男じゃない 女じゃない 仏じゃない第6回

「私は空海(くうかい)に人生を狂わされました」
 世界広しといえども、この書き出しで自伝を書けるのは私の祖父だけだろう。
 改めて説明する必要はないかもしれないが、空海は平安時代の僧侶で、中国から持ち帰った密教を基に真言宗(しんごんしゅう)を開いた偉いお坊様である。弘法大師(こうぼうだいし)という名前でも有名だ。空海生誕の地である私の地元の香川県では、「お大師さん」の愛称で、世代を問わず広く親しまれている。
 空海が生まれた場所とされる善通寺(ぜんつうじ)や、水不足に悩む民を救うため、空海の指示で造られた日本最大のため池の満濃池(まんのういけ)など、空海ゆかりの場所が香川県には数多く存在している。なかには、由緒正しいものもあれば、空海の名を語っただけのにせものもある。
 実家の近くに、空海が、退治した妖怪を封印したという言い伝えのある小さな石祠(せきし)があった。平安時代に造られたというわりにはそこまで古い感じもせず、石祠に巻きついている注連縄(しめなわ)も雑な感じで、真偽のほどは怪しいものだった。だが、田舎はこういう言い伝えを大事にする。年に一度の秋祭りの日は、その石祠にお大師様への感謝を込めてお祈りを捧げる荘厳な儀式をおこなっていた。
 その石祠の封印を解いたのが私の祖父だ。
 近所の居酒屋で深酒をしたある日、普段から我が物顔でふるまっていた不動産屋のジジイと口論になった祖父は、「妖怪を蘇らせて、お前の土地に災いを起こしてやる」という恐ろしい捨て台詞を残して店の外へ飛び出した。暴走した祖父は愛車の軽トラによる突撃を何度も繰り返し、石祠を粉々に破壊してしまった。千年以上の時を経て解放された妖怪たちが、歓喜の声を上げて空に舞い上がる。そんな光景を思い浮かべて祖父は満足そうに笑ったらしい。

 祖父は悪質な飲酒運転と器物破損、駆け付けた警察官への暴行の罪でお縄になってしまった。だが、悲劇はこれで終わらない。石祠が破壊された年の夏、歴史的な水不足が地元を襲った。ダムは干上がり、農業用水どころか生活用水の確保も危うくなり、各地方自治体では断水や給水制限までおこなうほどであった。田舎の年寄りどもはその原因を、石祠から蘇った妖怪のせいにしてしまった。
 地域に災いをもたらした大悪人の祖父を待っていたのは、村八分(むらはちぶ)としての扱いだった。うどん屋に入店拒否をされたり、秋祭りへの参加ができなかったりと、現代社会においておよそ考えられない迫害を受けた祖父。祖父ほどではなかったが、私たち家族も数年にわたって地域住民から陰口を叩かれ、肩身の狭い思いをした。
 晩年に祖父はよく言っていた。
「空海があんな所に石祠なんて作るから......おのれ、空海め」
 晴らせぬ恨みを抱えたまま祖父は天に召されていった。
 そんな過去もあって、私は空海に対してモヤっとした感情を持ったまま生きてきた。恋人、友人、家族、誰にも打ち明けられなかったこの思い。別れた恋人を吹っ切ろうとしている今こそ、空海とも決着をつける時かもしれない。

 何事もまずは専門家に聞くのが一番だということで住職に相談をしてみる。最近パチンコで勝ちが続いている住職はかなりの上機嫌。私の与太話にも嫌な顔一つせずにいちいち頷いてくる。その余裕が鼻につく。
「なるほど......お爺様にそんなことがあったのですね」
「そうなんです。なので空海のことが今でも苦手なんですよ」
「......ふむ。では直接本人に文句を言ってみるのもいいかもしれませんね」
「え?」
「実は空海はまだ生きています」
「そうなんですか!?」
「有名な話ですよ。即身仏となって、千年以上も高野山(こうやさん)の奥で禅行をされております」
「即身仏って、ミイラでしたっけ?」
「ミイラとは似てるようで違うんです。脳みそや内臓が、ミイラには入っていない。取り除かれていることが多いです。でも即身仏はそれらがちゃんと中に残っているのです。だから仏様として、生きているのです」
「あいつ、まだ生きてんのか......」
「......」
「......」
「でも、今の空海の姿は公開されておりません」
「あ、そうなんですか、国宝みたいにたまに一般公開されるとかもないんですか」
「まったくございません。なので、どういう状態になっているのかは限られた人しか知らないのです。毎日空海に食事を届けている人にしか分からないでしょうね」
「食事?」
「一日二回食事を届ける人がいるんですよ。空海が即身仏になるために入定してから千年以上ずっと続いてます」
「すごい話ですね」
「そうでしょう。面白いことに、精進料理のような質素なものだけじゃなくて、カレーライスやシチューのような現代の食事も届けているんですよ」
「外の世界のことを何も知らされずに、いきなり見たこともない食事を届けられるのって怖くないですか」
「そう言われるとそうですね。空海もおそるおそる食べてるんでしょうか」
「一種のイジメですよ。なんだか空海がかわいそうになってきたな」
「じゃあ許してあげたらどうですか。だって......」
「だって?」
「言い難いですがさっきのお話、お爺様の逆恨みですからね......」
「まぁ、そうなんですよね......。私だけでも許してあげることにします」
「そうしてあげてくださいませ」
「住職もパチンコで大負けしてる時、即身仏みたいになってますよね」
「最近はずっと勝ってるのでそんなことないですよ」
 この坊主は仏にはなれないし、そもそもなる気がねえなと思いつつ、空海への積年の思いが少し晴れたことに感謝した。
 
 一歩前に進めた日の夜はなぜかオカマと飲みたくなる。噓だ。そんなことは一度も思ったことはない。何も理由なんていらない。今日も今日とて私はトリケラさんと話がしたいだけだ。
「アタシ、その即身仏っていうのに少し憧れちゃうわ」
「オカマが仏になってどうすんだよ」
「失礼ね、オカマはそんなことしなくても仏ぐらい尊いのよ!」
「じゃあ、なんで憧れるんだよ」
「オカマの姿のままこうやって死んでいけたら幸せだなって思ったの」
「即身仏はまだ生きてるんだってば」
「生きてるのとか死んでるのとか関係ないのよ。自分のやりたいことをやれてることが羨ましいの」
「どういう意味?」
「仏になろうがなれまいがね。自分が仏になりたくてこういう厳しい修行とかするわけじゃない? ありのままの姿でやりたい放題やれていいなって思う。オカマなんてさ。家族とか周りの人に隠してる人が多いわけよ。死んで棺桶に入る時は男として入れられちゃう。アタシはそんなの嫌なの。お店で着てるような派手な服を着て死にたいわ。白装束なんて絶対嫌! 死んだように我慢して生きてきたんだから、最期の時ぐらい綺麗に死にたい!」
「......なるほどね」
「あんただって、白装束よりその派手なプロレスラーのTシャツ着て棺桶入れたら幸せじゃない? 全然似合ってないけどさ。そういうTシャツは税金払ってない奴が着るTシャツよ」
「ちゃんと払っとるわ。でも、確かに着たい服を着て死ねるだけでちょっと嬉しいかもね」
「ね、だから生きてるとか死んでるとか、男だとか女だとか、仏だとか仏じゃないとかどうでもいいのよ」
「うん、本当にそう思う」
「死んでるのか生きてるのか分からない空海のことなんて忘れて、自分の目の前にあることを頑張りなさい。身近にいる人を笑顔にしなさい」
「オカマのくせに偉そうに」
「そんなオカマがいないと生きていけないくせに」
 そう言って二人で笑った。

 空海への恨みから解放された夜、私の前には歯をむき出しにして笑う素敵なオカマがいた。銀より金を好むトリケラさんの口には、たくさんの金歯が輝いている。突然暗転する店内。今日が誕生日の常連客を祝うサプライズ演出がはじまったようだ。先ほどまでいやらしく輝いていた金歯の光がまったく見えなくなる。オカマの金歯は夜空の星のようには輝かない。それがおかしくて笑ってしまう。なんとなく嫌な夜もたくさん巡ってくるが、今夜のようになんとなく幸せな夜もたくさんやってくるから人生は面白い。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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