影なき街角第2回


 クリストファ・スペンサーは、少しのあいだ考えた。
「あんたは、何年生まれだ」
「一八九四年生まれです」
 ダッシュ・ハメットの返事に、スペンサーは首を振る。
「すると今年、やっと十七歳か」
「それはそうですが、このとおり背丈は十分にあるし、はたちと言ってもだれも疑いませんよ。これでもけっこう、苦労してるんです」
 スペンサーは煙草を取り出し、ハメットにもすすめた。
 ハメットは躊躇(ちゅうちょ)なく、それを唇のあいだに押し込む。
 スペンサーも一本くわえ、先にハメットの方に火をつけてやった。
 おもむろに言う。
「それじゃ、あんたが生まれる十三年前、一八八一年の事件を話してやろう。ちなみに、おれは一八六二年生まれの四十九歳だが、当時はまだ十九歳の小僧っ子だった。そのころから、アリゾナのトゥムストンという銀鉱の町で、ピンカートン探偵社の見習い探偵をしていたんだ」
 ハメットは、眉をぴくりと動かした。
「トゥムストン。それなら、知ってますよ。確か、ワイアット・アープ兄弟とドク・ホリデイが、クラントン一味と撃ち合った町でしょう」
 スペンサーは少し驚いて、顎を引いた。
「そのとおりだ。よく知ってるじゃないか」
「近所の、スマイルズというじいさんから、聞いたんですよ。そのじいさんは、一八七七年から五年ほど、トゥムストンの近くのスリースター牧場で、カウボーイをしていたことがありましてね。トゥムストンの町にも、ときどき行ったものだと言ってました」
 スペンサーは、顎を引いた。
「ほんとか。だとすると、おれはそのスマイルズなるじいさんと、どこかで出会っていたかもしれんな」
 ハメットが、ぐいとビールを飲み干し、またお代わりを頼む。
 スペンサーは、指を立てて言った。
「ちなみに、そのじいさんはアープ派か、それともクラントン派か、どっちだった」
「当然、アープ派ですよ。クラントン一味は、駅馬車強盗や牛泥棒の常習犯だったし、アープ兄弟はそれを法の執行官として、逮捕しようとした。それで撃ち合いになり、クラントン一味がやられたわけです」
 スペンサーは、笑みを浮かべた。
「まあ、通説ではそうなっているようだな」
 ハメットが、顔をのぞき込んでくる。
「通説というと、実際の話はそうじゃない、とでも」
「そう言っても、間違いじゃないな。そもそも、あれは保安官のアープ側が、悪党のクラントン側を退治した、つまり法を執行したというわけじゃないのさ。あくまで、アープ兄弟とクラントン一味の私闘、つまりプライベートの決闘だったんだ」
 スペンサーの言に、ハメットは頬をこわばらせた。
「プライベートの決闘ですって。法の執行だったんじゃないんですか」
 スペンサーは、首を振った。
「それは、アープ一派の言い分だろう。町の連中によれば、あの前後に起きた駅馬車強盗は、クラントン一味がやったんじゃない、という話だ。それどころか、ドク・ホリデイのしわざに違いない、というのがもっぱらの噂だった。しかも、ホリデイと親しかったアープも、そのことを承知していた、というんだ」
 ハメットが、ゆっくりと首を振る。
「ほんとですか。信じられないな」
 スペンサーは、かまわず続けた。
「ところが、真相を知ったクラントン一味が、ホリデイを強盗の罪で治安判事に告発しよう、と動き出したんだ。焦ったアープは、そうさせまいとクラントン一味を挑発して、撃ち合いに誘い込んだ。連中が町へ来て、OKコラルに馬をつないでいるところへ、アープ兄弟とホリデイが押しかけたのさ。それから、一味を挑発して銃を抜くように仕向け、法の名のもとに始末しちまった、という次第だ。町ではそれが真相だ、と信じられていた。おれは、その前後のいきさつを、よく覚えてるんだ」
 そう言い切ると、ハメットは疑わしげな顔をした。
「スマイルズじいさんは、OKコラルでの撃ち合いを自分の目で見た、と言ってました。今のあなたのお話は、じいさんが聞かせてくれた目撃談と、合いませんね」
 スペンサーは、思わず体を引いた。
「そのじいさんが、決闘を見ていたって。ほんとか」
「そう言ってました。決闘のさなかに、OKコラルの真向かいにある、下宿屋の窓から一部始終を、目撃したそうです」
 ハメットが、自信ありげに言い切る。
「そりゃまた、奇遇だな。そのじいさんは、あの決闘をどう話してたんだ」
「保安官のアープ兄弟は、トラブルを避けるためだれに限らず、トゥムストンにやってくる者に、銃器の持ち込みを禁じていました。ところがあの日、クラントン一味はライフルと拳銃で武装して、町にやって来た。アープ兄弟は一味の武装を解除しようと、ホリデイに助っ人を頼んで、OKコラルに出向いたわけです。しかしクラントン兄弟も、仲間のマクローリー兄弟も、武装解除に応じなかった。それどころか、いきなり銃を抜いて撃ち合いを挑んだ。アープ側も果敢に応戦して、クラントン一味を倒したわけです。もっとも、頭目のアイク・クラントンは、拳銃を身につけておらず、現場から一目散に逃げ去りました。弟のビリー・クラントンと、マクローリー兄弟の三人はその場で、射殺されてしまった。アープ側は、ホリデイと兄弟が負傷しただけで、だれも命に別状はなかった。ワイアット自身は、まったくの無傷だったそうです」
 スペンサーは驚いて、首を振った。
「撃ち合いは、わずか三十秒のうちに両者のあいだで、合わせて三十発の応酬があった、と聞いている。その中で、ワイアットだけが無傷だったとすれば、よほど悪運の強い男だったんだな」
「そのころから、ワイアットを狙った弾丸は全部ワイアットをよけて飛ぶ、と言われるようになった、と聞いています」
 ハメットの説明に、スペンサーは少し間を置いて言った。
「実のところ、アープ派とクラントン派の戦いは、それで終わったわけじゃないんだ。むしろそれが始まりだった、と言った方がいいだろう」
 ハメットが、首をかしげる。
「と言いますと」
 スペンサーは、肩をすくめた。
「アープ兄弟の次兄、ヴァージルは闇討ちにあって片足が不自由になるし、弟のモーガンは玉突き場の窓から、狙撃されて死ぬ。ワイアットは、その仇を討つためにあちこち追跡して、一人ひとり血祭りにあげていく、という寸法だ。結局、アイク・クラントンには出会いそこなって、アイクは別の喧嘩で殺されてしまう」
「ドク・ホリデイは、どうしたんですか」
「結核がひどくなって、コロラドかどこかの療養所で死んだらしい」
「ワイアット・アープは」
「詳しくは知らないが、長生きしてこのサンフランシスコで暮らしている、という話を聞いた」

影なき街角

Synopsisあらすじ

1911年、サンフランシスコ。ピンカートン探偵社支局長のクリストファ・スペンサーは捜査の途中、路地で不良少年たちに襲撃を受ける。窮地を救ったのは白い麻のスーツを着た長身の男。彼は名前を、ハメットと名乗った――。逢坂剛が敬愛する作家・ダシール・ハメットを題材に描く、新たな探偵小説、開幕!

Profile著者紹介

1943年東京生まれ。80年『暗殺者グラナダに死す』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。86年に刊行した『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2013年に日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』で吉川英治文学賞を受賞。「百舌」シリーズや「長谷川平蔵」シリーズなど著作多数。

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