定年物語第十三章   激動......の定年後


 正彦さんが定年になって、三年が過ぎて。
 ここしばらく〝老化〟を意識するようになり......それもあってここ三年を振り返ってみたら。
 なんか、陽子さん、驚いてしまった。
 この三年......激動の三年だったような気がする。
 うん、2020年と2021年と2022年と2023年......やってることが、おそろしく違ってきてしまっている。
 考えてみると、これは、なんだかとっても変な気がする。
 正彦さんが会社に勤めている時ならね、〝激動の三年〟っていうのは、ありなんじゃないかとは思う。会社員やっていて、三年たてば、そりゃ、社会情勢だの会社の状況なんかで、〝激動の三年〟になってしまうのは、ありでしょう。いきなり昇進することになったり、リストラ問題なんかが発生してしまったり、何かしら会社に大問題が起こったり、まったく違う部署に異動になったり、現役のサラリーマンなら、〝激動の三年〟は、ありだ。もっと若い頃なら、それこそ、子供ができた、とか、転職した、とか、思いっきり激動してしまう三年も、あり、だ。
 けど......定年っていうのは、陽子さんの気分で言えば、まあその......社会から引退した状況、だよね? 引退して、のんびりと、悠々自適とか、晴耕雨読みたいに形容される日々を過ごす、それが〝定年〟だと思うのに......この状況で、〝激動の三年〟っていうのは、何なんだ。......引退したひとが、何だって激動の三年を過ごさなきゃならないんだ。引退した後の激動って、一体それは何なんだ。

 実は、定年になって、正彦さんが一番変わったのは、陽子さんの希望で、家事に参画してくれるようになったってことだ。で、正彦さんが主にやっているのは、洗濯と台所の洗い物とトイレ掃除。
 三十何年主婦業をやっている陽子さんは断言したくなる、洗濯と洗い物とトイレ掃除で、〝激動の三年〟は、ないだろうって。いや、昭和初期の主婦で、家に初めて洗濯機がはいったのなら、それは〝激動の洗濯改革〟なんだろうし、平成の主婦で、家に初めて食洗機がはいったのなら、それは〝激動の洗い物改革〟なのかも知れないけれど、令和でそれはなあ......ない、と、思うのよ。
 ところが、あった。
 不思議なことに、正彦さん、どんどん精力的に洗濯をするようになり――〝洗濯〟に、〝精力的〟という形容がつくのが、すでに、陽子さんにしてみたら謎だ――、これがもう、本当に激動の三年。
 そもそも、陽子さんは、常に兼業主婦だったので――これは、陽子さんが作った言葉。このひとは、十七で仕事始めて以来、専業で何かをやっていたことが、ほぼ、ない。〝作家であり高校生〟とか、〝作家だけど受験生〟とか、〝作家であり大学生〟とか、〝作家であり主婦〟とか、大体何かを兼業していたのだ――、兼業主婦歴三十年の陽子さんにしてみれば、家事はもう、手を抜くのが前提条件。
 勿論(もちろん)それは好ましいことではないんだけれど、仕事が忙しい時には、家事をさぼる、これを前提にしていないと、そもそも生活が回らなかった。中でも、陽子さんにとっては、第一に手を抜くべき家事は掃除であり――家が散らかっていても埃(ほこり)があってもひとは死なない、が、陽子さんのモットーだ――、次に手を抜くのが洗濯。――ある程度予備の服というものがあるのだ、洗濯物が山になっていても、その日に着ることが可能な服があるのなら、ひとは死なない――。調理だけは、御飯を食べないとひとは死ぬので、これは絶対に手を抜けない家事なんだけれどね。
 だから。正彦さんに洗濯と洗い物とトイレ掃除をお願いした時、陽子さん、これだけは正彦さんに保証したのだ。
 忙しくなったら、手を抜いていいからね。だって、洗い物が台所のシンクに溜まっていても、洗濯物が山になっていても、トイレがどんなに汚れていても、それでもひとは死なないから。まあ、〝死ななきゃいい〟というレベルで家事を考えるのは、そもそもどっかおかしいとは、陽子さんだって思わない訳じゃないんだけれど......こう考えないと、ほんとに忙しい時、大島家の家事は回っていかなかったから。それにまた、〝原稿を落とすこと〟と、〝シンクが洗い物で一杯になること〟、〝洗濯物が洗濯機の前で山積みになっていること〟を比較すれば、〝原稿を落とすこと〟が一番避けなければいけないっていうのは、陽子さんにしてみれば、自明の理だったので。
 ところが。
 陽子さんが本気で保証していたにもかかわらず......気がつくと、いつの間にか、正彦さん、どんなに忙しくなっても、洗濯と洗い物とトイレ掃除の手を......抜かなくなっていたのだ。特に洗濯は、ほんとに凄(すご)いいきおいで手を抜かなくなってきたのだ。
 夜、十一時を過ぎて。その頃まで俳句をやっていた正彦さんが、そんな時間から洗い物や洗濯を始めようとした時、陽子さん、言った。
「だからね、家事はね、手を抜いていいんだってば」
 けど、正彦さんは、そんな陽子さんの(陽子さんにしてみれば〝思いやり〟である)台詞(せりふ)に、まっこうから首を振って。
「洗い物をやってシンクを空けておかないと、明日おまえが御飯を作れなくなる」
 ま、そりゃそうなんだけれど。けど、正彦さんが会社員だった時代は、そもそも陽子さんが、すべての洗い物をやり、そして御飯を作っていたのだ、だから、シンクに洗い物が山になっていたとしても、陽子さんはそれをすべて洗って、御飯を作ることができる。締め切りさえ迫っていなければ、むしろ洗い物なんて気分転換にもなる。
「洗濯物は、もっと酷(ひど)い。......洗い物が溜まっていたら、おまえはそれを洗って御飯を作ってくれるだろうとは、俺も思う。けど......洗濯物が溜まっていても、おまえ、それ、無視するだろ?」
 ......ああ......それは確かに、そのとおり。こちらは、陽子さんにしてみれば、〝台所の洗い物〟より、一段重要度が下がる家事だから......陽子さん、たとえ締め切りがまったくなくても、かなり暇でも、絶対に、無視するに決まっているよね。
「洗濯物が溜まるのは困る。これだけは無視される訳にはいかない」
 ......そ......そ......そうか。確かに正彦さんは、陽子さんとは違う。このひとは、根本的におしゃれなひとなのだ。夏場のTシャツなんて、清潔であればどれ着たっていいって陽子さんは思っているのだが、正彦さんは違う。明日はどのTシャツを着ようか、なんて、陽子さんにしてみればどうでもいいことを本気で考えているし、コーディネートなんて奴まで、しているのだ。(清潔でありさえすれば、組み合わせなんてどうでもいいじゃん、というのが、陽子さんの根本的な服装に対する意見だ。)
「そして何より、今、洗濯機の中には、洗い終わった洗濯物がはいっている。これはすぐに干さないと、臭(にお)うようになってしまう可能性がある」
 ..................?
 この言葉を聞いた瞬間。陽子さんは、ちょっとあっけにとられてしまった。
 何日も同じ服を着続けているのがまずいっていうのは、陽子さんにも判(わか)る。不潔な服を着るのがまずいっていうのも、陽子さんは、判る。けど......〝洗濯機の中にはいっている洗濯物をすぐに干さないと、この洗濯物が臭うようになってしまう可能性がある〟っていうのは......あの......それは......それには、一体どういう問題が?
 それはあの、とても強い臭いとか、腐敗臭なんかとは、話が違うでしょ? 一日洗濯物を干さなかったからって、ちょっとした臭いがもし発生したとして、それに一体何の問題が? そもそも、そんな臭いなんて、他人が思いっきり近づいて、こちらの臭いを嗅(か)ごうと思わなければ、なかなか判らないようなものなのでは? んで、そんな臭いで、ひとが死ぬことは、まず絶対にないよね。だとしたら、何でそんなもん、気にしなければいけないのか。
(以前。正彦さんの実家が、ごみ屋敷になってしまったことがあった。この時は、ほんとに〝臭い〟が大問題だったのだ。ごみ屋敷の場合、コンビニのお弁当の残りとか、いわゆる生ごみをちゃんと始末せず、それがごみ袋の中で腐っている可能性が高い為、どこに発生源があるのかも判らずに、家中に腐敗臭、そして、何だか判らない悪臭が漂うことになる。そして、家の中が一回こうなってしまうと......その家にある程度の時間滞在したすべてのひとに、この悪臭が染みついてしまうのだ。介護の関係で、正彦さんの実家に出入りしていた陽子さんと正彦さんは、実家で何か作業をする度、外に出た時自分の服が臭い、いや、自分自身があきらかに臭い、こんな状態で、着替えなんてできず、ましてやお風呂にはいることなんて不可能で、それでも新幹線に乗って東京まで移動しなきゃいけなくなり......この時は、本当に、一緒の電車や新幹線に乗り合わせていた他のひとに申し訳なく思ったものだった。でも、こんな臭いでも、それはあくまで、はた迷惑なだけで、これで誰かが死ぬって訳じゃないし......大体、洗濯機の中にはいっている洗濯物をすぐに干さないでいると発生する臭いって、そういうものとはレベルが違うと陽子さんは思っていたのだ。)
 ......まあ......でも......。
 昨今のTVコマーシャルを見ている限りでは。(洗濯物の臭いに関する消臭剤のコマーシャルは結構あって、これを見る度、陽子さんは茫然自失(ぼうぜんじしつ)に近い状態になっていたのだ。何故! 何故ここまで、臭いを嫌がらなければいけないのだ? 特に部屋干しの洗濯物の臭いなんて、そりゃ、ないとは言わないけれど、〝害〟になるレベルとはまったく思えない。これがなんだって問題になるのだ。)
 これを気にするひとは、ある程度の数、いるのかも知れない。(そういうひと達が、何を思ってこれを気にするのかが、陽子さんにはまったく判らないのだが。)
 そして正彦さんも、これを気にしている......らしい......ん......だよ......ね。

 結果として。
 現在の正彦さんは、たとえどんなに俳句が忙しくても、睡眠時間を削ってでも、洗濯をしてそれを干している。かなり酷い花粉症の正彦さんは、花粉が飛んでいる間は、洗濯物をそもそも外に干すことができない。故に、今の陽子さんは、自分の裁量で洗剤を買うことすらできない。(いや、洗濯物を全部正彦さんに任せたのだから、そもそも陽子さん、自分の裁量で洗剤を買おうだなんて思ってもいなかったのだが......とにかく、正彦さんは、自分が使う洗剤を決めている。何らかの基準があるらしい。それ以外も、食器を洗う為の洗剤も、トイレ掃除用の洗剤も、すべて正彦さんが決めている。それ以外の商品を陽子さんが買っても、使ってくれないかも知れない......。)

 あの、何もしなかった正彦さんが。
 どんなに時間がなくとも、とにかく洗濯だけはやっている。
 そして、洗濯した以上、天気に問題がなければ、ひたすら外干しをして、しかも乾いた洗濯物をすぐさま取り込むようにしている。
 これはもう......。

 これはもう、この三年。
 家事レベルで、正彦さんは〝激動の三年〟を過ごしていたっていう話にしても、いいんじゃないかな。
 本当に、そんな気がする......。

(こんな正彦さんが、会社員時代、こういう認識を持っていた陽子さんに文句を言わなかったのには、当然、理由がある。
 洗濯に対してこんな認識を持っていた陽子さんだが、勿論、洗濯をしない訳ではなかった。暇な時には、ちゃんと洗濯をして、干して、それを取り込んでいた。――当たり前である――。そして、大島家には、正彦さんの下着や靴下は、もう、売る程あるのである。――前にもちょっと書いたような気がするのだが、独身時代の正彦さんは、まったく洗濯をしないかわりに、下着や靴下は、替えがなくなると新品を買っていたので、結婚した時、大島家にあった正彦さんの下着と靴下の数は、かなりのものだったのだ――。だから、あんまり洗濯に気を遣わない陽子さんでも、下着と靴下だけは、常に清潔なものを正彦さんに供することができたのだった――。
 で、正彦さんの凄い処は。
 会社員時代、このひと、自分のスーツは勿論、ワイシャツもみんな、全部クリーニングに出していたのである。ポロシャツとか、セーターとか、そういうものも、みんな。
 大島家の主婦は陽子さんだったのだが、大島家がクリーニングに出すものは、この当時からすべて正彦さんが管轄(かんかつ)、出入りのクリーニング屋さんに連絡していたのは正彦さん。急いでクリーニングして欲しいものがあった場合、これを連絡するのは、すべて正彦さん。――そもそも、陽子さんは、「え、クリーニング屋さんって、週に何度も来てもらうような職種のひとなの? 何でそんなことしなきゃいけないの?」って認識のひとであり、ほっとけばどんな服でも洗濯機に押し込んでしまうひとだったので、今の家に引っ越してきた当初、クリーニング屋さんからの営業があっても、それをちゃんと理解していなかった。そして、そんな陽子さんを無視して、クリーニング屋さんと契約を結んだのが、正彦さん――。
 ただ、まあ。
 正彦さんが退職するにあたって。
「ねえ、あなたはもう、お仕事に行く訳じゃないんだから......このクリーニング代、何とかして」
 って、陽子さんに言われてしまったのだ。――と、言われるようなクリーニング代であった。いや、そりゃ、そうなるだろう――。
「お仕事の服はね、クリーニングしなきゃいけないのは判る。でも、もう、お仕事自体がそんなにない訳なんだし......普段着はどうでもいいじゃない」
 いや、陽子さんがどう言ったとしても。正彦さんにしてみれば、〝普段着はどうでもいい〟訳がないのであって......多分、だから、正彦さんは、自分なりに頑張ったのだろうと思う。
 と、まあ、そんな三年だったのだ......。)

       ☆

 本当に。
 正彦さんは、この三年、〝激動の三年〟を過ごしてきていた。

 そして、よくよく考えてみれば、陽子さんも。
〝激動の三年〟を過ごしてきていた......ような気がする。

 これは......何で、だ?
 陽子さんの場合は、やっていることは、この数年、ほぼ変わっていないのに。なのに、何故か、〝激動の三年〟を過ごしてきたっていう気持ちがある。(いや、実は、陽子さんの方も、この三年で、仕事以外ではかなりやっていることが変わった。家事のうち、洗濯と洗い物とトイレ掃除をしなくて済むようになったのである。だから、まあ、家事の負担がそれなりに減ったとは言えるのだが、でも、これを、〝激動〟っていうのは、ちょっと違うような気がする。)

       ☆

 激動の三年。何が激動かと言えば......歩けなくなった。
 そんな気持ちが、今の陽子さんは、しているのである。

 2020年。
 陽子さんは、歩いていた。
 この年、正彦さんが定年になり、結果として、定年になった正彦さんと二人で、陽子さんはひたすら歩いていたような気がする。
 うん、この年は、緊急事態宣言が出たり何だりして、スポーツクラブは休業、公園や川沿いみたいな、普段ひとがいない筈(はず)の処は人込みになっちゃって、もうどうしようもないから、練馬の町中を、陽子さんは、歩いていた。スポーツクラブに行けないんだもの、最低でも一日一万歩歩くことを自分に義務づけて。

 2021年。
 やっぱり陽子さんは、歩いていた。
 この年あたりから、正彦さんは俳句に熱中。なんと、今では、月に十回以上、句会に参加するようになってしまったのである。(句会っていうのは、参加する時、俳句を提出しなきゃいけないのね。ということは、月に十回以上句会に参加する正彦さんには......おそろしいことに、月に十回以上、俳句の締め切りがあるのである。――それに、一回の句会で、一句しか出さないということはまずないのであって......ということは、仮に、一回の句会で三句出さなきゃいけないとすると、このひとは、月に、三十句、俳句を詠まなきゃいけなくなるのである。実際は、提出する俳句はもっとあるので、驚くべきことに、このひとは、一日一句、俳句を作っても間に合わなくなってきている。)
 と、こうなると。
 正彦さんの〝歩き方〟が、ちょっと、違ってきた。
〝吟行(ぎんこう)〟っていうんだけれど。
 基本、正彦さんは俳句を詠む為に歩くようになってきて、この年の前半、陽子さんはそれにおつきあいして歩いていた。(その辺に生えている草花の写真をとって、その草の名前やどんな草だかが判るアプリを、正彦さんが自分のスマホにいれたのがこの頃。そしてそのあと、鳥の写真をとったらその名前が判るアプリとか、いろんなものを次々正彦さんは取得してゆく。)
 で、吟行をしてみたら、意外なことが判った。陽子さんは練馬生まれで、つまりは生まれついての都民である。正彦さんの出身は、岡山の、それも割と田舎の方。故に陽子さん、自分のことを都会っ子だと思っていたのだが......比べてみたら、陽子さんの方がはるかに田舎の子供だったのだ。(......陽子さんが生まれた頃の練馬は、どうも岡山の田舎より田舎だったみたい......。あるいは、陽子さんが祖母に育てられたせいっていうのも、あるのかも知れない。祖母は農家の出身だったので、庭でずっと野菜や果樹を育てていて......小松菜、ほうれん草、きゅうり、ピーマン、枝豆、とうもろこし、さやえんどう、みんな、陽子さん、おばあちゃんと一緒に作った記憶がある。蕎麦(そば)まで作った記憶もある――さすがにそば粉を挽(ひ)いた記憶はないのだが。なら、何で蕎麦なんて作っていたんだろう?――。また、家の庭には、柿は複数、ざくろ、栗、グミなんかの木があった。その他、お隣の家には非常に大きなビワの木があり、御近所の大体の家に柿は普通に生えていて、斜めお向かいの家では鶏飼っていて......。岡山の町場で育った正彦さんより、余程田舎育ちだったのだ、陽子さん。)
 つまり。正彦さんと一緒に歩いていて、吟行だから、正彦さんが「あの木、何?」「この花は何?」「ここに生えている雑草は」って疑問を感じた時、陽子さん、殆(ほとん)どの疑問に答えることができたのである。
(というか、正彦さんの〝知らなさ〟加減に、逆に陽子さんの方が驚いていた。
 一緒に歩いていて、正彦さんが時々言う。
「この紫の花は何なんだろう。今、アプリで調べて......」
 こんな時、陽子さん、本当に驚く。で。
「調べる必要なんてないから。これは、普通の菫(すみれ)だよ」
「......え。菫って、こういう花、なんだ」
 って、何で菫が判らないんだこのひと!
「こっちの、このなんかまるまっちい白い花は」
「本気で聞いてるの? シロツメクサだよ?」
「あー、これがシロツメクサ」
 って、本当に知らなかったのか、このひと。いや、まあ、男の子だから。――今は男の老人なんだけれど、まあ、子供の頃は、男の子だった筈だから――。男の子なら、お花には興味がなくてもしょうがないのか。
 とはいうものの、お花ではない、こんな台詞を聞いた時には、ほんとに陽子さん、驚倒した。
「あのさ、陽子、次の句会なんだけれど、お題が〝はこべ〟なんだよね。んで......はこべって、どんな草だか、陽子、知ってる?」
 ......知らないのかはこべ? むしろ、そっちの方が陽子さんにしてみれば驚きで。
「あのさ、鶏とか飼ってる場合、普通にエサとして、その辺に生えているはこべ、ちぎって持って行かなかった?」
「鶏......普通に飼っていない......」
 あ、そうか、でも。
「小学校とか、普通にいなかった? 鶏。あと、うさぎとか。飼育当番とか、普通になかった?」
「なかった。いや、あったのかも知れないけれど、俺は覚えていない」
 東京生まれ東京育ちの陽子さん、ここで、岡山生まれ岡山育ちの正彦さんにため息をつく。どんな都会育ちなんだよこいつって。
 まあ、でも。ここでそれを追及してもしょうがないから......なら、まあ、はこべを見せてあげればいいんだよね。はこべなんて、普通、その辺のドブ沿いにやたら生えている雑草だから......。
 と、ここで。
 陽子さん、硬直する。
 昭和時代には、その辺の道沿いにいくらでもあったドブ、平成になってからは見たことがないような気がする。まして、令和の今となっては......下手すると、〝ドブ〟というものを知っているひとの方が少数派だって話に......なっていないか?
 いや、でも、ものは〝はこべ〟だ。
 ドブがなくなっていたって、その辺に生えているに違いない。とはいえ......〝その辺〟って、どの辺? お庭を丹精しているおうちには、まず生えていないような気がするよねえ......。ドブがないと、アスファルトの道には、そもそもあんまり雑草生えていないし。 そこで陽子さん、正彦さんについてくるように言って、ずんずん歩き、近くにあった公園の中にはいってゆく。ここは、確かに手をいれているけれど、雑草が結構ある公園なので、なら......。
 しばらく歩いてゆくと、あった。はこべ。
 ここで陽子さん、その植物を示すと、正彦さんに指示。
「あのね、あそこの草の名前をアプリで調べてくれる?」
「って......えーと......あああああ! これ、ハコベってなってる! これが、この草が、はこべなのかっ!」
 うん。はこべ、なんだよ。
「すっ......すっげえ、すっげえ、すっげえぞ、陽子! よくこれがはこべだって判ったよなあ、ほんとにすっげえなあ陽子」
 いや、別に凄くはないです。
 というか、むしろ、はこべを知らない正彦さんの方が、何か絶対に〝変〟だっていう気はする。)
 この経緯があったおかげで。
 正彦さんは、吟行する時、陽子さんが同行するのにまったく抵抗がなくなった。
 かくして、こうして。
 2021年の前半、陽子さんは歩いていた。


 また、2022年になったら。
 陽子さんと正彦さんは、再びスポーツクラブに通うようになる。
 ......まあ......なあ......。
 一口に、「一日一万歩を歩くことを義務とする」って言ったって......これは結構大変なのだ。
 それに比べると。スポーツクラブに通い、その時、万歩計をつけていたのなら......スポーツクラブで、一時間半歩けば。一万歩なんて、あっという間に達成できるのだ。(しかも、スポーツクラブでウォーキングマシンを使って歩いている時には、陽子さん、本を読むことができる。本さえ読んでいれば、一時間半なんてあっという間だ。)
 ただ、この頃、陽子さんは足の裏の疣(いぼ)の手術をして......。

 2023年前半。手術で取りきれなかった疣の治療が進み(これは、ピーラーみたいなもので疣を削り取って、そのあと傷口を液体窒素で焼くという治療である)、治りかけてきた。そうしたら......疣が酷かった時は、削っている時も、焼いている時も、その時は痛かったけれど、治療が終わればたいしたことない気分だったのだが......いざ、治りかけてみたら......痛いのである。治療中も痛いけれど、治療が終わったあと、ちょっと時間がたったら、これがもの凄く痛くなるのである。立っているだけでも痛い、ましてや歩くだなんて......。
「この治療は、治りかけの方が痛いんですよね......」ってお医者さまにも言われ......まあ、以前は皮膚の表面にある疣を削ったり焼いたりしていたんだけれど(そしてこれはあんまり痛くない)、今は、健康な皮膚の奥にある疣を削って、そして焼いている訳だから......そりゃ......治りかけが一番痛いか。
「ほんとに疣、よくなってきていますよ。随分小さくなって、今は奥の方にちょこっと残っているだけ」ってお医者さまに言われる状態になったら、治療中も陽子さん、呻(うめ
)くようになったし、液体窒素で焼いたあと、ちょっと時間がたって水ぶくれができる頃には......も、泣きたいくらい、痛い。しかも、立っているだけで水ぶくれに体重がかかってひたすら痛い。
 整体の先生にも言われたし、ストレッチしなきゃいけないんだけれど......こうなると、スポーツクラブにはなかなか行く気持ちになれない。外の道を歩いている時と違って、スポーツクラブでは大体時速六キロくらいで歩いているから、これはもう、泣きたいくらいに痛い。
 それにまた。運動した時、何が楽しみって、終わったあとのお風呂が陽子さんは一番楽しみだった。汗をかいて、特に夏場なんてべたべたになった体を洗う、ゆっくりお湯につかる。スポーツクラブに行く時には、陽子さん、着替えと一緒に、紐(ひも)のついた浴用のたわしを持ち歩いていて、このたわしにボディシャンプーをつけて、背中をごしごしするのが一番の楽しみだったのだ――その為に、紐がついている――。ところが! 治りかけた疣があると、これがもう、全然駄目。火傷をした時、ましてそれが水ぶくれになっていたら、その部位をお湯につけたいって思うひとは、いないんじゃないかと陽子さんは思う。そして、足の裏をお湯につけずにお風呂にはいるっていうのは......物理的に、無理なのだ。(実際。正彦さんから、「それだけは絶対にやるな」って厳命されてもいた。家のお風呂で、右足だけを浴槽からだして入浴する、これ、何か事故を起こしそうだから。そもそも、六十超したら、お風呂場っていうのは事故を起こす可能性がとても高い場所である。そんな処で、足の裏をお湯につけずに入浴しようとしたら......百回それやったら、一回は何らかの事故を起こしそう。ということは、その手の入浴をやった場合、年に三回くらい、陽子さん、死にかけてしまうっていう話になる。)
 とはいえ。ある程度運動しないと、何故か眠っている時にいきなり足が攣(つ)るっていう恐怖の事態に陥ってしまう可能性がある。
 ということは、歩かなきゃいけない。でも、スポーツクラブにはあんまり行きたくない。
 という訳で、また、陽子さんは正彦さんと一緒に歩くようになり......。
 ただ、一万歩を超して歩くってことは......歩く距離がどんどん長くなる。
 最近では井の頭公園から歩いて帰ってきたり、西武線の駅だと、中村橋や豊島園や保谷(ほうや)なんかまで歩いてゆく。(路線図見ていただければ判ると思うんだけれど、これらの駅の間は相当離れている。)正彦さん行きつけの床屋さんはひばりヶ丘にあり、正彦さんはここから歩いて帰ってきたりする。最近は、西武線を離れて、中央線の駅まで一緒に歩いたりもする。(正彦さんが最近参加するようになった新たな句会は、世話役の方が杉並区民だったので、杉並区の施設を使うことが多いのだ。それで、句会のあと、二次会で行って正彦さんが気にいった、荻窪や西荻や阿佐ケ谷のお店に、二人で歩いていったりしているのだ。)
 と、まあ。
 なんか、そんな、〝陽子さんの気分における激動の三年〟だったのである......。
(勿論、普通に道を歩いていたって、治療が終わったあと何日かは痛いのだが――そして、治療は、基本的に週に一回やっているのだから、週の半分弱は痛いのだが――正彦さんの吟行にくっついて外を歩く方が、スポーツクラブで時速六キロで歩き続けるのよりはまし。そのかわり、スポーツクラブに通っていた時と同じだけの距離を歩くのに、三倍くらいの時間がかかる。この辺の時間の使い方も、また、〝激動〟といえば〝激動〟だったんだよね。)

       ☆

「今度、また、吟行で牧野記念庭園に行ってみようか」
 2023年前半、吟行のついでに大泉学園の駅の先にあるお店まで食事に行った後、大泉学園駅を横切った処で、正彦さん、こんなことを言う。というのは、只今、大泉学園駅には結構大きな牧野富太郎先生のパネルが飾ってあって、それがまあ、天真爛漫(らんまん)というか、呵々大笑(かかたいしょう)というか......とにかくもの凄いいきおいで笑っているパネルで、正彦さんは、このパネルが、大好きだったのだ。(大泉学園駅の側には、牧野先生が晩年を過ごした家があり、それが只今、『牧野記念庭園』になっているので、宣伝もかねてかパネルを置いてあるのだ。『牧野記念庭園』では、牧野先生や植物に関する企画展をしょっちゅうやっているし、お庭もまた、見て楽しい。)
 うん。正彦さん、曰(いわ)く。
「これ、実際の写真なんだろ? だとしたら、凄い。こんなに思いっきり笑っている写真なんて......それも、結構このひと、昔のひとだろ? 昔の男性で、それも〝偉い〟ひとで、ここまであっけらかんと笑えるひとって、凄い。この笑顔を見ただけで思う、俺、このひと好きだ」
 うんうんうん。牧野先生を褒められると、陽子さん、喜んでしまうので、にっこりして、こくこくこく。
「なんか、今度、NHKかなんかでドラマになるの?」
「いや......私はそれ、よく知らないんだけどね、でも、牧野先生はね」
「ああ、判ってる。練馬の郷土の偉人なんだろ」
「です」
 そうなのだ。陽子さんが子供の頃、練馬の郷土の偉人って言えば、それは牧野富太郎先生だったのだ。小学生の頃、校外学習か何かで、大泉の牧野記念庭園に来たこともあったし、そのあとも何回か、陽子さんはここを訪れている。
「まあなあ......高知のひとに言わせたらまったく違う意見があるだろうし......うちの郷土の偉人に比べたらちょっとあれだけど」
 と、言いかけた正彦さん、慌てて言葉を飲み込む。まずい。この話題になってしまうと、陽子さんは絶対に折れないし......絶対に怒る。だから、この台詞、正彦さんは言わなかったことにしようと思ったんだけれど......あいにく、しっかり、陽子さんには聞かれてしまっていた。
 ちらん。
 もの凄い横目が、正彦さんのことを睨(にら)む。
 正彦さんと陽子さんは、そんなに身長が違わない。そんな、ちょっと下の処から、なんだかもの凄い力をもった視線が、正彦さんの目に刺さり......。
「あなたの処の郷土の偉人に対して、うちの牧野先生は、存在が絶対に確かなんですからね。それに大体、あなたの郷土の偉人は、名古屋あたりから文句がついちゃう可能性があって......」
 これを言われた瞬間、今度は正彦さんの方も滾(たぎ)る。
「うちの郷土の偉人は、日本全国の偉人だっ! 日本人全員、知っている!」

 郷土の偉人問題。
 これは、この二人が大学にはいってすぐ、クラスの飲み会か何かで、ま、無難な話題としてみんなの口に上ったのだった。
「うちは武田信玄の地元。やっぱあの、〝ひとは石垣〟っていうの、凄いでしょ」
「あー、そういう意味では、私の地元は上杉ー。上杉謙信のとこ。じゃ、昔だったら私達仇敵(きゅうてき)同士?」
「名古屋は凄いぞ。戦国の有名武将、もとを辿(たど)ればこっちの出身者ばっかりなんだから」
 と、こんな中で。
「うちの郷土の偉人はね、牧野富太郎先生なの!」
 って言い張った陽子さんに理解を示してくれるひとは誰もいなくて......。
「あの......ごめん、それ......誰?」
「だから、植物学の先生でね、日本のリンネって言われていて」
「ごめん、リンネって、誰」
「そこからかよっ! そもそも植物分類学という学問を築いたのは」
 なんて会話をやっている間に、誰かが正彦さんにも話を振ってくれて。そこで正彦さん、自信満々で言ったのだ。
「うちの郷土の偉人は、日本人なら誰でも知ってる。織田信長や豊臣秀吉や徳川家康なんて目じゃないぞ。もっとずっと有名人だ!」
 こうも堂々と言われてしまったので、しかもその声が結構大きかったので、リンネって誰かなんて問題をほっといて、みなさまの視線が正彦さんに集まる。で、正彦さんが言ったのは。
「うちの郷土の偉人は、桃太郎だ!」
 瞬間。場が、凍った。
「......あの......もも......たろう......って......」
「知らないのか? 日本人なら知らない訳ないだろ? 〝ももたろさん、ももたろさん、お腰につけたきび団子、ひとつ私にくださいな〟って奴」
 正彦さん、歌ってみせる。すると......場は、より、硬直。
「あの......その〝桃太郎〟が、郷土の偉人......?」
「そのとおり。何たって、岡山駅前には、桃太郎の銅像が立っている。うちの郷土の偉人は、桃太郎だ」
 今度は、場が、沸騰。
「郷土の偉人と日本昔話を一緒にするなあっ!」
「浦島太郎とどこが違うのかっていう話だよね」
「全然違うだろう? 浦島太郎は〝お話〟だけれど、桃太郎は事実だ。龍宮城はお伽(とぎ)話だけれど、桃太郎は史実だっ」
「だから、どこが、史実だっ」
「鯛やヒラメは舞い踊らない」
「それ言ったら、犬や猿や雉子(きじ)はきび団子でお供になるのかよっ」
 この辺から、議論百出。
「でも、確かに人間は動物を餌付けして使役することができるんだから......鯛やヒラメが舞い踊るのより、それは、あり、なんじゃ?」
「ある訳ないって。その前に、きび団子って何だよ、犬が何だって団子喰うんだよ」
「あ、でも、それ言ったら猫だってお団子とか食べないような気がするけど、昔は猫の御飯って、普通の御飯にお味噌汁かけたもの、だったんじゃない? あたしが子供の頃、おばあちゃんはうちの猫にそんな御飯あげていたような気がする。実際、あれ、〝ねこまんま〟って言ってたと思うし。で、猫が〝ねこまんま〟を食べるのなら、犬がお団子食べてもいいような気がする。栄養学的に言って、構成要素はそんなに違わないんじゃないかと思うし」
 最早、誰が何を主張したいんだか、よく判らない。
「でも、そもそも、川をでっかい桃が流れていて、それを割ったら中から子供が出てくるっていうのが......」
「それ言ったら、かぐや姫だって、光っている竹を切ったら中から出てくるんじゃなかったっけか」
「......そもそも、桃を割ったり竹を切ったりしたら、その段階で、桃太郎もかぐや姫も真っ二つになっているんじゃないかって気持ちが......」
「あの......あたし、思うんだけど。それ言ったら、最初に帝王切開しようとしたひとって、何考えていたんだろうねえ。だって、妊娠しているお母さんのお腹を切って、そこから子供を取り出すだなんて......下手したら子供が真っ二つになってしまうって、思わなかったのかなあ」
 ......。............。..................。
 もう。完璧に、誰が何を言いたいんだか、よく判らない。この後、話題は二転三転して、気がついたらこの話題のきっかけになった正彦さんも、そして陽子さんも、何を言いたくて自分がこの議論に参加したのか、訳判らなくなっていた。

 で、まあ。
 一瞬は、滾ったものの。

 〝郷土の偉人〟って言葉が出てきた処で、二人はどちらからともなく、このことを思い出して......何となく、話を誤魔化そうとする。
(陽子さんが、滾りかけたのは、〝高知のひと〟って言葉を聞いたから。というのは、牧野先生は、もともとが高知出身の方だったのだ。最初、陽子さんはそれを知らなくて、何年か前、偶然高知に行った処、そこに〝牧野植物園〟があって......瞬時、陽子さんは、「うちの郷土の偉人を取るな!」って気持ちになってしまったのだ。ところが、その植物園に行ってみたら......何と牧野先生、もともとは高知のひとだったということが判ったのである。つまり、高知出身で東京に出てきて練馬に住んでいたひと、なのね。そしてその上。練馬の〝牧野記念庭園〟と、高知の〝牧野植物園〟では......これを認めるのは、陽子さん、とっても辛(つら)いのだが......客観的に言って、高知の方が、素晴らしかった。面積も施設も設備も、そしてかかっているお金も、なんか、比較にならないくらい、高知の方が素晴らしい。これが、陽子さん、口惜しくて口惜しくて。ここの処に話をもってこられると、「練馬の郷土の偉人は牧野富太郎先生!」って思い込んでいる陽子さんには......まあ......その......ちょっと、なんか、いろいろ、思う処があったりするのである。
 また。
 陽子さんが仄(ほの)めかした、「うちの牧野先生は存在が絶対に確かなんですからね」、という言葉は......まあ......正彦さんの方の郷土の偉人が桃太郎だとすると......こうとしか言いようがないかも。――どう考えても、〝桃太郎〟より〝牧野富太郎先生〟の方が、実在の証拠が沢山ありそうだ――。それにまた、「名古屋あたりから文句が」っていうのは、以前は、桃太郎って言えば岡山の話だというのが常識だったのだが、そのあと、〝桃太郎尾張名古屋説〟というものがでてきてしまったから。
 これまた、聞いた瞬間、正彦さんは切れる。
 だから滾ってしまったのだが......これ、二人共、滾ってもしょうがないっていうか、意味がないって判ってしまって。

 結果として。
 二人が二人共、揃(そろ)って話を誤魔化そうと目論(もくろ)んだので......話はとても穏やかな処に落ち着くことになる。(二人共、相手の言葉を聞かなかったってことにしたらしい。)


「......ま......ね......」
 正彦さんが言う。
「明日は......〝牧野記念庭園〟やめて、もうちょっと遠く、そうだなあ、鷺ノ宮(さぎのみや)あたりくらいまで、歩いてみようか?」
 ......鷺ノ宮。結構、遠いよな。ここから歩くと二時間では済まないと思う。でも、まあ。歩いてゆける範囲であることは、確かだ。
「ん、じゃ、歩いてみましょう」

(つづく)

定年物語

Synopsisあらすじ

陽子さんは、夫・正彦さんの定年を心待ちにしていた。正彦さんが定年になって、家にいるようになったら……家事を手伝ってもらおう! 共働きにもかかわらず、激務で疲労困憊の夫には頼みづらかった家事。でも、これからは。トイレ掃除、お風呂掃除に、ご飯の後の洗い物、それから……。陽子さんの野望が膨らむ一方で、正彦さんもひそかに野望を抱いていた……。『銀婚式物語』に続く、陽子さんと正彦さんカップルの定年後の物語。

Profile著者紹介

新井素子

1960年東京生まれ。立教大学独文科卒業。高校時代に書いた『あたしの中の……』が第一回奇想天外SF新人賞佳作を受賞し、デビュー。81年『グリーン・レクイエム』、82年『ネプチューン』で連続して星雲賞を受賞、99年『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞した。他の作品に、『星へ行く船』『……絶句』『もいちどあなたにあいたいな』『イン・ザ・ヘブン』『銀婚式物語』『未来へ……』など多数。



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