影なき街角第3回

 ダッシュ・ハメットが、目を丸くして言う。
「ワイアット・アープが、このサンフランシスコで暮らしている、ですって」
 その、あまりにびっくりしたような反応に、クリストファ・スペンサーはたじろいだ。
 こめかみを掻いて、弁解がましく応じる。
「まあ、暮らしているというと言いすぎだが、ちょくちょくやって来るのは確かだ。実際に家があるのは、ロサンジェルスなんだがね」
 そうは言ったものの、サンフランシスコとロサンジェルスは、四百マイル近くも離れている。サザン・パシフィック鉄道を使っても、優に十時間前後はかかるだろう。ちょくちょくというほど、気軽に行き来できる距離ではない。
 ハメットも、疑わしげに首筋を掻いてから、念を押すように言った。
「すると、フリスコ(サンフランシスコの俗称)とロスの、どちらの町に住んでいるにせよ、ワイアット・アープがまだ存命であることは、確かなわけですね」
 スペンサーは、力強くうなずいた。
「そういうことさ。あちこちで、アープの噂を耳にするからな」
 少しおおげさに言う。
 ハメットが、アープの話題に食いついたことで、ピンカートン探偵社に引き入れる、取っかかりができた気がした。この若者は、体力も知力も人並み以上に備わっているし、探求心の旺盛(おうせい)なところからしても、探偵の仕事にはぴったりだ。
 優秀な人材を社に斡旋すれば、スペンサー自身の評価も上がるはずだし、手当ても相応に増えるだろう。
 ハメットが口を開く。
「あなたはこのフリスコで、アープと実際に会ったことがあるんですか」
 いきなり直球を投げ込まれて、またスペンサーはたじろいだ。
 一瞬迷ったものの、さすがに嘘はつけない。
「いや。あいにく、おれは会ったことがない。ただ、アープと出会ったことがある、というやつには何人も出会ったよ」
 スペンサーが応じると、ハメットは首を振って苦笑した。
「そういう連中も、アープと出会ったことがあるやつの話を、聞いただけなんじゃありませんか」
 そう言われると、スペンサーは肩をすくめるしかなかった。
 アープの話をしてくれた連中が、事実を言っているかどうか分からず、それを確かめるすべもなかったからだ。ハメットの言うとおり又聞きだったり、又聞きの又聞きだったりという可能性も、なくはないのだった。
 ハメットが、真顔にもどって続ける。
「クラントン一味と、OKコラルで撃ち合ったときのアープは、まだ三十代の前半くらいだったでしょう。だとすると、それからちょうど三十年たった今は、六十ちょっと、という勘定になりますよね。それくらいの年なら、まだ生きていてもおかしくないわけだ。この町にいるかどうかは、別としてですがね」
 スペンサーは酒を飲み、向かいの壁にかかった峨々(がが)たる西部の岩山、モニュメント・ヴァレーの絵に目を向けた。
 少し考えてから、おもむろに言う。
「ニューメキシコからアリゾナにいたる、無法地帯の西部を生き抜いた連中の多くは、最終的に西海岸の都市を目指すんだ。ことに中年を迎えて、銃の腕が衰えたガンマンのほとんどは、撃ち合いを恐れてサンフランシスコや、ロサンジェルスに逃げて来た、といってもいい。今日びは鉄道の路線が増えて、旅そのものが楽になったからな。それにフリスコもロスも、ニューヨークやシカゴにはまだ及ばないが、西部ではもっとも近代化の進んだ町だ。警察組織も、それなりにしっかりしているし、人数もそろっている。だから、酔っ払いの撃ち合いも、喧嘩(けんか)に始まる殺し合いも、ほかの町よりはるかに少ない。年老いた西部のガンマンが、平穏無事な晩年を過ごしたあと、ベッドの上で静かに死を迎えるには、もってこいの場所なのさ」
 その長広舌(ちょうこうぜつ)を、黙って聞いていたハメットは、短く応じた。
「アープもその一人、ということですか」
 スペンサーはうなずいた。
「そうだ。銃の腕は、年を取れば取るほど衰えるから、西部の町じゃ長生きは望めない。その点、フリスコやロスはポリスマンの数が多いし、無法者もテキサスやアリゾナにいたときのように、好き勝手なことはできないんだ。それに、西海岸はどこでも船の出入りがあるから、仕事を探すのに苦労することもないしな」
 ハメットが、短くなった煙草を灰皿でもみつぶし、スペンサーを見る。
「アープに限って言えば、たとえこちらの町の治安が悪かったとしても、クラントン一味を壊滅させた英雄に、手を出す者はいないんじゃないですか」
 スペンサーはバーテンに、バーボンの水割りのお代わりを頼んだ。
 それを一口飲み、あらためてハメットの問いに答える。
「そんなに、甘くはないさ。さっきも言ったとおり、アープ兄弟とクラントン一味の戦いは、OKコラルの決闘で終わったわけじゃないんだ」
 ハメットは、首をかしげて応じた。
「ええ。むしろ、それが始まりだったという話は、よく分かりました」
 スペンサーは、肩をすくめた。
「繰り返しになるが、ワイアットの次兄ヴァージルと末弟のモーガンは、そのあと同じトゥムストンでクラントン一味の、闇討ちにあっている。詳しく言うと、ヴァージルは命に別状こそなかったものの、脚を撃たれてステッキなしには、歩けなくなった。また、モーガンはさっきも言ったとおり、玉突き場の窓の外から背中を撃たれて、即死した。たぶん、一緒にいたワイアットを狙った弾がそれて、モーガンに当たったんだろう。その仇(かたき)を討つために、ワイアットは闇討ちに関わった連中を、あちこち執念深く追い回した。そして一人ひとり、血祭りに上げていった、というわけさ。犯人の一人、フランク・スティルウェルなどは、闇討ちの直後トゥサンの駅のホームで、アープ兄弟や助っ人たちに追い詰められ、至近距離からまともにショットガンを食らって、体を穴だらけにされたそうだ」
 ハメットが軽く眉をひそめ、ごくりと唾をのむのが分かる。
 スペンサーも、バーボンの水割りを飲んで、喉(のど)を潤した。
 ハメットが、さらに先を促す。
「OKコラルで、臆病風に吹かれて逃げ出したアイク・クラントンは、アープの追跡をうまく逃れましたね。しかし結局は別の喧嘩で、だれかに殺されたわけでしょう」
 スペンサーは、小さくうなずいた。
「そうだ。アイクは、なんとかアープの手から、逃げ延びた。ところが、おれが聞いた話では、OKコラルの決闘の何年かあと、別件で自分を逮捕しに来た、名も知れぬ保安官たちと撃ち合って、あっさり射殺されたそうだ。まあ、悪党の末路というのは、所詮そんなものだろうが」
 そう話を締めくくると、ハメットはいかにも納得できた様子で、うなずいた。
 しかし、それでも満足しないらしく、独り言のように言う。
「それにしても、ドク・ホリデイは哀れでしたね」
 スペンサーは、酒を一口飲んだ。
「これもさっき話したが、ホリデイはOKコラルのあと結核が悪化して、コロラドの療養所で死んだわけだ。まあ当時、結核は不治の病(やまい)に近かったから、ホリデイも早くから覚悟して、無茶をしたんだろうな。まだ、三十六歳だったはずだ。ガンファイターとしては、平均的な寿命で死んだ、ともいえるがね。
「そうなんですか」
 ハメットの問いに、スペンサーはまた肩をすくめた。
「どんな早撃ち自慢のガンマンも、平均すれば三十代半ばくらいで、自分を上回る早撃ちに出会う、と言われている。そうやって、世代が交替していくんだ。ホリデイの場合は、ベッドの上で死ねただけ幸せ、と言ってもいいのさ」

影なき街角

Synopsisあらすじ

1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!

Profile著者紹介

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。

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