北条氏康第三十七回

 翌朝早く、周徳と渋江三郎が連れ立って登城し、太田資頼に面会を申し入れた。
「こんな早くに二人揃って、どうしたのだ?」
 資頼が訊く。
「殿、どうやら北条は近いうちに蕨城を攻めるようでございますぞ」
 渋江三郎が言う。
「うむ、そうであろうな。江戸城を手に入れ、周辺の豪族どもを手懐(てなず)けたとなれば、次は河越城を目指すことになろう。まずは、江戸城と河越城の間にある蕨城を攻めるのは当然だな」
 資頼がうなずく。
「どうなさるおつもりなのです?」
「ん? どうするとは、どういう意味だ? 言うまでもなく、御屋形さまのお指図に従って北条勢と戦うに決まっているではないか」
「それは殿の本心でしょうか?」
「これは妙なことを言う。本心でなければ何だというのだ?」
「北条の使者と何度もお会いになりましたな?」
「確かに会った。わしに内通しろというのだ。もちろん、断ったぞ」
「嘘ですな」
「何?」
「使者に会い、裏切りを勧められた。しかし、断ってはいない。曖昧な返事をしたまま使者をお帰しになった。違いますかな?」
「何が言いたい?」
 資頼が目を細めて、渋江三郎を見つめる。
「勘違いして下さいますな。殿を責めているのではありませぬ。それどころか、よくぞ断らないで下さった、と感謝したい気持ちなのです」
「わしに感謝する? よくわからぬが......」
「北条に味方なさいませ。今の扇谷上杉には北条に勝つ力などありませぬ。北条勢は蕨城を簡単に落とすでしょう。そうすれば、次に攻められるのは岩付城か毛呂(もろ)城。周辺の城を順繰りに攻め落としてから、じっくり河越城を攻めるに違いありませぬ」
「最初から諦めて、どうするのだ? 戦というものはやってみなければわからぬものだ。現に高輪では......」
「高輪ではわが軍が北条を打ち破りました。それは養玉という軍配者の力でしょう。しかし、養玉は矢傷を受けて臥せっていると聞いております。高輪のようなわけには行きますまい。それに高輪で勝ったといっても、次の日には江戸城と権現山(ごんげんやま)城を奪われたのですから、全体として見れば、北条の大勝利と言うべきかと存じます」
「何を言う、江戸城が落ちたのは......」
 ハッとして、資頼が口をつぐむ。
「太田三兄弟の裏切りのせいだとおっしゃりたいのですか?」
「......」
 資頼の顔が赤くなる。怒りで頭に血が上ってきたのであろう。
「同族の裏切りを殿が恥じる気持ちはわからぬではありません。しかし、三兄弟を責めるべきでしょうか? 今の世の中を生き抜いていくには、きれいごとだけでは済みませぬ。強い者が生き残り、弱い者は滅んでいく。それ故、強い者に逆らってはならぬのです」
「汝ら、わしに謀反を勧めに来たのか?」
 資頼が渋江三郎と周徳の顔を順繰りに見る。
「そうです。三兄弟と同じように北条に寝返るべきです。そうすれば、殿は岩付を保っていくことができます。扇谷上杉に忠義を尽くせば、この城も、城の周りの土地も北条に奪われてしまいます」
「何ということを言うのだ」
「御屋形さまも曾我兵庫も、そもそも殿を信じておらぬではありませんか。だからこそ、陣内掃部介を送って寄越したのです。古河公方からの攻撃に備えるなどとは空々しい。殿の裏切りを警戒し、裏切りの気配が見えれば、殿を斬るつもりでいるのでしょう。わしらを馬鹿にしているのです」
 渋江三郎が苦い顔をする。
「そこまでわかっているのなら、もう何も言うな。謀反などできぬ。掃部介の目を欺(あざむ)くことはできぬわ」
「その必要はございません」
 それまで黙っていた周徳が口を開く。
「なぜだ?」
「なぜなら......」
 持参した木箱を周徳が資頼の方に押し遣る。
「これは?」
「どうぞ」
 周徳が蓋(ふた)を開ける。
「......」
 資頼が箱を覗き込む。
 次の瞬間、げっ、と声を発して仰(の)け反(ぞ)る。箱の中に入っているのは陣内掃部介の生首である。
「こ、これは......?」
「先手必勝と申すではありませぬか。掃部介が動くのを待つことはないのです。さっさと殺してしまえば話は早い」
「こんなことをして、ただで済むと思うのか?」
「かえって話がわかりやすくなったではありませぬか。掃部介を斬ったとなれば、もはや御屋形さまにも曾我殿にも申し開きはできますまい。扇谷上杉と手を切って北条に寝返るしかないのです」
「......」
 呆然とした表情で資頼が掃部介の生首を凝視する。
「それとも」
 周徳が口許に笑みを浮かべる。
「この首を河越城に持っていき、渋江一族が裏切りました、自分は関わり知らぬことでございます、と訴えてみますか? さてさて、殿は生きて河越城を出られますかな」
「掃部介が死んでも、まだ二百人の兵がいる。あの者たちは、どうするのだ?」
「掃部介の首を見せ、ここに残ってわれらに味方したいという者は召し抱えてやります」
「納得しない者は?」
「武器を取り上げた上で城から出してやります」
「河越城に帰してやるのだな?」
「いいえ、城を出たら、すべて討ち取ってしまいます」
「は?」
「われらの敵となる者たちを、なぜ、無傷で河越城に帰す必要があるのですか? 討ち取ってしまえば、それだけ敵が減るのです」
「敵とは......河越城のことか?」
「はい」
「他の道はないか?」
「ありませぬな。掃部介を殺した以上、もう後戻りはできぬのです」
「そうか」
 資頼ががくっと肩を落とす。
 二人が言うように、こうなった上は、もはや後戻りはできそうにない。掃部介の首を河越城に持参して事情を説明しても、朝興や曾我兵庫が納得するとは思えない。彼らを納得させるには、渋江三郎と周徳の首も持参しなければならないであろうが、資頼がそんな気になった途端、今度は資頼が首を刎ねられてしまいそうな恐ろしさを感じる。
 渋江三郎と周徳は北条氏に味方すると決めており、それに反対すれば、資頼ですら容赦しないだろう。ただの思いつきで行動しているのではなく、周到に計画した上で事を進めているように思えるのだ。
 しばらく思案を続けたが、
(まずは生き残ることを考えなければならぬ)
 と腹を括り、資頼は寝返りを承知した。
「では......」
 周徳が用意してきた和紙と筆、硯(すずり)を資頼の前に置く。扇谷上杉への手切れの手紙を書けというのである。その手紙に掃部助の首を添えて、河越城に送るというのだ。
「......」
 資頼は観念した。そこまでやってしまえば、後々、どんな言い逃れもできなくなってしまう。何とか、この場をやり過ごし、場合によっては渋江三郎と周徳を成敗することも考えていたが、この二人は資頼より上手だったのだ。
「どう書けばよい?」
 溜息をつきながら、資頼が周徳に訊く。
「は。このように......」
 周徳が手紙の文面を口にする。

北条氏康

画・森美夏

Synopsisあらすじ

伊豆・相模を制し、梟雄と呼ばれた祖父・北条早雲がついに逝ったのは、伊豆千代丸(のちの北条氏康)が五歳の夏だった。家督を継いだ父・氏綱は小田原を本拠に、関東への版図拡大を画している。早雲は孫の治世を見越し、ある手を打っていた……。軍配者シリーズ、北条早雲シリーズに連なる〈北条サーガ〉最終章が、ついに始動!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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