影なき街角第5回

 

 
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 ダッシュ・ハメットが、あらためて言う。
「ついでと言っちゃなんですが、OKコラルの銃撃戦とやらの発端を、ご存じの範囲で聞かせていただけませんか」
 クリス・スペンサーは、ハメットの執拗(しつよう)な質問攻めに、少しうんざりした。好奇心の強さにも、ほどがあるとあきれてしまう。
 ハメットを見て言った。
「あんたは、近所に住むスマイルズとかいう、その銃撃戦を目撃したじいさんから、詳しい話を聞いたんだろう。それで十分じゃないか」
「まあ、話を聞いたのは、確かです。ただじいさんは、その銃撃戦がどういう理由で始まったのか、よく知らないと言っていました。以前から、クラントン一味とアープ兄弟の仲が、こじれていたことは確かだったらしい。ただ、一味が銃器を持って町へ来た、というだけで撃ち合いが始まったとは、ぼくには思えないんです。その撃ち合いの前に、両者のあいだになんらかのいざこざというか、衝突があったんじゃないか。そのあたりの事情を、聞きたいわけですよ」
 スペンサーは、酒がなくなったグラスを手に取り、バーテンダーにお代わりを頼んだ。 むろんこのバーにも、閉店時間がないわけではないだろうが、バーテンダーは何も言わない。二人の話のなりゆきに、興味があるのかもしれなかった。
 新しい酒が、目の前に置かれる。
 それを軽くなめて、おもむろに口を開く。
「おれが聞いた範囲では、銃撃戦の前夜アイク・クラントンが、ドク・ホリデイと酒場で出会って、激しい口論になったらしい。まさに一触即発というところへ、保安官のヴァージル・アープが駆けつけて、二人のあいだを分けたそうだ。その場はそれで収まったが、少しあとにアイクは別の酒場の前で、今度はワイアット・アープと出くわした。酒のせいで、気が大きくなっていたアイクは、あしたの朝になったら一対一で決着をつけてやる、とすごんだそうだ。もちろん、酔った上での大言壮語だろうし、ワイアットは相手にしなかった。とはいえ内心、やれるものならやってみろ、と思ったに違いないよ」
 ハメットが、眉根を寄せてうなずく。
「なるほど。銃撃戦の下地は、それなりにできていたわけですね」
「一夜明けた十月二十六日、銃撃戦が始まる前の午前中のことだが、ライフルと拳銃で武装したアイクが、アープ兄弟を探していたという話も、残っている。それを耳にした、保安官のヴァージルはアイクをどやしつけて、あっさり武装解除したそうだ。その上アイクを、治安判事のところへ連行して、罰金刑を食らわせたんだ」
 そこで言葉を切ると、ハメットが口を挟んだ。
「そうした一連のいざこざが、その日の午後に起きた激しい銃撃戦に、つながったわけですね」
「そう言っていいだろう。案の定、午後になるとアイクたちクラントン一味が、武装してOKコラルに集まっている、という報告がヴァージルの耳に届いた。ヴァージルも捨ててはおけず、兄弟のワイアットとモーガン、それにドク・ホリデイに応援を頼んで、クラントン一味の武装を解除しようと、OKコラルに向かったわけだ」
「そのときアイク自身は、午前中に銃器を取り上げられたから、丸腰だったはずですよね」
「そういうことになるな。だからこそ、アイクは撃ち合いが始まると同時に、ワイアットに『撃つな、おれは丸腰だ』と叫んで、そばの写真館に逃げ込んだわけさ。ちなみに、最初に発砲したのはアイクの弟の、ビリー・クラントンだったらしい。そのあとビリーは、アープ側の銃弾を三発も食らいながら、果敢に戦ったそうだ。結局はワイアットに、とどめを差されたわけだがね。実は、おれはそれをすぐ近くで、見ていたはずなんだが、あまりにすさまじい銃声に身がすくんで、断片的にしか覚えてないのさ。とにかく、流れ弾に当たるのが怖くて、ボードウォーク(板張り歩道)に伏せていたせいもあるがね」
 われ知らず、ハメットに対しては正直に、そう言った。
 これまで、その銃撃戦のことを聞かれたときは、地元のトゥムストン・エピタフ(墓碑銘)紙の当時の報道や、あちこちで見聞きした証言や噂話を、適当に脚色しながら、話していたのだ。
 ハメットは、腕を組んで上体をそらし、感に堪えない様子で首を振った。
「すごいですね。とにかく、その現場に居合わせただけでも、すごい」
 スペンサーは、また苦笑した。
 この若者は、ときにこちらがこそばゆくなるほど、話し相手を持ち上げる癖がある。
 考えてみれば、そうした聞き上手ともいえる性向もまた、ピンカートン探偵社の仕事にぴったり、といえるだろう。だれかれとなく、聞き込み相手から必要な話を引き出す才能は、やはり探偵の仕事に欠かせぬ資質の一つだ。
 そのとき、ドアが音を立てて揺すられた。
 すぐに、ロックされていると分かったらしく、今度は立て続けに低いノックの音が、耳に届いた。
 バーテンダーも、スペンサーとハメットも、黙って顔を見合わせる。
 ノックがやんで、かすかにささやくような声が、ドア越しに聞こえた。
「あけてくれないか、マノロ。中にいるんだろう、マヌエル・マルティネス。おれだよ、マノロ。ワイアットだよ」
 その切迫した口調に、スペンサーはハメットと、顔を見合わせた。
 同時にマヌエル・マルティネス、と呼ばれたバーテンダーはすぐさま、カウンターの隅の上げ蓋を押し上げて、入り口に向かった。
 ロックをはずし、ドアを引きあける。
 取っ手に引きずられるようにして、背の高い男が飛び込んで来た。

影なき街角

Synopsisあらすじ

1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!

Profile著者紹介

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。

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