えばらごう)にいるとき、周りからは何の役にも立たないろくでなしと思われていたそうでございます。いくらか変わったのは都に出て、幕府の役人になってからだと聞きました」
「わしも聞いたことがあるが......。ならば、わしも変わることができるだろうか?」
「もちろんです」
 小太郎が大きくうなずく。お世辞ではなく、心底から、そう思っている。氏康には間違いなく将器が備わっている。宗瑞や氏綱(うじつな)の血が脈々と受け継がれているはずである。
 そんな話をしていると、
「失礼します」
 廊下から声がする。
「入ってよいぞ」
「は」
「は」
 勝千代(かつちよ)と平四郎(へいしろう)が部屋に入ってくる。氏康と同い年のこの二人も、氏康と同じ日に元服した。
 勝千代は福島孫九郎(まごくろう)綱成(つなしげ)となり、平四郎は志水(しみず)太郎衛門(たろうえもん)盛信(もりのぶ)となった。
 勝千代は氏綱が直々に召し抱えた者だから、氏綱は「綱」の一字を与え、平四郎には、両親が宗瑞の代から仕えているので、宗瑞の名である盛時から「盛」の一字を与えた。どちらも破格の厚遇と言っていい。いずれ、この二人が氏康を補佐し、北条家を支える柱石になることを期待してのことである。
「何か用か?」
 氏康は二人にも素っ気ない態度を取る。
「江戸城の味方が苦戦していると聞きました。近々、御屋形さまが大軍を率いて武蔵に向かうのではないかと皆が噂しております。そうなると......」
 綱成が膝を前に進める。
「いよいよ、われらの初陣(ういじん)も近いのではないかと思うのですが、いかがでございましょうか?」
「戦に出たいのか?」
「言うまでもありませぬ。北条の武士として戦いとうございます」
「ふんっ、勇ましいことよ」
 氏康が鼻を鳴らす。
「若殿は、そうではないのですか?」
 いささかムッとした様子で綱成が訊く。
「初陣がいつになるか、わしは知らぬ。父上が決めることだからな。わしではなく、父上に訊きに行けばよかろうが」
「......」
 綱成の顔が朱に染まる。
 幼い頃から勝ち気で血の気が多かったが、成長するに従って、更に血の気が多くなったようだ。そのせいか、ちょっとしたことに腹を立ててカッとなる。相手が氏康でなければ、とっくに殴りかかっているであろう。
「青渓(せいけい)先生、武蔵での戦いは、どうなっているのでしょうか?」
 不穏な空気を察知した盛信が話の流れを変えようと小太郎に水を向ける。
「うむ......楽ではないようだな」
 小太郎が難しい顔になる。
 去年の暮れ、氏綱は小沢城を奪い返し、それに気をよくして氏康の元服の儀を行った。
 だが、それで一気に北条氏が有利になったとまでは言えなかった。小沢城を奪われたことに激怒した扇谷(おうぎがやつ)朝興(ともおき)は、年が明けると河越(かわごえ)城から出陣し、小沢城に攻めかかった。火の出るほどに攻め立てたにもかかわらず、朝興は小沢城を落とすことができなかった。
 遠からず朝興が攻めて来ることを見越して、氏綱が城の防備を固めておいたおかげだが、扇谷上杉軍の攻撃が単調すぎたせいもある。
 朝興は玉縄(たまなわ)城からの援軍が迫ったことを知ると、直ちに小沢城の包囲を解き、今度は方向を転じて江戸城に向かった。
 城代の遠山(とおやま)直景(なおかげ)は、決して城から出て戦うな、守りに徹するのだ、と氏綱から釘を刺されていたので、貝のように江戸城に閉じ籠もり、ひたすら敵の攻撃に耐えた。
 万が一、江戸城が落とされれば、北条氏は南武蔵を失ってしまう。それ故、扇谷上杉軍と戦うときは、必ずや小田原から氏綱が駆けつけてから、と決めてある。氏綱がやって来るまでの二日か三日の間、敵の攻撃に耐え抜くことが直景に与えられた役割なのだ。
 朝興の方でも、そういう北条氏のやり方はわかっているから、何とか直景を挑発して城から誘い出そうとする。周辺の田畑を焼き払い、逃げ遅れた農民を捕らえ、彼らの首を城の前で刎(は)ねるようなことをした。それでも直景は動かない。
 二日後、朝興は陣を払って河越城に帰った。明日には氏綱が到着するという知らせを受けたからである。朝興には氏綱と決戦するだけの兵力がなかった。
「楽ではないようだが、そう悪くもない」
 小太郎が言う。
 扇谷上杉軍は小沢城を攻め、江戸城を攻め、周辺の田畑を焼き払った。北条軍が守勢一方のように見えるが、実は、それが当初からの作戦なのである。 
 武蔵に配置されている北条軍の役割は城を守ることだから、計画通りに扇谷上杉軍の攻撃を防いだだけのことで、別に北条軍が負けたわけではなく、苦戦したわけでもない。単に見栄えが悪いだけのことである。
「なるほど、そういうことですか」
 盛信がうなずく。
「夏までには御屋形さまが武蔵に兵を出し、扇谷上杉と決戦するという噂を耳にしています。わたしたちの初陣も、そのときなのでしょうか?」
 綱成が訊く。どうしても、それが気になって仕方ないらしい。
「それは、どうだろう......」
 小太郎が首を捻る。
「わたしには何とも言えない。先程、若殿がおっしゃったように、御屋形さまが判断なさるであろう」
「はあ、そうですか」
 綱成は肩透かしを食ったような白けた顔をする。
 綱成と盛信は学問や武芸の話をして、その話題に氏康を引き込もうとするが、氏康は外を眺めながら生返事をするばかりである。
 小太郎も押し黙って考え事をしている。
 扇谷上杉軍の攻撃について、当たり障りのない受け答えをしたが、実は、ひとつ気になることがある。
 伝手(つて)を辿って情報を集め、扇谷上杉軍がどのように小沢城と江戸城を攻めたか、小太郎は自分なりに念入りに分析した。
(わからぬ......)
 いくら考えてもわからないのは、冬之助(ふゆのすけ)ほどの戦上手が、なぜ、あのようなまずい戦をしたのか、ということである。
 小沢城にしろ、江戸城にしろ、扇谷上杉軍は単調な力攻めをしただけである。そこには何の工夫もない。大砲のような火器のない時代、城攻めというのは容易ではない。力攻めするには十倍の兵力が必要だと言われるほどだ。二倍や三倍くらいの兵力では、どうにもならないのである。
 当然ながら、何らかの工夫が必要になる。
 最も簡単なのは城方を寝返らせることだ。
 実際、氏綱は、その手で江戸城を朝興から奪った。
 他にも、城内に通じる抜け穴を掘るとか、水の手を断つとか、いろいろなやり方がある。兵法において、城を力攻めすることは愚策とされる。
 冬之助が軍配者として天才であることは疑いようがない。だからこそ、北条軍は白子原で大敗したのだ。その冬之助が、なぜ、敢(あ)えて愚策を選んだのか、それが小太郎にはわからない。
(もしや、戦に出ていなかったのだろうか......)
 何年か前、冬之助は戦で重傷を負い、長きにわたって復帰することができなかった。その間、扇谷上杉氏は北条氏に押しまくられて滅亡の瀬戸際に追い込まれた。冬之助の復帰によって、かろうじて助かったのである。
(病に臥しているのか、それとも怪我でもしたのか......)
 いくら考えてもわからない。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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