定年物語第六章 夏帽を 脱ぎて鮨(すし)屋の 客となる

さて。
今回は、また、正彦さんの俳句のお話......。

二○二○年七月、六十一歳の誕生日を迎えたことだし、その頃、コロナが結構凄(すご)いことになっていたので、感染を危惧した正彦さんは、陽子さんと相談の上、会社を辞め、家事のある程度の部分を担当することになった。
で、その頃。正彦さんは、新たに獲得した趣味の俳句にひたすら邁進(まいしん)していたんだけれど......そのちょっと前に。正彦さんの、新たな趣味である俳句に、暗雲が漂ってきてしまったのだった......。

というのは。
非常に単純な話なんだけれど。
 正彦さんが会社を辞めるちょっと前から、〝句会〟があんまりできなくなってきていたのね。
 正彦さんが参加している句会は、参加人数が多い。しかも、大学の教室を借りて行っている。
 そして、この頃からしばらく......大学自体が、教室での授業をあんまりしなくなっていたのだ。コロナ的な問題で。
 これはもう、昭和の人間である正彦さんや陽子さんにはよく判らない話なんだけれど......。
 実際に大学に行かなくても。ネットで、授業ができる、らしい。
 え? で、ある。
 ネット関係にはもの凄く弱い、まして、スマホのことを、まったく訳判らないブラックボックスだと思っている陽子さんにしてみたら(アプリなんて謎のものがある以上、絶対に触れたくない、〝無視〟する、〝なかったことにしている〟〝触らぬ神に祟りなし〟って思っている陽子さんにしてみれば)この時、思ったことは、たったのひとつだ。
 ああ、私が、今、大学生でなくてよかった。
 これって......もし、この頃陽子さんが大学生だったら......それはもうそれだけで、すべての授業に、参加不可能だろうって事実が齎(もたら)す認識だ。
 今は、陽子さん、「スマホを使わない自由」を行使している。(自営業であり、原稿さえ書いていればいい陽子さんだから、行使できる自由だよね、これ。)けれど、もし今、自分が大学生で、スマホやネット使わなきゃ授業に参加できないのなら......そりゃ......陽子さん、素直に授業に参加することを諦める。だって、無理だもん。で、これ諦めちゃったら、多分、どんな単位もとれないのだ。必然的に、今、陽子さんが大学生だったら、陽子さんは留年しただろうし、場合によっては除籍されてしまったかも知れない。
 いや、その前に。
 陽子さんには、もっと判らないことがあった。
 そもそも学生が、大学に行かない? いや、単にさぼって大学に行かないだけなら、そんなひとは陽子さんの時代にもそれなりにいたんだけれど......今は、大学に、行ってはいけない? ないしは、行っても誰もいない? じゃあ、サークル活動なんてまったくできないし、コンパとか飲み会とかも、一切、なし?
 ......まあ。単純に、学業だけを問題にするのなら。
 わざわざ電車に乗って大学まで行かなくてもいい、それでも授業はちゃんと受けられる、この環境は、あるいは、ある意味、素晴らしいのかも知れない。けれど......昭和の陽子さんと正彦さんには、これがまったく感覚的に判らなかった。いや、だって、大学って、勿論、授業を受ける為に行くもんなんだけれど、それ以上に、サークル仲間とか友達とか、そーゆーひと達に逢う為に行くもんじゃ、なかったの? んでもって、授業はほぼどうでもよくて(いや、どうでもいい訳がないんだが、感覚として)、みんなと喫茶店でおしゃべりしたり、呑みに行ったり、そういうことの為に、通うものじゃ、なかったの?
 これができない、ないしは、してはいけないってことは......昭和の正彦さんと陽子さんにしてみれば、これはもう、大学の意味って、ほぼないって話にならない?
(いや。勿論。これは、昭和平成令和を通して、この二人の感覚の方が間違っている。大学は、専門的な学問を修める為にある教育機関である。これはもう、誰がどう考えても〝そう〟である。けれど......正彦さんや陽子さんが大学生だった頃には、むしろ、この二人の感覚の方がこの二人のまわりでは多数派だったんだよね......。)
 あ。
 話が、何か、ちょっと、ずれてしまった。
 話を戻すと。
 緊急事態宣言が出てしまった。
 大学では、学生を集めての授業がやりにくくなっている。
 こうなったら。
 大学の教室を借りてやっている〝句会〟が......やりにくくなるのは、当然だろう。
 で。句会ができなくなると。
 とんでもない勢いで、新しい趣味である〝俳句〟に邁進していた正彦さん、なんか、二階にあがった瞬間、梯子(はしご)をはずされたような気分になってしまうのである......。

       ☆

 何たって。何回か句会に参加した処で、正彦さんは非常に気分的に盛り上がっていた。それも......なんか、ちょっと、違う方向で、盛り上がっていた。盛り上がりすぎていた。
 初回は、陽子さんも一緒に句会を見学したんだけれど、二回目からは、当然正彦さん、ひとりで句会に参加しており、句会が終わる度に、とても興奮して目をきらきらさせて句会の話をする正彦さんにつきあっていた陽子さん......「このひと......なんか、違う......」って、ちょっと思っていたのだ。
 というのは。
 何回目かの句会に参加した後、正彦さんは、参加者が書いた句を切り貼りしてコピーした選句用紙を陽子さんに見せて、こんなことを言ったから。
「おい、陽子、この用紙見てみろよ」
 ここで正彦さん、とある句を指さして。
「この句、凄くない? ほんとに凄いと思わない?」
 陽子さん、読んでみる。うん、素敵な句だと思った。で、陽子さんがそんなことを言うと、正彦さん、ぶんぶんと首を振って。
「いや、句がいいのは判ってるの。でも、それ以上に......字が、もの凄く、もっのすっごく、よくないか?」
 あ、ああ。確かに。それは陽子さんも思っていた。その日、大学の教室へ行って、そこで自分の句を自分の手で書く。それを運営のひとが切り貼りしてコピーして、そして選句用紙を作るんだよね。だから、用紙には様々な字が並んでいて、その中で、この字は、圧倒的に存在感があった。単に綺麗でうまいんじゃない、〝字〟そのものが、おそろしいまでの存在感を放っていたのだ。
「あんまりこの〝字〟が凄いからさ、俺、聞いてみたの。そしたら、このひと、書家なんだって」
「え......しょか?」
 瞬時、〝初夏〟という字を想像してしまった陽子さんなのだったが、いや、今の場合、これは違うよね。〝書家〟だ。そして、ふええって思う。
「えええ、書家って、普段でも鉛筆でも、こんな凄い字が書けるんだ! 毛筆じゃなくて、普通の紙に普通に鉛筆で書いても、こんなに凄い字が書けるんだ! さすが、プロ。っていうか、プロってこんなことができるんだ......」
「で、それに対して、俺が書いた句が、これ」
 って、正彦さんに示して貰わなくても判る。このコピーの中で、もっとも汚くて読みにくい字、これが正彦さんのものだ。
「勿論、句の善し悪しは字で決まるものではない。けど......ここまで字に差があると......もし、俺の句をこのひとが書いてくれていたら......」
「あ......ああ......それは......」
 それは、正彦さんの句、三割ましくらいになってしまう......ような気が......しないでもない。
 いや、勿論〝句会〟は、その句の出来の善し悪しだけで判断される、それは判っているんだが......その前に。この正彦さんの字は......陽子さん、妻だから、何とか読める。慣れているから、読める。けれど、初めて正彦さんの字に出逢ったひとが、この句を読んだら......「そもそも、何を書いているのか、まったく判読ができない」、そう思ってしまう可能性がある。んでもって、そもそも読むことが物理的にできない句は、判断不能ってことで、最初っから候補から除外されてしまう可能性がある。うん、そのくらい......正彦さんの〝字〟は、酷(ひど)いのだ。
 今だって陽子さん、朝起きた時、自分のパソコンの上に正彦さんのメモがあるとげんなりする。(陽子さんが起きる前に、正彦さんが出かける用事があった場合、正彦さんは、陽子さんのパソコンの上にメモを残しておく。ここは、間違いなく陽子さんが起きた場合、見る処だからだ。)そこには、確かに〝何か〟が書いてあるのだが......これを判読するのは、かなり難儀(なんぎ)。でも、まあ、ここに書いてあるのは、大体の場合、前後関係と文脈があることだから、まだ、類推してこの謎の文字を読み解くことはできる。ほんとに困るのは......正彦さんから、買い物メモを受け取った時。これにはほんとに脈絡も何もないので......買い物して欲しいもののメモがまったく読めないって、これ、どんなに酷い話なんだよ! でも、読めないんだよ、正彦さんが書いた買い物メモ。)
「句会に提出する用紙はね、俺だって自分の字が酷いってことは判っている、だから、できるだけ丁寧に書いているつもりなんだけれど......」
 いや、この選句用紙を見れば判る。確かに正彦さん、いつもに比べれば、とても丁寧に字を書いている。だから、何とか、読むことが不可能な訳じゃない。けれど......〝読むことが不可能じゃない〟字というのは......間違いなく、〝読める〟字ではない。〝読みやすい〟字である可能性も皆無。んで、〝読める〟字が並んでいる選句用紙に、〝必死になって類推すれば何とか書いてあることが判読可能かも知れない、かも、知れないけれど、普通は読めない〟字が並んでいたら......まあ......これは、問答無用で〝読める〟字の勝ち、だろうなあ。これはもう、俳句の優劣とはまったく違った話として。
「で、俺は、思った」
 はい、何を。
 ここで。ジャーンみたいな擬音を、心の中でつけながら、正彦さんが陽子さんに提示したのは。
 墨。硯(すずり)。半紙。
「俺は、書道をやる」
 え? ......って?
「ええと......書道教室に通う......って、こと? ......あの......今、私達が通っている、あのスポーツクラブの?」
 この頃。コロナのせいでその頃休業していた陽子さん達が通っているスポーツクラブは、休業前に、子供の為の書道教室を始めていた。確か、そんな話があった筈だった。スポーツクラブの入り口には、月毎に子供達が書いたお習字が貼られており、それを微笑ましく陽子さんは見ていたのだ。(......ただ......十月のお習字で、ひらがなで〝はろうぃん〟って書かれていて、カボチャの絵が添えてあるのは判る、けど......〝ゾンビ〟って書いてあってゾンビの絵が添えてあるのは......ハロウィンって、ゾンビがでてくる行事だったっけか? って思ってしまったのも事実。)で、まあこんな陽子さんにしてみたら、最も親近感がある書道教室がここだったので、だからこんな台詞(せりふ)になったのだが、正彦さん、ふって笑って。
「あのさあ、何だって俺が、子供の為の書道教室に通わなきゃけいないの」
 いや、それが多分、今のあなたにとって一番適切な書道教室だと、私が思うからなんだけれど......あなたの実力から言って、ここが最適かなって思うからなんだけれど......でも、こんなことを言ってしまったら、多分、陽子さん、もの凄く正彦さんに怒られてしまいそう、だよ、ね。
 だから、陽子さん、この台詞を飲み込んで。
「じゃ......どこの書道教室、に......?」
 この辺で、大人向けの書道教室ってあったっけか? 陽子さんがそれを知らないんだから、正彦さんにそんな情報があるとは思えないんだけれど......でも、じゃ、ほんとに、どこに? どこに通う気なの、正彦さん。
「書道教室には通いません」
 じゃ。じゃ、何をする気なんだ、あんた。
「俺は、自分で書道をやる。書道を極める」
 ..................。
 無理、だ。
 瞬間的に、陽子さんはこう思った。
 でも、正彦さんは、自信満々。
「実際にね、墨を磨(す)っていたら判った。墨を磨ると落ち着く」
 ま、そりゃそうだろうと陽子さんも思う。陽子さん自身は、自分もとても字が下手だし、書道なんて大嫌いだったけれど......墨を磨っていると落ち着くっていう感覚は、判る。
「そして、その上。字を書いてみたら判った。墨を磨った後に書いた字は、前よりずっとましだった」
 いや、そりゃ。
 ただ、単に。
 墨を磨って、落ち着いたら......前の字よりましな字は、誰だって書けるような気もするんだが。というか、あなたが普段書いている字よりましな字は、誰だって、落ち着きさえすれば書けるような気がするんだが。
 まあ、けど。
 間違ってはいないよね。
 確かにこの先、正彦さんが、投句用紙に書く字を、墨を磨った気分になり、より落ち着いて書くようになったのなら、それは、〝前に比べて読みやすい字〟になることだろう。 ......けど......これは、〝書道を始める〟とか、そういうこととは......まったく関係がない話だよね? ただ単に、あなたが落ち着いて字を書けばいいっていうだけの話、だよ、ね?
 しかも。誰か先生について習う訳ではなく、〝自分で極めるつもり〟で、正彦さんが書道を始めたら......それは、なんか、正彦さんの字の向上につながるんだろうか? ......まったくつながらないような気が......とても、陽子さんは、する。
 と、まあ、陽子さんが思うに、〝まったく的外れ〟である正彦さんの情熱なんだけれど......けれど。
 正彦さんが、〝書道を始めた〟為の弊害だけは、この後もずっと、大島家にはあり続けたのだ。
 はい、有体(ありてい)にいって、洗面所が汚れる。
 墨というのは、結構な汚染物質であって、洗面所で筆や硯を洗って、飛び散った黒いものを放っておけば、それは、乾いてしまった時、かなり深刻な汚れを齎す。と、いうか、洗面所で硯洗って、その時、墨があっちこっちに飛び散ったとして、そのままそれを放置しないでよー、乾いた後黒くなってしまった汚れを、どう落とせばいいのよーって陽子さんは言いたいんだが(完全に乾いてしまうと、水拭きをちょっとしたくらいでは落ちないんだ、墨の染み。本気でごしごし擦らないとどうにもならない状態になっちゃうんだよ、いや、それでも落ちない場合もある。墨、侮(あなど)りがたし)......けど......只今の正彦さんの状態は、そんなこと、言えるようなものではなくなっている。

 また。
 この時期、陽子さんは正彦さんと毎日、一日一万歩を超える歩数、歩きましょうねってことをやっていて......一緒に歩いていると、俳句を始めた正彦さんは、それまでに聞いたことがないようなことを、陽子さんに聞いてくるのである。
「ねえ、陽子、あの黄色い花は何?」
「あの特徴的な葉っぱなんだけど、あれ、何て木?」
「菫(すみれ)ってどんな草だかおまえ知ってる?」
 今まで。二人で歩いていても、正彦さんが植物に関心を持ったことなんて一回もなかったから(そして、陽子さんは、正彦さんに比べれば、植物について詳しかったので)、こんな質問がある度、陽子さんは喜んで正彦さんの質問に答えていた。けれど......散歩が、何日も何日も続けば。やがて、正彦さんの質問は、陽子さんが返事ができないものへと進化してゆく。
 これ、旦那、俳句的な意味で知りたいんだろうなあ。
 陽子さんは、そう思ったので、できるだけ、この正彦さんの質問に答えようとしてきた。だけど、別に陽子さんは、そんなに植物に詳しいっていう訳でもない、やがて、陽子さんの返事には限界がくる。
 そこの処で、陽子さんは、正彦さんに、とある〝アプリ〟の存在を教えた。
 植物の写真をとって、それをそのアプリにかけると、その植物について色々教えてくれるっていうもの。
 この時、まったく関係のない漫画を読んでいたら、そこに、そんなアプリの話があって、自分は教えることができない植物情報も、このアプリさえあれば判るんじゃないのかなって思って。
 でも。
 これは陽子さん、最初っから、教えても意味がないかなって思ってもいた。
 だって、陽子さんは勿論のこと、正彦さんだって、〝アプリ〟って、何だかよく判っていないんだよ? まあ、けど、陽子さんが読んでいた漫画にそのアプリの話が出てきていて、それで陽子さん、ちょっとこの話を正彦さんに振ってみたのだ。それだけの筈だったのだ。
 でも。けど。
 驚くべきことに、翌日には、正彦さん、このアプリを自分のスマホに入れることができていたのだ! この後、この二人は、その辺の道を散歩している時、判らない草花があった時、このアプリを起動して、この草が何なんだか、判るようになっていたのだ!
 これはもう。
「旦那!」
 陽子さんにしてみれば、思わず詰め寄ってしまう。
「あんた、あの、アプリとか何とか、自分のスマホに入れることができた訳なのね? なら、判っているでしょ、アプリって、結局、何、なの」
「......悪い。......知らない......」
「知らないんなら、何だってそれがあなたのスマホに入っているの!」
「......ほんとに申し訳ないんだが......判らない......」
 そんなことがあるのか?
「いや、俺、そのアプリの存在を聞いた瞬間、〝欲しい〟って心から思っちまって、おまえが言った漫画を見て......でも、どうしていいか判らなくて......しょうがないから、何か、色々、やったみたい、なんだよね」
「え、色々、やった、って、どんなことを?」
「......それが自分で判っているのなら、今説明している」
「で、結局、どうやったら、その、謎の〝アプリ〟ってものが、あなたのスマホの中にあるようになったの」
「............それが自分で判っているのなら、今、説明している」
「............で、結局、アプリって、何なの」
「..................それが自分で判っているのなら、今、説明している」
 ........................。

 ......まあ。
 この時、正彦さんが陽子さんに何か隠しているとは、陽子さん、思わなかった。というか、もし〝隠している〟んなら、正彦さん、もっとましな説明をした筈だろうと思うし。
 しかも。
 こののち。
 正彦さんのスマホの中の、謎のアプリは増えた。
 ある日、陽子さんが気がついたら、正彦さんは、まったく別な行動をとっていたのだ。 知らない鳥がその辺にいたら。
 その写真をとって、何かよく判らないアプリに照合する。すると、その鳥の名前が判る、そんなアプリが、いつの間にか、正彦さんのスマホの中には入っていたのだ。
 これを知った瞬間、陽子さん、怒鳴(どな)った。
「旦那! あんた、これ、何なの? これ、知らない植物の名前が判るアプリとかっていうのの、親戚じゃないの? この、鳥さんのアプリをいれた時のことが判るなら、あなただってさすがにアプリが何だか判るんじゃないの?」
「い......いや......ごめん......。ほんとに俺にもよく判らなくて......」

 結局。未(いま)だに、陽子さんには判らない。
 アプリが何なんだか、まったく判らないし......もっと、よく判らない話もある。
 けれど、たったひとつ、判っていることはって言えば......。

 多分。
 本当にどうしようもなくなったら。
 正彦さんは、何が何だか判らないうちに、これを〝何とか〟してしまうんだろう......な......あ。
 それ、あり得ない。
 ないしは、ずるい。
 陽子さんは、心からそう思っているんだが......だが。
 どんなに陽子さんが〝ずるい〟って思っていても実際に正彦さんはこれをやってしまったんだから......これはもう、陽子さん、事実として受け入れるしかない。
 多分。
 これを表す日本語は、ある。
 〝火事場の馬鹿力〟。
 この日本語が表現している事実を、生まれて初めて、実例として目にした......と、陽子さんは思った。
 本来なら絶対できないことを、火事場ではひとはやってしまう。絶対に担げない筈の箪笥(たんす)を担いだり、火に巻かれそうになった子供を、手が二本しかないにもかかわらず、三人抱えあげてしまう。どう考えても物理的にできないことを、〝火事場の馬鹿力〟はやってしまう。
 ......同じことを......多分、正彦さんは、やってのけたんだよね。
 うん。
 そうか。
 納得するしか、ない。
 そうか。このひとは、火事場の馬鹿力で俳句をやっているのか。

 と、まあ、以上が。
 〝何かちょっと違う方向へ〟、正彦さんが突出してしまったことの......顛末(てんまつ)、で、ある。

       ☆

 で、まあ、とにかく。
 正彦さんが、〝何か違う方向へ〟突出しだした頃、リアル句会ができなくなって。
 しばらくの間は、それこそ、二階に登った瞬間梯子を外されてしまった正彦さん、うだうだしていたのだが......次に、もの凄い展開がくる。
 ズーム句会、で、ある。

       ☆

 現実で。リアルに句会ができないのなら。なら、ズームで句会をやってみよう。
 大学の授業をズームでやっているのなら。句会だって、ズームでやって悪い訳がない。 どこかの、誰かが、そう思ったのだろう。
 いや、リアルで色々規制されているひとは、みんな、似たようなことを思ったんだろう。
 ズーム句会というものが始まり、これがまた、正彦さんが会社を辞めた時とほぼシンクロしていて。(いや、コロナが酷いから、正彦さんは会社を辞めたのだ。なら、コロナが酷いから、句会がズームになる、この二つの時期が一致していたのは、必然なのかな。)
 ここから、正彦さん、ズーム句会に参加することになる。

       ☆

 ズーム句会。
 これは凄い。
 まるで正彦さんの為にあるような句会だ。(ある意味で。)
 この句会に参加するひとは、自分の句をパソコンで投稿する。
 パソコンで、投稿、する!
 字を、自分で書く必要が、ない!
 おそろしく字が下手な正彦さんも、とても字がうまい書家の方も、ズーム句会では、字の優劣だけは平等だ。だってキーボードで打っているんだもん。
 この句会になった瞬間、正彦さんは、書道の練習をやめた。(......なんか......お習字をやって、墨を磨るのがうんぬんかんぬんって言っていた正彦さんの過去の言動を思えば、これはあんまりなんじゃないのかなって、ちょっと陽子さんは思ったのだが......洗面所が墨で汚れなくなったのは、主婦としての陽子さん、とても嬉しかったので、勿論、陽子さんはこの問題を追及しなかった。)
 しかも。
 リアル句会の時も、句会が終わったあとは飲み会なんかがあったんだけれど、ズーム句会の場合も。句会が終わったあと、時間があるひと達は、結構居残って、おしゃべりなんかをしている。こんなことになると、正彦さん、残ったひと達とおしゃべりなんかもできて。
 んで、只今の正彦さんが、おしゃべりをするとしたら、話題はたったのひとつだ。
「どうすればもっと俳句が上達できるんでしょうか」
 みたいなことを、聞いてみた処、正彦さんよりはるかに俳句歴の長いひと達に、色々アドバイスを貰って。
 そして。
 気がついてみたら、正彦さんが参加する句会......もの凄い勢いで増えていったのだ。
 まず、最初に紹介していただいた結社の句会が、月に一回。
 それから、その結社の中でも、四十歳以上のひとがやっている句会が、月に一回。
 陽子さんはよく判らないんだけれど、俳句にも新人賞みたいなものが色々あるらしい。ただ、小説のそういうものとは違って、俳句の賞って、年齢制限があるものが多いらしいのだ。若いひと優先。だから、若手がやっている句会なんてものもある。ある程度年がいったひとには応募資格がない賞もあるらしい。
 んでもって、六十近くになってから俳句を始めた正彦さんは、当然のことながら〝ある程度年がいったひと〟に該当する。そして、そんな、四十以上のひとが集まってやっている句会。
 まったく別に、週に一回句会をやっているグループにも紹介して貰えた。勿論正彦さんはそれに入った。週に一回の句会だから、これは月に四、五回やってる。
 また、ズームで句会やっているのとは違い、句を提出するとネット上で先生が添削をしてくれる句の集まりもあり、それにも正彦さんは加入した。
 最初に加入した結社は、毎月の句会以外にも、三カ月に一回十句を、年に一回、三十句を紙に書いて投句するってものもあり(よい作品は結社の発行する雑誌に載せていただける)、当然正彦さんはこれにも投稿する。
 この瞬間から、また、正彦さんは、字を丁寧に書くことを始めた......。まあ、書道に戻ることがなかった為、大島家の洗面所が墨で汚れることはなかったので、陽子さん、これを問題視しなかったのだが。
 ......で......結果として......。

 只今、正彦さんは、月に六回か七回、ズーム句会に参加していて、それ以外にも句を応募している。
 やがて、NHK俳句なんかにも投稿しだした。
 他に投稿しているものもある。

 と、なると。
 どういう事態が発生するのか。

       ☆

「俺は今、締め切りでもっのすっごく忙しいんだっ!」
 と、これが、正彦さんの常套句になってしまう、そんな事態が発生してしまったのだ。
 もうどんなからみだったのかは忘れてしまったんだけれど、何かあって、「旦那、あの件どうなってる? そろそろやってくれないと......」なんてことを言った陽子さん、正彦さんから、一刀両断、「俺は今、締め切りでもっのすっごく忙しいんだっ! んなことやってる時間があるかよっ!」って言われた瞬間......なんか、ほんとに、鳩が豆鉄砲をくらったような表情になる。
 いや、〝鳩が豆鉄砲をくらったような表情〟。
 それがどんな表情なのか、陽子さんだって判っていないんだけれど(現実の鳩には、あんまり、表情ってものがあるとは思えない)、まさに自分が今、そんな表情になっていることだけは、判るような気がする。
「俺は今、締め切りでもっのすっごく忙しいんだっ!」
 ......一応職業作家である陽子さんにしてみれば......あの......あの......これは、私の、台詞、だよね。
 けれど。
 当時の陽子さんは、月刊誌の連載が二つあったから、毎月締め切りが二回。それとは別に、不定期で入るエッセイの依頼や、ひとの本の解説の依頼なんかがいくつかあって......でも、月の締め切りは、五回くらい。これでも陽子さんにしてみれば結構大変だったのだが......だが......考えてみれば、この時正彦さんが抱えている締め切りは、確かに、それどころではない数になっていたのだ。
 ズーム句会だけで月に六、七回。他のものも入れれば、うん、今、正彦さん、月に十回くらいは、締め切りがある。いや、句会以外で投稿しているものも数にいれれば、それどころじゃないかも。そんな話になってしまう。
 と、いうことは。
 あきらかに抱えている締め切りの数は......正彦さんの方が、多いのだ。
 けど。
 繰り返し書くけど、陽子さんは職業作家なんだよね。
 だから、締め切りの数で、素人さんにこう言われても......。
 それに。
 書いている枚数が違う。
 正彦さんが書いているのは俳句で、ということは、一句あたりの字数は十七字。一回の締め切りで三句提出するとして、あわせて六十字以内程度。
 それに対して陽子さんが書いているのは小説で、一回あたり四百字詰め原稿用紙で四十枚程度。一万六千字、くらい。これが二つあって、三万字、くらい、かなあ。あと、突発的に依頼されるエッセイや解説なんかもあって......まあ......三万五千字、くらい?(陽子さんは、自分の原稿量をはかるのに、字数なんてまったく意識してはいなかったのだが、物理的に言えばこんな話になる。)
 いや、けれど。
 この比較には何の意味もない、むしろ、比較してはいけないって、陽子さんは思っていた。
 長編小説の中の四十枚と、ショートショートなんかの十枚×四本では、あきらかに後者の方が大変だ。それを思えば、むしろ俳句の方が大変なのでは......?
 と、いう、ことは。
 確かに字数では、私の方がずっと沢山書いているんだけれど、本当に大変なのは、旦那の方?
 ちょっとそんなことを思った陽子さんなのだが、これはもう、絶対に納得しがたい。
 いや、だって、陽子さんの方は、これ書かないと〝仕事的にまずい〟っていう話であって、旦那の方は、別に書かなくても何の問題もないっていうか、別に締め切り守らなくっても何の問題もないってことで......。
 いや、けど、締め切りに優劣はないよな。仕事ではなくても、絶対守りたい、そんな締め切りはあるよな。
 とはいうものの。
 ......何か......変だ、よお。

 すっごく、変、だ。

 これだけは、陽子さん、絶対に言いたいと思った。

 でも、同時に、言えない、とも、思った。

 締め切りに、優劣はない。

 いや、違う。
 締め切りに、上下は、ない。
 天は、締め切りの上に締め切りを作らず、また、締め切りの下に締め切りを作らず。
 うん。
 締め切りに、貴賤は、ない。
 ここの処は。
 ここの処だけは、陽子さん、もう絶対にそう思うんだけれど......だけど。

       ☆

 とにかく。
 旦那には、守らなければいけない〝締め切り〟が、ある。勿論、陽子さんにだって、守らなければいけない締め切りは、ある。
 そして、旦那の締め切りの数と、自分の締め切りの数を比べれば、あきらかに旦那の方が多いのだ。
 なら、しょうがない。

「俺には締め切りがあるんだから」
 って理由で、旦那が家事の手を抜いたら。それを補うのは、陽子さんだ。
 そうだ。
 正彦さんは、なんかちょっと誤解をしている。
 本当に締め切りがきついのは、仕事である陽子さんの締め切りじゃなくて、趣味である正彦さんの締め切りでもなくて、実は、家事なのだ。
 基本の家事は、これはもう、毎日が締め切り。毎日やらなきゃいけない、とんでもない〝締め切り〟。
 もともと〝家事〟をしたことがなかった正彦さんは、〝締め切り〟がない〝家事〟を、〝締め切り〟までにやらなくてもいいことだって思っている風情はないか? 
 とんでもない話である。〝家事〟は、絶対的に〝毎日〟やらなきゃいけないから〝家事〟なんである。どんな〝締め切り〟よりもきつい締め切りがあるのが〝家事〟なんだけれど、んなこと、〝家事〟やったことがない奴には感覚的に判らないのか......。
 いや、当たり前である。家事の締め切りは、守らなくてもいい。罰則なんて何ひとつない。二日くらいなら、やらなくても何とかなる。二日どころか、もっとずっとやらなくても、何とかはなる。
 けど、そのかわり、この〝締め切り〟を守らないと、その日の御飯がなくなったり、翌日に着る下着がなくなったり......時間がたてば、お風呂がぬるぬるして気持ちよく入れなくなったり......この〝締め切り〟を守らない日が続けば続く程、日常はひっどいことになってゆくんだけれど......家事やったことがない奴には、これが感覚的に判らないのか。家で日常を行っている以上、どんな〝締め切り〟よりも絶対にやらなくてはいけないのが〝家事〟なんだけど、そんなこと、主婦には自明の理なんだけれど、家事を日常的にやっていない奴には、これが判らないのか。
 だから。家事をやりながら......陽子さん、ちょっと、悩んでいた。
 いや、だって。
 旦那が定年になって、それで家事をやって貰える、陽子さん、そんなことを夢見ていた筈なのに......なのに。
 今の状況は。
 なんか、違う。
 ちょっと、違う。
 いや、かなり、違う。

 何で、旦那の締め切りの為に、私が苦労しなきゃいけないんだあっ!

                                     (つづく)

定年物語

Synopsisあらすじ

陽子さんは、夫・正彦さんの定年を心待ちにしていた。正彦さんが定年になって、家にいるようになったら……家事を手伝ってもらおう! 共働きにもかかわらず、激務で疲労困憊の夫には頼みづらかった家事。でも、これからは。トイレ掃除、お風呂掃除に、ご飯の後の洗い物、それから……。陽子さんの野望が膨らむ一方で、正彦さんもひそかに野望を抱いていた……。『銀婚式物語』に続く、陽子さんと正彦さんカップルの定年後の物語。

Profile著者紹介

新井素子

1960年東京生まれ。立教大学独文科卒業。高校時代に書いた『あたしの中の……』が第一回奇想天外SF新人賞佳作を受賞し、デビュー。81年『グリーン・レクイエム』、82年『ネプチューン』で連続して星雲賞を受賞、99年『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞した。他の作品に、『星へ行く船』『……絶句』『もいちどあなたにあいたいな』『イン・ザ・ヘブン』『銀婚式物語』『未来へ……』など多数。



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