男じゃない 女じゃない 仏じゃない第16回

「この野郎、また踏んでるな」
 二〇一二年、深夜一時過ぎの渋谷区円山町(まるやまちょう)。沢山の色が組み合わさっているようで、実は非常に少ない色で構成されているラブホテルのネオンの灯り。その光が届かない街の外れに、ひっそりと佇む黄土色のビル。そこの七階にあるオフィスで、私は一人寂しく残業に励んでいた。
「どうせ踏むなら、もっと綺麗に踏めよ!」
 連日の徹夜作業で心に余裕をなくしていた私は、仕事用のデスクトップパソコンのキーボードに、己の拳、肘(ひじ)、顎(あご)、額(ひたい)を叩きつけた後、机に突っ伏して仮眠を取ることにした。パソコンをスリープ状態に切り替え、キーボードを枕にしてひと眠り。頬(ほほ)に柔らかく刺さるキーボードの感触が、足つぼマッサージのようで心地良い。

 メールマガジンの企画、制作、運用。それが当時の私の仕事だった。職務上の肩書きは一応編集長ということになっており、七~八名ほどの編集部員を束ねる責任ある立場を任されていた。といっても、メールマガジンの制作に難しい知識など必要ない。結局のところは、ひたすら取材をして記事を書きまくるだけの毎日だった。ここ最近は、新規事業であるエロ動画紹介サイトの運営も兼務していたので、その常軌を逸した忙しさに私の体は悲鳴を上げていた。
 我が社が制作していたのは、二十代の若者をメインターゲットにしたカルチャー系のメールマガジン。音楽、映画、ファッション、グルメ、エロといった情報がゴチャ混ぜになった低俗なものだったが、渋谷、新宿の若者を中心に一定の人気は保っていたようだ。正直楽な仕事ではなかったが、辞めるつもりはさらさらなかった。取材を通して、伝説のチーマー、ナンバーワン風俗嬢、家族を養うために脱ぎ続ける中年ストリップ嬢といった魅力的な人物と知り合える楽しさと、自分の文章でお金をもらえる喜びは、他の仕事では得難いものだったからだ。

 この仕事における問題点を挙げるとすれば、それはただひとつだけ。私以外の編集部員が全員ラッパーだということだ。
 まあ、ラッパーだろうがカルト宗教の信者だろうが、前科者だろうが、面白い文章さえ書いてくれれば何の文句もなかった。ただ、うちのラッパーたちは、文章の中でむやみやたらに韻(いん)を踏みたがる悪い癖があった。原稿チェックをする際は、内容よりもまず先に、文中にちりばめられた韻を確認する必要がある。我が社のラッパーどもときたら、蕎麦屋(そばや)の食レポ記事の中にも、無数に韻を踏んでくるので油断も隙もない。
「韻を踏む」というのは、簡単に言えば、言葉の母音を揃えることである。
 たとえば、「蕎麦屋の王道ど真ん中をいく四番打者」という言葉の中には、「ど真ん中」と「四番打者」という言葉の母音が「おあんああ」で統一されて韻が踏まれているわけだ。自己流で韻を勉強した私は、母音は合っていても不自然な言葉の組み合わせだったり、口に出して読んだ時にリズムが悪かったりする韻には赤字を入れるようになった。編集長の韻踏みチェックである。朝礼にて、「どうせ韻を踏むなら綺麗な韻を踏みましょう」と、よく分からない訓示をしたこともあった。それほどヒップホップが好きでもないのに、日に日に「韻」に敏感になっていく自分が恐ろしかった。これも一種の職業病なのか。

 時は戻り、深夜二時の渋谷区円山町。三十分ほど仮眠を取った私は、荒ぶった心を落ち着けるため、職場を抜け出して宇田川町(うだがわちょう)へ向かった。水曜の夜だというのに街はいつも通りの喧騒で、それが逆に私を安心させた。宇田川交番近くの中華料理屋「兆楽(ちょうらく)」のルースー炒飯を胃の中に掻き込みたいところだが、深夜のルースー炒飯はヤバい。アレは麻薬だ。心が弱っている時に、下手にアレを口にしてしまうと、仕事も人生も何もかもを放棄してしまいかねない劇薬なのだ。今日のところは、富士そばのかつ丼もりそばセットにしておこう。まあ、これもこれで充分に危ない代物なのだが。
 かつ丼をぺろりとたいらげた私は、爪楊枝(つまようじ)を口にくわえて富士そばの外に出た。職場に戻ろうと歩き出した瞬間、「カツドン? マタカツドン?」と、店の近くで呼び込みをしていたコリアン系の立ちんぼ女が声をかけてくる。「カツドンタベタアトハガム。ハイ、ガムアゲル」と、ブルーベリーガムを渡してくる彼女。「変なもの入ってんじゃないの?」と言いながらも、特に警戒せず、もらったガムを口にする私。「キョウハビンタイイノ?」と彼女が聞いてくる。「ああ、今日は大丈夫。ありがとう」と礼を言って、私は円山町へと足を向けた。高校生の時、ひょんなことから、学校のマドンナに毎日ビンタをされるという特異な経験をしたおかげで、美しい女性にビンタをされると興奮する変態になってしまった私。渋谷で働くようになってからは、仕事に疲れると、この立ちんぼ女に五千円でビンタをしてもらって、己の欲望を解消していた。私はいったいあとどれくらいこの女の世話になるのだろうか。こいつは性格の悪い女だが、ビンタだけはべらぼうに上手いから大好きだ。
 
 ラブホテル街を抜けて、職場へと続く円山町の坂の途中で、意外な人と出くわした。まさかのトリケラさんだった。『UFO』を歌っていた時のピンク・レディーのようなキラキラと銀色に光るドレスに身を包んだ彼女は、おそらく今一番渋谷で眩しいオカマだった。
「トリケラさん! え、なんでこんなところにいるの?」
「お! 最近店に顔を出さない裏切り者じゃねえか! 殺すぞ!」
「いやいや、仕事が忙しくてさ。なんで渋谷に?」
 完全に酔っぱらっているトリケラさんから、なんとか話を聞き出す。渋谷で働いている友達のオカマが、今日限りでお店を卒業するので、その送別会に顔を出したトリケラさん。笑顔で見送るつもりが、ちょっとしたことで喧嘩(けんか)をしてしまい、お店を飛び出してきてしまったというのだ。
「早くお店に帰って仲直りしなよ」
「うるせえな、私に指図するんじゃないよ」
 自分のお店だとしっかりしているトリケラさんも、プライベートだとこんなに酔っぱらうんだなと思った。いつもは大人なオカマがちょっとだらしないだけで、こんなにも可愛く見えるとは。
「トリケラさんはこれからどうするの? タクシーで帰る? それとも別のお店に行くの?」
「退店祝いでかなり金を包んじゃったからさ、持ち金がないんだよ。タクシー代か飲む金よこせよ。いつも私に世話になってんだろうが!」
「やだよ。俺はまだ仕事中なの。今から職場に戻って原稿書くんだよ」
「お? お前の職場ってこの近くなの? じゃあ、そこに連れてけ! そこで休ませろ!」
「ええ......」
 普通なら断るのが当たり前だが、私の会社は、クラブで酒を飲み過ぎたラッパーたちが、始発までの時間を潰しに来るのが日常茶飯事(にちじょうさはんじ)の無法地帯だった。会社の責任者である社長ですら、たまにナンパした女を連れ込んでお楽しみなのだから目も当てられない。断る理由は特にないし、私の職場にトリケラさんが居ることを想像したらなんだか笑えてきた。よし、今日の仕事はもうおしまいだ。そうと決めたら行動あるのみ。すぐさま職場の近くにあるローソンで酒とつまみを大量調達する。「からあげクンを全部買え! 唐揚げパーティだ!」というトリケラさんの命令に従い、店頭に出ているだけのからあげクンを買い占める。しめて十五箱で総額三千円を超える出費だったが、トリケラさんの嬉しそうな顔を見られるなら、これぐらいは安いものだ。
 
「ここがお前の席か~。なるほど、編集長だけあって偉そうな場所に座ってるな~」
 悪酔いして目が据わっているトリケラさんは、瓶のスミノフアイスをラッパ飲みしながら、私の席に座った。足を組み直してこちらを見つめるトリケラさん。映画『氷の微笑』のシャロン・ストーンに負けずとも劣らない妖艶さだ。トリケラさんが私の上司だったら、少しはこの仕事も楽しいのにな。缶チューハイを飲みながら、そんなことをぼんやり考えていると、トリケラさんが勢いよく立ち上がった。
「おい、ミュージックスタート」
「え? 何? ミュージック?」
「お店だとお金取るけど、今日は特別にタダでいいわよ。好きな曲かけなさい。踊ってあげる」
「あ、うん、パソコンから流すよ」
「私の気が変わらないうちに早くしろよ。早く!」
 しばし頭を悩ませた後で、私は、a‐haの『Take On Me』をセレクトした。イントロでシンセサイザーが奏でる「パパラパッパ♪ パッパッパパパパラ♪」という軽快なあのメロディに合わせて、トリケラさんが華麗なステップを踏みはじめる。曲のサビでは、バレリーナのように華麗に宙を舞うオカマ。その美しさには、思わず息を飲むしかない。
 いつものお店と違って他のお客さんがいない二人だけの空間でのダンスショー。とても贅沢な時間を過ごしている。なんだかちょっと照れ臭いけど。映画『あぶない刑事』で怪我をしたタカ(舘ひろし)を勇気づけるために、相棒のユージ(柴田恭兵)が華麗なダンスを踊るという大好きなシーンがある。憧れた映画のワンシーンが目の前で再現されていることに感動を覚えた。ただし踊っているのはオカマだけれども。
 一曲踊り終えて、準備体操は完了といった感じのトリケラさんが「次はどの曲踊るかな、お前も一緒に踊れる曲にしようぜ」と言っていると、職場の玄関の方が一気に騒がしくなった。
「編集長! 残業お疲れ様です! 差し入れですってあれ? 銀のオカマがいる!」
「編集長がオカマ連れ込んでる! 編集長、両刀使いなんだ! すげえイル(最高、クール)なことしてる!」
 どうやら、近くのクラブで遊んでいた編集部員のラッパーたちが、残業中の私の激励に来てくれたようだ。ちくしょう。仕事でどれだけ迷惑をかけられても、ラッパーは良い奴が多くて嫌いになれない。
「どうも~! 編集長とねんごろのオカマです~!」と、トリケラさんもさらに上機嫌になる。これはもう私も覚悟を決めるしかないようだ。
 酒と踊れる音楽とバカが揃えば言葉はいらない。私とラッパーとオカマは、お互いにお気に入りのダンスナンバーをかけ合って、汗まみれになって朝まで踊り明かした。

 頭が割れそうな頭痛を抱えながら、始発電車に乗って三日ぶりの自宅へ。すぐに帰ればいいものを、私は住職のいるお寺に立ち寄る。境内(けいだい)の掃き掃除をしている住職を見つけ、小さく手を振った。
「住職、実は昨日の夜、すげえ楽しいことがあったんですよ」
「ほう、それはよかったですね」
「下手したら人生で一番楽しかったかもしれないです」
「すごいじゃないですか」
「はい、楽し過ぎたから、このまま家に帰って一人で居たら、寂しくて泣いちゃうかもしれないんです。だから、ちょっとだけ俺の話を聞いてくれますか?」
「ほほ、いいですよ。では掃き掃除が終わるまで待っててくださいね」
 境内のベンチに腰をかけ、いったい何から話せばいいものかと思いながら、私はにっこりと笑った。
 熱いお茶とお茶菓子を持った住職がこちらに歩いてくるのが見えた。
 ああ、私は今とっても幸せだ。
 誰に何と言われようとも幸せだ。
 でも、坊主が踊ってくれたらもっと幸せだ。
 住職、申し訳ないですが今日は踊ってもらいますよ。
 今日の俺はいつもよりしつこいです。

 その日、早朝のお寺の境内では、a‐haの『Take On Me』が何度も鳴り続けた。

男じゃない 女じゃない 仏じゃない

Synopsisあらすじ

6年間同棲した彼女と別れ、仕事も辞めた著者。孤独な日々の中で出会ったのは、由緒あるお寺のお坊さんと、オカマバー勤務の筋骨隆々なオカマだった。歩む道は違えど信頼できる2人に、著者は人生相談を持ちかける……。仏の教えとオカマの人生経験。2人のアドバイスに振り回される著者は、本当に悩みを解決できるのか!? 『死にたい夜にかぎって』著者による元気をくれるエッセイ。

Profile著者紹介

つめ・きりお

1979年生まれ。2014年『夫のちんぽが入らない』のこだま氏とユニットを組み、同人誌即売会・文学フリマに参加。2018年、webサイト「日刊SPA!」で驚異的なPVを誇った連載をまとめたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビュー。自身の恋愛と苦い人生経験をポジティブに綴った本作はネットを中心に話題沸騰。以来、書店イベントから夏フェスまで多種多様なイベントに出演し、注目を集める。

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