影なき街角第10回

 ダッシュの口元に、屈託(くったく)のない笑みが浮かぶ。
「お断わりするつもりはありませんよ、アープさん。ただ、わたしは拳銃を撃ったことがないし、手にしたことさえないんです。相手が、飛び道具が取り出したらお手上げで、その場合はアープさんに逃げていただくしか、ありませんね」
「それでもかまわんよ。何ごとも、経験だからな」
 アープが平然と言い、ダッシュはおおげさに肩をすくめた。
「まあぼくも、アープさんの盾になることくらいは、できるでしょう。それでよければ、喜んでお供しますよ」
 まるで、ピクニックにでも出かけるような、気軽な口調だった。
 アープが、いかにも愉快そうに、口元を緩める。
「それで十分だよ、ダッシュ。なんだかわたしは、逆にあんたの護衛を務めたい気分に、なってきた」
 それを聞いて、スペンサーはダッシュと一緒に、つい笑ってしまった。
 真顔にもどって、アープに言う。
「どうも、あなたの口ぶりから察すると、襲われるのを心待ちにしている、というふうに聞こえますよ。それがちょっと、心配な気がします」
 アープは、一度唇を引き結んでから、おもむろに応じた。
「そういうわけではない。そもそもわたしは、めったに一人で夜歩きをしないのだ。やむをえず出掛けるときは、いつもできるだけの用心をしているし、万一の場合の肚(はら)も決めている」
 一呼吸おいて、さらに続ける。
「わたしはトゥムストン時代に、弟のモーガンを背後から闇討ちにした、フランク・スティルウェルという無法者を、トゥサンの駅であの世に送ってやったのだ。その弟やら甥(おい)やらが、近ごろこのフリスコへ潜り込んで来て、わたしをつけ狙っているという、物騒な噂を耳にした。そうした連中は、昔ながらの西部の町もこのフリスコも、区別なしに考えるような愚か者だ。ほうっておくわけにはいくまい」
 スペンサーは少し焦って、飲みかけた酒を少しこぼした。
「三十年もたってから、そいつらは仇(かたき)討ちの仇討ちをしに、フリスコにやって来たわけですか」
「そういうことになるな。わたしは、ロサンジェルスに腰を落ち着けるまで、北部やカナダをあちこち動き回っていたから、連中も居場所を突きとめられずにいたのだ」
 一息入れて、さらに続ける。
「自分自身、年をとったことは分かっているし、昔と違うことはすなおに認める。だが、連中におとなしくやられる気は、さらさらない。銃の扱いは、昔ほどすばやくはいかないかもしれんが、正確に撃つことだけに限るなら、まだ若い者にひけをとらんよ」
 きっぱりと言いきり、ぐいと酒を飲み干した。
 その口調には、ただの強がりとは思えぬ自信の色が、にじみ出ている。年に似合わぬ鋭い目の光に、それがはっきりとうかがわれた。
 ダッシュが言う。
「ところでアープさん。どちらまで、お送りすればいいんですか。もちろんこの時間帯で、馬車をつかまえるのはまず無理だろうし、歩くしかありませんが」
「フリスコに来たときに泊まる、定宿へもどるつもりさ。ゲアリ通りと、テイラー街の交差点の近くにある、ベルヴェディアというホテルだが」
「ベルヴェディアなら、それほど遠くはありませんね。楽に、歩いて行ける距離だ。そろそろ、神輿(みこし)を上げましょうか」
 アープは、ちらりと壁の時計に目をやって、うなずいた。
「そうだな。では、勘定をしてもらおうか。三人分でいくらだ、マノロ」
 バーテンダーが、カウンターの中でのそりと立ち上がって、五ドルだと言った。
 スペンサーは黙って、アープに払わせておいた。何かと、めんどうな客を相手にしたわりには、安い値段だった。バーテンダーは、それだけアープに心服しているのだろう。
 アープとハメットが、ストゥールをおりるのに合わせて、スペンサーも腰を上げる。
「ごちそうさまでした、アープさん。お礼と言ってはなんですが、わたしもホテルまでお供しましょう。明日、支局へお越しいただけるそうですが、それまでに万一のことがあると、いけませんからね」
 アープは少し考えたが、さすがに断わることはせず、黙ってうなずいた。
 ダッシュが先頭に立ち、アープをあいだに挟むかたちで、店を出る。
 同じ順序で、縦に二ヤードずつ離れて並び、ジョーンズ街を北へ向かった。
 このまま三ブロックものぼれば、道幅の広いゲアリ通りに、出ることになる。ホテル・ベルヴェディアは、その通りを東へ一ブロック行った、右側にあった。

影なき街角

Synopsisあらすじ

1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!

Profile著者紹介

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。

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