北条氏康第三十九回

 六月になって氏綱の疑問が解けた。
 朝興は罠を仕掛けたのではなく、独力では氏綱にかなわないと考え、援軍がやって来るのを待っていたのだ。
 援軍は甲斐からやって来た。
 武田信虎(のぶとら)である。
 信虎と朝興の軍勢、合わせて八千という大軍が岩付城に押し寄せた。
 武蔵にいる北条軍だけでは、とても太刀打ちできないので、氏綱が軍勢を率いて小田原から出陣することになった。八千の敵と決戦するには一万くらいの兵を集める必要がある。時間がかかった。
 とはいえ、岩付城は難攻不落と言われる堅固な城である。城に籠もっている兵は五百くらいだが、ひと月やふた月であれば持ちこたえられるはずであった。
 知らせを聞いて七日ほど後、氏綱は五千の兵を率いて小田原を出立した。あとの五千が集まり次第、松田顕秀が後を追ってくることになっている。
 氏綱が江戸城に着くと、城代の遠山四郎左衛門直景(とおやましろうざえもんなおかげ)が青い顔で駆け寄ってきた。
「御屋形さま」
「どうした、そのように慌てて?」
「つい先程、知らせが届きました。岩付城が落ちた由にございます」
「何だと?」
 氏綱の顔色も変わる。まさか、これほど呆気なく岩付城が落ちるとは思っていなかった。
「詳しい話を聞こう」
 氏綱は険しい表情で江戸城の大広間に向かう。

 主立った者たちが顔を揃えると、氏綱は皆の顔をぐるりと見回し、
「すでに岩付城は落ちたそうだ」
 大広間にどよめきが起こる。
「なぜだ? あれは、そう簡単には落ちぬ城のはずだぞ」
 大道寺盛昌が遠山直景に訊く。
「裏切りよ」
「裏切り? 太田彦六がこちらに寝返ってから、まだ四ヵ月しか経っておらぬ。変わり身が早すぎるのではないか?」
「裏切ったのは太田殿ではない」
「では、誰だ?」
「陣内掃部介の家臣たちよ」
 と、遠山直景が言ったとき、大広間の後方で小太郎が、あっ、と声を発した。
 遠山直景によれば......。
 朝興と信虎の大軍が岩付城を厳重に包囲し、火の出るように激しく攻めたが、難攻不落の名城と言われるだけあって、びくともしなかった。
 朝興の腹心・曾我兵庫は一計を案じ、陣内掃部介が殺されたとき、河越城に戻らず、岩付城に残ることを望んだ三十人に連絡を取り、扇谷上杉への帰参を勧めたのである。
 三十人が応じたのは、百七十人の仲間たちが騙し討ちで殺されたことに不安を感じていたせいでもあるし、八千もの大軍に包囲されるのを間近に見て、籠城しても勝ち目はないと見切ったためでもある。
 深夜、彼らは表門を守る岩付太田氏の兵たちを襲い、表門を開けて扇谷上杉軍と武田軍を城に入れた。
 いかに堅固な城でも、敵が城内に入ったら終わりである。わずか半刻(一時間)で城は落ちた。
 太田資頼は捕らえられ、渋江三郎や周徳は命からがら城から逃れた。
 朝興は直ちに資頼を処刑しようとしたが、曾我兵庫が止めた。資頼を殺せば、岩付太田氏を敵に回すことになる。北条氏との決戦を控えている今、敵を利することをするべきではない。それより、ここで資頼を助け、岩付太田氏に恩を売る方が得である......そう朝興を説得したのだ。
 陣内掃部介を殺したのが資頼であれば、朝興もそう簡単に資頼を許すことはできなかったであろうが、掃部介を斬ったのは渋江三郎である。すべての罪を渋江三郎と周徳に負わせ、資頼の罪を不問に処した。

「ふうむ......」
 遠山直景の話を聞き終わると、氏綱は難しい顔で腕組みをした。
 後続の五千の到着を待って岩付城に向かい、朝興と信虎に決戦を挑むか、あるいは自重するか、どうすればいいか迷っているのだ。
 氏綱は朝興との決戦を望んでいるが、あくまでも敵が扇谷上杉氏だけの場合である。そこに山内上杉氏や武田氏が加われば話は違ってくる。
(勝てるか?)
 と自問しても、絶対に勝てるという自信はない。勝てるかもしれないが、負けるかもしれない。
 万が一、敗北を喫すれば江戸城を奪われしまう。それは武蔵における足場を失い、南武蔵を失うことを意味する。
(そもそも、こうして迷うということが、自分たちが不利だという証なのではないか)
 ここぞというときには、弓から放たれた矢のようにがむしゃらに敵を攻め、敵を滅ぼすまで攻撃の手を緩めることがないが、敵の勢いが盛んなときには無理をせず、冷静に攻撃を手控える......それが氏綱の持ち味である。
「蕨城と毛呂城に兵を送る。城の守りを固め、敵の襲来に備えるのだ」
 今は攻めるときではない。守りに徹するときだ、と氏綱は判断したのである。
 話し合いが終わると、重臣たちが大広間から出て行く。
 小太郎は廊下に出ると、
「御屋形さま」
 背後から氏綱に呼びかける。
 氏綱が足を止めて振り返る。
「小太郎か、どうした?」
「申し訳ございませぬ」
 小太郎は廊下に膝をつき、頭を垂れて、
「わたしのやり方が甘かったせいで岩付城を失ってしまいました」
「ああ......」
 氏綱は廊下の端から空を見上げ、何事か思案する。
「何かに迷ったとき、わしは、父上ならどうするだろう、と考える」
「早雲庵(そううんあん)さまだったら......?」
「父上ならば、二百人の兵をすべて河越城に帰したかもしれぬ。しかし、わしは父上ではない。それ故、わしならば、すべて殺しただろう。小太郎もわしや父上とは違う。だから、三十人を助けた。どのやり方が正しいか、そのときにはわからぬものだ。ひとつ言えることは、誰でも間違えるということだ。父上も多くの間違いをした。わしもだ。たぶん、父上よりも、もっと多く間違ったことをしている。ただ、父上にしろ、わしにしろ、間違ったときには、何が悪かったのかを反省し、その反省を次に生かそうとした。同じ間違いをしないように心懸けた。だから、北条の家は今でも続いていると思うのだ。わしはおまえを責めぬ。おまえを信じて、すべて任せたのだから、責められるとすれば、わしの方なのだ」
「御屋形さま......」
「間違ったことから多くを学ぶのだ。それを次に生かせ。岩付城は奪われた。しかし、幸い、渋江一族は逃げ延びたというではないか。いずれまた岩付城を奪い返す好機が来るであろう。そのときは同じ間違いを繰り返さないようにするのだ」
「はい」
 小太郎の目に涙が溢(あふ)れ、その涙がぽたりぽたりと廊下に落ちる。

 氏綱が警戒したのは、岩付城を落とした勢いに乗って、扇谷上杉と武田の連合軍が蕨城や毛呂城に押し寄せることだった。それ故、ふたつの城に兵を送り、守りをしっかり固めさせた。
 幸い、岩付城が落ちてしばらくすると武田軍が甲斐に戻った。
 それを見て、氏綱も小田原に帰った。朝興には独力で蕨城や毛呂城を攻める力はないと見切ってのことである。
 だが、油断したわけではない。
 河越城に戻った朝興は、依然として戦支度を続けていると風間党から報告を受けていたからだ。
 氏綱が最も気にしていたのは山内上杉氏の主・憲房(のりふさ)の病状である。
 もう甲斐に帰った信虎の心配をする必要はない。一年のうちに、そう何度も国外に遠征する余裕は信虎にもない。朝興に手を貸せるとすれば憲房だけである。
 憲房が病に臥せっているのは確かだが、どれくらい悪いのか、正確なことがわからない。
 それが気になる。
(出てくるのか、出てこないのか......)
 それによって氏綱の方針も変わってくるのだ。
 氏綱としては、できるだけ早く岩付城を奪い返したい。その準備に全力を注ぎたいのである。
 もし憲房が出てくれば、岩付城攻撃を後回しにして、蕨城と毛呂城の防衛に重点を置かなければならない。
 憲房の動きが読めないので、氏綱はふたつの作戦を同時進行させなければならない。ひとつの作戦に集中するより、手間も時間もかかる。
 危惧が現実のものとなった。
 十月十日、朝興と憲房の率いる扇谷上杉と山内上杉の連合軍一万が毛呂城に押し寄せたのである。戦支度に手間取ったため、知らせを聞いたとき、小田原の氏綱の手許には三千の兵しかいなかった。直ちに伊豆と相模の豪族たちに出陣を命じたが、彼らの来着を待っていたのでは毛呂城が落ちてしまう。
 やむを得ず、氏綱は三千の兵を率いて小田原を発ち、道々、駆けつけてきた豪族たちの兵を加えた。江戸城に入ったときには兵力は六千に増えていた。
 それでも劣勢だが、氏綱はためらうことなく毛呂城救援に向かった。これが十月十六日である。
 毛呂城まで一里と迫ったものの、そこから先に進むことができなかった。両上杉軍が小さな毛呂城を十重二十重(とえはたえ)に包囲し、蟻(あり)の這い出る隙間もなかったからである。もはや城方と合流することは不可能であった。
 氏綱とすれば、劣勢を承知で両上杉軍に決戦を挑むか、毛呂城が落とされるのを遠くから指をくわえて見ているか、ふたつにひとつを選ぶしかない。
 重臣たちを集めて軍議を開いても、皆の意見はばらばらで収拾がつかない。そもそも氏綱自身、どうすればいいか迷っているのだから結論が出るはずもないのだ。
(困ったことになった)
 氏綱は窮した。
 救いの手は思いがけないところからやって来た。
 何と優位に立っている両上杉軍が和睦を申し入れてきたのだ。和睦といっても、氏綱に有利な話ではない。毛呂城を引き渡せば、城兵の命を助けるというのだ。
 直感的に、
(罠かもしれぬ)
 と思い、風間党に情報収集を命じた。
 こういう事情であった。
 朝興に泣きつかれて、病を押して出陣した憲房だが、やはり、体調が優れず、とても長い滞陣には耐えられない。できるだけ時間をかけずに毛呂城を奪い返すために、憲房が朝興に和睦を提案したのである。いかに小さな城とはいえ、力攻めすれば、城を落とすのに時間がかかる。憲房には、その気力も体力もなく、すぐにでも陣を払って帰りたいのだ。
 当然、朝興は反対した。城が落ちるのは時間の問題だし、援軍としてやって来た氏綱の兵力は六千である。一万の兵力で迎え撃てば、北条軍を打ち負かすのは、そう難しくないはずであった。
 朝興にとっては千載一遇の好機なのだ。
 が......。
「和睦を承知できぬとあれば、わしは帰る」
 骸骨(がいこつ)のように痩(や)せ衰え、血の気のない青い顔の憲房に強く言われると、朝興も何も言えなかった。山内上杉軍が去れば、残るのは扇谷上杉軍五千だけである。朝興には独力で氏綱に勝つ自信はない。渋々、承知した。
 氏綱にとっても満足のいく結果ではないが、他に選択肢はなかった。毛呂城を失ったことより、五百人の城兵を無事に救い出すことができたことを喜ぶべきだとわかっている。
(次は、こうはいかぬ。必ず、わしが勝つ)
 岩付城と毛呂城を取り返すことを、氏綱は己に誓った。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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