影なき街角 第16回
かりにも、〈アルハンブラ・パレス〉の経営が傾いたりしたら、とても全員を雇い続けることは、むずかしいだろう。
どうやらアープは、サルーンそのものを守るとともに、みずからの身の安全を図るためにも、警備関係には経費を惜しみなく、つぎ込んでいるようだ。むろん、店にそれだけの稼ぎが、あるからに違いない。
アープは自分の後半生を、この〈アルハンブラ・パレス〉の存続に、賭けているのかもしれない。つまりは、ガンマンとしての名声だけで、長い人生を生き延びることは不可能だ、と分かったのだろう。
一瞬スペンサーの頭に、自分もこの店で働いてみようか、という考えが浮かぶ。
いや、それはさすがに、リスクが大きすぎる。やはり、ピンカートンという組織に、店の警備全体を請け負わせた方が、安全だろう。
もちろん、アープ個人の警護には経験豊かな警備員を、別立てで張りつかせる。念のためもう一人、ハメットを助手につけてやればいい。どうやらアープは、ハメットを気に入ったようだから、それで文句を言うことはあるまい。
これは確かに、いいアイディアに思える。さっそく、前向きに検討してみよう。
スペンサーの思考は、突然新たなノックの音で、さえぎられた。
ボナーが、それに応じる。
「だれだ」
「ハヤトです」
その返事に、ボナーは少し虚をつかれた様子で、ドアに目を向けた。
「なんの用だ」
「巡回していたところ、こちらから人声が聞こえましたので」
それを聞くと、ボナーはアープを見返って、口早に言った。
「ハヤトは、先ほどお話ししたとおり、今週雇い入れたばかりの、警備員の一人です。その中でも、特に腕の立ちそうな男なので、あしたにでもお引き合わせしようか、と思っていました」
アープの目に、興味の色が浮かぶ。
「どんな男だね」
ボナーは少し考え、人差し指を天井に向けた。
「説明するのはむずかしいので、いっそご自分の目で、見ていただきましょうか」
そう言って、ドアの方に向き直る。
「ハヤト。鍵は、あいている。中にはいって、アープさんにご挨拶してくれ」
わずかな沈黙があり、それから返事が聞こえた。
「はい。それでは、失礼します」
ドアが、ゆっくりと開く。
はいって来たのは、フリルつきの鹿革の上下に身を包んだ、中肉中背の男だった。雪のように、真っ白になった髪を肩口まで伸ばし、それを三色の革紐らしきもので、きりりと留めている。
見たところ、肌の色艶や口元、目元のしわからして、七十代には達した年寄りだ。
しかし、背筋はまっすぐに伸びており、身のこなしも年を感じさせないものがある。
ただ、ハヤトは一人ではなかった。
ハヤトの後ろから、濃いグレイの上下に身を包み、同じ色合いのソフト帽をかぶった男が、はいって来た。濃い口髭を生やした、がっちりした体格の、中年の男だ。
男の手には、ドイツ製と思われる大型の自動拳銃が握られ、銃口はハヤトの首筋にぴたりと、突きつけられていた。
その男の顔を見て、ボナーはいささか虚をつかれた。
それは、例の定期的なスタッフの入れ替えで、ハヤトと一緒に採用したばかりの、警備員の一人だった。確か、名前はディック・プルマン、といった。
二人の様子を見て、さすがのアープの顔にも、いささかならず驚きの色が浮かんだ。
ボナーは、ことさらのんびりした口調で、プルマンの声をかけた。
「プルマン。いったい、なんのまねだ。拳銃を向ける相手を、間違えてやしないか」
プルマンは、じろりという感じで、ボナーを睨んだ。
「ハヤトに、ドアの外で見張れと言われたから、一緒にはいって来たのよ。おれは、ひとに指図されるのが、てんから嫌いでな」
言いながら、ハヤトの背を銃口で押す。
ハヤトはつんのめったが、わずかに一歩で踏みとどまった。
ボナーは、のんびりした口調を崩さず、プルマンに言った。
「あんたが、警備員の面接を受けに来たのは、われわれ下で働くためじゃなかった、というわけか」
「そのとおり。おれは、フリスコではいささか知られた、プロの殺し屋だ。ディック・プルマンは本名だが、覚えてもらって差し支えないよ。どうせ、あんたたちはここでこの世に、おさらばするんだからな」
ボナーはゆっくりと、両腕を左右に広げた。
「このとおり、わたしは丸腰でね。ほかの四人も、同じだろう。あんたは、拳銃一丁持ってない人間を五人も、ここで撃ち殺すつもりかね」
そう言って、にやりと笑ってみせる。
Synopsisあらすじ
1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!
Profile著者紹介
1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。
Newest issue最新話
- 第18回2024.12.27