影なき街角第15回
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ダシール・ハメットは、いくらか緊張した面持ちで、クリント・ボナーとクリス・スペンサーを見比べていた。
ワイアット・アープが、ブランデー・グラスをそっとテーブルに置き、ボナーに目を向ける。
「今夜、あんたのほかにだれか、店に残った者がいるのかね」
ボナーは、拳を丸めて口に当てると、軽く咳払いをして応じた。
「ええ。実はもう一人、二人いるのです。今週、警備員として採用した者たちの中に、ハヤトと自称する、年寄りの男がいます。その男と、もう一人雇い入れた中年の男、それにわたしの三人が、今夜の宿直を務めています」
スペンサーは、三人も夜勤を置いている用心深さに、少し驚いた。
アープが、軽く顎(あご)を引いて聞く。
「ハヤトとは、聞き慣れない名前だな。チャイニーズかね」
ボナーは肩をすくめた。
「確かに、外見はそのような風貌ですが、自分では生粋(きっすい)のジャパニーズだ、と言い張っています。ジャパニーズなるものを、わたし自身はよく知らないので、真偽のほどは分かりませんが」
それを聞くと、アープは唇を引き締めた。
「ジャパニーズか。ジャパンというのは、確か太平洋を遠く隔(へだ)てた、東洋の国だぞ。そんなところから、何しにアメリカへ渡って来たのだ。信じられんな」
ボナーが人差し指を立て、軽く左右に振ってみせる。
「しかし、アープさん。チャイニーズはもっと昔から、それにもっと遠いアジアの大陸から、アメリカに渡って来ましたよ。ここフリスコ(サンフランシスコ)では、チャイナタウンができて久しいですし、ジャパニーズもそれにならって、ジャパンタウンを形成しつつある、と聞いています」
そう言って一度口を閉じ、さらに先を続けた。
「実は、そのハヤトなる男もつい先日まで、ジャパンタウンのさるキャバレーで、用心棒をしていたのです。一見して、なかなか腕のよさそうな男なので、うちの店に鞍(くら)替えする気はないかと、誘いをかけてみました。その店で、ハヤトは用心棒を務めるかたわら、カタナを使う曲芸まがいの技を、披露してたんですよ。それがまたすごい技で、これなら用心棒としても使いものになる、と直感した次第です。カタナというのを、ご存じですか」
アープは、ほとんど考えずに、首を振った。
「いや、知らんな。どんなものだね、そのカタナというのは」
「カタナはサーベルに似た、日本のソード(剣)のことです。サムライが、片時も離さずに持ち歩く、武器だと聞きました。ふつうは左の腰に、鞘(さや)ごと差しているらしいですが、ハヤトは腰ではなくて背中に、斜めにくくりつけています。なぜかは、知りません。その方がハヤトには、抜きやすいのかも」
アープが、記憶をたどるように、眉根を寄せる。
それから、おもむろに言った。
「だいぶ前の話だが、日本の外交使節団が国交を開くために、アメリカへやって来たことがある。そのとき、新聞に載ったサムライたちの写真を、目にしたのを思い出した。みんな、そろって髪を奇妙な形に結い上げ、二股になったスカートのように見える、緩いズボンをはいた男たちだった。その連中がみんな、カタナらしきものを腰に差していた、と思う」
ボナーがうなずく。
「そう、それがカタナです。連中はそのカタナを、われわれが拳銃を扱うように、巧みに扱うそうです。技に熟達したサムライは、年を取ってもさほど腕が衰えない、と聞きました。少なくとも、盛りを過ぎたガンマンの拳銃の腕ほどには、衰えないようです」
アープは苦笑して、小さく肩をすくめた。
「どうやら、あんたは自分と同じように、年のいった警備員が好みのようだな」
それにつられた感じで、ボナーも同じように肩をすくめる。
「経験と腕前を基準にすると、どうしてもそうなってしまう。若い連中は、やたらに銃をぶっ放すだけで、頭を使うことを知りませんからね。そんな無鉄砲な若造より、冷静沈着な年寄りの方が、よほど頼りになりますよ。そもそも年寄りは、すでに十分に長生きしていますし、若い者のように自分の命を惜しむ、などということはまずありません。ただ何もせずに、むだ死にするのをいやがるだけです。死ぬときは、かならず自分の仕事を全うしてから、と心に決めているんですよ」
スペンサーは、いかにもそのとおりだという意味で、二度うなずいてみせる。
一方アープは何も言わず、疑わしげに唇を引き結んだ。
ボナーが、なおも辛抱強く続ける。
「ちなみにアープさんも、そうじゃありませんか」
いきなり突っ込まれて、アープはぴくりと眉を動かした。
おもむろに応じる。
「まあ、あんたの言うとおりだろうな。確かにわたしにも、思い当たるものがあるよ」
スペンサーはうつむき、さりげなく耳の下を掻いた。
考えてみると、ボナーが雇い入れた警備員の人件費だけでも、そこそこの出費になる。経験に富んだ、腕利きの警備員の給料ともなれば、決して安くはあるまい。
Synopsisあらすじ
1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!
Profile著者紹介
1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。
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