波乱万丈な頼子第十二回

三章

12

 久能頼子からのメールは、異常に長いものだった。
 莉々子は、ふと視線を上げると、きゅっと目をつむった。乾ききった目の表面に、涙がじゅわーと染みこむ。
 目頭を充分に揉んで、眼球に涙が行き渡ったところで、莉々子は静かに瞼を開けた。
 そして、飲みかけの缶コーヒーをぐいっと飲み干すと、パソコンのディスプレイに再び視線を貼り付けた。

   +

 今度のお正月には、どんなお土産をもってくるだろう? どんな服をもってくるだろう? そう考えただけで、胸がはちきれんばかりでした。
 そんなことを夏前から思い描いていたんですから、私の思いがどれほど強かったか、今思うと、痛々しいほどです。
 でも、二番目の姉は、そのお正月には帰ってきませんでした。病気で亡くなったのです。
 あのときの悲しみは耐えがたいものでした。大好きな姉を亡くした喪失感と、楽しみにしていたお土産と服がもう手に入らない絶望感。特に後者が強烈で、私はそのとき、自身の物欲のすさまじさに身悶えするほどでした。
 その物欲が、その後の私の人生を決定づけることになります。
 とにかく、欲しい。あれが欲しい、これが欲しい、あの人が持っているものが欲しい。
 私の人生は、すべて、そういった物欲に彩られていきました。
 特に欲しいものでも、特に必要なものでもないのに、とにかく、欲しくて仕方ないんです。なにかの病気かもしれないと、病院に行くことも考えたほどです。
 実は、私、一度結婚しているのですが、この物欲のせいで離婚されてしまいました。あれもこれも買い込み、ときには借金までして買ってしまう。そのせいで部屋はモノで溢れました。まさに、ゴミ屋敷です。そして、借金漬けにもなってしまったんです。
 そんな私に夫は見切りをつけて、出て行ってしまったんです。
 せっかく、サラリーマンと結婚したのに。憧れのサラリーマンと。
 ああ、結婚したときはまさに幸せの絶頂だった。なのに、その十年後には破綻してしまいました。
 子供がいたら、また違った人生だったんじゃないかと思います。もしかしたら、子供がいない寂しさを、モノで埋めていたのかもしれません。
 その元夫も、風の便りで、数年前に亡くなったと聞きます。
 姉たちもとっくの昔に亡くなり、私には身寄りというものがいません。
 最初に言いましたが、私は、天涯孤独なのです。
 家系を遡れば、遠い親戚もいるかもしれませんが、そんな見たことも会ったこともないような親戚に頼るわけにはいきませんし、そもそも、親戚のほうからお断りされるでしょう。私が逆の立場なら、そうします。
 とにかく、もうこれ以上、人様にご迷惑をおかけしたくないのです、お手を煩わせたくないのです。
 できれば、このまま消えてなくなりたい。私が生きた痕跡をすべて消し去って。
 そう、散骨。
 どこかの海でも空でも、骨をばらまいてほしい。
 それが、今の私の唯一の希望なのです。
 でも、身元保証人もいない私の骨を、ばらまいてくれる人なんているのでしょうか?
 いったい、どうすれば、私の希望は叶いますでしょうか?
 どうか、お知恵とアドバイスをいただけたら。
 ではでは、長文、失礼しました。

   +

「おひとりさまの終活か......」
 明石先生の声が頭上からして、莉々子の体がきゅっと竦む。
 振り返ると、腕を組んだ明石先生が莉々子のパソコンを上から覗き込んでいる。
 いつから、そこに?
「わたしも他人事じゃないのよ」
「え? でも、先生は――」
 主婦じゃなかった?
「旦那とは離婚しちゃったから」
 え、そうなの?
「あっちは、すぐに再婚してね。子供もできて新しい家庭を作っている。一方、わたしは子供には恵まれなかったからさ。まさに、おひとりさま。今は、おひとりさまの自由を謳歌しているけど、老後のことを考えると、悩みはつきない」
 でも、完全なおひとりさまってことではないんでしょう? 兄弟姉妹とか親戚とか......。
「わたし、ひとりっこなのよね。両親は高齢者施設に入っているけど、あの施設に入れたのだって、わたしという身元保証人がいたからよ。どんなにお金を積んでも、身元保証人がいなきゃ、部屋は借りられないし、施設にも入れない。つまり、私の場合は、老後は部屋も借りられないし、施設にも入れないってことなのよ。両親があの世にいったら、正真正銘の天涯孤独になるから」
 ......そうなんだ。
「国もね、もっと真剣におひとりさまの老後のことを考えたほうがいいと思うのよ。法律も変えるべきだし、なんなら新しく作ったほうがいい。『おひとりさま法』みたいなものを。でなきゃ、この国はとんでもないことになるわよ。だって、これから、おひとりさまの老人ばかりになるのははっきりしているんだから。あなただって、おひとりさまのおばあちゃんになる確率は高いんだから」
 まあ、確かにそうだ。うちの母なんかは「リリちゃん、結婚しなくてもいいのよ。私とずっと一緒に暮らそう」なんて無責任なことを言っているけど。自分もそうなるだろうとどこかで予感しているけど。でも、そうなると、母親が死んだあとは、私も天涯孤独になる。部屋を借りることも施設に入ることもできない、おひとりさまに。そう考えたら、ぞくっと寒気がしてきた。
「だから、わたし、おひとりさまの終活をライフワークにしたいって、今、真剣に思っているのよ」
 なるほど、だから、終活にとりわけ熱心に取り組んでいるわけか。
「久能頼子さんの力にもなってあげたかった。この相談メールにも応えてあげたかった......」
 明石先生は、しばらくは脱力したように天井を仰いでいたが、
「よし、わかった。徹底的にやりましょう、この案件」
 と、拳を握る。
「まずは、久能頼子さんを掘り下げましょう。そうすれば、契約上の住人との関係もおのずとはっきりしてくるでしょう。ということで、高幡さんも、手伝ってくれる?」
「もちろんです!」
 莉々子も拳を握った。

   +

 が、既存の仕事に追われて、なかなか久能頼子の件まで手が回らなかった。さらに、大きな訴訟案件が入り、その準備で残業に次ぐ残業。
 そんなこんなで、一週間が過ぎた頃。
「高幡さん、高幡さん!」
 と、藤村がどこか興奮気味に声をかけてきた。「高幡さん、動画見ました?」
「動画?」
 ああ、そういえば最近、とんとご無沙汰だ。動画どころか、ネットサーフィンしている暇もなかった。
「ごめん、今、動画の話をしている場合じゃないのよ。あとにしてくれる?」
「あとにしていいんですか?」
「は?」
「だって、高幡さんご自身にかかわることですよ?」
「は? は?」
「これ、見てください」
 そして、藤村は、自身のスマートフォンの画面をこちらに向けた。そこには、なにやら動画が表示されている。
「うん?」
 いわゆる、シニアVLOGだ。首から下のエプロン姿のシニアが料理をし、テロップが流れるという、例のVLOGだ。
「え?」
 莉々子は、固まった。
「これ、もしかして、高幡さんが送った動画じゃないですか?」
「.........」
「そうですよね? いつだったか、ちらっと見せてくれましたよね? その動画ですよね?」
 藤村の言う通りだ。
 これは、私が撮った、母の姿だ!
「信じられない! だって、契約もまだ正式に交わしてないのよ? なのに、動画を勝手に使って!」
「そこが問題じゃないですよ。問題は、このタイトルですよ!」
「え?」
 莉々子は、今更ながらにその文字列を追った。
【波乱万丈】頼子のステキなおひとりさまライフ【新居】
「よ、頼子? どういうこと?」
「ですから、波乱万丈な頼子の続編ですよ」
「続編?」
「一度配信を止めた頼子が、新居に移って、心機一転、配信を再開した......というストーリーなんですよ!」
 は? は?
 でも、映っているのは、うちのママだよ? ママは頼子じゃないよ? つか、頼子は鎌倉のアパートで死んだんだよ? 
 錯乱していると、
「しっかりしてください、高幡さん。情報を整理しますから」
 と、藤村がいつものようにホワイトボードにペンを走らせた。

『波乱万丈な頼子→架空→誰かが作り上げたキャラクター→頼子は一人じゃない、キャストは何人かいた可能性→アパートで死んでいた頼子はそんなキャストの一人→高幡さんの母親(静子さん)もキャストの一人に選ばれた』

 そう書かれた文字を見ても、莉々子はしばらくは理解ができなかった。

次回の更新は5月3日を予定しております

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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