影なき街角 第4回

 

 ハメットは、さらに質問を続ける。
「話はもどりますが、ワイアット・アープはロスに腰を落ち着けるまで、どこで何をしていたんですかね」
 矢継ぎ早の問いに、スペンサーは苦笑した。
 ハメットの好奇心、というか穿鑿(せんさく)好きはどうやら、天性のものらしい。しかしそれは、プロの探偵が持つべき重要な資質の一つであり、その点自分とよく似ているような気がした。
 あらためて、口を開く。
「そこまでは、おれも知らないな。アラスカで、金鉱掘りをしていたとか、サルーンを経営していたとか、いろいろ耳にはいってはくるが、どうせただの噂にすぎないから、当てにはならんよ」
 ハメットは少し考え、思慮深い口調で話を変えた。
「逆の立場から、考えてみましょう。アープは、クラントン一味の主(おも)だった連中を始末して、とりあえずは兄弟の仇を討った。しかし、やられた方の身内や関係者の中に、そのまた仇を討とうとして、アープをねらうやつがいても、不思議はないんじゃないですか」
 ハメットの指摘に、スペンサーはまた苦笑する。
「まあ、そういうやつもいたかもしれないが、アープは用心深い男だから、すきを見せることはなかっただろう。世紀が替わっても、アープの警戒心は一生、変わらんさ」
 そう言ったとき、カウンターの内側で椅子にすわり、新聞を読んでいたバーテンが、ひょっこり立ち上がった。
 新聞を床に投げ、スペンサーを見て言う。
「アープさん、たまにここへ、見えますよ」
 スペイン語訛(なま)りだが、確かにそう聞こえた。
 スペンサーは背筋を伸ばし、ハメットをちらりと見た。
 ハメットも、驚いた顔で顎(あご)を引き、スペンサーを見返す。
 スペンサーは、バーテンに目をもどした。
「それは、どういう意味だ。ワイアット・アープが、ときどきこの店に来る、というふうに聞こえたが」
 バーテンが、にっと笑う。
「確かにわたし、そう言った」
「いつから、どういうわけでアープは、この店へ来るようになったんだ」
 スペンサーが聞き返すと、バーテンは瞳をくるりと回した。
「三年ほど前だったか、夜中の二時ごろ店を閉めようとしたら、アープさんがはいって来ました。閉店だと断わったんですが、三十分延長してくれたら二十ドル出す、と言うんですよ。わたしも、それならとよしと思って、中へ入れてやった。するとアープさん、自分でドアの外へ〈CLOSED〉の札を掛けて、ここへ閉じこもったわけです」
 ハメットが、興味津々といった風情で乗り出し、質問する。
「だれかに、追いかけられているようでしたか、アープさんは」
 バーテンに対しても、ていねいな口調だった。
 バーテンが得意げに、顎髭(あごひげ)を人差し指でしごく。
「そう見えましたね、わたしにはね。それでわたし、アープさんをトイレに入れて、チェーンをしたまま表のドアを、細くあけた。すると、四十そこそこの男がドアの隙間から、ピストルを突きつけて、言いました。たった今、ここへワイアット・アープという男が、逃げ込んで来なかったか、とね。それでわたし、アープという男も、それ以外の男も、逃げ込んで来なかった、と答えました。そして、チェーンをはずしてドアをあけ、中を調べるように言ってやった。するとその男、ぐるりと店の中を見回しただけで、さっさと出て行きました」
 どうだと言わぬばかりに、また顎髭をしごいてみせる。
「それからアープさんは、どうしたんですか」
「アープさん、男がもどって来るのがこわかったのか、さらに三十分ほど店の中にとどまって、様子をうかがいました。それから、約束どおり二十ドルをわたしによこして、出て行きましたね」
 ハメットがうなずき、黙ってスペンサーを見る。
 スペンサーは、口を開いた。
「二つ、聞きたいことがある。一つは、なぜあんたがアープの顔と名前を、知っていたのか。もう一つ、アープは相手の男がどこのだれで、なぜ自分のことを追っているのかを、言わなかったかどうか。その二つだ」
 バーテンは、また瞳をくるりと回した。
「アープさんを知ったのは、この店を始める前に友だちのバーで、酒を飲んでいるときでした。少し離れた席に、初老の男がいましてね。そのときに友だちから、あれが昔西部で拳銃の名手として鳴らした、ワイアット・アープだと教えられたんです。アープさんは面長で、鋭い目つきと、よく手入れされた口髭の持ち主でした。一度見たら、忘れられない顔ですよ」
「なるほど。それで、もう一つの方は」
「アープさんを追っていたのは、丸顔でやはり目つきの鋭い、三十代の半ばに見える男でした。初めて目にする顔で、その男がなぜアープさんを追っていたのかは、知りません。アープさんも、何も言いませんでしたし」
 スペンサーは、ハメットを見た。
「その昔、アープにやられたやつの、身内か仲間の生き残り。あるいは、その息子ということも、考えられるな。となると、おれたちピンカートン探偵社の出番が、回ってくる可能性もなくはないぞ」
 ハメットが、また苦笑する。
「ちょっと、年月がたちすぎでしょう。いまさら仇討ちもない、と思いますよ」
 もっともな意見だと思ったが、絶対にないとは言い切れない。
 スペンサーは、グラスをからにした。
(続く)

影なき街角

Synopsisあらすじ

1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!

Profile著者紹介

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。

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